2025年2月 1日 (土)

" the best thing in the world "

1月14、15日の都響サントリーホール公演はスラットキンさんの指揮でラフマニノフの交響曲第2番など。

僕が名古屋にいた中学か高校生の頃、レナード・スラットキン指揮セントルイス交響楽団の演奏がFM放送で流れ、曲は忘れてしまったけれど、カセットテープに録音し(エアチェック、と言っていた)、繰り返し聞いたと思う。
当時チェロの中島顕先生から、セントルイス交響楽団のKさんご夫妻がスラットキンという素晴らしい指揮者のもとで意欲的に活動されている、と聞いたことを覚えている。

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それから40年近くたち、スラットキンさんにお会いする機会が訪れた。
都響楽員への紹介と短い挨拶の後、すぐラフマニノフのリハーサルが始まった。まずはオーケストラのお手並み拝見、だったと思う。止めずに50分近い交響曲を通した。
指揮台の上のスラットキンさんは言葉少なだった。何かを物語ることも、演奏上の説明で比喩を用いることもなく、発せられるのはいつも、端的で短い指示だった。指揮者のちょっとした振る舞い、一挙手一投足がどれほどオーケストラに影響を与えるのか、熟知されているようだった。

オーケストラの指揮者はシェフと呼ばれることがある。何人もの料理人を仕切る料理長。素材の扱いや、包丁の入れ方、火加減、塩加減、・・・、様々な手作業が積み重なって素晴らしい料理が出来上がるのだろう、と思う。
指揮者には目指す音楽があり、100人近いオーケストラを導いていく。それぞれの奏者が目の前の音符をどう弾くのか、強いのか弱いのか、他のパートとどう関係しているのか、矢面に出るのか支えに回るのか、そうしたことに迷いなく集中し、地道で精度の高い作業が積み上がった時、信じられないほど素晴らしい音楽が現れるのかもしれない。

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ラフマニノフの2番、第2楽章の中間部はオーケストラの技量を問う。弦楽器16型の大きな編成で、駆け巡る八分音符の精緻なアンサンブルを実現するのは、1人で弾くのとは別の難しさがある。スラットキンさんは互いによく聴くことを求めた。細かい指摘はせず、何度か繰り返し、機が熟するのを待っているように見えた。

リハーサル中はあまりしゃべらないけれど、終わるとよく楽員とコミュニケーションをとっていた。
2日目のリハーサルが終わった時、まったく持ち重りのしないバランスで作られたご自身の指揮棒について触れ、良い指揮棒があれば指揮はとても易しい(very easy)、と茶目っ気たっぷりに仰っていた。(決してそんなことはないと思う)

長大なラフマニノフの2番、僕は20年以上様々なオーケストラで様々な機会に弾いてきたけれど、冗長に感じられ、どうも好きになれなかった。ラフマニノフの音楽はロマンティックである、という先入観にとらわれていたのかもしれない。正直なところ、この交響曲の綿々と続く長い旋律より、同じ作曲家のチェロ・ソナタやピアノ協奏曲、晩年の交響的舞曲のそれの方がずっと魅力的だ。
スラットキンさんはその長い旋律が重くならないよう、いつも先へ先へと振った。(一つ一つのフレーズを全て歌い込むとどうにもならなくなる)その先でバス(和声を支える低音)が動く時に、初めて彼も動いた。
表面に現れている旋律ではなく、支える構造を感じられるようになると、曲は違う姿を見せ始め、今まで自分は見誤っていたことに気が付いた。豊かで見事な作品にようやく触れることができた幸せな時間だった。

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1月14,15日公演の前半にはウォルトンのヴァイオリン協奏曲があった。
ソロの金川真弓さんは、2日間のリハーサルでもパート譜を開くことなく、オーケストラとの複雑な絡みもすっかり体に入っていて、切れ味鋭い見事な演奏だった。きっとすでに何度も、と思い尋ねてみたら、そうではなく、もう一度驚いた。

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1月19日の都響鹿児島公演は秋山和慶さんが指揮される予定だった。1月初めに大きな怪我を負われ、急遽スラットキンさんが振って下さることになった。お二人はバンクーバー交響楽団時代からの知り合い、とマネージャーさんから伺った。
鹿児島公演のメインはシベリウスの交響曲第2番。長大で饒舌なラフマニノフとは対照的に、こちらは音数が少なく、しかもユニゾンが多い。何度も弾いてきたけれど、どう捉えたら良いのかわからない、という感覚はラフマニノフと同じだった。

この公演のリハーサル時間は限られていて、そんな時もスラットキンさんの采配は見事だった。
終楽章の最後、低弦にはヴァイオリンやヴィオラと音量の指示が異なる部分があり、そのことを尋ねると、すぐピアノに向かい、そこはこうなっているよね、と示して下さった。もちろん全曲にわたって緻密に把握していらっしゃるのだろう。適切なタイミングで明確な指示がある背景には、確かな裏付けがあることを思った。

スラットキンさんはラフマニノフもシベリウスも暗譜で指揮された。生き生きとした眼がいつも印象的で、音楽が変化するときに現れる表情の変化に、80歳になった時、音楽はどのように感じられるのだろう、と思った。

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ラフマニノフの2番では、50分間ひたすら下降する旋律を弾く。一方シベリウスの2番は上行音型が印象的だ。演奏会場の川商ホール(鹿児島市民文化ホール)を出るとすぐ、桜島が見える。鹿児島には鹿児島の風があり、ニ長調の明るい響きと、湧き上がるような上行音型に、初めて心動かされた。帰京する飛行機に乗っても頭の中で鳴っていて、忘れられない公演となった。

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スラットキンさんはオーケストラに何かを強いることがなかった。長大な曲の、大きなクライマックスを迎える時でさえ、強く、きつく追い込んでいくことはなかった。オーケストラの音はいつも溌剌として、鮮やかだった。
サントリーホールでのゲネプロが終わった時、音楽をすることは "the best thing in the world"、"Anyone can do." と仰った。シンプルな表現だけれど、本当にそうですね、と思った。

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数日前、秋山和慶さんの訃報に接した。まさか、と思った。
少し前、僕が教えている大学オーケストラ(音楽専攻ではない)を秋山さんが指揮された。曲はチャイコフスキーの4番で、リハーサル時にあるパートの学生がうまくできないことがあった。どうなることか、とはらはらしながら見守っていたのだけれど、秋山さんは感情や声を変化させることなく、もう一度、もう一度、とその人ができるまで繰り返し指揮された。その姿は強く印象に残っている。
音楽専攻ではない大学オーケストラを指揮される時も、職業音楽家のオーケストラを指揮される時も、何も変わらなかった。謹んでご冥福をお祈りいたします。

2025年1月 1日 (水)

明けましておめでとうございます

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2024年12月30日 (月)

ショスタコーヴィチの8番

12月4、5日都響定期公演の後半はショスタコーヴィチの交響曲第8番だった。

有名な5番の交響曲のように低弦楽器が荒々しく弾く付点のリズムで始まり、ヴァイオリンが息をひそめるようにしてハ短調の主題を弾く。ドで始まった主題がソを通り、ラ♭に到着した時の響きにはっとする。この進行は、モーツァルトのハ短調のピアノ協奏曲の冒頭を思い起こさせる。

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「レニングラード」という名前のついた有名な7番の交響曲の作曲が1941年、8番は1943年。7番も何度か弾いたことがあるけれど、いつも音符が僕の手をすり抜けていった。今回、8番の準備を始めた時から曲に絡めとられるようだった。曲を知るにつれ、その緻密な作りや見事な構成、規模の大きさに驚き、わずか2カ月で書いたとはとても信じられなかった。

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マリス・ヤンソンスがピッツバーグ交響楽団を指揮した時のリハーサルを聞くことができる。
どちらも戦争中に書かれた2曲のうち、7番は戦争を描き("pictures of the war")、8番は行為ではなく、戦争に影響を受けた人間を描いている、という彼の言葉が印象的だった。
1楽章で金管楽器が担う「荒々しい行進曲」はモーツァルトのトルコ行進曲の引用だ、とも言っていた。

第1楽章の対位法的な部分を弾く時、ショスタコーヴィチがピアノのために書いた24のプレリュードとフーガを連想し、そしてその背後にあるバッハの2巻の平均律(前奏曲とフーガ)のことを思った。

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第4楽章は、第1楽章の主題の変形で始まり、その音型が9小節フレーズとなって低弦楽器に受け継がれ、11回繰り返される。低弦の定型の上に様々な楽器の、意匠を凝らした見事な変奏が繰り広げられるのだけれど、この書法を見て、例えばコレッリのフォリア、バッハのシャコンヌ、ブラームスの交響曲第4番の終楽章パッサカリアといった、古くからの様式を連想した。
ショスタコーヴィチの8番は、彼独自の見事な世界を築いている。同時に先達の残した音楽を受け継いでいることも様々な箇所で感じた。

演奏時間1時間を超えるこの曲の5つの楽章をモチーフから考えると、1と4、2と5がそれぞれ関連を持ち、真ん中に第3楽章が置かれた、言わば変則的な対称配置に見える。

都響公演を指揮したロバート・トレヴィーノさんは、5拍子は不安定さを表す、と言っていた。この曲には5拍子が多く使われ、さらに5連符や、9あるいは11、13小節フレーズ、といった奇数が多い。
[西洋音楽は(2+2)、4、8、それらを基にした16小節フレーズを定型としている。賛美歌や、日本では多くの校歌、おそらく演歌も、8や16小節のフレーズで書かれていると思う。それらは安定した感じをもたらす]

ショスタコーヴィチ8番の第3楽章に変拍子はなく、速い2拍子で書かれている。1小節に4つの4分音符が、無窮動のようにひたすら続く。
冒頭のヴィオラこそ16(8+8)小節フレーズで始まるけれど、少し進むと奇数小節のフレーズになり、手に汗を握る展開になる。予測や記憶が難しいので、舞台にいるオーケストラはひたすら小節数を数えなくてはならず(飛び出したら大変だ)、緊張感は増す。きっとそれは客席にも伝わり、生演奏ならではの臨場感につながるのではないか、と思う。

西洋音楽で緊張感を高めていくとき、フレーズを縮めていく手法(ストレット、例えば8小節フレーズを4、2、1というように短縮していくと切迫感が増す)はよく使われる。
ショスタコーヴィチの見事なところは、この第3楽章でヴァイオリンが大きなクライマックスをもたらす際に、逆の手法を用いたこと。
ヴァイオリンの無窮動が始まると、他のパートは裏打ちに回り(必死に走る馬に、容赦なく鞭を入れるよう)、そのフレーズは9、11、13小節と広がっていく。常に予想を裏切った先に次のフレーズがあるので、どこまで広がるのか不安になる。そしてクライマックスで打楽器が圧倒的な音量をもたらし、第4楽章に入る。

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この数十年の演奏技術向上は目をみはるものがあると思う。同時に、弦楽器で言えば新しい弦の登場など、技術的発展もあり、オーケストラの音はより大きく、なめらかに、耳当たりの良いものになっているのではないだろうか。
ムラヴィンスキーが指揮するレニングラード・フィルの、伝説的な演奏がある。指揮者とオーケストラの関係も変わり、現在このように強い緊張感をもった演奏は少なくなったかもしれない。
今回ショスタコーヴィチの8番を演奏するにあたり、様々な録音を聴いた。作曲家が生きていた時代の音を知る人は違和感を覚えるかもしれないけれど、現代の精度の高く、機能的なオーケストラから現れるショスタコーヴィチの音楽は、驚くほど豊潤で奥行きのあるもので、もしかしてこれまで感じられなかった世界を見ているのかもしれない、と思う。

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ハ短調で始まった8番の交響曲は、ハ長調で静かに終わる。調性だけで見ると、「運命」と呼ばれるベートーヴェンの第5交響曲のようだし、静かに終わるということでは、例えばブラームスの3番のようだ。ハ長調で書かれた終楽章をヤンソンスは、抑圧の中の小さな希望(small hope)と言っていた。

ショスタコーヴィチは4番の交響曲を書いた後、危うい立場になり、それを回復するべく5番を書いたと言われる。作品の政治的な評価を厳しく問われる、とはいったいどんな時代だったのだろう。
西側に亡命したロストロポーヴィチは、ショスタコーヴィチを連れ出さなかったことを激しく悔いたそうだけれど(2018年4月3日の日記「ショスタコーヴィチ」をご覧下さいhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-ecdc.html)、困難な状況に置かれた作曲家の残した仕事の凄まじさは、2024年が暮れようとする今でも、あるいは今だからこそ、強く感じられる。

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24のプレリュードとフーガ作品87は、1950年にライプツィヒで開かれたバッハを祝う音楽祭、その中のコンクールで優勝したタチアナ・ニコラーエワの演奏に感銘を受けたショスタコーヴィチが作曲した、と伝えられる。すぐれたピアニストでもあった作曲家に曲を献呈される、とはいったいどんな気持ちがしたのだろう。

僕はこの曲の録音を3つ持っていて、ニコラーエワのCDを求めたのは最後だったかもしれない。
購入し、帰宅して封を開けて聴き始めると、ショスタコーヴィチでも何でもない、室内オーケストラの曲が流れてきてびっくりした。すぐ店頭で交換してもらったのだけれど、その顛末を当時僕が在籍していた新日フィルのAさんに話したら、何ともったいないことを、と怒られた。彼によると、盤面の印刷と中味が違うものはとても価値がある、とのことだった。
久しぶりにニコラーエワの演奏を聴きながら、少し前に亡くなられたAさんのことを思い出す。

この曲を聴くのは夜が多い。以前は目がさえて眠れなくなることがあった。
ハ長調で始まり、同主調のハ短調、半音上がって嬰ハ長調、嬰ハ短調と続くバッハのプレリュードとフーガより、ハ長調・イ短調、5度上のト長調・ホ短調とたどっていくショスタコーヴィチの方が、楽器を弾く身には、響きの変化をたどりやすい。
静かになった夜、この曲を聴いていると、ふと音楽と自分の境がなくなり、心の深いところに音が触れてくる感覚に満たされることがある。

2024年12月15日 (日)

シェーンベルク、長三和音、短三和音

11月20日の都響定期公演、後半はシェーンベルク:ペレアスとメリザンド作品5だった。
大編成のオーケストラ、40分を超える演奏時間、スコアにびっしりと書き込まれた無数の音符を見て、当時20代の作曲家が並々ならぬ意欲をもって書いたと想像する。
作品番号が1つ前の「浄夜」と同じように、耳当たりの良い旋律が展開されるロマンティックで官能的な作品と思う。

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ペレアスとメリザンドのリハーサルが始まる頃、翌12月に同じシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲を演奏するオーケストラのメンバーから、この(難しい)曲をどう捉えたらよいのか、と聞かれた。

僕にとっても印象深い曲だったので(2019年1月12日の日記「シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲」をご覧下さい。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-6443.html)、久しぶりに聴き直してみると、冒頭が独奏ヴァイオリンとチェロの絡みで始まることは覚えていたのだけれど、他は見事に抜け落ちていた。

 

ペレアスとメリザンドからヴァイオリン協奏曲まで三十数年の月日があり、作品がこのように変化したことは興味深い。
ペレアスとメリザンド、浄夜はどちらもレの音を軸に書かれた、ある意味でわかりやすい調性音楽と思う。それが12音技法の、初めて聴くとまるでつかみどころのない音楽に変貌している。

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西洋音楽の重要な要素である和声が、制約の多いシンプルな形から、信じられないような能力を持った作曲家たちの、幾世代にもわたる音の冒険によって発展を続け、とうとう調性感をなくしてしまうところまで行き着いたのは、必然的な結果だろうか。

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1つの和音には少なくとも3つの音が必要。その和音は誰か偉い人、聖職者、学者、作曲家、・・・、そうした人たちが発明したものではなく、物理的な現象を基にしていることがおもしろいと思う。

チェロやコントラバスなどの、弦が長くて振動が見えやすいものが身近にあるとわかりやすいのだけれど、張られた弦の長さを1とした時、最初の倍音は弦長のちょうど半分、1/2のところにある。弦長が半分、振動数は倍、この音程間隔が1オクターヴ。
次の倍音は1/3のところで、基音がドだったら、5度上のソ。その次の倍音は1/4のところのド(基音から2オクターヴ上)、次は1/5でミ、次は1/6で再びソ、そして1/7のところにすごく低いシ♭(あるいはとても高いラ)が現れ、・・・。
ここまででド・ミ・ソ・シ♭が揃う。(奏法として、フラジオレット、あるいは自然ハーモニクスと言ったりする。弦をしっかり押さえずにその場所を触るだけでも、弾いたらその音が鳴る)

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このときに現れる第3音のミは1オクターヴを均等に割った音程より少し低く、第7音あるいはblue noteとも呼ばれるシ♭(またはラ)はかなり低く(高く)、同時に鳴らすと澄んだ響きになる。(純正調)
逆に言うと、一般的なピアノの調律では、弾き手の絶妙なコントロールがないと、様々な和音はきつい響きとなるかもしれない。

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振動数が倍になる音程間隔を1オクターヴとし、その次に現れる1/3の弦長の倍音が構成する5度音程を基として調性のシステムが作られていることは、本当に見事と思う。仰ぎ見るように巨大で奥深い、西洋音楽の森の秘密を垣間見るような気がする。
[ドに対してソ、ソに対してレ、レに対してラ、・・・。トニックとドミナント。
ハ長調、ト長調(♯1つ)、ニ長調(♯2つ)、・・・、♯が1つずつ増えていき、異名同音を読み替えて♭になり、♭が1つずつ減っていき、12の半音全てが現れて、ドに戻ってくる。
ド、ソ、レ、ラ、ミ、シ、ファ♯、ド♯(レ♭)、ラ♭、ミ♭、シ♭、ファ、ド。
それぞれの長調は平行調となる短調を持っているから、12×2で24の調性]
(こうした内容はL.Bermstein著"The Unanswered Question"で学んだ)

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ド・ミ・ソの和音、ハ長調の和音は明るいことになっていて、実際明るく聞こえる。ではどうして長三和音が明るく聞こえ、短三和音(例えばド・ミ♭・ソ)は暗く聞こえるのだろう。

人間の認知能力に関わる問題と思う。全ての人間が生まれつき長三和音を明るく感じるのか、あるいは文化的な背景によるのか。生まれてからまったく音楽を聞いたことがない人が、あるとき初めて長三和音を聞いたら明るいと感じるのか、それとも感じないのか・・・。

誰かに聞いてみたい。このことを研究している方はいないのだろうか。

 

前後の和声進行の兼ね合いで長三和音が明るく聞こえない時はある。でもそれなりに長く音楽に携わってきて、実は長三和音が暗く聞こえてしまうんだ・・・、という人には会ったことがない。

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和音の明るさを握るのは第3音だけれど(ド・ミ・ソだったらミが♮か♭か、その半音の違いが決定的に重要)、年の暮れの日本でよく演奏されるベートーヴェンの第九交響曲は、その第3音を欠いたラ・ミという響きで始まる。この色を持たない5度の響きだけで16小節続く冒頭は尋常ではない。

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今年の夏、ビートルズのイエスタディをチェロとピアノで弾くことがあった。この曲はFのキー(ヘ長調)で書かれていて、冒頭に"F5"というコードネームが書いてある。何だろう、と思ったら、どうやら第3音を欠くファ・ドということらしい。
これまで調性感を気にしたことはなかったけれど、

"Yesterday all my troubles seemed so far away"

と始まるこの歌は、あまり明るい感じは受けない。

明るいのか暗いのか、どちらともつかないイントロの後(ちょっと不安な気持ちになる)、メロディーは倚音のソで始まり、それに絡むEm7、A7、Dmというコード進行を見て(ポールさん、お見事です)、この歌が多くの人の心に入った理由がわかる気がした。

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毎週土曜日朝はNHK-FMのウィークエンドサンシャインという番組を聞く。この秋の放送では、ポール・マッカートニー&ウィングスのアルバム"One Hand Clapping"がひとしきり話題になった。

one hand clapping、つまり片手の拍手は、禅の公案「隻手音声」(せきしゅおんじょう)を連想させる。拍手は両手でするものだけれど、では片手の拍手はどのような音がするのか。

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時々、チェロを練習する手を止めて、隻手の声とは何だろう、白隠禅師はいったい何を問うたのだろう、と考える。

2024年11月11日 (月)

音楽のたたずまい

10月13日の都響公演、プログラム前半はイモージェン・クーパーさんをソリストに迎えてモーツァルトのピアノ協奏曲イ長調K.488が組まれていた。
前日のリハーサルに彼女が現れ、最初の音が出た時、最初のフレーズが始まった時、あっ、と思った。

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僕は毎朝のようにクララ・ハスキルの弾くモーツァルトのピアノ協奏曲を聴いていた時期がある。クーパーさんの演奏を聴いて、実際に触れることはなかったハスキルの演奏はこんなだったかもしれない、と感じた。

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どうしてそう聞こえたのか、今も考えるのだけれど、わからない。音楽のたたずまいだろうか。クーパーさんの打鍵ははっきりしている、とは思ったけれど、特別な歌い回しやルバートのようなものはなかった。
数え切れないほど聴き、何度も演奏したはずのイ長調の協奏曲は、別の姿を見せ、彫りの深さに畏怖の念を抱くほどだった。リハーサルが終わり、僕は音楽のことを何も知りませんでした・・・、と悄然とした。

Sさんとも話したのだけれど、冒頭のオーケストラが演奏するテーマの、アーティキュレーションをはっきり弾いてほしい、と彼女が言ったことにヒントがあるのかもしれない。小さなことの積み重ねが、全体の印象に大きく関わっているのかもしれない。
本番の舞台では何が感じられるのだろう、と楽しみに帰宅した。

とても残念なことに彼女は降板となり、京都市交響楽団でこの曲を演奏したばかりのアンドリュー・フォン・オーエンさんが当日朝駆けつけ、見事な演奏をしてくださった。急な手配がスムースに行われ、何事もなかったように当日の舞台が進行したことは、きっと多くの方々の的確で迅速な働きのお陰と思う。
(協奏曲を弾き終わりほっとしている夜、明日の午後、別の場所で別のオーケストラともう一度弾いてもらえませんか?と尋ねられるのはどんな気持ちだろう、と同僚と話をした)

インターネット上にはすぐれた最新の演奏動画が数多くアップロードされ、簡単に見ることができる。どの演奏も美麗で音の粒がそろい、文句のつけようのないものだけれど、クーパーさんのピアノを聴き、その現代の音楽家たちが確実に失っているものがあることを感じた。

彼女がすっかり回復され、再び都響の舞台に来て下さることを願っています。

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その公演の翌々日は兵庫県立芸術文化センター管弦楽団(PAC)に。

マリオ・ブルネロさんが来演される演奏会に参加させてもらえることは本当に嬉しかった。リハーサル前に楽屋に会いに行くと、幸い覚えていてくださり、素朴で温かな人柄は、さらに温かくなっているようだった。

マエストロ・ブルネロにはイタリア、シエナの夏の講習で90年代後半、毎年習った。情熱的であると同時に、なぜそう弾くのかという音楽的な裏付けのある姿勢は、本当に素晴らしかった。

今回彼が弾くのはドヴォルザークの協奏曲。特に第2楽章は木管楽器とのアンサンブルが繊細な作品だと思う。PACのメンバーにはこの曲を初めて演奏する人たちも多く、マエストロ・ブルネロがかなり自由に弾くので、まとまっていくのに時間がかかった。

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先生、そんなに揺らすと離れた場所に座る木管楽器の若者たちはついて行けませんよ、と思ったけれど、リハーサルを重ねるうちに、なぜそう動かすのか感じられるようだった。音楽に生き生きとした動きがなくなり、固まることを避けようとしているのかもしれない。大人数で構成されるオーケストラで、一定のテンポは大切。でもそのことで大切な何かが失われることを嫌うのだと思う。

音楽とは何だろう、と時々考える。何が音楽の魅力ですか?あるいは、どんな瞬間に心動かされますか?という問いでも良いのかもしれない。
本番の舞台には、何も背負わず、ふわっと出ていきたい。何が音楽か、という問いはそうした時の自分の核になると思う。

PACでは金、土、日曜日の3公演あった。初日のゲネプロの後、マエストロ・ブルネロに、楽器の状態に確信が持てないから、舞台で音を聞いて欲しい、と言われた。
(彼は駒までの弦長を変えられるテールピースを使っていて、とても良いとのことだった。通常、上駒と駒の間の弦を調弦するけれど、駒とテールピースの間も調弦し、倍音が出やすくなるという理屈と思う。興味はあるけれど、高価。https://demenga-sound.ch/en/produkt/tailpiece/

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今の楽器の状態や、自分がどんな音と表現を求めているのか、を弾きながら示し、僕にも弾かせてくれた。想像していたのよりずっと強く、こういう楽器を弾いて、彼はあぁいう音を出しているんだ、と感じた。自分の楽器に戻った時、ではこのチェロと自分の体でどういう表現をするべきなのか、端的に教えてもらうようだった。

20代の頃、毎夏習いながら、受け取るべき一番大切なものを受け取っていなかった、という後悔がある。2日間のリハーサルと3日間の公演、彼の情熱と、柔らかく重さを使う姿に間近に接することができ、もう一度学ばせてもらう得難い時間だった。

2024年9月20日 (金)

人懐こい猫がいたら

昨年夏、M君に教えてもらって使うようになったのがヒルのプレミアムという松脂。音が素直に伸び、角が立たず、もう一つ良い点は、ロココの第3変奏やコダーイの無伴奏など、高い音域を弾いて左手指先に松脂がついても、あまりべたべたしないこと。

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長いことベルナルデルの缶に入った松脂が最上で、今の袋に入ったベルナルデルはあまり、と思い込んでいた。
昨年の梅雨時、そのベルナルデルを改めて求めた。高い倍音がよく出て、角が立つ。弓毛が弦によく掛かかり、心地良い。湿度の高い時期には良いかもしれない。

万能な楽器や弓、松脂、弦というものはおそらくなく、それらをどう使うのかが大切と思う。ベルナルデルの松脂もそうだったし、長く使ってきた弓でも、今までふさわしい使い方ができていなかった、と感じる時がある。

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彼を知り己を知れば百戦あやうからず、という孫子の言葉がある。もちろん戦う訳ではないけれど、今使っている楽器や弓、取り替えることのできない自分の体と心を良く知り、生かすことが大切、と思う。

楽器も弓も人間も、日々変わっていく。演奏という仕事に携わっていて、楽器や人間の体と心には、こんな使い方があった、こう使えば良い、という発見はよくある。
チェロを弾くこと、音楽に触れることは、いつも新鮮で、楽しい。

どんな楽器が、弓が、どの弦が、どんなセッティングが、という話題にはなりやすい。でもそうしたことの違いは、舞台から遠く離れた客席にどのくらい届くだろうか。
どのように体を使えているか、どうその楽器や弓を生かせているか、そうしたことの方がはるかに影響が大きいと思うようになった。

オーケストラのリハーサルが朝からある日も、出掛ける前にケースを開け、音を出すようにしている。
できるだけ素の自分の時に、自分の楽器はどういう音がしているのか、どう聴こえているのか、自分の体はどうか、楽器の感触はどうか、毎日今日が初めて、という感覚で触れるようにしている。

僕が受けてきた楽器のレッスンでは、どう弾くか、ということに重きがおかれ、どう聞こえているのか、どう感じているのか、自分の行動の結果をどのように、どのくらい捉えられているのか、ということはあまり問われなかった。

指先の感覚、体を動かす感覚、関節の柔らかさ硬さ、指の形、手の形、腕の長さ、肩の動きは人によって大きく違う。体のつくり、神経のつながり、それらのことがよほど似ている人からでなければ、弓の持ち方や手の動かし方など、具体的な形を習うことは、さほど意味がないと思う。

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オーケストラの仕事をしていると、多くの優れた演奏家に接する。彼ら彼女たちと自分は、いったい何が違うのか、そのことにいつも大きな関心をもってきた。
優れた演奏家は、感じ取る能力にも秀でているように見える。自分がどういう音を出しているのか、どんな音程の、どんな音色の、どんな向きの、どんな速さの、どんな飛び方の、どんなフレーズ感の、どんな色彩の。
それだけでなく、自分の立ち居振る舞いが周囲の人間にどんな影響を与えているのかも、よくわかっているように見える。

優れた演奏家に世界はどう見えているのか、それを想像するのは興味深い。

楽器を弾く、それで何かを表現する、ということは楽器や外界に対して働きかけをし、その結果起きたことを感じ、次の行動に反映させていくことだと思う。
僕の場合、楽器がうまく扱えていないときは大体、楽器に対して一方的に働きかけるばかりで、状況の的確な把握ができず、フィードバックもうまくできていないことが多い。

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だからもしかして、長時間の楽器の練習より、普段どう生きているか、ということの方が大切かもしれない、と思う。
自分の行動がどのような結果となって返ってくるか、を気にしていれば。例えば、食器を机に置くときに丁寧に置く、とか、道端に人懐こい猫がいたら嫌がられないように触れてみる(そういう猫は本当に見なくなった)、とか、そのように生きていれば良いのかもしれない。逆に、力任せに扉を閉める、とか、周囲を気にせず大声で話す、ということは避けた方がよいのかもしれない。

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何かをする、行動をすることが半分、その行動の結果を正確に捉えることが半分、ではないだろうか。うまくいっていないときは行動することにばかり気を取られ、行動の結果を的確に感じられていない。頑張れば頑張るほど、良い演奏は遠ざかっていく。

2024年5月17日 (金)

5月18日のプログラムノート

明日5月18日の演奏会のプログラムノートです。

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ヒンデミット:無伴奏チェロのためのソナタ opus25 No.3

演奏時間10分ほど。5つの楽章があり、次のように記されている。

Ⅰ  生き生きと、とてもはっきり 固い弓使いで
Ⅱ 中庸な速さで、のんびり 一貫してとても静かに
Ⅲ 遅く
Ⅳ 生き生きとした四分音符 表情なく、いつもピアニシモで
Ⅴ  中庸な速さで 鋭く、はっきりとした四分音符で

強い性格の第1,5楽章、真ん中に静かで長い第3楽章があり、その間に短く、ユーモアにあふれた第2,4楽章が置かれる対称的な楽章構成。(マーラーの7番や10番の交響曲を思い出す)

第2楽章はちょっとぎくしゃくした動きで、途中しゃっくりのようなフレーズもある。空想上の不思議な生き物のよう。速く短い第4楽章は静かに、表情なく弾くことを求められ、ヒンデミットの悪戯っぽい笑顔が浮かんでくる。

第1楽章はド・ソ・ミ♯・ド♯、というハ長調を否定するような不協和音で始まるのだけれど、どの楽章にも常にドとミとソがあり、いつもそこに近寄ろうとしているように見える。でも、直線的な動きの終楽章は、意外なことに、半音上の嬰ハ長調(ド♯・ミ♯・ソ♯)で終わる。

それぞれの楽章が固有の動きを持ち、手練れの筆遣いで躊躇なく書かれた、見事な作品と思う。

 

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バッハ:無伴奏チェロ組曲第1、2番  BWV1007、1008

子供の頃から親しみ、様々な機会に弾いてきた。でも再び一つ一つの音符を追っていくと、自分は何も知らなかったことに気付く。どの一つの音符も固有の性質や性格を持ち、その性質を生かすことしか、演奏の仕方は無いことに気が付いた。何かの音符をないがしろにしたり、自分勝手に弾いたりすると、おかしな具合になる。
いったいどんな人だったのだろう。ソナタ形式という便利なものができる前の時代に、信じられないほどの豊かさを持つフレーズを次々と書いた。こんな人は彼の前にも後にもいないのではないか。

残念なことにチェロ組曲には自筆譜が残っていない。妻アンナ・マクダレーナ・バッハの写譜の表紙には "Violoncello Solo senza Basso" とある。「バス無しで」とわざわざ記してあるのは、当時旋律には通奏低音が付くものだったからだろう。

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2番のメヌエットⅠにはバスが書いてある。他の曲でもバスを考えると、なるほど、と思うことがある。
5番の組曲にはリュート版もあり(BWV995 ト短調の組曲、こちらには自筆譜が)、チェロ組曲にはない声部があって、作曲家の頭の中ではこのようにも鳴っていたのですね、と思う。

 

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コダーイ:無伴奏チェロソナタ op.8

Ⅰ  速く、威厳をもって しかし情熱的に
Ⅱ ゆっくり
Ⅲ 速くとても快活に

下2本の弦を半音ずつ下げ、下からシ・ファ♯・レ・ラという調弦になる。下3本を開放弦で弾くと、ロ短調の暗く、強い和音が現れる。いつものド・ソ・レ・ラは和音を構成しないので、まずこの響きに心をつかまれてしまう。
どうしてロ短調の響きはこんなに強く感じられるのだろう。バッハのロ短調ミサ、シューベルトの未完成、チャイコフスキーの悲愴、ドヴォルザークのチェロ協奏曲、・・・。ロ短調には名曲が多い。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲、ロ短調の主題はクラリネットで始まり、独奏チェロが登場する時は明るいロ長調になっている。協奏曲の最後でも、ロ短調とロ長調が交互に現れる。
この書き方コダーイの無伴奏でも同じ。もしかしてコダーイはドヴォルザークの協奏曲(1895年)を知っていてこう書いた(1915年)のだろうか。

今年の3月、ワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」を弾いた。長大なオペラは最後、素晴らしいロ長調の響きに包まれて終わる。公演は6回あり、最後の和音を弾くといつも、ドヴォルザークの協奏曲やコダーイの無伴奏を思った。

第1楽章は輝かしく始まり、静かな旋律が現れ、主題が速い動きで再現し、静かな旋律で終わる。
第2楽章アダージオ、頭拍に強さをもつ旋律に、左手のピチカートによるオスティナートが寄り添う。激しい中間部、即興的な部分を経て、ファ♯のオスティナートで終わる。
第3楽章、速い2拍子で一気に心拍数が上がり、宙に放り出されるような感覚がある。民族楽器、ツィンバロンを連想させるようなフレーズ、いつもレの音が含まれるアルペジオで構成される部分、主題の素晴らしい再現を経て、交互に現れるロ短調とロ長調が5オクターヴを駈け上がる。演奏時間32分。

2024年4月29日 (月)

その音符の連なりは

時間のある時はできるだけ、ピアノに触れるようにしている。
カザルスは毎朝バッハの平均律を弾いたそうだけれど、僕はインベンションをよちよちと。

Y先生の書いて下さった指使いをたどりながら、学生時代もう少し練習していたら、と思う。副科ピアノのレッスン、ろくにさらっていないのに、のこのこ顔を出したり、あるいは二日酔いで休んだりと、まったくけしからん生徒だった。

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インベンションもチェロ組曲も、他ならぬバッハの音楽と思う。ピアノで弾いても、チェロで弾いても、心の中でも、その音符の連なりはいったいどんな流れや動きを持っているのか。多くの音符の中のどんな一つもおろそかにできない、と感じる。

2024年4月18日 (木)

5月18日の演奏会

今年もプリモ芸術工房で演奏会をさせて頂くので、そのお知らせです。

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この何年か、またコダーイの無伴奏を弾きたいと思うようになりました。
チェロのレパートリーの中でこれほど血湧き肉躍る曲は他にあるでしょうか。調弦を変え、シとファ#、ド#、そして♮と#の二つのレが支配するこの曲の深く、広い世界に入っていく時間は本当に素晴らしいです。

ヒンデミットの無伴奏は5つの小さな曲を持ち、演奏時間10分ほど。そこでは大きさも、形も様々な生き物たちが現れ、悪戯っぽく動き回るようです。

4年前、感染が広がって音楽会もなくなった時、バッハの2番を弾いていました。バッハの2番でもさらってみるか、そんな軽い気持ちでした。
2番でも。・・・・・。とんでもありませんでした。自分の浅はかさ、思い込み、様々なことに向きあうことになります。その痛切な時間は、再び日常が戻り、演奏会の舞台に上っていく自分の核となっています。

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バッハの組曲は子供の頃から弾いてきました。1番の組曲を初めて弾いたのは小学5年の時です。
今回、1番も2番も楽譜を作り直し、改めて取り組んでみて、様々な技法を駆使する長大なコダーイ(演奏時間は30分を越えます)、チェロを弾く者にとって大きな道標であるコダーイよりも、ずっと情報量が多いのではないか、と感じるようになりました。
大きな流れを構成する様々なフレーズ、それぞれのフレーズはどのような動きを持っていて、フレーズの中の一つ一つの音は何を求めているのか、その音をどう弾いたら良いのか、どんな奏法が音楽の表現にかなうのか。

オーケストラの仕事をしていると、例えばチェロが旋律を受け持つとき、10人いるセクションの中で自分がどう振る舞えばよいのか、あるいは指揮者がいて、他の様々な楽器があって、様々に絡み合って音楽を作っていくとき、捉えきれないほど多くの情報があり、常に変化していく状況の中で、どう行動するのが良いのか、いつも広く深い世界にいることを感じます。

無伴奏のレパートリーを弾いていても、同じように広く深い世界を感じます。その音楽にふさわしい表現をするために、どうしたら良いのか、何が必要なのか。たった1人でそのことに取り組む毎日です。

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画像に、予約開始は4月21日から、とありますが、今日4月18日21時から受け付け開始です。リンクを下記に。
5月18日15時開演、プリモ芸術工房は東急目黒線、洗足駅すぐ近く。小さく、心地良い響きの会場です。

https://primoart.jp/event/event-160873/

皆様のお越しを心よりお待ちします。

2024年4月 5日 (金)

とんかつ屋

昨年末、弦楽四重奏で2つの演奏旅行があり、その度に皆で撮った写真を共有した。

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驚いたのは食べ物の写真が多かったこと。もう一つ、僕は食べ物の写真を撮らないことにも気付いた。
SNSに投稿する対象で、食べ物は多いと思う。僕は上げたことがない。さほど執着がないのかもしれないし、食べる、という人間の根本的な欲求に関わることだから、あるいは、アレルギーや体質、健康上の問題から、思想、信条の観点から、経済的な理由から、など様々な事情で、食べたくても食べることのできない人たちがいることを思ってしまうから、かもしれない。

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最近、家の近くに小さなとんかつ屋があることに気付いた。
見過ごしてしまいそうな古い建物の引き戸を開けると、店内は10人も入ればいっぱいになるくらい。驚くほど清潔で、ご夫婦だろう、寡黙なお二人が厨房に立つ。インターネットの口コミを見なければ入らなかった。

ご飯がふっくら、丸くきれいに腕に盛り付けられ、他も万事同じように手を尽くされている。とんかつももちろん美味しく、値段を見て、もうけはないだろうと思う。

この店には休みの日の昼を食べに行く。長年、淡々と丁寧な仕事を積み重ねてこられたのだろうお二人の姿に心打たれ、清々しい気持ちになって帰ってくる。

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以前住んだ町の、駅前のとんかつ屋にはよく通った。
熱烈なジャイアンツ・ファンのマスターと、いつも和服を着ている奥様が営まれていて、入るとすぐ、長くまっすぐなカウンターが目に入る。当時20代の僕には、背中を丸めては座れないような雰囲気があった。

巨人が負けた翌日店に行き、置いてあるスポーツ新聞を手に取ると、今日は読むところがない、とむすっとした声でマスターが言う。
昔、店内のテレビで巨人の旗色の良くない試合を映していたとき、ある著名なチェリストが巨人軍のことを悪く言ったら、マスターの逆鱗に触れ、出入り禁止になった、という伝説を聞いたことがある。

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カツ丼はやらないのですか?、と尋ねたら、あれはそば屋とかうどん屋の範疇だから、とマスターがぶつぶつ言い、黙ってしまったので、これは聞いてはいけないことだったんだ、とその時思った。

あの頃、本当に朝起きられなくて、昼の12時半まで寝ていることがよくあった。
一度、夕方4時くらいに行ってとんかつを注文した時、マスターに、君それは何ご飯だ?、と聞かれたことを思い出す。

マスターも奥様も亡くなられ、今は息子さんが店を継いでいる。ずいぶん以前のことのはずなのに、昨日のことのように思い出す。

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