2018年10月14日 (日)

再び北へ

陸路函館へ。
到着してすぐ練習があり、夕方終わってから市電に飛び乗った。北国は思ったより日没が早く、しかも雨も降り始め、思ったように写真は撮れず、しっかり濡れ、ほうほうのていで撤収。
翌日、午前の時間をぬすんで海へ。市電の3つある終点の1つ、谷地頭まで行き、さらに歩く。石川啄木の墓所を過ぎて立待岬へ。快晴、対岸の津軽半島や下北半島までよく見える。

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深々と息を吸ってからホテルに戻る。坂の多い函館の市電は風情があって楽しい。しかもスイカが使える。夜は演奏会。

今回も古いカメラを持ってきた。お供の、10年以上使ってきたデジタルの露出計(光量を計って、シャッタースピードや絞りを決めるための道具)が怪しくなってきた。ボタンを何回か押さないと動作しない。古いカメラは快調だけれど、そろそろ露出計は新調しなくてはいけないのかも、と久しぶりにカメラ屋を回った。すっかり足が遠のいていた中古カメラ屋に入ったら、ずらりと並ぶカメラの中の1台に吸い寄せられた。僕のカメラと同じ型の、信じられないくらい綺麗なのがあった。製造されてから60年たっているはずなのに、本当かな、新品のように美しい。手に取って動作を確かめる僕の耳元で、販売員が、私もこんなきれいなのは初めてですねぇ、とささやく。深く心動かされ、そんな時いつもするように、宝くじを買って帰った。もし当たったら、あのカメラをオーバーホールして、と夢をふくらませながら。
宝くじはもちろん外れ。自分のカメラを出し、こっちの方が動作は軽いし、少しくらい傷があった方が気兼ねなく使える、と言い聞かせる。
露出計は新しくした。時代に逆行するようなアナログ式のもの。それにしても表示の小さな字が見づらくなるなんて。

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翌日、再び市電で出かける。終点「函館どつく前」まで乗り、猫に会いながら外国人墓地まで歩き、海沿いを戻ってくる。函館は猫も人も穏やかな気がする。大きな船が飾ってある、と思ったら日本丸だった。やはり美しい。

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昼の新幹線で帰京。北海道から東京まで陸路で4時間、というのは大変な時代になったものだと思う。九州より近い。残念なことは、これはJR東日本の新幹線、特急全般に言えることだけれど、座席に枕が付いていて頭を下向きにせねばならず、具合がどうにもよくない。東海道新幹線はずっと快適なのですが・・・。

2018年10月 2日 (火)

葉山

神奈川県立近代美術館で開かれている「アルヴァ・アアルト ­ もうひとつの自然」展へ。www.moma.pref.kanagawa.jp/exbition/2018_aalto
逗子駅から狭い道を抜けて海の見える美術館にたどり着くと(けっこう遠い)、何度来てもやっぱりいいと感じる。葉山の海の素晴らしさは僕には説明不能だ。東京から少し離れるだけで、まったく違う空気と時間になる。

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展示も楽しかった。見ている人たちも皆、好きで見ている様子だった。デザインや建築が好きな人には特に興味深いだろうと思う。展示の最後に、アアルトのデザインした家具がたくさん並ぶ広いスペースがあり、実際に様々な椅子に座れるのだけれど、座る、という単純なことが楽しかった。デザインを体で感じることができる。

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10月2日、日経新聞に掲載された不動裕理さんの記事から。
『運動が苦手だった私は競うことには向かず、ゴルフ競技を始めてからも、人と勝負するという気持ちは希薄だ。あくまでマイペースだから、自分がちょっとスコアを落としてもそれほど気にならない。ミスをして数ホール、イライラが続くことはあるけれど、いいショットやいいパッドを打てたらすぐに機嫌が直る。
 そんな性格もプラスに働いたのだろうか。勝利を重ねてもどこかひとごとのようで、記録を意識したり、プレッシャーを感じることはさほどなかった。スランプに陥ったときのために、メンタルトレーニングの本を何冊か読んだけれど、好調なときはたいして役にも立たなかった。
 ずいぶん前になるが、「夢とか目標をつくって自分をしばりつけたくない。毎週、その時のコースと調子で目安をつくって頑張っている」とコメント。自分のできる範囲で、ちょっとでもいいプレーをすることだけを考え、記録はあくまで結果だと思っていた。』

2018年9月24日 (月)

9月22日都響定期演奏会のプログラムはオリヴァー・ナッセン:フローリッシュ・ウィズ・ファイアワークス、武満徹:オリオンとプレアデス、ホルスト:「惑星」だった。指揮はローレンス・レネス。

オリオンとプレアデスのチェロ・ソロはジャン=ギアン・ケラス。最初のリハーサルの後、会いに行き、彼がこの曲を弾くのは初めて、美しく、メシアンやデュティーユを思わせるね、そんな話をした。
学生時代、カザルスホールの主催公演をよく聴きに行った。武満徹さんの曲の演奏機会は多く、よくお見かけしたと思う。96年に初めてサイトウキネンオーケストラに参加した時も、武満さんはいらしていた。2004年の新日フィルのスペインツァー、その後に続いたサイトウキネンのヨーロッパツァー、両方ともプログラムの冒頭は武満さんの「弦楽のためのレクイエム」だった。前半のツァーは、日本のオーケストラだから、という理由でこの曲が選ばれた感じで(指揮者はスペイン人)、残念ながら深い理解は感じられず、サイトウキネンで弾くことを待ち遠しく思った。

正直なところ、僕の弾いてきた武満さんの曲の多くはゆっくりで、つかみどころがあるとは言いにくい。それらの曲に特別な輝きがある、ということに気付いたのは、恥ずかしながら最近だ。
オリオンとプレアデスを弾いていて、広い空間で様々な楽器の音が重なった時、何が起こっているのだろう、と心を奪われた。時間は音楽の大切な要素だけれど、その響きが現れると、時の進みが無くなる気がする。ずっと西洋音楽を弾いてきた、でも武満さんの曲は、もしかして僕たちが何気なく出す音で、必要なものを実現しているのかもしれない。そしてこれは前から感じていたことだけれど、外国の人たちの方が武満さんの曲に強く魅せられている気がする。

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プログラムの後半はホルストの「惑星」。浅はかな僕には、全曲にわたって隙なくこの曲が魅力的とは思えない。ルーチンワークになる時間がけっこうある。でも一つずつのフレーズを弾きながら、思いもしないような和声の進行がそこら中にあることに、ようやく気付いた。かなり斬新で、調べた訳ではないけれど、こういう書き方は惑星以外で経験しているだろうか。組曲のエッセンスは火星や水星、木星の有名な旋律より、そうした響きの中にあるのではないだろうか。そう思い至ったとき、前半に武満さん、後半に惑星というプログラミングの理由が浮かび上がってくる気がした。
今回の演奏会はもともと、作曲家でもあるオリヴァー・ナッセンが指揮するはずだった。ナッセンがどうして惑星を選んだのか、そしてどのような音楽を生み出そうとしたのか、知りたかった。

ケラスがアンコールに弾いたのはデュティーユの「ザッヒャーの名による3つのストロフ」から第1。なるほど、メシアンやデュティーユのことを言っていたものね、と思った。調弦を変えるこの曲を、事も無げに弾くケラスを見て、2年前、ブーレーズを一緒に弾かせてもらった時に彼が言っていたことが何だったのか、ようやく少しずつ僕にの体にも入ってきた気がする。(2016年6月の日記をご覧下さい。「メサージエスキス その2」www.ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/2-8fc6.html)

ナッセンの訃報は今年の7月。彼が前回都響を指揮したのは3年前だと思う。ケラスの弾くデュティーユを聴きながら、サイトウキネンがデュティーユに委嘱して彼が来日したのはもう10年も前のことだった、と思った。武満さん、デュティーユ、ナッセン、皆大きな人たちだった・・・。

2018年9月23日 (日)

「顔たち、ところどころ」

先日、公開されて間もない映画「顔たち、ところどころ」へ。www.uplink.co.jp/kaotachi
87歳の映画監督アニエス・ヴァルダと写真家JR(33歳)のドキュメンタリー。JRの運転する車の後部は、駅にある証明写真撮影のスペースのようになっていて、車体側面からは大きく伸ばされた写真が出てくる。二人がこの車でフランス各地を回り、人々を撮影し、建物や壁などに貼っていく。
突飛な行動のようだけれど、自分が写った写真が建物に貼られていく、ということが人々の心を揺さぶっていることが、よくわかる。実物以上に大きな写真が貼られた建物はそれ自体何かを語るようだし、見たときの人々の変化、感情がこみ上げて泣いたり、恥ずかしがったり、好感を持ったり、そうしたことに心打たれる。もう一つの大きなテーマは、二人がゴダールに会いに行く、というもの。映画は軽妙、抜群のテンポ感だった。編集も見事。楽しく、苦い。
それにしても、大きく伸ばした写真を建物に貼っていく、ということをフランスの人たちはごく自然におもしろがっていたけれど、他の国ではどうだろうか。

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毎年夏に行われる大きな自転車レース、ツール・ド・フランス。平坦なコースでのスプリント競争は強烈、でもなんといっても山岳ステージが魅力だ。選手たちのスピードが落ちるきつい登りでは、熱狂する多くのギャラリーが、ほとんど走路妨害というくらいにコース上に出て待ち受け、おそらく選手たちに触っているし、峠を越えた後の下りは、つづら折りの、ガードレールなんてどこにも存在しないコースを、90キロ近いスピードで飛ぶように降りて行く。
ステンドグラスでも有名なパリの老舗百貨店の屋上は、都心で眺望が良いのに空いていて、穴場だと思う。街がよく見える理由の一つは、屋上の縁に視界を遮るものがないこと。短い棒が何本か立っていて、ここから先に行くとどうなるかはわかっているよね、という感じだった。東京都心の百貨店の屋上には、まるで動物園のオリの内側にいるかのように、高く堅牢な柵が立っている。
東京五輪の自転車ロードレースのコースが発表になった後(大変なコースらしい)、自転車好きのKさんと、そのコースは彼の自宅近くも通るのだけれど、登りの頂点に近いところで待っていて、はたして選手を間近でみることはできるのだろうか、という話になった。

2018年9月 8日 (土)

‘when September ends’

アマチュアオーケストラの合宿に参加し、帰る日は台風が近づいていた。標高の高いその場所から最寄りの中央本線の駅まで車で送ってもらった。出発してから、運転するT君が、「中央線ではなく、長野新幹線の駅に出ることもできます。昨日調べておきました。どうしますか?」と言ってくれたことに、僕は感心してしまった。強まる風雨の中、「あずさ」はいつまで動くだろうか、あるいは、特急が止まっても各駅停車は動くだろうか、そのくらいのことは考えていたけれど。自分が20代前半の時、こういう考えは到底出てこなかっただろうと思う。遅い時間の特急は運休、幸い予定より1本早い「あずさ」に乗ることができた。
このときの台風や、続いた地震の報道に接して、信頼している生活の基盤が、残念ながらもろいことを感じずにはいられなかった。彼のような発想はきっと大切だ。

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その前夜、Oさんが、一日オーケストラを弾いていると、ロックを大音量で聞きたくなる、と言い、確かに、と思った。
帰宅して久しぶりにGreenDayのアルバムを出し、'Wake me up when September ends'を聴いている。冒頭はこんな歌詞だ。

'Summer has come and passed
The innocent can never last
Wake me up when september ends'

東京もいつの間にかセミが鳴かなくなり、秋の虫の声が聞こえるようになった。

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2018年9月 2日 (日)

「MONKEY」vol.15

雑誌「MONKEY」vol.15を読み終わった。久しぶりに雑誌というものを満喫した気がする。表紙をめくるとすぐ、R.O.ブレックマンさんの絵が現れ、彼の楽しい絵は前半の随所に出てくる。後半はウォーカー・エヴァンズの写真になり、そちらもいい。この雑誌はきっと作りたい人が作りたいように作っているのだと思う。もう一つの特徴は「もの」の記述や広告がほとんどないこと。逆の言い方をすれば、ものに関する記述や、何かを売るための広告、宣伝が多くの雑誌にとって重要、ということだろうか。
写真に夢中だった頃、毎月20日の雑誌発売日が本当に待ち遠しかった。90年代後半、インターネットはそれほど発達しておらず、雑誌はほぼ唯一の情報源だった。毎月何誌も写真雑誌を買い、何度も開いた。同時に限りなく物欲を刺激されていた。フィルムカメラ最後の時期は、こんなことを言うのは年寄りくさいけれど、輝きがあったと思う。

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芥川喜好さんの著書「時の余白に」が素晴らしかったので、「時の余白に 続」も読んだ。やはり知らなかったことがたくさん書いてある。その一つが熊谷元一さんの写真による「一年生 ある小学教師の記録」(岩波写真文庫)。舞台は1950年代の長野県下伊那郡会地村。2018年の僕たちの方が確実に便利で快適な生活を送っているけれど、写真を見ると、それで果たして幸せなのだろうか、と思わずにいられない。
もう一つ芥川さんの著作で紹介されていて早速読んだのが、秋山祐徳太子著「秋山祐徳太子の母」。抱腹絶倒、こんなにおもしろい本は久しく読んでいなかった。

2018年9月 1日 (土)

朗らかさ

8月終わりの都響はサントリーホールで現代曲。指揮のイェルク・ヴィトマンについて、彼の作品を中心に演奏すること、彼のソロでウェーバーのクラリネット協奏曲も演奏すること、これはM君が教えてくれたことだけれど、ヴィトマンの弦楽四重奏曲第3番は劇的な終わり方をすること、しか知らなかった。

リハーサルの初日、穏やかな人だなと思った。ヴィトマンの曲をオーケストラは2曲演奏する。そのどちらも、書かれた音符が彼の血であり肉であることがわかる。頭で書いていない。様々な特殊奏法は、奇をてらうものでなく、音楽的要求からきていることが、最初のリハーサルでわかった。クラリネットを吹いても素晴らしい。
初演のヴァイオリン協奏曲第2番も興味深い。ヴァイオリンソロは妹のカロリン・ヴィトマン。規模の大きな曲を書いて、それを自ら指揮して初めて音にしていく経験は、いったいどんな感じだろう。リハーサル室ではさほど思わなかったけれど、サントリーホールの音響下で、ヴァイオリン、声(!、素晴らしかった)、様々な特殊奏法や様々な楽器から出されるノイズのような音と、楽器本来の音程のある音との組み合わせは見事だった。特にヴァイオリンとアンティークシンバル(弓で弾くシンバル)の音のつながりは、聴いていて楽しかった。
「コン・ブリオ」という曲について、作曲者はベートーヴェンの7番や8番の交響曲との関連を説明してくれた。同じ関連がヴァイオリン協奏曲にも感じられたので、尋ねてみると、その通りとのことだった。加えて、協奏曲のシンプルで美しい旋律はあなたのオリジナルですか?と聞くと、そうです、引用ではないです、と教えてくれた。

ヴァイオリン協奏曲について、ヴィトマンによるプログラム・ノートから、
『際立って長い中間楽章を、私は「ロマンス」と名付けた。この楽章では、感情が細かく枝分かれして、ひとつの宇宙を形作っている。これは、心の内部へと向かう旅である。この旅は、さまざまな感情の領域を横断する。歌うような、あるいは柔らかな要素が、騒音や叫び声にも似た爆発と隣り合わせになっている。しかし、どの場面においても、ヴァイオリンが語り手である。
 作曲技法に関して言うならば、音響や音色の多様性はあれど、全3楽章の基礎を成しているのは、厳格に抑制された素材と動きの、綿々と連なる遊戯的なヴァリエーションである。音楽を通して思考できるようになって以来、私にとって常に重要であったのは、新しいものを創出することであり、どのような色彩の響きを作りだすか、どのように音を組み合わせるかということであった。しかし、簡素化することと形式に特別な注意を払ったのは、これが初めてである。・・・』
初演に立ち会うことができて幸せだった。

5曲あるプログラムのうち3曲が自作、2曲でクラリネットを吹き、3曲を指揮(そのうち2曲は初演)。一晩の内容として、ヘヴィだと思うけれど、常にヴィトマンは明るく生き生きしていた。誰に対しても穏やかで開かれていたと思う。
ヴァイオリン協奏曲もそうだったし、おそらくクラリネット・ソロも、多くの特殊奏法を伴う超絶技巧だ。でもそれらの技法は彼らの体と一体化し、難しそうに聞こえなかった。大変な能力の持ち主に違いない、でも舞台にいて感じたのは、朗らかな彼らと一緒にいられることの心地よさだった。

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チェロのジャン・ギャン・ケラスのことを思い出した。常人離れしたプログラムを連日のようにこなしていた時、彼にもかりかりした感じや悲壮感はまったくなく、ごく自然で穏やかだった。
実際に接したことはないけれど、例えば、大リーグの大谷選手や松井秀喜さんをテレビの画面で見ると、穏やかで朗らかな感じがする。(ケラスはスポーツの話をよくしていた)もしかしてこうした朗らかさこそが、第一線で活躍するために、それぞれの技量と同じくらい大切な資質ではないのだろうか、と思った。

僕には本当に足りない・・・。

2018年8月27日 (月)

短篇

昨晩、何とはなしに借りてきたレイモンド・カーヴァーの短編集「大聖堂」を読んだ。これまで短編をおもしろいと思ったことはなかったのに、一息に読んでしまった。幸せになるわけでも、冒険があるわけでもなく、どちらかというと辛くなるような話ばかり、でもどうしてひきこまれてしまったのだろう。
今日、車窓を流れていく景色をぼんやり眺めながら、小説も人の心のどこかを動かす、形にできない何か素晴らしいアイデアのようなものなのだろうか、と思った。

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夜テレビを見ていたら、ものすごい雷が鳴り始めた。空の暗くなる暇がないほど、常に光って雷鳴が聞こえる。衛星放送は映らなくなり、部屋の電気を消して稲光を見ることにした。時間がたつのを忘れて見入ってしまう。一筋の光が近所の、工事現場のクレーンに落ちて、そのクレーンが倒れたように見えた。

今は雑誌「Monkey」vol.15、アメリカ短編小説の特集を読んでいる。真ん中あたりにブコウスキーの短編が出てくるけれど、まずは冒頭のジョン・チーヴァーから。

2018年8月22日 (水)

北へ

混雑した東北新幹線に乗った。なんだか居心地悪く、先日海に行ったときの各駅停車の、ゆっくりとした進み具合が懐かしい。

この夏、久しぶりに青春18きっぷで旅をしてみようと思った。そんなことを考え始めたのはひどい暑さの頃で、目指すのはもちろん北。学生時代、何度も18きっぷで東京と名古屋を往復した。すっかりだらしなくなった今の僕に、それなりに我慢の必要な旅ができるだろうか。実際、北を目指しても、宇都宮を過ぎたあたりで満足して、あるいは嫌になって、引き返したりしないだろうか。
お盆の混雑を避け、あちらの日程を考え、こちらの日程も考え・・・。残念ながら、新幹線でまっすぐ目的地を目指すことにした。

予想外だったのは帰りの新幹線が空席なし、と出たこと。「はやぶさ」に自由席はない。がっかりして、とりあえず他の用事を済ませ、本屋で立ち読みをし、もう一度券売機の画面を見たら、あった。切符の手配も宿の手配も前日にばたばたと。

八戸で八戸線に乗り換え、鮫駅下車。蕪島を見て、歩き、バスに乗り、葦毛崎展望台へ。特徴のある形の展望台に上がると、水平線が広がりをもって目に入ってくる。こんなにはっきり見えるものだったか、と驚いた。

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海沿いを歩く。植物の甘い匂いのするひんやりとした空気に包まれ、あるのは波の音と歩く自分だけ。美しい砂浜に出てからまたバスに乗り、種差海岸駅近くの民宿へ。部屋に入り窓を開けると、虫の声と波の音が聞こえ、畳の上にごろりと横になる。極楽だ。

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夕食の後、真っ暗な夜の海岸に出る。目が少し慣れてくると、あまりよく知らない僕にも見える。北斗七星のひしゃくや、カシオペアのW、赤く大きく光っているのは火星だろうか。通りに人の気配はなく、車もほとんど通らず、静か。夜とはこういうものだった、と思い出した。ご飯を食べたらあとは眠るだけ。よく歩いた。

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翌日も晴れ、けれど早朝の海に行く気概はなく、ぎりぎりまで布団にへばりつく。朝食の後、歩く。種差海岸から葦毛崎まで、海沿いに遊歩道が整備されていて快適だ。こんなに美しい海岸は他にあるだろうか、と思う。

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ひんやりとした甘い匂い、松、岩、海、空、水平線、松、岩、海、・・・、その繰り返し。波打ち際にも降りてみる。水が透き通っていて気持ちがいい。
漁港を二つ過ぎ、白い砂浜に出る。少しの海水浴客とラグビーをする高校生、夏だなぁ。バスに乗って鮫角灯台へ。灯台には海上保安庁OBの方がいらして、遠くに見え隠れする山は八甲田山系、右手に島のように見えるのは下北半島、と教えて頂く。海を見ながらの気象の話など興味深かった。バスに乗って鮫に戻り、乗り換えまでの少しの時間を盗んで港に出た。ここには蕪島よりたくさんのうみねこがいるようだ。

再び混雑した新幹線に乗る。弁当を食べ少し眠ると、もういつもの雑踏だ。でもどこにいても、見てきた美しい海は僕の中にある。
結局今回も古いカメラと歩いた。フィルムの現像が上がってくるのが本当に待ち遠しい。


2018年8月11日 (土)

海へ

いつもの駅からいつもの電車に乗り、途中で別の各駅停車に乗り換えた。海へ。
この前海に行ったのはいつだろう。今年のひどい暑さにすっかり諦めていたけれど、やはり恋しくなり、台風が行ってしまうのを待って出かけた。各駅停車で2時間、見慣れた景色が少しずつ遠ざかっていく。さらに乗り換えて目指す駅へ。

ここは海が近い。駅舎はすっかり改装され、波が大きく見える。心が動いた。もっと早く来れば良かった。
一休みして、浜に向かう。強い波の音に気圧されるようだった。思ったより早く日が暮れ、海と空の境はなくなり、波の音の外はモノトーンに近い色の、豊かなグラデーションがあるばかり。幻想的な夕刻の海に身震いするようだった。ひととき地上の様々なことを忘れた。

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漁港には工事用の黄色と黒のロープを首輪にしている猫がいた。人懐こい。猫がのびのびしているところはきっと人間にも居心地がいい。

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空模様が怪しくなってきたので帰りを急ぐ。途中、往年の名ピアニストの名前のカフェに入った。店内にはジャズが流れ、村上春樹さんの本があり、何だか絵に描いたようだった。店に入ってから土砂降りとなり、ゆっくり赤ワインを飲むことにする。こうして外でワインを飲むなんて、本当に久しぶりだ。少しだけ大人になった気がする。
店主から、当地は昔保養地だった、という話しを聞く。確かに今日だってさほど暑くなかったし、セミにまじって、すでに秋の虫の声が聞こえた。

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翌朝早く目を覚まし、揺れを感じた。7年前の地震のことが頭をよぎる。
再び海へ。夜が明けると世界は一変しているけれど、それでも霧が出ていて、幻想的だ。寝坊助の僕はだいたい午後の海しか知らない。夕方や朝の海はこんなに魅力的だった。
今回は一番信頼する古いカメラを持ってきた、フィルムもきれいに使いきった。次来る時はデジタルの一眼レフでも良いのかもしれない。

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