2020年1月22日 (水)

上を向いて

この前がいつだったか思い出せないくらい久しぶりに、サントリーホールに演奏会を聴きに出かけた。
客席にはこんなにたくさん人がいるんだな、と驚く間もなく、オーケストラが舞台に入り、スティーヴン・イッサーリスが現れて、エルガーの協奏曲が始まった。

ずいぶん以前、やはりサントリーホールでイッサーリスの弾くエルガーを聴いた。指揮は同じく尾高忠明さん、オーケストラはBBCウェールズだった。2階席にいた僕には、彼の透明な音はなかなか届かず、あぁガット弦の音色は、スチール弦を使うオーケストラに埋もれてしまう、と思った。ただ、あそこではどんな音がしているんだろう、と想像をかきたてられた。
昨日は最初の音からすぐひきこまれ、何かを早回ししているような不思議な感覚で、あっという間に終わっていた。30分かかるはずが、何分もたっていないようだった。
音は表情にあふれ、音楽は情熱的、大阪フィルと尾高さんのサポートも素晴らしく、曲の構造が浮き立ってくるようだった。1階の中ほどに座っていた僕には充分伝わってきたけれど、2階席の人は、耳が慣れてきたら・・・、と言っていたから、場所の影響はあるのかもしれない。

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日曜日にイッサーリスのレッスンが東京芸大であり、しきりに上を向けと言っていた、ということは聞いていた。彼がそう弾くのは知っていたけれど、やはりどんな音程の跳躍でも指板を見ることはなかった。心と体が開いていることがよくわかる。躊躇なく弾き始める感じもすごく好きだ。

聴衆にはエルガーの熱演より、アンコールの「鳥の歌」の方が喜ばれているようだった。鳥の歌はイ短調、と染みついているから、前奏がソで始まったとき、一瞬何が起きているのかわからなかった。確かにこの調性なら和音を付けやすい。
彼の音楽から受けたものを、そっくりそのまま持って帰りたいと思った。

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チェロや心、体にどのようにアプローチすることが、音楽の自然な流れを生むのか、今日は休みだけれど寝坊せず、午前中からいろいろ試してみた。まず上を向いて、指板を見ないで。

2020年1月19日 (日)

変奏曲

1月16日の都響定期演奏会のソリストはヨルゲン・ファン・ライエンで、マクミランのトロンボーン協奏曲。超絶技巧や大音量は予想できたけれど、彼の出す音には不思議な魅力があった。なんだろう。技術的にどうやって音を出しているか、ということより、彼が持っている音に対しての感覚に魅力を感じた。最初のリハーサルの後、その感覚を自分のチェロに置き換えたらどういうことになるんだろう、とこっそりさらってみた。
指揮のブラビンスはいつも穏やかで、自信に満ちていてるように見える。彼が指揮台に立っているとオーケストラが落ち着く気がする。(まっすぐ立つ、肩に力が入らない、長くしゃべらない、・・・、そうしたことは指揮者にとってものすごく大切な要件だと思うけれど、音楽大学の指揮科で教えるのかしら)
この演奏会のメインはエルガーのエニグマ変奏曲。ブラビンスはいくつかの変奏について説明してくれた。今ひとつつかみにくい曲と思っていたけれど、説明があるとぐっと近くなってくる。それぞれの変奏には特定の人物があてられていること、その中のある人の子孫と、ブラビンスは子供の頃友達だったこと、そのことがほんの2年前にわかったこと・・・。ここには書かないけれど、戯画的な描写もあるようだ。
昨年秋、立教大学のオーケストラを尾高忠明さんが指揮をした。その時のアンコールはエニグマから、有名なニムロッド。尾高さんは、エルガーの音楽では7度音程の跳躍が大切であり、しかもニムロッドでは下降型で使われていることが特徴的、という話をした。それはすとんと腑に落ちるものだった。チェロ協奏曲の第3、4楽章、感情の高まるところで何度も7度の跳躍が出てくる。ただし、こちらは上行型。
その話を思い出しながらエニグマを弾くと、そこここに7度の下降音型が見つかる。わずかな説明のおかげで、音楽がよく見通せるようだった。

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今日19日は長尾洋史さんの演奏会でバッハのゴルトベルク変奏曲。何度も何度もCDを聴いた曲、でも実際に聴くのは初めてだったかもしれない。
僕の席からは長尾さんの両手が見え、耳では知っていた音楽が、左手と右手、そのように声部がわかれているんですね、ととても興味深かった。もともと鍵盤が2段ある楽器のために書かれているから、ピアノで弾くと手が交差して、という話は以前に伺っていた。弦楽三重奏にアレンジされた楽譜があり、しばしば演奏されることは知っていたけれど、確かに楽器を分けて弾いてみたくなる、と思った。
長尾さんの演奏には甘さがなく、がっしりとして、曲の構成がよく伝わってくるようだった。
それにしても、これだけのフレーズを書いたバッハの豊かさに驚かされる。チェロ組曲、ヴァイオリンの無伴奏作品、様々な協奏曲、・・・、ソナタ形式という便利なものがなかった時代に、信じられないくらいの量の、生命力にあふれたな音楽を生み出した。

長尾さんのプログラムノートから、

『ちなみに鍵盤上の困難(何しろ1段しか鍵盤がないので両手の交差はチェンバロより難しくなる)に関してはいろいろな対処法がある。ご希望があればいくらでもお教えする。

・・・私は弾き手の皆様にゴルトベルクを弾くことをおすすめする。誰に聴かせるのでもなく、聴き手は自分ひとり。音の縦の重なり、横の連なり、斜めのやりとりに耳を傾ける。そしてなんとか30の変奏を弾き通した後に、再び、、、。・・・

・・・この曲をできれば「楽譜を見ながら」聴くことをおすすめする。アリアのメロディーが耳に残る先から繰り広げられる30もの変奏の構成、書法の驚くべき綿密さ、緻密さ、見事さ、と楽譜を通して向き合うことは、それこそ難解なパズルを解くのと同じような高度な脳トレになるだろう。そして同時にそこにはまぎれもない、耳の、そして心の愉楽がある。・・・』

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帰宅して夜、NHK-FMで東京都交響楽団の昨年11月の演奏会を聴いた。先週と今週の2回に分けて、ショスタコーヴィチ、ラフマニノフ、チャイコフスキーのプログラムが放送された。
7時のニュースの後の音楽番組は日常的によく聞いているけれど、そこに自分の所属するオーケストラの演奏が流れるというのはちょっと不思議な感じだ。それより何より、演奏がまずいとまずいなぁ・・・、と思っていた。いろいろ反省点はあるけれど、ひとまず・・・。
ところでインバルさん、やはりいくらなんでもロメオとジュリエットや1812のテンポは速すぎはしませんか?

2020年1月10日 (金)

ソール・ライター

Bunkamuraで始まったばかりの「永遠のソール・ライター」展へ。https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_saulleiter/
前回3年前の展示は素晴らしく、忘れられないものになった。今回もいくつか同じ写真が展示してある。でも、いいものは何度見てもいい。ソール・ライターの写真や絵に、どうして心を動かされるのだろう。会場には静かに写真に見入る人たちがたくさんいた。
彼の印象的な言葉がいくつもあった。

・・・・・

I think that mysterious things happen in familiar places.We don't always need to run to the other end of the world.
神秘的なことは馴染み深い場所で起こる。なにも世界の裏側まで行く必要はない。

I see this world simply.It is a source of endless delight.
私は世界をシンプルに見ている。そのことが尽きない喜びの泉だ。

If I had to choose between being successful and not having someone or having someone,I'd prefer to have someone who I cared about,who cared about me.
成功者になれる人生か、大事な人に出会える人生か、選ばなくてはならないとしたら、大事な人と出会える人生を選ぶね、人と心を寄せあえる人生を。

・・・・・

ソール・ライターの写真を見ると、東京にも雪や雨が降り、人々は色とりどりの傘をさし、様々な色の車が走り・・・、そうした様子を結露した窓から眺めてみたくなる。Bunkamuraを出て、代官山まで歩いた。気持ちだけはすっかりソール・ライターになって写真を撮ってみたけれど・・・。

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2020年1月 2日 (木)

明けましておめでとうございます

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2019年12月30日 (月)

今年読んだ本から

今年も様々な本を読んだ中で、幾度も思い返すことがあったのは7月20日の日記(http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-31daf2.html)でも触れた釈宗演著「禅海一瀾講話」の中の、この部分だった。

『・・・飛騨の国あたりで、檜の版木板を造る所の人が、或る日、例に依って山の中に入って、そうしてそれを拵えようと思う中に、向こうを見ると古い年を経た杉が一本ある。その後ろに何者か居るかと思うて、眼を注いで見ると、山伏の姿をした者が一人立って居る。これが即ち世に謂う天狗というものであろう、この怪しい人間が即ち天狗であろうと、心にそう思って眺めたらば、その山伏らしい人間が声を荒らげて、「おぬしはおれを捉えて、怪しい天狗じゃと思うて居るな」、とこう云うた。それからまたその木挽が、こいつはどうも怪しい、是れはぐずぐずして居ってはいけぬ、早くこの仕事を片附けて家に帰ろうと、こう心で思うたらば、またその山伏が直ぐに、「おぬしはおれが怪しいとこう見て、早々此処を片附けて家に帰ろうと思うて居るな」とこういうて、天狗らしい奴が、こっちの心で思う通り、向こうで答えた。それから早々日も暮れるし、こんな所にぐずぐずして居ってはいけぬと思って、その版木板を片附けようとして、何か縄で括ろうとする拍子に、縄が切れて、一枚の版木板が山伏の鼻面に当たったと思うて見ると、その怪し気な人間がまたこういうことを言うた。「貴様は一向気の知れぬ奴じゃわい」、こう言うたかと思うと、その山伏の姿は掻き消すが如くに無くなった。これは或いは拵えた話であるかも知れぬが、なかなか面白い。』

人は何か意図をもって行動することが多いと思う。それはいったいどういうことなのか、とても興味深い。

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今年の後半も素晴らしい本に出会った。
養老猛司さんの著作をいくつか読んだ後で出かけた「虫展」は衝撃的だった。(2019年9月18日の日記htmlhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-c697a1.html をご覧ください)
間もなく2020年になろうとする2019年に生きる我々は、素晴らしい科学技術と共に時代の最先端にいる、と思うかもしれないけれど、それは小さな一匹の虫にも及ばない、未だ人間は大腸菌すら作ることができない、と教えてもらえたことは幸せだった。
養老さんの「唯脳論」は1998年の出版、その冒頭に「現代人はいわば脳の中に住む。」という文章がある。街や電車の中で、とりつかれたようにスマートフォンの小さな画面を見続ける人がいる。養老さんはそのことを20年以上前、見事に予言していたのだと思う。交差点でも歩きながらでも、小さな画面を見続ける人たちは、家に帰ってもやはり見続けているのだろうか?確かに今、現実は見るに堪えないものになっているかもしれない。それでも携帯電話が普及する前、人々は移動する時ぼんやり外を眺めたり、誰かと話しをしていたのではなかったか。このような劇的な行動や脳の使い方の変化は、人間の感じ方や行動に、すでに変化をもたらしているのではないか、と思う。指先と視線を少し動かすだけ、それで毎日何時間も刺激を受ける。この状態が1年、5年、10年と続いた時、脳はどのように変化していくのだろう。

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猫を見ていると、常に周りの気配を感じていることに気付く。都会で暮らす人間はそうした能力をかなり失っていると思う。太陽の高さや向き、気温、湿度、風向き、風の強さ、草木の形、匂い、飛ぶ鳥たち、・・・。今月初めに三宅島を訪れた際、島の人たちが風向きのことを話していることに気付いた。残念なことに忘れてしまったけれど、二つの方向の風には名前がついていた。島の生活で風は、人や物資を運ぶ船や飛行機の運行に密接に結びついている。

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少し古い本になるけれどハロルド・ギャティ著「自然は導く」は特別な道具を用いず、周囲の自然環境から自分の位置などを知るナチュラル・ナヴィゲーションの本。もう少し自分を取り巻く様々なことに心を開こうと思った。そしてロバート・ムーア著「トレイルズ「道」と歩くことの哲学」は自然科学から文学、人生観に至る様々な分野をまたぐ本だった。何か新しい考え方のようなものがある。
分野は異なるけれど、森田真生著「数学する身体」にも何か新しいものを感じた。こうした考え方に触れると希望を感じる。数学は苦手だった、でも素直に数学って素晴らしい、と感じたし、彼のような人が中学や高校で教えたらずいぶん違うだろう、と思う。

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2018年4月13日の日記「最近の日経新聞から」(
http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-91fb.html )で触れた作曲家、望月京さんの作品を先月、演奏する機会があった。本番前、ご本人にあの新聞連載が楽しかった旨申し上げると、それらが一冊の本にまとめられたばかりと教えてくださり、さらに・・・。連載は望月さんがパリで借りた部屋の大家さんとのやりとりから始まった。この新しい本「作曲家が語る音楽と日常」もやはり、その話から始まっていて、何度読んでも楽しい。どの文章にも人間に対する共感が底にあり、そのことに僕はとても勇気づけられる。

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様々な本を読む中で、物語の魅力とは何だろう、と思う。子供の頃、話を読み聞かせてもらうことが好きだった。それは年を取っても変わらない、人間の何か深いところに根ざすものなのだろうか。
この秋の新聞書評でカナダの作家、マイケル・オンダーチェのことを知った。まず「ライオンの皮をまとって」を図書館で借りてきて読み、それから新刊の「戦火の淡き光」を読み、年越し用に「イギリス人の患者」と「名もなき人たちのテーブル」を借りてきた。読み始めた「イギリス人の患者」は「ライオンの皮をまとって」の続編であり、96年公開の映画「イングリッシュ・ペイシェント」の原作でもある。
オンダーチェの訳書は少なく、出版社も様々で、触れる機会は多くないかもしれない。知らなかった作家を知るのは素晴らしい出来事だ。本の中には経験したことのない世界が広がる。

2019年12月11日 (水)

「マイ・フェイバリッツ」

池松さんの釣り、平田さんの砥石とともに、都響ホームページに趣味のことが掲載されました。よろしければご覧ください。
(月刊都響12月号P.38~39にも同じ内容で掲載されています。HPの方が写真が多いです。)

https://www.tmso.or.jp/j/archives/special_contents/2019/myfavorites/

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2019年11月15日 (金)

最近の日経新聞から

新聞を読んでいると時々、素晴らしいことが書いてある記事に出会う。そうした宝物のような文章が毎日読み終えられ、おそらくは忘れられてしまうしまうことをいつもとても残念に思う。

ラグビーW杯決勝戦を控え、10月31日の日経新聞に載った『重量級対決 輝く小兵』という記事から。
『・・・H・ヤンチースも167センチながら、今年の世界最優秀若手選手候補3人に選ばれた。体格について聞かれた時の答えが振るっていた。「ラグビーはケガを恐れればケガをするし、相手が自分に突進してくると思えば本当にそうなる」・・・』

11月1日、「日本化しないドイツの幸運」というマーティン・ウルフさんの記事の冒頭から。
『「どんなに切望しても2+2は4であり、3になったり5になったりはしない。人間は現実を突きつけられて苦しむ運命にある」 ー 。
経済について考えるとき、英詩人アルフレッド・ハウスマンのこの詩を思い出すべきだ。つまり勘定尻というのは合わなければならない。問題はどうやって合わせるかだ。・・・』

連載「私の履歴書」、今月はファンケルの池森賢二さん。めっぽうおもしろく毎朝新聞の届くのが楽しみ。先月の鈴木幸一さん(IIJ)も楽しかった。10月31日の記事から
『「わたしのようなただの音楽好きの素人が音楽祭(東京・春・音楽祭)など続けられるのだろうか」とムーティさんに相談すると、「むしろそのほうがいい」という。「音楽ビジネスのプロよりも、鈴木さんのように音楽を尊敬し、愛し続けられる人が、音楽祭を発展させられる。私も応援しますよ」と。この励ましは本当に心強かった。
 ・・・・・
本業のインターネットと音楽への思いが、人生の2つの支柱である。ネットも音楽祭も頼るべき海図や先例がなく、白紙の未来を自分の力で切り開く楽しさと苦しさがともにあった。』

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11月4日に掲載された為末大さんの記事は大変興味深かった。(「スポーツが開くことばの世界」シンポジウム 基調講演)
『スポーツ選手はいろいろな経験をします。その体験を言葉にするのが、好きな選手とそうでない選手がいます。・・・
私は言葉が本当に好きです。インターネットで活字や言葉が膨大に流れるなか、一番難しくなっているのは、良い言葉やストーリーに出合うことだと思います。
 ・・・・・
言葉は世界を整理します。私は競技力を高める上で言葉はすごく影響したと思います。私は専属コーチをつけませんでした。現役の18~34歳まで自分の学習を自分で試すしかなかった。そのとき支えてくれたのが言葉でした。
ただ、スポーツでどこかに意識を置くとそこに引きずられてしまう。一番いいパフォーマンスのときは、どこにも意識が置かれていない。イメージでいうと、矢印がどこかに向いていない状態になります。その感覚は非言語的です。
プレーの最中は非言語的な世界だと思ってください。コーチングでオノマトペで表現するのはよくないと言われていましたが、最近は重要ではないかと見直されています。・・・・・
選手はトレーニングの後に反省をします。いかに正確にどんな言葉を使うかで反省の精度が変わります。・・・事実と自分の意見を分けて整理する。これができないと分析も対応策も全部ゆがんでしまいます。
 ・・・・・
良い言葉というのは、たった一言で連鎖を生んでくれる。反対に、たくさん言葉を使っても選手の動きはよくならない。・・・
・・・無意識でできたことを言語化した瞬間、下手になることがあります。言語化しないほうがいい動きもあると思いますが、言語化しないとうまくならない。このあたりは私も答えは出ていません。
自分自身を言葉で定義することも重要です。過去の出来事や失敗を言葉にできるかどうかで、選手は学んだ感触になるだけか、実質的な学びになるか、その差が分かれます。言葉にできない選手は失敗を失敗としてとらえるだけになってしまいます。』

2019年11月12日 (火)

金属や木の中で その2

今年になっていろいろな松脂の情報が入ってきた。
まず、オーストラリアのLeatherwood Bespoke Rosin。Leatherwoodという名称は、木の枠に入った松脂が皮ケースに包まれているから、と早とちりしたけれど、素晴らしい蜂蜜のとれる木のことらしい。弾き心地は極上、弓毛が弦によくなじみ、うっとりするような感じ(値段も素晴らしい)。色の濃いもの(supple)と薄いもの(crisp)と2種類あり、さらに配合率をオーダーすることもできるようだ。僕の感触では薄い色の方が、なぜか音が飛びにくい気がした。
それからAndreaのSanctus(こちらも素晴らしい値段)。もともとAndreaのSoloを使っていて、さて。ドーナッツ状の黒い外周の中に、茶色の別の種類の松脂が入っている。ハイブリッド、という訳だ。使ってみると、ここまで来たか、と感じるくらい弦をとらえる力がある。Iさんが「コントラバスは松脂で弾く」と言っていたことが、なるほど至言である、と思えるほど。
夏を過ぎてM君が紹介してくれたのがニューヨークのBella Rosin。ちょっと弾いてすぐ気に入った。バランス良く使いやすい。2種類あって、青い包みのRecitalという方が好き。ピンク色の包みのConcertoは、確かにこれくらい必要なのかもしれないけれど、くきくきとした子音の成分が多く出る。

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しばらく前に、東急ハンズの端材売り場でたまたま見つけたのがピンクアイボリーという重く、とても硬い木だった。これをストッパーに使ったらきっとおもしろい、と思った。音にはちょっと癖があるけれど、よく締まった感じ。夏の工作で、時間をかけて磨いたらツヤが出てきて楽しかった。
昨年教えてもらったのが金井製作所のKaNaDeというストッパー。composite-inshulator.p2.weblife.me/lineup.html
かなり凝った作りで、楽器の振動を床に伝えず楽器に戻す、ということらしい。床が良く鳴るチェロとかコントラバスはある。それは弾いていて気持ちが良いかもしれないけれど、本来上に飛ばしたい音が床でキャンセルされている、ということなのかもしれない。リン・ハレルが石板の上で弾いて、すごい音だった、ということを聞いたことがある(もともとすさまじい音の人ではある)。それも同じ理屈なのかもしれない。大小2種類あり、僕は小さい方が好き。かなりいいと思う。楽器の調子も整うかもしれない。
滑り止めの上で使う設定なのだけれど、ひっくり返ってしまうことが無いわけではないので、枠を作ってひもを通せるようにし、椅子の足にかけられるようにしたら、と思いついた。東急ハンズで材料を加工してもらい、細部は自分で仕上げた。子供の時以来、柔らかいホオの木を削る夏の工作は楽しかった。昔のipodのような感じになった。おもしろいのは、この枠を使った方が響きが増えること。音は不思議だ。

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少し前に刃物の研ぎ師を取り上げた番組の中で、彼が包丁をつくるにあたり、何十年も寝かせた鋼材を使う、という部分があった。このことをS君に伝えたら、それは金属の時効硬化というものですね、と返ってきた。調べると金属の中でも様々な変化が起きるらしい。
何年か前、シンバルを作る工程をやはりテレビ番組で取り上げていて、たたいておおよその形になった金属を1年寝かせる、その方が澄んだ倍音が出る、ということを思い出した。チェロで金属部品というとエンドピン、弦がまず思い浮かぶ。それらを気に入って使って、しばらくすると最初と印象が変わっていることがある。もしかして人間の側だけのことでなく、金属の中で起きていることとも関係があるのかもしれない。同じ銘柄の弦でも、製造して間もないものと、何年も前のストックでは音が違うのかも、と思う。昨日替えたヤーガーは何年も前に買って置いたもので、最初から明るい響きがして、新品特有の少しこもった感じはない気がする。気のせいかもしれない。
少なくとも、弦はくるくる曲げられねじられ、テンションのかかった状態でパッケージに入れられているから、それは伸ばして置いたほうが・・・。エンドピンは見附さんに作って頂いた鉄製のものが素晴らしく、気に入って使っているけれど、もしたたら製鉄による鉄でエンドピンを作ったらどんなものができるんだろう、と夢想する。金属の専門家で、チェロも弾く方がいたら教えを請いたいところです。

楽器や弓も変わる。本番の舞台に出て行く前と後では楽器の状態は違うとよく思う。人間の状態がかなり違うことは間違いがないけれど。弓もしばらく使っていると、あるいは使わないでいると印象が変わる。あれはいったい何だろう。木の中でも何かが起きているのかもしれない。

2019年11月11日 (月)

金属や木の中で その1

今年の夏、半分屋外のようなところで弾く機会があり、何年ぶりかでガット弦を外してスチール弦にした。空調の効き方で調弦がしょっちゅう狂うことに我慢ならなくなった、というもう一つの理由もあった。これまで何年も気にせず過ごしてきたのに、なぜだろう。
遠くない前にも一度、スピロコアを張ってみたことがある。わかってはいたけれど耳元であのじゃりじゃりした音がすることに耐えられず、1時間と経たないうちに外してしまった。
久しぶりに体験するスピロコアには様々な発見があった。一番驚いたのは、音を出す時のポイントがないこと。弓のテンションを少しかけると、いつの間にか音が出る。弓が滑っていってしまう、というのか。子供の頃から何十年も使ったのに、そんな大事なことに初めて気がついた。もう一つは、やはりあのじゃりじゃりした感じ。ものすごくたくさんの倍音が鳴るので、基音を感じることが難しい。ジャングルに踏み込んだら(入ったことはないけれど)背の低い茂みやら、草やら、落ち葉や何やらで地面がまったく見えない感じ。オーケストラを客席で聞いていると、低弦楽器の金属弦特有の倍音がよく聞こえてくる。あれがないと輪郭がぼやけて、多くの音の中からバスパートが聞こえにくいのは確か。でも基音が聞こえづらいことをいつも残念に思う。
学生の頃、Y先生門下の先輩がレッスンの時、開放弦を弾いて、少なくとも8つの音を聴くように言われた、という話しを聞き、不思議な先生だ、と思った。今はよくわかる。本当にたくさんの音が鳴っているもの。
そしてやはり不思議だったのは、あんなにうるさかった倍音が、1ヶ月くらいすると突然無くなること。11月になって気温が下がり、やかましいくらい鳴いていた虫たちの声がぐっと減ってさみしくなる、それに似た感じがした。あの倍音がなくなると、うって変わったように暗い音色の弦になる。

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下2本をスピロコアにしたのと同じ頃、上にラーセンを張ってみた。わざわざ書くことは何もない、今のスタンダードの組み合わせだと思う。でも僕にはとても新鮮だった。強く、つぶれにくい上に、ラーセンの方が響きがつながりやすい気がした。扱いやすい。都響に来る様々なソリスト、CDなどで聴く様々な演奏も、この音色で弾いているのがわかる。素晴らしいのだけれど、均質過ぎる気もしてきて、ちょっと飽きてくる。
弦メーカーはそれぞれのウェブサイトで製品の張力を発表していて、なかなか興味深い。驚いたのは同じミディアムで比べるとラーセンよりヤーガーの方が強いこと、本当だろうか。計測の条件が違うのかもしれない。

湿度の高かった8月が過ぎ、9月も終わりになって、懐かしいオイドクサに戻した。スチール弦の後で力がなくてがっかりするかな、と思ったらそんなことはない。むしろ下の倍音は伸びている気がするし、音色も豊富、そして音を出すときの点が非常に明確。ここが気持ちいいんだな、とわかる(扱いに慣れがいるから人にはあまりすすめない・・・)。そして、やはり扱いに繊細さが必要なヤーガーを張ったら、あぁ、こういう良さがあった、と感じた。直接出ている音以外のどこかで楽器が鳴る。なるほどこれか、と思う。もしかしてこちらの音の方が通るかもしれない。

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いつものセッティングに戻って落ち着き、これまで以上に特徴がわかる。でもあまり使わない弦を張っている期間も楽しく、たくさんのことを感じた。道具の優劣を判断するのではなく、使っているものの性格をよくわかって使うことが大切なのだと思う。それは楽器でも弓でも自分でもきっと同じだ。
四半世紀以上前、桐朋にアンナー・ビルスマが来てレッスンを受けたことがあった。彼が僕のチェロでロココのテーマを弾いてくれた時、自分の楽器が底までしっかり鳴っている、と驚いた。このチェロはこういう風に鳴るんだ、と思った。それは特別大きいとか、強いとか、美しい、とかそういうことではなく、楽器本来の音が出ている、という感じだった。彼は骨太で大柄、右手も左手も弦の真上から、そういう弾き方だったと思う。おそらく、裸ガットを弾くためにはそれしか方法が無いのだと思う。スチール弦はひねってもねじっても、斜めから弾いても音が出るから、便利で易しいけれど、もしかしてきちんとした弾き方を身につけるには遠回りなのかもしれない。

2019年9月26日 (木)

ラグビーワールドカップ

20年前のこの時期、コンクールを受けにフランス、トゥールーズに行き、ホームステイさせてもらっていた。素敵なホストファミリーのご主人Fさんはエンジニア(トゥールーズはエアバス社など航空宇宙産業がさかん)で、アマチュアのヴァイオリニスト。
1日遠出をしよう、というのでアルビまで出かけた。アルビはトゥールーズ・ロートレックの出身地であり、もう一つ、異端とされるアルビジョワ派の討伐後に建設された大聖堂がある。その中には細かな装飾がたくさんある一方、茶色のレンガでできた外側はのっぺりとしてマッシヴ、圧倒的な大きさからは異様な感じすら受けた。
Fさん夫妻と街にいると、あの建物のあの部分は何世紀のいつ頃の様式、ここはいつ頃の様式・・・、と僕には同じように見える建物の見方を教えてくれた。トゥールーズの大きな見本市会場での骨董家具の展示にも連れて行ってくれた。3つのブースに分かれていて、一つは誰が見ても文句のない一級品のブース、もう一つには(おそらく)頑張れば手の届きそうな家具、最後の一つには何だかよくわからないもの、例えば、傷みが激しく、ほとんどすだれのようになった絨毯とか、蛇口あるいはドアの取っ手だけが集めて置かれ、そんな中にフレンチブルドッグが寝そべっていたりした。
Fさんは、自宅にあるあの家具は何世紀のいつ頃のものだから、それに合う別の家具を探しているんだ、と言っていた。日本にいては到底知ることのできない、ヨーロッパの人たちの世界の見え方を教えてくれていたのだ、と思う。ご主人の仕事のことももっと聞いておけばよかった。
そう、トゥールーズと言えば、サン=テグジュペリが定期航路のパイロットとして飛んでいたところだ。彼の書いた「人間の大地」の、定期路線にデビューする箇所は好きな文章の一つ。

『・・・僕は雨に光る歩道で小さなトランクに腰を下ろし、空港行きの路面電車を待っていた。とうとう僕の出番だった。ぼくより先に、どれだけ多くの僚友がこの神聖な一日を迎えたことだろう。いったいどれだけ多くの僚友が、いくらか胸を締め付けられる思いで、こんなふうにして路面電車を待ったことだろう。・・・
・・・トゥールーズのでこぼこの敷石の上を走るこの電車は、何だか哀れな荷馬車みたいだった。定期路線のパイロットもここでは乗客の中に埋もれてしまって、隣席の役人とほとんど見分けがつかない。少なくとも、最初のうちはそうだ。だが、立ち並ぶ街灯が後方に流れ去り、空港が近づくと、がたがた揺れる路面電車が灰色のさなぎの繭に化けるのだ。そこから、じきに蝶に変わった男が飛び出してくるだろう。
 僕の僚友の誰もが皆、一度はこんな朝を迎えたのだ。そのとき、彼らはまだ横柄な監督の指揮下にある無力な下っ端に過ぎなかったはずだが、それでも彼らは、スペインとアフリカの定期路線を背負って立つ男が自分の内部に生まれつつあるのを感じたのだ。・・・』

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ある日、一人でトゥールーズの街を歩いていたら、スポーツバーのような店からすさまじい歓声が聞こえてきて驚いたことがあった。Fさんに尋ねると、ラグビーワールドカップでフランス代表がニュージーランドに勝った、しかもフランス代表にはトゥールーズのチームから何人も入っているんだ、と教えてくれた。その時はただ、ふーんと聞いたのだけれど、今月日本でワールドカップが始まり、その熱狂が少しわかるような気がする。ルールをよく知らない僕でさえ、大きな人たちが俊敏に動き回る迫力にすっかり魅せられるもの。
調べてみた。1999年の第4回大会、準決勝でフランスはニュージーランドを破り決勝に進出。10月31日のことだ。

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