2012年5月26日 (土)

なぜ何のために

昨日の演奏会、多くの方にお越しいただき本当にありがとうございました。

虎の門交響楽団の人たちと遅くまで飲んで深夜に帰宅した。どちらかと言うと普段演奏会の後はぐっすり眠れるのだけれど、明け方空が白んできてもなかなか寝付けなかった。

今回心がけたことが一つあって、それはできるだけ自然体でいようということだった。
残念ながらもう協奏曲を毎日6時間も8時間もさらえる年ではない。実際今までそうしてきたのだけれど、本番当日体は疲れ切っているし心は一突きで爆発しそうな腫れものになっているし、それはあまり良い状態ではないような気がしていた。ただ、そうは言っても本番数日前にのんびりしているのはちょっと不安だった。

本番の舞台にはとてもいい流れがあったと思う。楽しかったなぁ、この感じを忘れないようにしよう。
エルガーを弾き終わって、虎響の人たちが演奏するブラームスの2番やニムロッドを聴きながら、音楽は本当に素晴らしいと思った。皆さんのひたむきな姿勢に心打たれ、なぜ何のために音楽をするのか教えられるようだった。
誰かから与えられたかのような時間だった。深く感謝します。

2012年5月24日 (木)

背中が大きく遠く

自分が協奏曲の本番を控えているからだと思う、今回のメネセスほど都響に来るソリストの背中が大きく遠く見えたことはなかった。
都響の演奏会が月曜日、エルガーを弾くのが金曜日、泥縄以外の何物でもないのだけれど、僕としてはかなり根本まで戻ってチェロを弾くことを見直した。でも今朝になっても当然なかなか思うようにならないので、少々ふさぎこんでしまった。

それがたまたま、知っている方が生まれて数カ月のお子さんを連れているのに会い、なぜだか元気になった。子供は偉大だ。エルガーの協奏曲の最後の方にも、小さい命を慈しむようなところがある。
夜は虎の門交響楽団と通し稽古をして、さぁ明日本番。

2012年5月22日 (火)

14年前の夏

14年前の夏、初めて参加したシエナの講習は2週間ブルネロのクラス、その後メネセスのクラスが2週間あった。
ブルネロのクラスは、最終日グラッパ(しかもブルネロ・ディ・モンタルチーノのグラッパ)を飲んでから、明け方ドメニコ教会下のブランダ泉まで行って全員がずぶぬれになるまで水かけっこをしたくらい、皆親密だった。一方、メネセスのクラスは生徒と先生、生徒同士でも常に一定の距離があって、僕はそのことに戸惑ったのを覚えている。今でもぶきっちょだけれど、昔は本当に人と接するのが下手だった。

あの年、やはりシューマンの協奏曲を習っていて、ブルネロはここでこう弾けと言っていたとかこんな指使いだったとか、どうして君は謝肉祭を知らないんだと言われたこととか、メネセスのクラスの演奏会はキジアナ音楽院の中庭で行われ(通常音楽院内の素晴らしい音響のホールで弾くのだけれど)この協奏曲を弾いたこととか、昨日舞台でその時のことを思い出しながら弾いていた。

今日は一日雨だった。

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2012年5月21日 (月)

まいった

ちょうどリングになるところで雲に隠れてしまったのだけれど、どうにか金環日食を見ることができた。あの時間、陽の光は弱まり世界は知らない暗さの色になった。昔の人たちはきっと恐れおののいたことだろう。

今日の演奏会のソリストはアントニオ・メネセスでシューマンのチェロ協奏曲。
昨日のリハーサルで彼がオーケストラに向いて弾いた時、意外と音が出てないような気がしたのだけれど、とんでもない、文化会館のステージでは深々と実によく通る音だった。他の楽器の人に、この曲簡単なんだね、と言われてしまった。まいった。うーん、格が違う。それぞれのフレーズの終わる音まで見事だった。チェロはあぁやって弾くんだなぁ。

文化会館大ホールの上手袖には車と巨大な帽子があった。ウィーン・フォルクスオパーの舞台装置だそうだ。

Bunkabus

2012年5月20日 (日)

新しいカメラ

これはもう病気のようなもので、時々、数か月に一度、合理的論理的な必要性なしにカメラが欲しくなる。
物欲というのは、本当にその物が欲しいというより、心のバランスがとれていない時に現れるものだと思っている。ということは僕の心も救いを求めているということか、うーむ。

ペンタックスのK-01

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初めて見た時は、どうしてこんなデザイン重視で中途半端なものを出してしまったのだろう、とあきれていたのだけれど、ヨドバシカメラを通る度に触っていたら欲しくなってしまった。僕はころりとした形のものに弱い。冷静に考えれば、この価格帯ならオリンパスやソニー、ニコンを選ぶべきだろうに。
結局手元のカメラやレンズの、あれとこれとそれとあれを手放して40ミリレンズのついたK-01と、かねてから使いたかった21ミリレンズを手に入れた。

これまでのカメラはどうして似たり寄ったりのあの形で、しかも黒だったのだろう。K-01を使ってみて、今までどうしてカメラはこの形じゃなかったのだろうかと思う。使いやすい。もちろん好き嫌いの問題はある、でもデザインをしたマーク・ニューソンは素晴らしいセンスを持っていると思う。
画質は好き。ただし、ゴムでできたグリップが外れやすいことはいただけない。もう一つ、オートフォーカスは遅い。まぁ、あばたもえくぼ、ということにしておこう。

普段35ミリレンズを使っていて、もう少しゆったりしていればと思うことはあった。でもそれを28ミリにしてしまうと僕には遠近感が誇張されすぎる。だから換算32ミリ弱の21ミリレンズは実に心憎い。

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Bike

とびきり薄い40ミリレンズも面白い。換算60ミリというのは、50ミリではまだ形が歪んでしまうと感じられる時にいいかもしれない。僕の感覚では標準レンズというより望遠だ。

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21ミリと40ミリ、この2本のレンズがあれば僕の見ているものほとんどをカバーできるような気がする。
ところで、専用日食グラスも買ったのだけれど明日の天気は大丈夫だろうか。

2012年5月18日 (金)

弓使いのつたなさを

弓の毛替えと楽器の調整をしに重野さんのところに行ったら、自家製の松脂があった。
もととなる松脂が2種類あり、白っぽく透明感のあるもの、黒いもの、混ぜたもの、それぞれを溶かして固めてある。白いものは音に角があり立っていて明るい。黒は暗めの音色、扱いやすく低い音はとてもいい。タールの中に足を入れているような感じ(実際に入れたことはないけれど)で、弓使いの拙さを少し補ってくれるようだった。
ただし、いろいろ比べてもよほど精密に聴いていないとわからないくらいの音の違いだった。弾けば、手元の感覚なのでよくわかる。

僕は黒い松脂を使わせて頂くことにした。簡単に言えば、原料を溶かして固めたものだ。
市販の松脂はどのように作られているのだろう?何か秘密のレシピがあるのだろうか。それとももしかしてあの値段の大部分は美麗な箱の!?

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2012年5月17日 (木)

耳と心と体をもっと開いて

本棚同様、CDも棚に入りきらなくなり、この頃は買うのを控えるようにしている。
でも、先日試聴して以来気になっていたエンリコ・ディンドの録音を買いに新宿タワーレコードへ出かけた。

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売り場が移動していて驚いた。前は9階にジャズと並んであったのに(けっこういい感じだった)、最上階がクラシック専門フロアになっていて、なんだか隅に追いやられたような気がする。でも今や店頭でCDを買うにはタワーレコードが頼みの綱だ。
ディンドの弾くバッハの組曲は、あまり考え込まず、美味い肉を食べていいワインを飲んでふくよかな音で広々歌おうよ、と言っているような気がする。

今日は一つ仕事をしてから広い部屋でさらった。善意の押し売りのようにただ一生懸命弾くのではなく、耳と心と体をもっと開いて弾けないだろうか。
新しい気持ちでさらったら少々くたびれたので、北千住まで出て町を散歩した。通りを一本曲がるだけで迷宮に入りこむような気がする。猫がのびのびしている町はいい。

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2012年5月15日 (火)

雨の日に

昨晩弦をゆるめて、今日はチェロを弾かない日。
六本木の富士フィルムスクエアで「ユージン・スミス作品展」を見てから、森山大道さんの「カラー」展へ。
どちらも小さな展示スペースで、もっと点数を見られればと思った。森山さんの写真はやはりおもしろく、見慣れたはずの東京の街が外国のように見えた。
このところ休みの度に雨が降る。でも雨の日に撮れる写真もある、と思おう。

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2012年5月14日 (月)

真摯に向き合った時間が

今日はいい演奏会だった。
ブラームスの協奏曲を弾くルケシーニさんを見て、この人は本当に音楽家だと思った。彼と音楽の間に余計なものがなく、真摯に音楽と向き合ってきた時間がそのまま音になっているようだった。

僕の頭の中にはしばらくこの曲が鳴っていそうだ。

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2012年5月13日 (日)

明日の演奏会のソリストはアンドレア・ルケシーニさん。彼の演奏は好きだ。大声で何かをアピールすることはないけれど、彼にとって明確なブラームスの音楽があり、それにとても共感したくなる。
僕が20代の後半、毎夏イタリアでブルネロに習っていた頃、ちょうどブルネロとルケシーニ、お二人がシエナのロッツィ劇場でCDのための録音をしていたことを思い出す。ルケシーニさんに会うのはその時以来、演奏をきちんと聴くのは初めてかもしれない。

今日の産経新聞、先日の東京マラソンで日本人1位となった藤原新さんの大きな記事が掲載された。あの時、右足底筋膜炎というけがを抱えていたそうだ。記事から彼の言葉を
『足の裏に太い腱があるんです。去年それを傷め、痛みととともに過ごしていました。昨年12月の福岡国際に出場しなかったのは、そのけがのせいでした』『実際、この症状で引退する人もいれば、半年から1年休む選手もいます』
『実際の痛みもありますが、やっかいなのは、もっとひどくなったらという恐怖心です。その恐怖が痛みを増幅させるんです。しかし、痛みの悪化は1日ごとでは判断がつかない。そこで僕は、1週間単位でけがの状況を計りました。1週間前より良くなっていたら全力で練習していいというマイルールを作った。整形外科の診察なら、痛みがあるうちは走ってはいけないとなるのですが、僕は1週間前より悪化していなければ構わず練習を続けたんです。そうトレーニングするうち、痛みを克服しながら、どんどんスピードを出せるようになりました』

スポーツ選手のけがはよく聞く。僕たち音楽家も残念ながら、腱鞘炎を代表として、体の故障とは無縁ではない。藤原さんは東京マラソンの時、飄々とゴールしたように見えたのだけれど。

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