2018年9月 8日 (土)

‘when September ends’

アマチュアオーケストラの合宿に参加し、帰る日は台風が近づいていた。標高の高いその場所から最寄りの中央本線の駅まで車で送ってもらった。出発してから、運転するT君が、「中央線ではなく、長野新幹線の駅に出ることもできます。昨日調べておきました。どうしますか?」と言ってくれたことに、僕は感心してしまった。強まる風雨の中、「あずさ」はいつまで動くだろうか、あるいは、特急が止まっても各駅停車は動くだろうか、そのくらいのことは考えていたけれど。自分が20代前半の時、こういう考えは到底出てこなかっただろうと思う。遅い時間の特急は運休、幸い予定より1本早い「あずさ」に乗ることができた。
このときの台風や、続いた地震の報道に接して、信頼している生活の基盤が、残念ながらもろいことを感じずにはいられなかった。彼のような発想はきっと大切だ。

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その前夜、Oさんが、一日オーケストラを弾いていると、ロックを大音量で聞きたくなる、と言い、確かに、と思った。
帰宅して久しぶりにGreenDayのアルバムを出し、'Wake me up when September ends'を聴いている。冒頭はこんな歌詞だ。

'Summer has come and passed
The innocent can never last
Wake me up when september ends'

東京もいつの間にかセミが鳴かなくなり、秋の虫の声が聞こえるようになった。

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2018年9月 2日 (日)

「MONKEY」vol.15

雑誌「MONKEY」vol.15を読み終わった。久しぶりに雑誌というものを満喫した気がする。表紙をめくるとすぐ、R.O.ブレックマンさんの絵が現れ、彼の楽しい絵は前半の随所に出てくる。後半はウォーカー・エヴァンズの写真になり、そちらもいい。この雑誌はきっと作りたい人が作りたいように作っているのだと思う。もう一つの特徴は「もの」の記述や広告がほとんどないこと。逆の言い方をすれば、ものに関する記述や、何かを売るための広告、宣伝が多くの雑誌にとって重要、ということだろうか。
写真に夢中だった頃、毎月20日の雑誌発売日が本当に待ち遠しかった。90年代後半、インターネットはそれほど発達しておらず、雑誌はほぼ唯一の情報源だった。毎月何誌も写真雑誌を買い、何度も開いた。同時に限りなく物欲を刺激されていた。フィルムカメラ最後の時期は、こんなことを言うのは年寄りくさいけれど、輝きがあったと思う。

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芥川喜好さんの著書「時の余白に」が素晴らしかったので、「時の余白に 続」も読んだ。やはり知らなかったことがたくさん書いてある。その一つが熊谷元一さんの写真による「一年生 ある小学教師の記録」(岩波写真文庫)。舞台は1950年代の長野県下伊那郡会地村。2018年の僕たちの方が確実に便利で快適な生活を送っているけれど、写真を見ると、それで果たして幸せなのだろうか、と思わずにいられない。
もう一つ芥川さんの著作で紹介されていて早速読んだのが、秋山祐徳太子著「秋山祐徳太子の母」。抱腹絶倒、こんなにおもしろい本は久しく読んでいなかった。

2018年9月 1日 (土)

朗らかさ

8月終わりの都響はサントリーホールで現代曲。指揮のイェルク・ヴィトマンについて、彼の作品を中心に演奏すること、彼のソロでウェーバーのクラリネット協奏曲も演奏すること、これはM君が教えてくれたことだけれど、ヴィトマンの弦楽四重奏曲第3番は劇的な終わり方をすること、しか知らなかった。

リハーサルの初日、穏やかな人だなと思った。ヴィトマンの曲をオーケストラは2曲演奏する。そのどちらも、書かれた音符が彼の血であり肉であることがわかる。頭で書いていない。様々な特殊奏法は、奇をてらうものでなく、音楽的要求からきていることが、最初のリハーサルでわかった。クラリネットを吹いても素晴らしい。
初演のヴァイオリン協奏曲第2番も興味深い。ヴァイオリンソロは妹のカロリン・ヴィトマン。規模の大きな曲を書いて、それを自ら指揮して初めて音にしていく経験は、いったいどんな感じだろう。リハーサル室ではさほど思わなかったけれど、サントリーホールの音響下で、ヴァイオリン、声(!、素晴らしかった)、様々な特殊奏法や様々な楽器から出されるノイズのような音と、楽器本来の音程のある音との組み合わせは見事だった。特にヴァイオリンとアンティークシンバル(弓で弾くシンバル)の音のつながりは、聴いていて楽しかった。
「コン・ブリオ」という曲について、作曲者はベートーヴェンの7番や8番の交響曲との関連を説明してくれた。同じ関連がヴァイオリン協奏曲にも感じられたので、尋ねてみると、その通りとのことだった。加えて、協奏曲のシンプルで美しい旋律はあなたのオリジナルですか?と聞くと、そうです、引用ではないです、と教えてくれた。

ヴァイオリン協奏曲について、ヴィトマンによるプログラム・ノートから、
『際立って長い中間楽章を、私は「ロマンス」と名付けた。この楽章では、感情が細かく枝分かれして、ひとつの宇宙を形作っている。これは、心の内部へと向かう旅である。この旅は、さまざまな感情の領域を横断する。歌うような、あるいは柔らかな要素が、騒音や叫び声にも似た爆発と隣り合わせになっている。しかし、どの場面においても、ヴァイオリンが語り手である。
 作曲技法に関して言うならば、音響や音色の多様性はあれど、全3楽章の基礎を成しているのは、厳格に抑制された素材と動きの、綿々と連なる遊戯的なヴァリエーションである。音楽を通して思考できるようになって以来、私にとって常に重要であったのは、新しいものを創出することであり、どのような色彩の響きを作りだすか、どのように音を組み合わせるかということであった。しかし、簡素化することと形式に特別な注意を払ったのは、これが初めてである。・・・』
初演に立ち会うことができて幸せだった。

5曲あるプログラムのうち3曲が自作、2曲でクラリネットを吹き、3曲を指揮(そのうち2曲は初演)。一晩の内容として、ヘヴィだと思うけれど、常にヴィトマンは明るく生き生きしていた。誰に対しても穏やかで開かれていたと思う。
ヴァイオリン協奏曲もそうだったし、おそらくクラリネット・ソロも、多くの特殊奏法を伴う超絶技巧だ。でもそれらの技法は彼らの体と一体化し、難しそうに聞こえなかった。大変な能力の持ち主に違いない、でも舞台にいて感じたのは、朗らかな彼らと一緒にいられることの心地よさだった。

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チェロのジャン・ギャン・ケラスのことを思い出した。常人離れしたプログラムを連日のようにこなしていた時、彼にもかりかりした感じや悲壮感はまったくなく、ごく自然で穏やかだった。
実際に接したことはないけれど、例えば、大リーグの大谷選手や松井秀喜さんをテレビの画面で見ると、穏やかで朗らかな感じがする。(ケラスはスポーツの話をよくしていた)もしかしてこうした朗らかさこそが、第一線で活躍するために、それぞれの技量と同じくらい大切な資質ではないのだろうか、と思った。

僕には本当に足りない・・・。

2018年8月27日 (月)

短篇

昨晩、何とはなしに借りてきたレイモンド・カーヴァーの短編集「大聖堂」を読んだ。これまで短編をおもしろいと思ったことはなかったのに、一息に読んでしまった。幸せになるわけでも、冒険があるわけでもなく、どちらかというと辛くなるような話ばかり、でもどうしてひきこまれてしまったのだろう。
今日、車窓を流れていく景色をぼんやり眺めながら、小説も人の心のどこかを動かす、形にできない何か素晴らしいアイデアのようなものなのだろうか、と思った。

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夜テレビを見ていたら、ものすごい雷が鳴り始めた。空の暗くなる暇がないほど、常に光って雷鳴が聞こえる。衛星放送は映らなくなり、部屋の電気を消して稲光を見ることにした。時間がたつのを忘れて見入ってしまう。一筋の光が近所の、工事現場のクレーンに落ちて、そのクレーンが倒れたように見えた。

今は雑誌「Monkey」vol.15、アメリカ短編小説の特集を読んでいる。真ん中あたりにブコウスキーの短編が出てくるけれど、まずは冒頭のジョン・チーヴァーから。

2018年8月22日 (水)

北へ

混雑した東北新幹線に乗った。なんだか居心地悪く、先日海に行ったときの各駅停車の、ゆっくりとした進み具合が懐かしい。

この夏、久しぶりに青春18きっぷで旅をしてみようと思った。そんなことを考え始めたのはひどい暑さの頃で、目指すのはもちろん北。学生時代、何度も18きっぷで東京と名古屋を往復した。すっかりだらしなくなった今の僕に、それなりに我慢の必要な旅ができるだろうか。実際、北を目指しても、宇都宮を過ぎたあたりで満足して、あるいは嫌になって、引き返したりしないだろうか。
お盆の混雑を避け、あちらの日程を考え、こちらの日程も考え・・・。残念ながら、新幹線でまっすぐ目的地を目指すことにした。

予想外だったのは帰りの新幹線が空席なし、と出たこと。「はやぶさ」に自由席はない。がっかりして、とりあえず他の用事を済ませ、本屋で立ち読みをし、もう一度券売機の画面を見たら、あった。切符の手配も宿の手配も前日にばたばたと。

八戸で八戸線に乗り換え、鮫駅下車。蕪島を見て、歩き、バスに乗り、葦毛崎展望台へ。特徴のある形の展望台に上がると、水平線が広がりをもって目に入ってくる。こんなにはっきり見えるものだったか、と驚いた。

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海沿いを歩く。植物の甘い匂いのするひんやりとした空気に包まれ、あるのは波の音と歩く自分だけ。美しい砂浜に出てからまたバスに乗り、種差海岸駅近くの民宿へ。部屋に入り窓を開けると、虫の声と波の音が聞こえ、畳の上にごろりと横になる。極楽だ。

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夕食の後、真っ暗な夜の海岸に出る。目が少し慣れてくると、あまりよく知らない僕にも見える。北斗七星のひしゃくや、カシオペアのW、赤く大きく光っているのは火星だろうか。通りに人の気配はなく、車もほとんど通らず、静か。夜とはこういうものだった、と思い出した。ご飯を食べたらあとは眠るだけ。よく歩いた。

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翌日も晴れ、けれど早朝の海に行く気概はなく、ぎりぎりまで布団にへばりつく。朝食の後、歩く。種差海岸から葦毛崎まで、海沿いに遊歩道が整備されていて快適だ。こんなに美しい海岸は他にあるだろうか、と思う。

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ひんやりとした甘い匂い、松、岩、海、空、水平線、松、岩、海、・・・、その繰り返し。波打ち際にも降りてみる。水が透き通っていて気持ちがいい。
漁港を二つ過ぎ、白い砂浜に出る。少しの海水浴客とラグビーをする高校生、夏だなぁ。バスに乗って鮫角灯台へ。灯台には海上保安庁OBの方がいらして、遠くに見え隠れする山は八甲田山系、右手に島のように見えるのは下北半島、と教えて頂く。海を見ながらの気象の話など興味深かった。バスに乗って鮫に戻り、乗り換えまでの少しの時間を盗んで港に出た。ここには蕪島よりたくさんのうみねこがいるようだ。

再び混雑した新幹線に乗る。弁当を食べ少し眠ると、もういつもの雑踏だ。でもどこにいても、見てきた美しい海は僕の中にある。
結局今回も古いカメラと歩いた。フィルムの現像が上がってくるのが本当に待ち遠しい。


2018年8月11日 (土)

海へ

いつもの駅からいつもの電車に乗り、途中で別の各駅停車に乗り換えた。海へ。
この前海に行ったのはいつだろう。今年のひどい暑さにすっかり諦めていたけれど、やはり恋しくなり、台風が行ってしまうのを待って出かけた。各駅停車で2時間、見慣れた景色が少しずつ遠ざかっていく。さらに乗り換えて目指す駅へ。

ここは海が近い。駅舎はすっかり改装され、波が大きく見える。心が動いた。もっと早く来れば良かった。
一休みして、浜に向かう。強い波の音に気圧されるようだった。思ったより早く日が暮れ、海と空の境はなくなり、波の音の外はモノトーンに近い色の、豊かなグラデーションがあるばかり。幻想的な夕刻の海に身震いするようだった。ひととき地上の様々なことを忘れた。

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漁港には工事用の黄色と黒のロープを首輪にしている猫がいた。人懐こい。猫がのびのびしているところはきっと人間にも居心地がいい。

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空模様が怪しくなってきたので帰りを急ぐ。途中、往年の名ピアニストの名前のカフェに入った。店内にはジャズが流れ、村上春樹さんの本があり、何だか絵に描いたようだった。店に入ってから土砂降りとなり、ゆっくり赤ワインを飲むことにする。こうして外でワインを飲むなんて、本当に久しぶりだ。少しだけ大人になった気がする。
店主から、当地は昔保養地だった、という話しを聞く。確かに今日だってさほど暑くなかったし、セミにまじって、すでに秋の虫の声が聞こえた。

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翌朝早く目を覚まし、揺れを感じた。7年前の地震のことが頭をよぎる。
再び海へ。夜が明けると世界は一変しているけれど、それでも霧が出ていて、幻想的だ。寝坊助の僕はだいたい午後の海しか知らない。夕方や朝の海はこんなに魅力的だった。
今回は一番信頼する古いカメラを持ってきた、フィルムもきれいに使いきった。次来る時はデジタルの一眼レフでも良いのかもしれない。

2018年8月 1日 (水)

最近読んだ本から

以前ほどではないにしても、毎月20日頃は様々な雑誌の発売日で楽しい。7月はカメラ雑誌ではなく「Coyote no.65 一瞬の山 永遠の山」を。その中で登山家の山野井泰史さんが紹介していたラインホルト・メスナー著「ナンガ・パルバード単独行」を読んだ。登山の具体的な記述より、どんな気持ちで山に臨むのか、そのことが記述の中心にあり、非常に新鮮で興味深かった。

『山から戻るキャラバンのためにポーターをかって出た二人の若者が、石垣と石垣のあいだに腰を下ろしてお茶を飲んでいる。
「チャイ」
彼らはぼくに問いかける。
「ティケ」
ぼくはこう答えて彼らに加わる。ポーター達のキャンプファイアーを囲んで、運命にすべてをゆだねたアジア人の魂の落ち着きを感じとることができた。変えることのできないものに対する彼らの信念は非常に強烈だった。だからすべての出来事の因果関係を事細かにあれこれ問い直すようなことはしない。これに反して、事実に対するぼくの感覚や論理的な思考能力などというものは、いったい何なのだろう。』

『・・・ここにこうして腰を下ろしていると、自分も山の一部だという感じがしてくる。どんな動作も、きわめて慎重に行わなければならない。滑ってはならないし、雪崩を落としてもいけない。亀裂に落ちてもいけない。ぼくはここに積もっている雪のようなものであり、岩や雪や雲の感じるものを、ぼくも同じように感じるのだ。もう哲学する気持ちにはならない。それはすべてのものとの一致であり、また死との一致でもあった。
 ぼくは山を征服しようとして出掛けてきたのではない。また、英雄となって帰るためにやってきたのでもない。ぼくは恐れることを通じて、この世界を知りたいのだ。・・・』

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みすず書房の近刊情報を見ていて、「時の余白に 続」という本を見つけた。その新刊ではなく、続編になる前の「時の余白に」を読んでみようと思った。芥川喜好さんが毎月、読売新聞に書いた文章をまとめたもの。恥ずかしながらこの連載のことを知らなかった。暑い毎日、この本を読むことは清涼剤のようだった。「時の余白」から

『多くの例外があることは承知の上で言いますが、現代は、職務に背いても平然としていればいい時代です。逃げればいい。知らぬ存ぜぬを通せばいい。弁解すればいい。何かのせいにすればいい。いずれ世間は忘れてくれる。』

『芸術の世界とは、自由を装いつつ現実はさまざまな欲望でがんじがらめの俗世間です。他人の好みや、情報、戦略で作られるものが溢れています。そこから遠く離れて自分の生命の鼓動に耳をすませ、鼓動とともに筆を動かし続ける人の「自由」のかたちが、ここにあります。
「自分の力のうちにあるもの」に最善を尽くすことが、やがて自分を超える大きな力につながっていく道筋も、その人には見えているはずです。』

2018年7月11日 (水)

ラジオ

6月で終わった日経新聞夕刊の連載、脚本家東多江子さんの文章も毎週楽しかった。最終回6月28日掲載分から。

『昨年「熟年初婚」と相成り、始めたことが二つある。
 一つは家計簿。一つは梅干し。
・・・・・
 わたしには、敬愛する専業主婦の友だちが何人かいるが、その一人の言葉が忘れられない。
「生き甲斐とか、それ、どうしてもなかったらいけんの?毎日機嫌良く暮らしとったら、それでいいんやない?」
 彼女はふるさとの言葉でそう言った。至言だと思った。
・・・・・
 夫婦関係も仕事も子育ても「どれも充実してます!」的ライフスタイルが賞賛される風潮は、どうも好きになれない。スーパーウーマンなんて(それが存在するとして)一握りだ。雑誌の記事などを真に受け、本気で焦ってみたり悲嘆に暮れてみたりするなんて、アホみたいである。
 機嫌良く暮らせること、それを充実と言うのではないか?』

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昔からラジオが好き。テレビかラジオかどちらか、と言われれば迷わずラジオを取る。ラジオの良さは自由でストレートなことだと思う。顔は見えないけれど、それ以外のことはよくわかる。内容とマイクに向かって話す人の人柄、それが全て。おもしろいものはおもしろく、つまらないものはつまらない。ラジオを聞く人は少数で、ほとんどの人はテレビでしょう。でも僕は時々テレビのあざとさにうんざりする。

家にはラジオがたくさんある。昔から使っている目覚ましと一体になったラジオ、風呂でも聞ける防水ラジオ、旅行に持って行く小さなラジオ、・・・。ステレオにつなぐ立派なチューナーもある。東京に出てきた時、テレビはなくても生活できるから、というのが結局長く続くことになった。今はスマートフォンでも、しかも放送後でも聞ける。テレビがつまらない夜は、愛してやまない平日16時半からのJ-WAVE、GROOVELINEをタイムフリーで聞いてひとしきり笑う。

物で幸せになるのはけっこう難しい、とようやく気がついてから、物をあまり買わなくなった。でも先日ヨドバシカメラでこのラジオを見つけて、どうしても欲しくなり、今めでたく家にある。スピーカーが一つしかないアナログのラジオ。世の中の流れに逆行するような古いスタイルの製品から出る音は、ハイレゾやハイファイといったものとは逆、レンジは広くなく、音は個性的かもしれない。でも人の声や、古い録音が流れてくると素晴らしい。夢の高級オーディオではないけれど、力がある。音は不思議だ。ロックを聞いても楽しいし、僕としては珍しく挫折せずに聞き続けているイタリア語講座(入門編)もご機嫌。今週は毎晩、ベルリンフィルの最近のライヴ録音を聴いている。

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2018年7月 6日 (金)

「経験や勘」

7月で日経新聞、特に夕刊の連載陣が新しくなった。「私の履歴書」、今月は中村吉右衛門さん。1日掲載の文章から。

『4歳で初舞台を踏んでから、今年で70年になります。世阿弥にならえば、老い木に花を咲かせるべき年齢になりました。至高の演技の位に「闌位」というのがあるそうですが、その言葉が示すように、なににも煩わされずに素直に心を出してお客様の胸に迫ることができる役者になりたいものだと考えています。』
『刀工は火の加減、たたき方、すべてが経験です。歌舞伎もまた経験でしかありません。ところが、これを受けつぐ力が薄れつつあるように感じられてなりません。経験や勘を人から人へと受け継ぐことの大切さを見失ってはいけないのです。なくなってしまったら、もうつくれない。歌舞伎も同じなのです。』

この文章を読んで先日、ピアノのピリスがテレビで語っていたことを思い出した。こんな内容だったと思う、『経験は言葉にすることができないから、伝えていくしかない、伝えていくのは私にとって義務のようなものだ。』。(もう一つ印象的だったのは、『私の方が誰かより優れている、という考え方は音楽から創造性を奪う』という言葉だった)

僕もそれなりに苦労して、大切なことはなかなか言葉にできないし、簡単に考えられることでも小手先で出来ることでもない、と感じるようになった。意識の表面で考えられることは知れているのではないか。人間はきっともっと深いところで生きている。

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6月29日の日経新聞夕刊に掲載された東浩紀さんの「困難と面倒」という文章から。

『ぼくは1971年生まれで、20代で情報革命の波に出くわした世代にあたる。だから長いあいだ、情報技術によるコミュニケーションの進歩や社会変革の可能性を信じてきた。けれどもこの数年で考えが変わっている。いまのぼくは、情報技術にあまり大きな期待を寄せていない。
かわりになにに期待すべきかといえば、最近は、家族や友人など、面倒な小さな人間関係しかないのではないかという結論に至っている。驚くほどつまらない話だが、今回は最終回なのであえて記させてもらおう。・・・』

電車に乗ると多くの人がスマートフォンの小さな画面を見て、おそらくほとんどの人がsnsかゲームをしている。今この光景は当たり前になっているけれど、10年と少し前にはスマートフォンは存在しなかった。驚くべきことだと思う、一昔前になかったものをかなり多くの人が持ち、しかもいくらかの人たちは取りつかれたように使っている。僕もスマートフォンを使うし、ずっと欲しいと思っていたipadを買ったばかりだ。
あの小さな画面を、毎日短くない時間、多くの人間が見て、何かを刺激され操作し、という状況はこれまで存在しなかった。人間はどのように変質していくのだろうか、それともそんなことでは変わらないものだろうか。

時々ぼんやりと窓の外を見て、何かに思いを馳せてみませんか?

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2018年6月27日 (水)

知恵のような

6月23日、日経新聞夕刊に掲載された玉村豊男さんの文章から。

『書斎や廊下にある作り付けの本棚は、半分がガランとした空間になったが、いまは残りの本もすべて放出してしまいたい衝動に駆られている。本棚といっしょに私の頭の中も空っぽにして、過去の知識にすがることなく、ただ前だけを見つめていた少年の無垢を手にして、残りの老年を生きてみたい・・・』

興味深く読んでいた今年3月の日経新聞連載、山折哲雄さんの「私の履歴書」を思い出した。3月1日の文章から。

『・・・これまでのけっして短くはないわが人生のなかで、何と多くの重苦しい荷物を抱えて生きてきたことか。捨てよう捨てようとしてはきたけれども、とても思うようにはいかない。その最たるものが書物の山だったが、捨てても捨ててもいつのまにか溜まっていった。それだけではない。それらの重たい書物のなかに盛られた思想とか哲学までが何ともうっとうしい重い荷物にみえてきたのだった。それがはたしてどんなものだったのかゆっくり確かめながら、この履歴の旅をつづけてみることにしようと思う。』

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僕の一つの夢は本を、大きかったり変わった形だったりする写真集だって、好きなだけ置ける本棚のある家に住むことだけれど(もう一つの夢は見晴らしのよいところに建つ、小さくて、薪ストーブのある山小屋)、先達のこうした文章に触れると、そうなのですか・・・、と胸をつかれる。
今読んでいるのは平家物語。昨夏読みかけて挫折したのをもう一度、『諸行無常の響あり・・・』から始めて、今、岩波文庫版の第1巻が終わりかけている。古くから読み継がれてきた物語には何かがあると思う。何かを読んで、知識というより、知恵のようなものに心惹かれる。例えばロストロポーヴィチがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が書かれたときのことについて述べたことのような。(昨年10月4日の日記をご覧下さいhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-29b8.html)

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