2018年11月15日 (木)

イェイツ

前に行ったのがいつだったか思い出せないくらい久しぶりに、城ヶ島に出かけた。なかなか出かけなかったのは遠くて時間がかかるから。今は目的地に近づいていくそうした時間の流れを心地よく感じる。すっかり空は高くなり、すすきが美しく映えていた。肥えた猫たちがそこここにいてうれしかった。

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高校生の時、通信教育に入っていた。あの頃、後にできることはできるだけ後にする、という傾向が今よりひどく、提出する解答用紙はたまっていくばかりだった。確か月2回、送られてくる回答と解説の掲載された小さな冊子の表紙はなかなか洒落たデザインで(2018年の今、もう一度見てみたい気がする)、おそらく秋だったと思う、表紙にイェイツの詩が載ったことがあった。それは印象的な詩で、心にとまるものだった。編集に携わった誰かがイェイツを好きだったのかもしれない。受験生向けの冊子ではあったけれど、その思いは見事に届いていたことになる。
今の僕は毎日、目の前のことをあるがままに見て生きていこうとしている。40代後半になり、10代のみずみずしい心はどれほど残っているだろうか。ようやく空気がひんやりとし、高くなった空を見て、その詩を思い出した。「落葉」という題、岩波文庫には対訳付きで収められている。でも訳は、昔のノートにメモしてあったその冊子のものがしっくりくる。どなたの手によるものだろう。

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落葉

秋は来た、2人をいとしむ長い木の葉のうえに
オオムギの束のなかに巣くうハツカネズミのうえに
ナナカマドの葉はわれらの頭上に黄ばみ 露しとど野イチゴの葉も黄ばみはてた

恋のおとろえのときはわれらに寄せてきて
2人の悲しい心は、いまはもの憂く疲れ果てた
いざ別れよう、情熱のときのわれらを去らぬうちに
伏目なるきみの額にくちづけし 涙しながら

      W.B.イェイツ


The Falling of the Leaves

Autumn is over the long leaves that love us,
And over the mice in the barley sheaves;
Yellow the leaves of the rowan above us,
And yellow the wet wild-strawberry leaves.

The hour of the waning of love has beset us,
And weary and worn are our sad souls now;
Let us part,ere the season of passion forget us,
With a kiss and a tear on thy drooping brow.

W.B.Yeats

2018年10月31日 (水)

リー・キット展、前橋汀子さん

原美術館で開かれているリー・キット「僕らはもっと繊細だった。」展へ。www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/243/
久しぶりの原美術館、久しぶりの現代美術、楽しかった。今回の展示、モノとして価値のあるものはあまりなく、がっかりする人もいるかもしれない。美術品があると思って入ると、空っぽな感じがするかもしれない。もとは私邸だった美術館のそれぞれの部屋には光がゆらぎ、ゆったりとした時間が流れ、心地よかった。今回のインスタレーションは外から差し込む光が大きな要素になっている。僕が行ったのはよく晴れた午前中だったけれど、例えば曇っていたり、日が落ちてからだったりすると、きっと印象が異なると思う。
(この数年現代美術がつまらなく感じられるようになり、展示から足が遠のいていた。たいして通った訳でも詳しい訳でも、もちろんないけれど、現代美術にお金が流れ込むようになったことや、アートっぽいものがもてはやされる今の風潮が関係しているのではないか、と僕はにらんでいる。ところで先日、ある絵がオークションで落札された直後に、内蔵されたシュレッダーで裁断される、ということがあった。作者はこうした状況を揶揄したかったのだろうか、と想像する。https://youtu.be/vxkwRNIZgdY)

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今月の日経新聞連載「私の履歴書」は前橋汀子さん、毎日楽しく読んだ。10月6日の記事から、
『私の人生を変えたともいえるコンサートがある。55年2月に初来日したソ連の世界的なバイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフの公演だ。日比谷公会堂の客席に陣取った私は小学5年生だった。
 あんなバイオリンの演奏は聴いたことがなかった。大きな体と楽器が一体となった、ふくよかな響き。「楽器が体の一部みたい。バイオリンでこんな音が出せるんだ」。まさに衝撃だった。
 「ソ連で勉強すればオイストラフのように弾けるようになるかしら」。私の心に大きな火がともった瞬間だった。』

10月29日の記事から、
『大学で教える一方、自分が生徒になった時期もある。62歳から1年間、都立大泉高校の定時制課程に通ったのだ。当時、本格的にスラブ民族史を学びたくなり、どの大学で講義が受けられるか調べてみたのだが、自分が高校を中退してソ連に留学したことに気づき、まずは高卒の資格を取ろうと思い立ったのである。
 夜学の生徒の大半は昼間に働く10代の若者。「前橋さん」「はい」と出席を取るところから始まり、彼らと同じように授業を受けた。生物や化学の面白さに目覚め、参考書や科学雑誌を買って読みふけった。・・・
 期末テストは一夜漬けで頑張った。初めて答案用紙に名前を書く時は鉛筆を持つ手が震えたのを覚えている。
 15分遅刻すると欠席扱いになる。自転車で猛ダッシュして滑り込みセーフの日もあった。・・・』

2018年10月20日 (土)

物語

8月に放送されたラジオ番組の中で村上春樹さんが、「文章の書き方は音楽から学んだ」と言っていたことが印象的だった。
その放送からしばらくして、以前ピアノの小曽根真さんが言ったことを思い出した。何年か前、確か石巻の体育館での演奏会の時と記憶するけれど、クラシックを弾くようになって良かったことは、音楽には物語があることを知ったこと、と言っていた。村上さんと小曽根さんの言ったことは一つの環になるような気がした。先月末に小曽根さんと都響の演奏会があり、それではジャズはどういうことなんですか?と是非尋ねたいと思っていたのだけれど、聞きそびれてしまった、残念。今度きっと聞いてみよう。

もう一つ、8月に作曲、クラリネットのイェルク・ヴィトマンが来た時、プログラムノートの中で書いていたことも思い出す。
『音楽を通して思考できるようになって以来、私にとって常に重要であったのは、新しいものを創出することであり、どのような色彩の響きを作りだすか、どのように音を組み合わせるかということであった。』

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今読んでいるのはジェイムズ・ジョイス著「ダブリンの人びと」(米本義孝訳)。以前にも読んだはずなのだけれど(岩波文庫版と思う)、何が良いのかまったくわからず、かの有名なジョイスとは、はて?と思っただけだった。今はおもしろい。何かがありありと、目の前に立ち昇ってくるようだ。丁寧な訳注と解説も手伝って、すごいと思う。物語はきっとこうやって書くものなんだ、という気がする。
「ユリシーズ」も以前読んだ。訳もわからずとにかく頑張って最後まで読んだ、という感じだった(巻末の丸谷才一さんの解説は、ぽんと膝を打つような素晴らしいものだったと覚えている)。「ダブリンの人びと」を再読した後で、本箱に眠っているユリシーズを出してみる気になった。今度開いたら何かつかめるのかもしれない。

ところで、ラジオから流れてくる村上春樹さんの喋り方はけっこう驚きだった。文章を知っているから、そちらから何かを補って聞いているけれど、もし知らなかったら違う印象を持ったかもしれない。次の「村上RADIO」の放送は10月21日19時~、TOKYOFMで。www.tfm.co.jp/murakamiradio

2018年10月14日 (日)

再び北へ

陸路函館へ。
到着してすぐ練習があり、夕方終わってから市電に飛び乗った。北国は思ったより日没が早く、しかも雨も降り始め、思ったように写真は撮れず、しっかり濡れ、ほうほうのていで撤収。
翌日、午前の時間をぬすんで海へ。市電の3つある終点の1つ、谷地頭まで行き、さらに歩く。石川啄木の墓所を過ぎて立待岬へ。快晴、対岸の津軽半島や下北半島までよく見える。

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深々と息を吸ってからホテルに戻る。坂の多い函館の市電は風情があって楽しい。しかもスイカが使える。夜は演奏会。

今回も古いカメラを持ってきた。お供の、10年以上使ってきたデジタルの露出計(光量を計って、シャッタースピードや絞りを決めるための道具)が怪しくなってきた。ボタンを何回か押さないと動作しない。古いカメラは快調だけれど、そろそろ露出計は新調しなくてはいけないのかも、と久しぶりにカメラ屋を回った。すっかり足が遠のいていた中古カメラ屋に入ったら、ずらりと並ぶカメラの中の1台に吸い寄せられた。僕のカメラと同じ型の、信じられないくらい綺麗なのがあった。製造されてから60年たっているはずなのに、本当かな、新品のように美しい。手に取って動作を確かめる僕の耳元で、販売員が、私もこんなきれいなのは初めてですねぇ、とささやく。深く心動かされ、そんな時いつもするように、宝くじを買って帰った。もし当たったら、あのカメラをオーバーホールして、と夢をふくらませながら。
宝くじはもちろん外れ。自分のカメラを出し、こっちの方が動作は軽いし、少しくらい傷があった方が気兼ねなく使える、と言い聞かせる。
露出計は新しくした。時代に逆行するようなアナログ式のもの。それにしても表示の小さな字が見づらくなるなんて。

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翌日、再び市電で出かける。終点「函館どつく前」まで乗り、猫に会いながら外国人墓地まで歩き、海沿いを戻ってくる。函館は猫も人も穏やかな気がする。大きな船が飾ってある、と思ったら日本丸だった。やはり美しい。

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昼の新幹線で帰京。北海道から東京まで陸路で4時間、というのは大変な時代になったものだと思う。九州より近い。残念なことは、これはJR東日本の新幹線、特急全般に言えることだけれど、座席に枕が付いていて頭を下向きにせねばならず、具合がどうにもよくない。東海道新幹線はずっと快適なのですが・・・。

2018年10月 2日 (火)

葉山

神奈川県立近代美術館で開かれている「アルヴァ・アアルト ­ もうひとつの自然」展へ。www.moma.pref.kanagawa.jp/exbition/2018_aalto
逗子駅から狭い道を抜けて海の見える美術館にたどり着くと(けっこう遠い)、何度来てもやっぱりいいと感じる。葉山の海の素晴らしさは僕には説明不能だ。東京から少し離れるだけで、まったく違う空気と時間になる。

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展示も楽しかった。見ている人たちも皆、好きで見ている様子だった。デザインや建築が好きな人には特に興味深いだろうと思う。展示の最後に、アアルトのデザインした家具がたくさん並ぶ広いスペースがあり、実際に様々な椅子に座れるのだけれど、座る、という単純なことが楽しかった。デザインを体で感じることができる。

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10月2日、日経新聞に掲載された不動裕理さんの記事から。
『運動が苦手だった私は競うことには向かず、ゴルフ競技を始めてからも、人と勝負するという気持ちは希薄だ。あくまでマイペースだから、自分がちょっとスコアを落としてもそれほど気にならない。ミスをして数ホール、イライラが続くことはあるけれど、いいショットやいいパッドを打てたらすぐに機嫌が直る。
 そんな性格もプラスに働いたのだろうか。勝利を重ねてもどこかひとごとのようで、記録を意識したり、プレッシャーを感じることはさほどなかった。スランプに陥ったときのために、メンタルトレーニングの本を何冊か読んだけれど、好調なときはたいして役にも立たなかった。
 ずいぶん前になるが、「夢とか目標をつくって自分をしばりつけたくない。毎週、その時のコースと調子で目安をつくって頑張っている」とコメント。自分のできる範囲で、ちょっとでもいいプレーをすることだけを考え、記録はあくまで結果だと思っていた。』

2018年9月24日 (月)

9月22日都響定期演奏会のプログラムはオリヴァー・ナッセン:フローリッシュ・ウィズ・ファイアワークス、武満徹:オリオンとプレアデス、ホルスト:「惑星」だった。指揮はローレンス・レネス。

オリオンとプレアデスのチェロ・ソロはジャン=ギアン・ケラス。最初のリハーサルの後、会いに行き、彼がこの曲を弾くのは初めて、美しく、メシアンやデュティーユを思わせるね、そんな話をした。
学生時代、カザルスホールの主催公演をよく聴きに行った。武満徹さんの曲の演奏機会は多く、よくお見かけしたと思う。96年に初めてサイトウキネンオーケストラに参加した時も、武満さんはいらしていた。2004年の新日フィルのスペインツァー、その後に続いたサイトウキネンのヨーロッパツァー、両方ともプログラムの冒頭は武満さんの「弦楽のためのレクイエム」だった。前半のツァーは、日本のオーケストラだから、という理由でこの曲が選ばれた感じで(指揮者はスペイン人)、残念ながら深い理解は感じられず、サイトウキネンで弾くことを待ち遠しく思った。

正直なところ、僕の弾いてきた武満さんの曲の多くはゆっくりで、つかみどころがあるとは言いにくい。それらの曲に特別な輝きがある、ということに気付いたのは、恥ずかしながら最近だ。
オリオンとプレアデスを弾いていて、広い空間で様々な楽器の音が重なった時、何が起こっているのだろう、と心を奪われた。時間は音楽の大切な要素だけれど、その響きが現れると、時の進みが無くなる気がする。ずっと西洋音楽を弾いてきた、でも武満さんの曲は、もしかして僕たちが何気なく出す音で、必要なものを実現しているのかもしれない。そしてこれは前から感じていたことだけれど、外国の人たちの方が武満さんの曲に強く魅せられている気がする。

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プログラムの後半はホルストの「惑星」。浅はかな僕には、全曲にわたって隙なくこの曲が魅力的とは思えない。ルーチンワークになる時間がけっこうある。でも一つずつのフレーズを弾きながら、思いもしないような和声の進行がそこら中にあることに、ようやく気付いた。かなり斬新で、調べた訳ではないけれど、こういう書き方は惑星以外で経験しているだろうか。組曲のエッセンスは火星や水星、木星の有名な旋律より、そうした響きの中にあるのではないだろうか。そう思い至ったとき、前半に武満さん、後半に惑星というプログラミングの理由が浮かび上がってくる気がした。
今回の演奏会はもともと、作曲家でもあるオリヴァー・ナッセンが指揮するはずだった。ナッセンがどうして惑星を選んだのか、そしてどのような音楽を生み出そうとしたのか、知りたかった。

ケラスがアンコールに弾いたのはデュティーユの「ザッヒャーの名による3つのストロフ」から第1。なるほど、メシアンやデュティーユのことを言っていたものね、と思った。調弦を変えるこの曲を、事も無げに弾くケラスを見て、2年前、ブーレーズを一緒に弾かせてもらった時に彼が言っていたことが何だったのか、ようやく少しずつ僕にの体にも入ってきた気がする。(2016年6月の日記をご覧下さい。「メサージエスキス その2」www.ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/2-8fc6.html)

ナッセンの訃報は今年の7月。彼が前回都響を指揮したのは3年前だと思う。ケラスの弾くデュティーユを聴きながら、サイトウキネンがデュティーユに委嘱して彼が来日したのはもう10年も前のことだった、と思った。武満さん、デュティーユ、ナッセン、皆大きな人たちだった・・・。

2018年9月23日 (日)

「顔たち、ところどころ」

先日、公開されて間もない映画「顔たち、ところどころ」へ。www.uplink.co.jp/kaotachi
87歳の映画監督アニエス・ヴァルダと写真家JR(33歳)のドキュメンタリー。JRの運転する車の後部は、駅にある証明写真撮影のスペースのようになっていて、車体側面からは大きく伸ばされた写真が出てくる。二人がこの車でフランス各地を回り、人々を撮影し、建物や壁などに貼っていく。
突飛な行動のようだけれど、自分が写った写真が建物に貼られていく、ということが人々の心を揺さぶっていることが、よくわかる。実物以上に大きな写真が貼られた建物はそれ自体何かを語るようだし、見たときの人々の変化、感情がこみ上げて泣いたり、恥ずかしがったり、好感を持ったり、そうしたことに心打たれる。もう一つの大きなテーマは、二人がゴダールに会いに行く、というもの。映画は軽妙、抜群のテンポ感だった。編集も見事。楽しく、苦い。
それにしても、大きく伸ばした写真を建物に貼っていく、ということをフランスの人たちはごく自然におもしろがっていたけれど、他の国ではどうだろうか。

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毎年夏に行われる大きな自転車レース、ツール・ド・フランス。平坦なコースでのスプリント競争は強烈、でもなんといっても山岳ステージが魅力だ。選手たちのスピードが落ちるきつい登りでは、熱狂する多くのギャラリーが、ほとんど走路妨害というくらいにコース上に出て待ち受け、おそらく選手たちに触っているし、峠を越えた後の下りは、つづら折りの、ガードレールなんてどこにも存在しないコースを、90キロ近いスピードで飛ぶように降りて行く。
ステンドグラスでも有名なパリの老舗百貨店の屋上は、都心で眺望が良いのに空いていて、穴場だと思う。街がよく見える理由の一つは、屋上の縁に視界を遮るものがないこと。短い棒が何本か立っていて、ここから先に行くとどうなるかはわかっているよね、という感じだった。東京都心の百貨店の屋上には、まるで動物園のオリの内側にいるかのように、高く堅牢な柵が立っている。
東京五輪の自転車ロードレースのコースが発表になった後(大変なコースらしい)、自転車好きのKさんと、そのコースは彼の自宅近くも通るのだけれど、登りの頂点に近いところで待っていて、はたして選手を間近でみることはできるのだろうか、という話になった。

2018年9月 8日 (土)

‘when September ends’

アマチュアオーケストラの合宿に参加し、帰る日は台風が近づいていた。標高の高いその場所から最寄りの中央本線の駅まで車で送ってもらった。出発してから、運転するT君が、「中央線ではなく、長野新幹線の駅に出ることもできます。昨日調べておきました。どうしますか?」と言ってくれたことに、僕は感心してしまった。強まる風雨の中、「あずさ」はいつまで動くだろうか、あるいは、特急が止まっても各駅停車は動くだろうか、そのくらいのことは考えていたけれど。自分が20代前半の時、こういう考えは到底出てこなかっただろうと思う。遅い時間の特急は運休、幸い予定より1本早い「あずさ」に乗ることができた。
このときの台風や、続いた地震の報道に接して、信頼している生活の基盤が、残念ながらもろいことを感じずにはいられなかった。彼のような発想はきっと大切だ。

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その前夜、Oさんが、一日オーケストラを弾いていると、ロックを大音量で聞きたくなる、と言い、確かに、と思った。
帰宅して久しぶりにGreenDayのアルバムを出し、'Wake me up when September ends'を聴いている。冒頭はこんな歌詞だ。

'Summer has come and passed
The innocent can never last
Wake me up when september ends'

東京もいつの間にかセミが鳴かなくなり、秋の虫の声が聞こえるようになった。

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2018年9月 2日 (日)

「MONKEY」vol.15

雑誌「MONKEY」vol.15を読み終わった。久しぶりに雑誌というものを満喫した気がする。表紙をめくるとすぐ、R.O.ブレックマンさんの絵が現れ、彼の楽しい絵は前半の随所に出てくる。後半はウォーカー・エヴァンズの写真になり、そちらもいい。この雑誌はきっと作りたい人が作りたいように作っているのだと思う。もう一つの特徴は「もの」の記述や広告がほとんどないこと。逆の言い方をすれば、ものに関する記述や、何かを売るための広告、宣伝が多くの雑誌にとって重要、ということだろうか。
写真に夢中だった頃、毎月20日の雑誌発売日が本当に待ち遠しかった。90年代後半、インターネットはそれほど発達しておらず、雑誌はほぼ唯一の情報源だった。毎月何誌も写真雑誌を買い、何度も開いた。同時に限りなく物欲を刺激されていた。フィルムカメラ最後の時期は、こんなことを言うのは年寄りくさいけれど、輝きがあったと思う。

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芥川喜好さんの著書「時の余白に」が素晴らしかったので、「時の余白に 続」も読んだ。やはり知らなかったことがたくさん書いてある。その一つが熊谷元一さんの写真による「一年生 ある小学教師の記録」(岩波写真文庫)。舞台は1950年代の長野県下伊那郡会地村。2018年の僕たちの方が確実に便利で快適な生活を送っているけれど、写真を見ると、それで果たして幸せなのだろうか、と思わずにいられない。
もう一つ芥川さんの著作で紹介されていて早速読んだのが、秋山祐徳太子著「秋山祐徳太子の母」。抱腹絶倒、こんなにおもしろい本は久しく読んでいなかった。

2018年9月 1日 (土)

朗らかさ

8月終わりの都響はサントリーホールで現代曲。指揮のイェルク・ヴィトマンについて、彼の作品を中心に演奏すること、彼のソロでウェーバーのクラリネット協奏曲も演奏すること、これはM君が教えてくれたことだけれど、ヴィトマンの弦楽四重奏曲第3番は劇的な終わり方をすること、しか知らなかった。

リハーサルの初日、穏やかな人だなと思った。ヴィトマンの曲をオーケストラは2曲演奏する。そのどちらも、書かれた音符が彼の血であり肉であることがわかる。頭で書いていない。様々な特殊奏法は、奇をてらうものでなく、音楽的要求からきていることが、最初のリハーサルでわかった。クラリネットを吹いても素晴らしい。
初演のヴァイオリン協奏曲第2番も興味深い。ヴァイオリンソロは妹のカロリン・ヴィトマン。規模の大きな曲を書いて、それを自ら指揮して初めて音にしていく経験は、いったいどんな感じだろう。リハーサル室ではさほど思わなかったけれど、サントリーホールの音響下で、ヴァイオリン、声(!、素晴らしかった)、様々な特殊奏法や様々な楽器から出されるノイズのような音と、楽器本来の音程のある音との組み合わせは見事だった。特にヴァイオリンとアンティークシンバル(弓で弾くシンバル)の音のつながりは、聴いていて楽しかった。
「コン・ブリオ」という曲について、作曲者はベートーヴェンの7番や8番の交響曲との関連を説明してくれた。同じ関連がヴァイオリン協奏曲にも感じられたので、尋ねてみると、その通りとのことだった。加えて、協奏曲のシンプルで美しい旋律はあなたのオリジナルですか?と聞くと、そうです、引用ではないです、と教えてくれた。

ヴァイオリン協奏曲について、ヴィトマンによるプログラム・ノートから、
『際立って長い中間楽章を、私は「ロマンス」と名付けた。この楽章では、感情が細かく枝分かれして、ひとつの宇宙を形作っている。これは、心の内部へと向かう旅である。この旅は、さまざまな感情の領域を横断する。歌うような、あるいは柔らかな要素が、騒音や叫び声にも似た爆発と隣り合わせになっている。しかし、どの場面においても、ヴァイオリンが語り手である。
 作曲技法に関して言うならば、音響や音色の多様性はあれど、全3楽章の基礎を成しているのは、厳格に抑制された素材と動きの、綿々と連なる遊戯的なヴァリエーションである。音楽を通して思考できるようになって以来、私にとって常に重要であったのは、新しいものを創出することであり、どのような色彩の響きを作りだすか、どのように音を組み合わせるかということであった。しかし、簡素化することと形式に特別な注意を払ったのは、これが初めてである。・・・』
初演に立ち会うことができて幸せだった。

5曲あるプログラムのうち3曲が自作、2曲でクラリネットを吹き、3曲を指揮(そのうち2曲は初演)。一晩の内容として、ヘヴィだと思うけれど、常にヴィトマンは明るく生き生きしていた。誰に対しても穏やかで開かれていたと思う。
ヴァイオリン協奏曲もそうだったし、おそらくクラリネット・ソロも、多くの特殊奏法を伴う超絶技巧だ。でもそれらの技法は彼らの体と一体化し、難しそうに聞こえなかった。大変な能力の持ち主に違いない、でも舞台にいて感じたのは、朗らかな彼らと一緒にいられることの心地よさだった。

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チェロのジャン・ギャン・ケラスのことを思い出した。常人離れしたプログラムを連日のようにこなしていた時、彼にもかりかりした感じや悲壮感はまったくなく、ごく自然で穏やかだった。
実際に接したことはないけれど、例えば、大リーグの大谷選手や松井秀喜さんをテレビの画面で見ると、穏やかで朗らかな感じがする。(ケラスはスポーツの話をよくしていた)もしかしてこうした朗らかさこそが、第一線で活躍するために、それぞれの技量と同じくらい大切な資質ではないのだろうか、と思った。

僕には本当に足りない・・・。

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