2019年7月13日 (土)

ペンデレツキ

少し前のことになるけれど、6月25日の都響定期演奏会はクシシュトフ・ペンデレツキの指揮で、彼のヴァイオリン協奏曲第2番とベートーヴェンの交響曲第7番など。ソリストは庄司紗矢香さんだった。

前回ペンデレツキが都響に来たのはもうずいぶん前。笑顔を見せることはあまりなく、自作のチェロソロの作品の楽譜にサインを求めると、面倒くさそうにぐぎぐぎ、と書いてくれた。左手で指揮をするので、3拍子の2拍目や、4拍子の3拍目がいつもと逆向きに手が動いたことを覚えている。簡単に言うとあまりフレンドリーではなかった。

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今年86歳。アシスタントを連れてきていて、込み入った譜割りのヴァイオリン協奏曲の、何度やってもカオスになってしまうところは、彼が振ってくれたりした。(初日に彼がざっと交通整理をしてくれていたら、ずいぶん見通しのいい演奏会になっただろう、と思う)失礼を承知で言うと、特に早いテンポの時、指揮の動きと要求されるテンポ感に開きがあり、何度か練習してわかっているつもりでも、やはり難しかった。音量のバランスの指示も時々、はて?と思うことがあった。

そのような中、はっとさせられたのは、オーケストラがただ音符を弾いているような時は、もっと弾くように強く要求することが幾度もあったのに、その奏者が生き生きと音符を弾いている時は何も言わない。心の耳で聞いている、というのか、意志を感じているというのか、五感を超えたものを人間は感じる、と思わずにいられなかった。
ヴァイオリン協奏曲には様々な箇所で、半音進行の3連符が同じパートの様々な奏者で回るように書いてある。前回弾いた弦楽合奏の曲にも同じことが書いてあったから、これは彼の重要なモチーフなのだろう。スコアで見ると単純だけれど、実際に自分がその1部分となって弾くのは、テンポも早いし、けっこう難しい。その時に誰かが落ちると(僕も練習で1回やらかした)、大変なことになる。爆発してドイツ語で罵る。こういう時、頑固爺だなと思う。

本番当日、舞台上の人間はかなり善戦したと思うけれど、それでも予定外の事は起きた。そんな状況で強く集中し続けた庄司さんは見事だった。小柄な彼女のどこにそんなエネルギーがあるのだろう。一方、アンコールで弾いた無垢なバッハは、協奏曲の対極にある素晴らしさだった。

プログラムの後半はベートーヴェンの7番。こちらは最初からほとんど何も注文がなく、3日間のリハーサルでは終楽章が終わる度、ペンデレツキは'Ole!'と叫ぶのだった。それはサントリーホールの本番の舞台でも同じだった。作曲家ペンデレツキからベートーヴェンへの敬意の現れのようにも見え、とてもチャーミングな人と感じた。指揮台に立って特別なことをする訳ではないのに、彼がいなかったらオーケストラはあのようには弾かなかっただろうし、当然あのような音楽は出てこなかっただろう、と思う。人間は不思議だ。86歳の人が舞台に立つ。多くの聴衆とオーケストラに囲まれたあの場所には、何か特別な力が働くのかもしれない。

2019年6月28日 (金)

6月14日

6月14日
ホテルのベッドで目覚めた時、東京の自宅にいる気がした。荷造りをすませ朝食をとり、もう一度名残を惜しんで周辺を散歩する。最終日、あたたかく素晴らしい天気だ。お家の玄関に入るまでが旅行です、と気を引き締める。
ホテルで呼んでもらったタクシーがなかなか来ない。来たら小柄な東洋人の運転手だ。思わず前回7年前のことを思い出した。やはり呼んでもらった運転手は小柄で、車内はちらかり、シートベルトはできなかった。さて。車に乗り込むと、中国人か?と聞かれた後、フランス語と英語のまざった滅茶苦茶な会話が始まる。総合するとどうやら、高速道路で事故があり、迂回する、一時間で着くだろう、ということらしい。確かに来た時とは違うルートを取っていることがわかる。運転手はしきりに電話で話し、どうやら渋滞情報を同僚やタクシー会社に聞いているらしい。そんなところに若い女性らしい声で、「ご飯に連れてって」という電話がきたら「今忙しいから後にしてくれ」と切ったようだ。ふむ。
かなりの渋滞。ようやく中心部を抜けて高速に入ると、時々流れて、また止まる。まさか途中で降りる訳にもいかないし、観念して座席でじっとする。途中で最近起きたらしい別の事故を見る。皆があんなに積極的に運転したらそれはぶつかるでしょ、と思う。空港の看板が出てもじりじりとしか進まない。ようやく空港の敷地に入っても、ただでさえ狭いスペースに出る車と入る車が拮抗して収拾がつかないのに、手前の路上で人を降ろす車がいて、クラクションの応酬だ。結局一時間半かかって到着。とても丁寧な運転のタクシーだった。人を見かけで判断してはいけない。
飛行の2時間半前に航空会社のカウンターに行くと、混雑というより混乱だった。さぁ、もうひと頑張り。チェックイン自体は昨日すませてある。またあの自動券売機のような機械に行く。何台もあるそれは全て行列しているか、故障しているか。空いている機械を探し、手続きをすませ、荷物預けの列に並ぶと、成田行きはここじゃなくて端の10番だ、と言われ、急ぎ移動する。確かに日本人をほとんどみなかったものね。空港もスーパーマーケットのセルフレジのようになっている。自分で荷物を無人のカウンターのベルトに乗せ計量し、タグのバーコードを読むと、ベルトが勝手に動いて荷物はするするとあちらに行ってしまった。あらま。シャルル・ド・ゴール空港は荷物がなくなることで有名なところなのだけれど。

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パスポートコントロールを過ぎ、珍しく免税で買い物をし、ほっとしてカフェに入る。パリの空港の、しかもエアフランスのカウンターがこんなに混雑しているとは。日本ではあまりない状況だと思う。2024年のパリオリンピックの時は大変なことになりそうだ。
乗り込んだ飛行機はほぼ満席。アナウンスがあり、直前で搭乗をやめた乗客の荷物を降ろすからしばらく待って、とのことだった。あのたくさんのコンテナから一つ二つの荷物を降ろすのか、僕の荷物は降ろさないように、と願った。
長い機中、今回の旅を思い返す。最大の収穫は、生き生きと生きている人たちに接したことだった。それに尽きる。写真を撮っていてこんなにわくわくし続けることは久しぶりだったし、美しい景色、物、素晴らしい天気、空気・・・。でもそんなことは全部二の次と言っていい。やっぱり人間はこうして生きることができるんだと思った。もう死んだように生きるのはやめよう。
そして、これほど英語が通じるようになっているとは思わなかった。7年前、ひどいフランス語でも口にすると皆、嬉しそうにフランス語で(しかも猛烈なスピードで)返してくれた。四半世紀前はまったく英語なんか喋ってくれなかった。それは本当に喋れないのか、嫌がらせか、勘ぐりたくなるくらいだった。今回、よちよちのフランス語で話しかけると、ほとんど英語で返ってきた。それはそれで傷つくし、その便利さは残念な感じがした。

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飛行機が成田に着き、無事出てきた荷物を拾い上げる。雨に煙る田んぼの間を列車が進んでいく。この湿潤な国も美しいと思った。そして梅雨寒の今日、駅のそば屋で食べたかき揚げ天そばの味は、なんとも月並みだけれど、しみた。

2019年6月22日 (土)

6月13日

6月13日

モンパルナス駅からシャルトル行きの列車に乗る。列車の切符の買い方は昨日、インターネットで調べておいた。本当に便利な時代になったものだ。自動券売機は日本より少しだけ手続きが多く、知らないとまごまごしそうだった。シャルトル大聖堂のステンドグラスは『晴れた日に訪れ、たっぷり時間をかけて』、と「地球の歩き方」に書いてある。しかし今日はどんよりとした曇りで寒い。まぁとにかく行ってみる。

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シャルトルまで1時間と少し。途中名前も知らない、おそらく決して降りることのないだろう駅をいくつも通り過ぎる。そうした小さな駅で乗り降りする人々や町を見て、そこにはどんな生活があり、どんな人生があるのだろう、と思った。シャルトルが近づくと車窓に大聖堂が見えてくる。ずっと来たいと思っていた。7年前もそう思っていたのだけれど、結局歩いても歩いても歩きつくせないパリ市内で、一週間の旅は終わってしまった

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シャルトル駅では若い女性がキャリーバッグを二つ引いていて、階段に差し掛かるとすぐ、若い黒人男性が重そうな方のキャリーを上まで持ち上げ、女性の'Merci beaucoup!'を聞くと、じゃあね、という感じでいなくなった。当地にいる間、なんだか生き馬の目を抜くような雰囲気を感じることもある一方、こういうさらりとした優しさもあるんだな、と思った。
駅からノートルダム大聖堂までは歩いて間もなく。ツーリストオフィスに行き、町の地図をもらう。若い女性が英語で丁寧に説明してくれた。宿泊すると夜の美しいライトアップが見られるそうだ。大聖堂に入ると、この町にこんなに人がいたのか、と驚くくらいの人がいた。ステンドグラスを丁寧に見てまわる。幸い少し陽が射してきた。

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いったん教会を出て、町を少し歩く。もらった地図を見ながら歩くのだけれど、初めての場所に加えてどの道も曲がりくねっていて非常にわかりにくい。そして老眼が進み、いちいち眼鏡を外さないと地図に書いてある通り名が読めない・・・。(7年前は平気だったなぁ)。サンテニャン教会を見て、迷いながら中心部に戻り、目星をつけていた店に入ろうとしたら、ランチメニューの看板が下げられていた。まだ昼の1時を回ったばかりなのに。

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仕方なくまたうろうろして大聖堂前のカフェに入る。入ったらここでもランチは終わった、と言われがっかりするも、気を取り直して注文した料理は素晴らしかった。ゆっくり食べた後、坂を降りて川沿いに歩く。道が曲がっていてアップダウンが多く、常に景色が大きく変わる、イタリアのシエナのようだ。川沿いはすごく静かで、丁寧に育てられているらしい花や草の澄んだ甘い匂いがする。
今度はシャルトルに2晩くらい泊まり、この小さな町を満喫し、そしてまた鉄道でどこかの小さな町へ行き、また2泊くらい、・・・、そんな旅がしてみたいと思った。東京は、日本の中でかなり特殊な場所だと思う。それ以上にパリはフランスの中で特殊な所なのだと思う。世界中から観光客が集まってくる。人であふれるパリから1時間と少しで、こんなに静かでゆったりとした時間があるとは。そして、シャルトルで気付いたことは子供や若者が多く活気があり、ツーリストオフィスやカフェで若者たちがきびきびと動き回るのをみるのはとても心地よかった。(年をとったな、と思う)

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川沿いを歩き、教会跡らしい建物で写真展を見て、公園を通りノートルダム大聖堂に戻り、外周を丁寧にみて、もう一度中に入る。パリ市内にもたくさん教会があり、いくつか入った。外がどんなに騒がしくても、一歩入るとそこは隔絶された空間で、敬虔な祈りの場であることがわかる。そんな場所が街のあちらこちらにある。

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シャルトルでも、多くの観光客と、信仰を持つ人たちがいた。シエナの白と黒の石が交互につまれた美しいドゥオモ(聖堂)が見たくなった。今見たらどんなことを感じるだろう。

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午後遅くなるとすっかり晴れて暖かくなってきた。パリに戻る。

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一時間と少し電車に乗り、再びパリの雑踏へ。ホテルの最寄り駅で降りると、気持ちよく晴れた陽の光が入る夕方のカフェは、楽しそうに過ごす人々であふれていた。いっせいに花が咲いたようだ。まさに花の都と思う。途中甘いクレープを食べ、満ち足りる。実は一昨日モンパルナス通り近くの、小柄なおじちゃんが切り盛りするいい感じのクレープ屋で、ガレットを頼んだら驚くほどしっかりとした量があり(東京の小洒落たガレット屋で出てくる量と全然違う。これはいったいどういうことだ?)、とてもデザートのクレープを食べることができなかった。それを残念に思っていた。
ホテルに戻り荷物をまとめ、名残を惜しんで、もう一度エッフェル塔を見に行く。今回の旅行では外国にいる緊張感と同時に、日本にいるよりずっとほっとしている部分もあった。明日はこの国を出る。

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2019年6月20日 (木)

6月12日

6月12日

今朝は体が重い。ロダン美術館の横を通ってオルセー美術館へ。オルセーの手前、ちょうど人の流れが狭くなるところに女の子たちがいて、観光客にアンケートを求めている。あれだ。一昨日オルセーとルーヴルの間の橋で写真を撮っていた時、降ってわいたように女の子たちが現れ、'Do you speak English?'と言いながら画板を強引に差し出して、僕のショルダーバッグを見えなくした。すぐ振り払い、被害はなかった。同じ日、ノートルダムの裏手でも女の子たちは観光客のいるところで騒ぎを起こしていた。

今日は近寄られる前に離れる。美術館の入り口に着く頃、悲鳴があがっていた。(驚くほど積極的に、素早く近づいてきます。もしセーヌ川沿いを歩くことがあったら、どうぞ気をつけて下さい)

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オルセー美術館へ。印象派の作品は日本でもたくさん見られるけれど、ここにあるのは特に素晴らしく、状態も良いもの、と感じた。また、人々がどのように絵に接しているのか、それを見るのも楽しかった。文字による説明がほとんどないことも好きだ。(日本の美術館では最初の挨拶に始まり、趣旨説明、年表などに加えて、さらに文字の作品解説が山のようにあり、それらをじーっと読んだ後、作品はちらりと見て終わり、という人が多いような気がする)

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ただ、その印象派の絵が多く、人も多く、疲れてきて、一体それがマネなのかモネなのか、だんだんわからくなり・・・。僕は様々な時代や場所の作品があるルーヴルの方が好きかもしれない。

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地上階には顔だけでなく身体の動きでも見事に感情の動きを表現した彫刻がある。その濃密な苦悩や恍惚を現している彫像の横で、2019年の人間がごく普通にふるまっているのを見るのはおかしかった。

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美術館5階のカフェで昼食をとった。隣の席に、どこの国の人だろう、中年男性が一人でいた。ビールをお代わりし、ゆっくり食べ、デザートも頼み、その間他の何かをするわけでもなく、もちろんスマートフォンを触ることもなく。丁寧に食事をする姿が印象的だった。

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オルセーを出て地下鉄に乗る。前回7年前に来た時(2012年6月の日記をご覧下さい。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/527-5a77.html)に余った地下鉄の回数券を一応、持ってきた。改札に入れたら、無事通った。ほう。そうして乗った車両の端には、暗幕を張り人形劇をする人がいた。なんとまぁ。ローマの地下鉄に乗った時、ドラムセットを入れたバンドがどんつくどんつくやっていたけれど、人形劇とは。パリの中心部、地上には華やかな世界があり、地下では人々の生活が見えると感じた。

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今回の旅にもし目的があったとすれば、それは弓の製作者の工房を訪れることだった。一昨年注文し、納期が大幅に延び、一日千秋の思いで待った弓は昨年秋に届いた。はたしてどんな弓が、とほんの少しの不安はあったけれど、使い勝手は最初から問題なし、気になった倍音の少なさは半年たってずいぶん開いてきた。ほとんど毎日使っている。今日は風が吹いて寒い。6月半ばなのにセーターを着て、その上にパーカーだ。地下鉄の駅を出ると雨も強く降ってきた。迷いながら、一本裏の通りにある工房に着いた。

長身の彼はにこやかに迎えてくれた。弓は重くなく固くなく、しかし十分な強さを持ち、弓先まで感覚が通る。ヘッドは小さく、個性的。そんな弓を作る彼が弾くのはギターで、弓の弦楽器ではないところが不思議だ。「様々な演奏者の弾き方を見てきて、その演奏者がどんな弓を必要としているのかを考える」と言っていた。実際に材料を手に持って、どのようにその材料の特性を感じるか、ということも示してくれた。

オペラのオーケストラで弾くチェリストのための、ほぼできあがったスワンヘッドの美しい弓や、僕の弓を作るときに用意した予備の材料(実際に木を削り始めて、もし不具合が見つかった場合のためらしい)を見せてくれた。毛箱が弓と接する部分に金属のプレートを入れない理由を教えてくれたり、フェルナンブコを目の前で削って、表面と少し削った時ではどのように色が違うか見せてくれたり、また削ったフェルナンブコを水につけて色が出てくる様子を見せてくれたりした。フェルナンブコ(弓の材料)はもともと赤い色を取るための染料、ということは知識としては知っていた。水につけるとあっという間に色が出てくることに驚き、そのことを言うと、彼の従兄弟(やはり弓の製作者)はこれで髪の毛を染めようとしたんだけど、あまり染まらなかった、と笑っていた。

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整頓された工房はこじんまりしていて、男3人が仕事しているのに狭い感じはせず、明るい雰囲気だった。そして自分の仕事の仕方を包み隠さず伝える。こんなところにも良い仕事ができる理由があるのかもしれない、と思った。別の職人が、見たことのない明るい材料(見かけに反して、密度が高く、強いらしい)でヴァイオリンの弓を作っていた。彼らもこれがどんな弓になるのか、初めて体験しているところだ、と言っていた。

仕事の邪魔をしてはいけない、と30~40分ほどで失礼する。工房から出て歩いているうちに陽が射し、少し暖かくなってきた。パンテオンに着く頃には晴れ間が見え、三色旗が青空に映えて美しい。

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2019年6月19日 (水)

6月11日

6月11日
今日は少し遅い出だし。昨日が休みだった、ということがよくわかる車の多さと騒がしさだ。バビロンヌ通りを歩いていたら、壁一面にランボーの詩、「酔いどれ船」が書かれていた。このあたりで発表されたらしい。

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サンジェルマン市場へ。ユニクロがある一方、昔ながらの市場もあって安心した。市場の中には食事のできるところもある。こういうところで食べたらきっと美味しいだろうな、と思う。

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サン・シュルピス教会に入った後、教会前で絵画や版画の青空市が開かれていたので、そちらにも入る。開放的で明るく、中の人たちが楽しそうに話しをしているのを見て、絵がどのように生活と関係しているのか見えるようだった。(先日東京都心で現代美術の展示を見た時、皆不思議な格好をして、なんだか業界っぽく、なんだか訳知りっぽく、しかもなぜかお金のにおいがして胡散臭かった、あれはなんだったのだろう)

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リュクサンブール公園へ。何度来てもここは素晴らしい。

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モンパルナス大通り(ジャコメッティの本によく出てくるカフェ、ラ・クーポールを気付かず素通りしてしまったのは残念)のノートルダム・ドゥ・シャン教会に入り、

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モンパルナス墓地へ。クララ・ハスキルの墓があるというので探す。探すのがあんなに大変とは思わなかった。墓地の区画はほぼない感じだった。どういうことになっているのだろう。

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ホテルまで歩いて帰り、今日は早寝。パリの街は以前ほどゴミが落ちていない気がするし、時々踏んづけていたような記憶のある犬のう○こも、今回さほど見かけない気がする。

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2019年6月18日 (火)

6月10日

6月10日
ホテルから外に出る時は、いつも驚きがある。雨上がりの朝、陽の光の美しさは例えようがない。

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セーヌ川沿いを歩く。今日は祝日、老若男女問わず多くの人が川沿いを走っている。皆かなり本気だ。走るだけでなく、様々に体を動かしている。

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川の際を歩いたり、上の道路に出たり、橋に上がったりしながらノートルダム寺院を目指す。

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前回来たとき目にした自転車タクシーはほとんどおらず、電動キックボードが全盛だった。セグウェイどころか、サドルのない電動一輪車も見かけた(乗るにはちょっとコツが要りそう)。

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川沿いを離れ、冷たい小雨の下パッサージュ、ギャラリー・ヴェロ・ドダを探したら、休みで入れなかった。まぁこういうこともある。

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それからノートルダムに。すっかり柵で囲われ警備されていた。後ろ側から見ると特に、火事で失われたものの大きさを感じる。

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サン・ジェルマン・デ・プレ教会の近くにある老舗カフェへ。ドゥ・マゴは渋谷にもあるし、とカフェ・ド・フロールに入った。通りに面した席に座ると、店は行列ができるほど混雑し始めた。ギャルソンたちのきびきびした動きや、彼らの客に対する接し方を見ているのは楽しかった。隣の席に明らかに裕福な、常連らしい女性と二人の子供たちが来て、彼女たちが実に楽しそうに話をしている姿に、なるほどこう過ごすのね、と思った。一方、ここは物乞いも通る。

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後ろ側の席には、あまり行儀の良いとは言えない人たちがいて、彼らの連れが、今度は僕の前側の席が空いた時に座ろうとしたら、行列に並んでいた女性が来てはっきりとした英語で、ここは並んだ人が座るところであなたたちではない、と感情を交えずに言った。男はあっさり謝り、一件落着。お見事。
混雑するカフェ・ド・フロール、2階に上がるとがらがらだった。ボーヴォワールやサルトルもここに座ったのだろうか。

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ドラゴン通りを通ってボンマルシェ(百貨店)へ。自然光の入る館内は、感心するほど美しい服や雑貨の並べ方だった。食品売り場も同じ、すべての物がとても美味しそうに見える。ここで買った青リンゴ、美味しかったな。

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夕食後、少しだけ散歩する。

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2019年6月17日 (月)

西へ

昼前に空港に向かう。電車の向かいの席では、抱きかかえられ、斜め後ろ向きにかぶった野球帽のよく似合う小さな男の子が、小さな指で熱心に鼻をほじろうとし、母親はそれを一生懸命阻止しようとしていた。
何度も使ってきた羽田空港で国際線に乗るのは初めて。航空会社のチェックインはパスポートをスキャンし、何かを少しすると終了、パスポートコントロールも同じようにスキャンし、機械が人間の顔をチェックする。狐につままれたような出国手続きだった。中に入り、フードコートの隣席ではフランス語を話すカップルがうどんを食べていた。すすらないと、うどんは食べるのにこんなに時間がかかるものとは知らなかった。彼と彼女が一本づつ静かに食べていく間に、うどんはどんどんのびて柔らかく、太くなり、冷め、・・・。すする音は、きっと彼らには不快だろう、と思いながら僕は梅わかめうどんを食べた。

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この期間、旅行に行ける、と前から思っていた。ずいぶんぐずぐずし、ようやく腰を上げようとしたらパスポートが失効していた。やれやれ。すぐ動き、新しいパスポートが来たのが5月末。ほぼ10日後に出発する旅行会社のパッケージツァーをあれこれ調べ、組み合わせ、オンラインで申し込み手続きをしようとしたら、何度トライしてもなぜか最後でうまくいかない。そもそも海外旅行なんてかなり前から準備するものなんだし、と夜中の1時に匙を投げた。翌日仕事をしながら、やっぱり行きたいと思い、飛行機とホテルを別々に手配した。なんだ、やればできる。全て自分で手配するのは本当に久しぶりのことだった。
思い立った時にふらりと外国に行く、いつかそんな旅をしてみたいと思っていた。行けることは前からわかっていた、手配は直前だった。結果的には理想の旅に半分ほど近かったのかもしれない。

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飛行機が高空に上昇し、窓から見える空の青はいつも美しい。僕はよく雲の写真を撮るけれど、それは下から見る雲だということに気付いた。頭の中では時々、前日の演奏会で弾いたペトルーシュカが鳴っている。
定刻より少し早くパリ、シャルル・ド・ゴール空港着。しかし地上職員が到着していない、とのことでしばらく飛行機から降りられなかった。なんとまぁ。客室乗務員もこんなことは初めて、と言っていた。
ほとんど誰もいなくなってがらんとしたターンテーブルで荷物を受け取り、タクシーに乗った。ホテル名と住所を告げると、何人かよくわからない運転手はスマートフォンのカーナビゲーションに入力して猛然と走り始めた。運転の荒さに外国に来たと実感する。いつものことではある。動物的な勘を十二分に発揮し手足のように車を操っているのか、単に短気で乱暴なだけなのか・・・。ロンドンタクシーの運転手ならナビなど使わず、通りの名前を聞いただけで頭の中で最適な道順をぱっと組み立てるのだろうか、と思った。乗ったことはないけれど。

夜の9時過ぎにホテルに着き、暮れ始めた外に出る。7年ぶりのパリだ。

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2019年5月22日 (水)

「ペダルなしで、しかしたくさんの色彩をもって」

20年ほど前、年輩のアマチュアチェリストと、彼が親しくしていた理髪師と話をする機会があった。バッハのゴルドベルク変奏曲のことになり、当時の僕にはグレン・グールドの衝撃的なデビュー盤か、彼がスタジオにこもるようになってからの晩年の録音か、しかなかったのだけれど、その理髪師(仕事中によく音楽を聞かれていたのだと思う)は、私はグールドではなくアンドラーシュ・シフの演奏を聴きます、と言ったことを覚えている。何かひっかかりながら、その時の僕は「ふーん」と思っただけだった。

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数ヶ月前、シフの弾くバッハの平均律(前奏曲とフーガ)のCDを求めた。ずっとグールドの録音しか知らなかった。スピーカーから流れてくるシフの演奏は、まるで今そこで音楽が生まれているようにみずみずしい。
よく知られているように、前奏曲とフーガはハ長調で始まり、ハ短調、半音上がって嬰ハ長調、嬰ハ短調、ニ長調、・・・、と全ての調性を一巡りする。それが第1巻と第2巻と二回りある。シフの2011年の録音は4枚組になっていて、僕はその4枚を順繰りに聞いている。ライナー・ノーツにはシフ自身による 'Senza pedale ma con tanti colori' という文章(「ペダルなしで、しかしたくさんの色彩をもって」)もあり、このイタリア語の題から僕はチェロ組曲の、アンナ・マグダレーナ・バッハによる写本の表紙 'Suites a Violoncello Solo senza Basso composees par *. *. *. Bach Maitre de Chapelle' を思い浮かべた。( * にはイニシャルが入っているのだけれど、僕には判読不能・・・。)

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前奏曲とフーガを聞いているうち、2回に1回ある短調の時に、長調の和音で終止することがしばしばあることに気付いた。チェロ組曲、第5番のプレリュードもそう。おもしろいのは5番のチェロ組曲をバッハ自身がリュートのために編曲したト短調の組曲では(BWV995)、プレリュードは暗いまま終わる。どうしてだろう?。暗く終わっても明るく終わっても、たいした問題ではないのだろうか、それともバッハにはきちんとした理由があったのだろうか。
もう一つリュート組曲の興味深いのは、チェロ組曲にはない音がたくさん書かれていること。僕たちの知らなかった声部があり、あぁバッハはこう感じていたんだ、と思う。アンナー・ビルスマが、バッハは3曲の無伴奏ヴァイオリン・ソナタと3曲のパルティータ(チェロを弾く人間には、目もくらむような見事な4声体だ)を書いた後、チェロのための、もっと音を省略した、弾き手や聴き手の想像力を呼び起こす曲を書こうとした、とどこかで言っていたことを思い出す。そして、ソナタ形式という便利な方程式のようなものが発明される前、即興的で生命力にあふれたフレーズを、あんなにたくさんバッハが生み出したことは、驚くべきことだ。

これもビルスマが言っていたことと思うけれど、チェロ組曲の、マグダレーナ・バッハの写本の表紙にはイタリア語、フランス語、ドイツ語が混在している。そしてチェロ組曲を構成する5つの舞曲の出自は多彩だ。アルマンドはドイツを意味するフランス語、クーラントはフランスまたはイタリアが起源、サラバンドはスペイン、メヌエットとブーレ、ガヴォットはフランス、ジーグはイギリスやアイルランド。バッハの時代、隣国フランスでさえ、ましてイタリア、スペイン、イギリスは実際に行くにはとても遠いところだったと思う。どうしてバッハはこうした様々な国の言葉や舞曲を用いたのだろう。多くのことを統合しようと試みたのだろうか。

様々な作曲家の様々な曲を弾いてきた。そうした中で今もし、バッハの音楽はどういう音楽ですか?と聞かれたら僕は答えに窮する。ベートーヴェンは?という問いの方がまだ答える方法がありそうだし、時代が下るにつれ、モーツァルト、ブラームス、チャイコフスキー、マーラー、・・・、ずっと答えやすくなる。
子供の頃読んだパブロ・カザルスの写真集か本に、彼が毎朝ピアノでバッハの前奏曲とフーガを弾く、とあったことを覚えている。(小さかった僕は、どうしてチェロでなくピアノなの、と不満だった。)カザルスは毎朝初めて弾くようにバッハを弾いた、毎朝新しくバッハを経験していたのでは、と思う。
'Bach'はドイツ語で小川を意味する、と聞いたことがある。’小さい’とは到底思えないけれど、そして長く顧みられない時代があったようだけれど、後の西洋音楽の大きな流れの源になっていると思う。

2019年5月21日 (火)

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2019年4月30日 (火)

「希望の灯り」

少し前に観たのが映画「希望の灯り」(原題'In the Aisles')kibou-akari.ayapro.ne.jp
すごい二枚目も絶世の美女も登場せず(こういうことを言うのははなはだ主観的だけれど)、舞台は時代に取り残されたような大型スーパー、画面に映るのはその大きな通路、陳列棚、フォークリフト、休憩所、幹線道路、街灯、バス、夜明けの空、・・・、昔の東ヨーロッパを思い出させる寒々とした光景ばかり。でもこの映画は美しい。見事だと思った。監督のトーマス・ステューバーは1981年生まれ、僕は30代半ばの時に世界をこう見ることはできなかった。彼は何が美しいのか、よく知っているのだと思う。美しいか美しくないか、は物によるのではない。
「希望の灯り」の冒頭は、スーパーの見上げるように高い棚の間をフォークリフトが動いていく映像で始まる(確か、僕の曖昧な記憶によれば)。その時にかかる音楽が「美しき青きドナウ」。それはS.キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」を強く思い起こさせる。宇宙船が漆黒の宇宙をゆっくりと動いていくシーンに使われた音楽だ。
帰宅して久しぶりに「2001年宇宙の旅」を少し見たら、素晴らしくて驚いた。CGというものなどない時代。公開は1968年、アポロ計画が月着陸を果たす前だ。2019年現在、有人宇宙船は木星はもちろん、火星にだって到達していないけれど、あの映画で重要な役割を果たすコンピュータ「HAL」は今のAIを予言しているようだ。

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「希望の灯り」を観た週、都響は東京、大阪で公演があった。プログラムの前半はグリークのピアノ協奏曲。ソリストはニコライ・ルガンスキー。
この曲を弾いていると海が見える、波の音が聞こえてくるようだ。(「希望の灯り」の基調の色は青、隠れた主題は海だったと思う。)特に好きなのは第2楽章、主題が始まった瞬間に心動かされる。後半いきなり調性が明るくなってチェロが旋律を弾く時は、解き放たれるようだ。
ルガンスキーは2公演とも、アンコールでメンデルスゾーンの無言歌を弾いた。大阪で弾いたop67-2「失われた幻影」は良かった。たとえ大きなドラマはなくても、音楽は本当にいいな、と思う。フェスティバルホールは舞台も客席もバックステージも広大だ(時々自転車か、キックボードが欲しくなる)。笑顔で拍手をして下さる聴衆を見て、心温まる思いだった。

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