2019年1月18日 (金)

「ひたむきな」

先週は国立科学博物館の「日本を変えた千の技術博」(meiji150.exhn.jp)へ、今週は2121デザインサイトの「民藝 Another Kind of Art 展」(www.2121designsight.jp/program/mingei/)へ。
どちらもさっと見て出るつもりが、見始めたら楽しくなり、ゆっくり見てしまった。科学博物館の展示の中に、昔の研究者の小さなノートがある。そこには実験のデータが丁寧に手書きで記され、研究に臨む姿がありありと感じられた。また、2121では様々な生活用具はもちろん、職人や流通にかかわる人の映像も素晴らしく、また柳宗悦さん、深澤直人さんの印象的な言葉があった。その中から。

『私は「どうしたら、美しいものが見えるようになれるか、とよく聞かれる。別に秘密はない。初めて「今見る」想いでみることである。うぶな心で受取ることである。これでものは鮮やかに、眼の鏡に映る。だから何時見るとも、今見る想いで見るならば、何ものも姿をかくしはしない。たとえ昨日見た品でも、今日見なければいけない。眼と心が何時も新しく働かねば、美しさはその真実の姿を現してはくれぬ。』 柳宗悦

『芸術家でも職人でもない人の無我な手から生み出されたものには、得も言われぬ魅力が潜んでいる。「私があの子どもたちの年齢のときには、ラファエロと同じように素描できた。けれどもあの子どもたちのように素描することを覚えるのに、私は一生かかった」と語ったパブロ・ピカソ。これは柳宗悦に同じく、ひたむきな心が創作に与える純粋性を評した言葉だ。』 深澤直人

E7666489f9984a44bd194767d0504a78

二つの展示に共通するのは、もともと誰かに見せることを考えていなかったものが、展示されていたことだ、と思う。会場を出るときに清々しい気持ちになっていたのは、そうした理由によるのだろうか。普段目にする様々な展示は、見られることが前提になっている。見られる、見てほしいと思う、そのような心の持ち方は、作ることとは別の何かを含んでいるのかもしれない。誰かに見てほしい、注目されたい、自分はこんなに素晴らしいことをしている、この心の叫びを・・・。そうしたものは表現の原動力なのかもしれないし、かえってその表現が人に伝わるのを邪魔しているのかもしれない。あるいはもしかして、表現すべきものですらないのかもしれない。

オランダ人の、ゴッホの専門家が来日した時、ゴッホは世界一幸せな画家でした、なぜなら自分の描きたいように描いたからです、と言っていた。生前ほとんど絵は売れず、ほとんど注文されず、おそらく注目もされず、弟テオに支えられながら絵を描いた、そういう人生だったのだろうか。今や多くの人の心を打ち、市場に出れば騒ぎとなる絵、そのことと、それを描いたゴッホの人生との間の開きを考える。

2019年1月12日 (土)

シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲

1月10日の都響定期演奏会の前半はシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲。パート譜をざっと見た時、そんなに黒くないし(細かい音符が多くないということ)きっと大丈夫、と思っていたら、僕のこれまでの音楽人生の中で(さほどのものではない)、指折り何番目かの難しさだった。ただし同僚から、そんなに難しいんですか?、とか、チェロ大変そうだね、と言われたから、パートによって印象はずいぶん違うらしい・・・。(オーケストラではよくあること)

何が難しかったのか、考えてみる。
最大の理由は定型がほとんどなかったことだと思う。リズムが似ているようにみえる時でも、毎回少しずつ違う。あるリズムが拍の前にきたり、拍の頭にきたり、アップビートが八分音符だったり十六分音符だったり、複雑に入り組んでいる。慣れてきて他のパートが耳に入るようになると、かえって惑わされる。その上、十二音技法というのか、音の予想がいつもつかない。リズムにも音にも定型がない。逆に言うと普段、身についた定型に頼っている部分がかなりあるということだ。
そのような場合は、淡々と、ただ目の前の音符を一つずつ丁寧に弾いていく、それが良い方法だったのかもしれない。実際問題、丁寧に弾く時間はほとんどなかったけれど。猛烈なスピードで動いていく現在の状況の中に身を置きながら、楽譜を読んで、その中にフィットしていくように音を出していく。以前、オーケストラ奏者は空間認識能力が高い、という話を聞いたことがある。楽譜を図形のように、地図のように素早く読む、ということだろうか。(残念ながら、僕の能力がたいしたものだとは思えない)素人考えだけれど、世界ラリー選手権に出場するようなナビゲーター(運転席の隣に座って、地図を読み、方向などの指示をドライバーに出す人)がもしオーケストラ奏者になったとしたら、非常に高い能力を発揮するかもしれない、と思う。オーケストラで弾くことが趣味の、プロのナビゲーターがもしどこかにいたら、話を伺ってみたい。

自分が間違えて飛び出した箇所を、次に通る時気をつけていると、他の人が飛び出したりして、あぁ自分だけじゃないんだ、と思う。シェーンベルクという人は人間のことをよくわかっていて、こう書くと君たちは間違えるよね、と見られているようだった。
そして、これはいつものことだけれど、記譜が、へ音記号、ハ音記号、ト音記号と目まぐるしく変わり、ピチカートとアルコの持ち替えに加えてバットゥート(弓の木の部分で弦をたたく)の指示もあり、ディヴィジの指示(パートの中でさらにパートが分かれる)であちこち目が泳ぐ。加えて追い討ちをかけるように、写譜が読みにくい。同じ小節の中で1拍にあてられるスペースが違い、あぁもう、実に読みにくい。大事な休符が隅の方に追いやられて、くしゃっと書いてあったりする。写譜屋さんは独自の美学お持ちなのかもしれないが、たとえば四拍子なら、一小節をだいたい四等分して書いて頂きたいと切に願う。

_20190112_212616

一言で言えば、足りない頭と体ををフル回転させた演奏会だった。難しさに翻弄されて終わったけれど、曲自体はなんだかおもしろそうだった。ソリストはパトリツィア・コパチンスカヤ。リハーサルの最初から素晴らしい演奏だった。何より素晴らしいと思ったのは、超絶技巧の演目のはずなのに、いつも自然な感じでいたところだ。そこが一番大切なのかもしれない。本番の衣装ではわからなかったけれど、彼女はいつも素足でヴァイオリンを弾いていた。

僕は聴いていないけれど、この曲はヒラリー・ハーンの録音がよく知られているらしい。そのCDのカップリングはシベリウスの協奏曲で、収録順はシェーンベルク、シベリウスだそうだ。何人かのヴァイオリンの同僚と話していて、シベリウスを聴く目的でこの録音を持っている人が、その時初めてシェーンベルクも入っていることに気づいていた。収録順からすると、演奏者の意図は明らかにシェーンベルクを聴いてほしい、ということだろうけれど、進んでシェーンベルクを聴く人は多くないかもしれない。だって例えば、朝すごく早い時間に目が覚めた時、シベリウスを聴こう、とは思っても・・・。(シェーンベルクさん、ごめんなさい)

プログラムの後半はブルックナーの6番。久しぶりに弾いた6番は、バランスが取れて美しい曲だった。
大野さんの指揮は早めのテンポで、横のつながりがよく見えた。シェーンベルクとは対照的に、ブルックナーのフレーズは2、4、8、16小節の定型で書かれている。それぞれのフレーズの和音がどのように書かれているのか、どのような進行をしているのか、そして次のフレーズに移る時、前のフレーズとどういう関係なのか、そんなことを感じながら弾くのは楽しかった。ブルックナーの演奏は重厚長大になりがち、でも今回のようによく進むテンポもいい、という思いと、低弦が十分に鳴り切るにはもう少し時間がほしかった、という思いがまざった。

2019年1月 1日 (火)

あけましておめでとうございます。

20181226_1308


2018年12月31日 (月)

ひたすら

6月に、ある小さな演奏会でバッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲を聴いた。昔から何度も弾いてきて、通奏低音のパートはすっかり覚えているくらいだけれど、その時初めて、なんて素晴らしい曲なんだろう、と思った。今年の最も大きな音楽的な出来事の一つだった。もし無人島に一枚のレコードを持って行くとしたら、僕は迷わずこの協奏曲にする。第2楽章だけでもいい。
高校生の頃、オイストラフの演奏を聴いたはず、とCDを探した。(その時聴いたのがメニューインと協演したものだったか、オイストラフ親子によるものだったか定かではないのだけれど)録音を聴いても感動はよみがえってくる。カップリングで入っているベートーヴェンのロマンスも素晴らしい。オイストラフの演奏に触れると、弦楽器はこう弾くもの、音楽はこう演奏するもの、と感じる。様々な情報にあふれ、足元が見えなくなりそうなとき、立ち戻る場所になる。

もう一つ、今年素晴らしかったな、と思うことは、年代も国も様々な5人の優れた演奏家・作曲家に会った時に受けた印象だ。接したのはいずれもリハーサルの合間だったり、終演後だったりした、そうしたタイミングもあるのかもしれない、相対した時、拍子抜けするほど彼らには邪気がなかった。握手をしようと手を出すと、こちらの手が向こうに通り抜けてしまうような気がした。子供のよう。その印象が見事に5人に共通していた。彼らの素晴らしいパフォーマンスは、そうした心の持ち方も関係しているのではないか、と思うようになった。充分に自己実現できていて、それに打ち込むことができている。

015

もちろん演奏家には、ただならぬ雰囲気を漂わせたり、威圧的だったり、何かを腹に抱えていたりする人もいる。僕はといえば、様々なとらわれがある。こだわり、執着、好き嫌い、と言ってもいい。独断だけれど、演奏家の多くは人一倍執着の強い人たちだ。それは意外なほど演奏に影響しているのではないか。
演奏家として、素晴らしいことや苦いこと、様々な経験をする。そうした経験に、善し悪しだったり好き嫌いだったり、価値判断や感情的なものが結びつき、長い時間をかけて澱のように心に積もっていくことは、果たして良いことなのだろうか、と思うようになった。

体を使って何かをする、パフォーマンスをする時に、心や意識がどうあるか、というのは技術的な訓練と同じくらい大切なのではないだろうか。子供から大人になり、経験を積み、意識が大きくなり、考え事をするようになり、何もなかったところに、名誉、報酬、責任、地位・・・、こうしたことが重くまとわりつくようになる。ただ夢中でしてきたことに、意識の様々なことが入り込んでくる。
毎年のように色々なスポーツで、華々しい活躍を見せる10代の選手が現れる。しかし長く活躍し続ける選手は多くない気がする。専門的なことはわからない、肉体的な条件など様々なことがあると思う。例えば有名になり、メディアの取材を受け様々な媒体に出て・・・、そうしたことが続いた時、多くの選手の心に何かが起きているのではないか。放っておいてあげればいいのに、といつも思う。大きな大会の前は特に。メディアが騒がなかったらきっと違う活躍が、と思う選手がたくさんいる。

執着といえば、報道が続く自動車会社元会長のことを考える。彼はどうしてあんなにたくさんのお金が欲しかったのだろう。僕には想像もできないような素晴らしい使い道があったのだろうか、それともただただ、欲しかったのだろうか。

大晦日、除夜の鐘が108回撞かれる。それほど人間には煩悩があり、それらがしっかりと根を下ろす前に払ってしまいなさい、ということだろうか。来年のことを言うと鬼が笑う、というけれど、来年はできることなら、なぜ、どうして、何のために、など考えず、毎日真っ白な心で、ひたすら生きて弾いて、過ごしたい。

2018年12月23日 (日)

目の前に

そんなことより、どんな弾き方をして、どのように音楽を感じ、そしてどのように生きているか、こうしたことの方がはるかに大切と思うけれど、確かに、楽器のセッティングは興味深いことではある。

僕は上の2本にヤーガーのミディアム(クラシック)、下2本がオイドクサ、という弦の組み合わせを何年も使ってきた。学生時代に北九州の音楽祭で一緒に弾かせてもらったロバート・コーエンというイギリスのチェリストの組み合わせだ。彼が使っていたのは、スクロールが人の顔になっているテクラー、あの美しく個性的なチェロは今どこにあるのだろう。
夏前にどうもa線の突っ張る感じが気になるようになった。硬い。下に張っているオイドクサの張力がかなり低いので(この古典的で素晴らしい弦の製造が続くことをピラストロ社に願わずにはいられない。いったい、世界で何人がこの弦を使っているのか)、1番線がより硬い感じになるのかもしれない、と思った。各社のHPを見て、ヤーガーのミディアムより張力の低い弦を探した。基本的に新しい弦ほど張力が高く、残念ながら僕の選択肢は少ない。
そんな頃、O君がワーシャルの知らない弦を使っていて、聞いたらアンバー、という。久しぶりにワーシャル社のHP(warchal.com)を見てみたらおもしろかった。様々なアイデアにあふれている。アンバーのa線は、おそらく音が裏返るのを防ぐために、駒に当たる辺りがゆるやかな螺旋状(!)になっている。その弦も試し、結局プロトタイプAという新しい製品を使っている。ヤーガーより緩く、音色の変化も自由だ。

ワーシャルのHPでは松脂の厳密なテストも公開されている。早速、その中で良いとされているアンドレア・ソロを使ってみたら、確かによかった。パワフル。アメリカで仕事をしていたヴァイオリニストに聞くと、彼の地ではオーディションに通るために欠かせないアイテム、ということになっているそうだ。今はその松脂も使うし、ある方から頂いたドイツの弓製作家によるものも使っている。こちらの方が自然な感じがする。

ガット弦に関して、以前は4ヶ月くらいで交換していた。でもそのくらいではたいして劣化した感じはなく、もったいないので半年使うようになった。伸びたガットの感触もなかなかいい。
半年使うようになって、交換の時期をこう考えるようになった。まだ熱帯になってはいないけれど、1年を乾期と雨期に分け、秋の長雨が終わり紅葉が始まる頃、空気が乾燥し始めたら新しいガットに換える。東京の冬は乾いた晴天が続く。5月くらいまで気持ちの良い季節だ。空気がじめじめし始めたらまた交換し、梅雨、夏、台風、秋の長雨まで使い・・・。交換の前には一月ほどかけてゆっくり伸ばしておく。弓もこのタイミングで毛替えしたらどうかな、と思っている。
スチール弦はある時点で急激に倍音の成分が減り音が平板になるので、基本的には新しいものの方がいいと思う。

5e30a077e7034a42b03445b2d353acaa

先月久しぶりにマリオ・ブルネロの演奏を聴いた。久しぶりに見て聴いて、20代の後半、毎夏シエナに出かけて習っていたのに、大切なことを受け取っていなかった、とようやく気付いた。背中から肩、肩から腕、腕から指、指から弓や楽器へ、その一連が流れるように見事につながっている。それは毎日何時間も見ていたのに・・・。大切なことはすでに目の前にあった。

小学校を卒業する時に、当時の校長先生の方針で、6年生は全員決められた3つの詩を先生の前で暗誦しなくてはならなかった。どうして?とは思ったし、親も、どうして?という感じだったと思う。詩の意味や、なぜ暗誦するのか、という説明はなかった。万葉集から山部赤人の長歌と反歌、カール・ブッセの「山のあなた」(上田敏訳)と記憶している。「山のあなた」は長くなく、今もなんとなく覚えている。ただその言葉は小学生の僕には不思議な感じがした。”山のあなた、って一体誰なんだろう?”
校長先生がどんな思いをもって暗誦させたのか、今となっては知る方法もない。でも、人に何かを教えるとはこういうことかもしれない、と思う。30年以上たち、今は少し腑に落ちる。


カール・ブッセ「山のあなた」 上田敏訳

山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
ああ、われひとととめゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。


2018年12月15日 (土)

海へ

この時間を逃したらしばらく行けない、と用事を済ませ、電車に飛び乗った。夕方の海へ。午前中の快晴は嘘のように分厚い雲が広がり、その雲と海の細い隙間から見える赤い光は、来てよかったと思わせるものだった。

Dsc_0144

海岸にいたのは20分ほど。海と空は美しかったけれど、耳が痛くなるような風の冷たさに、早々に退散した。

2018年12月 4日 (火)

5分前に

以前あるピアニストが、ヴァイオリンのアンネ=ゾフィー・ムターがこんなことを言った、と教えてくれた。理想の演奏会は、開演5分前に演奏会場に着き、楽器を出し、そのまま舞台に出ていく。
この話を聞いた当時、ものすごく意外な感じがした。今は少しわかるような気がする。何時間も前にコンサートホールに入り準備し待ち構えるのではなく、流れるようにスムースに事が進行する、ということだろうか。

Dsc_0111

本当にこう言ったのかどうかは確かめていないのだけれど、今日初めて本人の演奏に接して、たしかにそうかもしれないと思った。いつものホールには黄色い花がたくさん飾られ、ちょっと違う感じだ。演奏会は明日。

2018年11月29日 (木)

唐招提寺

昨日、久しぶりに東海道新幹線に乗った。いつもの富士山側でなく、あまり座らない3列席の窓側、海が見え、色づいた木々が目に入ってきて楽しい。
この夏から秋にかけて、何度か東北新幹線に乗る機会があり、通路側の席に座ることも多かった。ちょっと驚いたのは、窓側に座っても外の景色を見ない人が多かったこと。ブラインドを降ろしてスマートフォンの画面に見入ったり、本を読んだり、眠ったり。何をしようとその人の自由だけれど、車窓の景色をぼんやり眺めることを贅沢だと感じている僕には意外だった。夜の新幹線に乗っている今、窓の外は真っ暗で実につまらない。最近考えていたことを書き出してみよう。

電車に乗ると、あるいは乗る前から、多くの人がスマートフォンを見ている。携帯電話が普及してからすっかり当たり前の光景になったけれど、30年前の車内はどんなだっただろう。
以前あるテレビ番組で脳を取り上げた時、又吉直樹さんが、芸人がネタを思い付くのは多くの場合風呂かトイレ、と言っていた。ぼんやりしている時に、実は頭の中では様々なことが起こっていて、思いがけない発想が生まれやすい、というのが番組の説明だった。

あまり言われないことのようだけれど、少なくない人たちが毎日少なくない時間、あの小さな画面を見て頭を刺激され続ける、SNSやゲーム、ニュース、様々な商品のサイトからあふれる情報にさらされ続ける、こうしたことは、大げさでなく、この数千年の間でなかったことだ。
僕の素人考えだけれど、例えばSNSは、これまで限られた人たちしかできなかった、何かを広く世間に発信する、ということを劇的に容易にし、しかもそこには承認欲求を満たす仕掛けもある(ハートマークのこと)。感心するしかない。人間の心のわりと深いところをたくみにくすぐる仕組みは、だからこんなに普及したのだと思う。
脳は使い方によって少しずつ変わる。少しずつの変化は気づかないことが多い。この新しい、かなり刺激の多い使い方がどんな影響をもたらしているのか、考えることはきっと必要だと思う。

2018_1128_12030500

昨日は名古屋に泊まり、今朝は奈良へ。唐招提寺に向かう。東京に暮らしているとそれが日常になるけれど、時々他の土地に行くと、東京は当たり前でないことがわかる。
西ノ京で電車を降り、ゆったりとした時間を感じながら、お寺まで歩く。唐招提寺の金堂は美しい。紅葉も美しかった。美しい金堂を見ながら、煩悩とか執着という言葉を考える。とらわれないこと、それはもしかしてネガティブなことだけでなく、例えば好きなこと美しいことにもあてはまるのかもしれない、と思った。

2018_1128_12420900

近鉄奈良駅から南にしばらく行ったところに、今風のこじんまりとしたカフェがある。数年前たまたま入って良かったので再訪した。どの街に出かけても同じようなチェーン店が増えている中で、個人の店が光っているのを見るのは嬉しい。厨房に立つのは若い女性、料理にも才能があるのだなぁ、と思わずにはいられなかった。彼女は淡々と丁寧に仕事をしているだけなのだけれど。

関西に来たのには唐招提寺だけでなくもうひとつ大切な用事があった。先週も懐かしい人たちに会い、珍しく話しこんだりした。

2018年11月15日 (木)

イェイツ

前に行ったのがいつだったか思い出せないくらい久しぶりに、城ヶ島に出かけた。なかなか出かけなかったのは遠くて時間がかかるから。今は目的地に近づいていくそうした時間の流れを心地よく感じる。すっかり空は高くなり、すすきが美しく映えていた。肥えた猫たちがそこここにいてうれしかった。

Dsc_0079

高校生の時、通信教育に入っていた。あの頃、後にできることはできるだけ後にする、という傾向が今よりひどく、提出する解答用紙はたまっていくばかりだった。確か月2回、送られてくる回答と解説の掲載された小さな冊子の表紙はなかなか洒落たデザインで(2018年の今、もう一度見てみたい気がする)、おそらく秋だったと思う、表紙にイェイツの詩が載ったことがあった。それは印象的な詩で、心にとまるものだった。編集に携わった誰かがイェイツを好きだったのかもしれない。受験生向けの冊子ではあったけれど、その思いは見事に届いていたことになる。
今の僕は毎日、目の前のことをあるがままに見て生きていこうとしている。40代後半になり、10代のみずみずしい心はどれほど残っているだろうか。ようやく空気がひんやりとし、高くなった空を見て、その詩を思い出した。「落葉」という題、岩波文庫には対訳付きで収められている。でも訳は、昔のノートにメモしてあったその冊子のものがしっくりくる。どなたの手によるものだろう。

・・・・・・・・・・


落葉

秋は来た、2人をいとしむ長い木の葉のうえに
オオムギの束のなかに巣くうハツカネズミのうえに
ナナカマドの葉はわれらの頭上に黄ばみ 露しとど野イチゴの葉も黄ばみはてた

恋のおとろえのときはわれらに寄せてきて
2人の悲しい心は、いまはもの憂く疲れ果てた
いざ別れよう、情熱のときのわれらを去らぬうちに
伏目なるきみの額にくちづけし 涙しながら

      W.B.イェイツ


The Falling of the Leaves

Autumn is over the long leaves that love us,
And over the mice in the barley sheaves;
Yellow the leaves of the rowan above us,
And yellow the wet wild-strawberry leaves.

The hour of the waning of love has beset us,
And weary and worn are our sad souls now;
Let us part,ere the season of passion forget us,
With a kiss and a tear on thy drooping brow.

W.B.Yeats

2018年10月31日 (水)

リー・キット展、前橋汀子さん

原美術館で開かれているリー・キット「僕らはもっと繊細だった。」展へ。www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/243/
久しぶりの原美術館、久しぶりの現代美術、楽しかった。今回の展示、モノとして価値のあるものはあまりなく、がっかりする人もいるかもしれない。美術品があると思って入ると、空っぽな感じがするかもしれない。もとは私邸だった美術館のそれぞれの部屋には光がゆらぎ、ゆったりとした時間が流れ、心地よかった。今回のインスタレーションは外から差し込む光が大きな要素になっている。僕が行ったのはよく晴れた午前中だったけれど、例えば曇っていたり、日が落ちてからだったりすると、きっと印象が異なると思う。
(この数年現代美術がつまらなく感じられるようになり、展示から足が遠のいていた。たいして通った訳でも詳しい訳でも、もちろんないけれど、現代美術にお金が流れ込むようになったことや、アートっぽいものがもてはやされる今の風潮が関係しているのではないか、と僕はにらんでいる。ところで先日、ある絵がオークションで落札された直後に、内蔵されたシュレッダーで裁断される、ということがあった。作者はこうした状況を揶揄したかったのだろうか、と想像する。https://youtu.be/vxkwRNIZgdY)

2018_1031_11565600

今月の日経新聞連載「私の履歴書」は前橋汀子さん、毎日楽しく読んだ。10月6日の記事から、
『私の人生を変えたともいえるコンサートがある。55年2月に初来日したソ連の世界的なバイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフの公演だ。日比谷公会堂の客席に陣取った私は小学5年生だった。
 あんなバイオリンの演奏は聴いたことがなかった。大きな体と楽器が一体となった、ふくよかな響き。「楽器が体の一部みたい。バイオリンでこんな音が出せるんだ」。まさに衝撃だった。
 「ソ連で勉強すればオイストラフのように弾けるようになるかしら」。私の心に大きな火がともった瞬間だった。』

10月29日の記事から、
『大学で教える一方、自分が生徒になった時期もある。62歳から1年間、都立大泉高校の定時制課程に通ったのだ。当時、本格的にスラブ民族史を学びたくなり、どの大学で講義が受けられるか調べてみたのだが、自分が高校を中退してソ連に留学したことに気づき、まずは高卒の資格を取ろうと思い立ったのである。
 夜学の生徒の大半は昼間に働く10代の若者。「前橋さん」「はい」と出席を取るところから始まり、彼らと同じように授業を受けた。生物や化学の面白さに目覚め、参考書や科学雑誌を買って読みふけった。・・・
 期末テストは一夜漬けで頑張った。初めて答案用紙に名前を書く時は鉛筆を持つ手が震えたのを覚えている。
 15分遅刻すると欠席扱いになる。自転車で猛ダッシュして滑り込みセーフの日もあった。・・・』

«物語