2018年4月16日 (月)

声の奥行き

昨日4月15日の都響は東京・春・音楽祭の公演でロッシーニのスターバト・マーテル。4人のソリスト、エヴァ・メイ(ソプラノ)、マリアンナ・ピッツォラート(メゾソプラノ)、マルコ・チャボーニ(テノール)、イルダール・アブドラザコフ(バリトン)が素晴らしかった。声の奥行きと言ったらよいのか、立体感と言ったらよいのか、あぁそうですよね、本当にそうですよね、と感じた。声に楽器はかなわないけれど、でも目指す方向を明確に示してくれた。メゾソプラノのピッツォラートさんは、歌い終える瞬間、声が文化会館の大ホールに消えていく瞬間もなんとも言えず美しかった。ソロだけでなく、4人や2人でつくる響きも見事だった。

少し勉強してから海へ。行こうとする度に電車が遅れたり、強風だったりして断念していた。だから今日、バスを降りて海が見えた時、胸がいっぱいになった。肌寒く曇っていたけれど、海は海だった。

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2018年4月13日 (金)

最近の日経新聞から

4月12日の日経新聞朝刊に掲載された写真家、鋤田正義さんの文章から。(文中の「ボウイ」とはデヴィッド・ボウイのことです)

『実は僕は英語が話せない。聞く方はなんとかなるのだが、しゃべるのがダメだ。だからボウイとのコミュニケーションは専ら写真を通してだった。撮影前もほとんど話はしない。いきなり始まる。そして、撮影したものから20枚程度を選び送る。彼は気に入ったものを使いたいとリクエストする。お互いに深い信頼があったと思う。
 思い返せば、子供のころから話すより見ることを大切にしてきた。実家の化粧品店の店番をしながら、窓枠をフレームのようにして人の流れを観察した。映画も好きで、実家のある福岡県直方市から50キロ離れた福岡の映画館に自転車で通っていた。それが今に生きているのかもしれない。
 ボウイとの関係がうまくいったのも、英語が話せなかったからじゃないかと思う。しゃべらなくても、写真が代わりに語ってくれる。目の前に居る相手を尊重して、瞬間を記録していく。そうやって撮影を続けてきた。』

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先月の「私の履歴書」は宗教学者の山折哲雄さん。とても興味深く読んだ。今月はジャパネットたかたの高田明さんで、抜群におもしろい。商売をすることの大変さ、魅力が僕にもほんの少し見えるようだ。夕刊のエッセイは土曜日の望月京さんが楽しい。オーケストラの仕事で彼女の曲は弾いたことがあったけれど、難しいものを書く人、という印象だった。文章を読んで、題材が豊富だし、感覚にも考え方にも、なるほどと思うことがたくさんある。

金曜日夕刊の映画評ももちろん読む。でも鵜呑みにはしない。というのは以前この映画評で絶賛され、満点の星5つがついた映画を、どんなに素晴らしいのだろう、と楽しみに見に行ったら、僕にはさっぱり、ということがあった。初めて入った岩波ホールの、スクリーンが小さいことを知らずに後方に坐ったことがまず失敗。映画の間中ずっと、僕の右斜め前方に坐る男性がいびきをかいて寝ていて(そんなに眠いなら外で寝ればいいのに)、それに腹をたてた左斜め前方の男性が手元にあった紙をくしゃくしゃと丸めて投げつけたのだけれど、いびき男性には当たらず、いびきは収まらず。そうした一部始終がよく見えておかしかった。映画の内容は忘れてしまった。

2018年4月 3日 (火)

ショスタコーヴィチ

3月20日の都響定期演奏会はインバルの指揮でショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」。月刊都響3月号、増田良介さんの解説には作曲の背景や1942年の初演、楽譜がマイクロフィルムで持ち出され、アメリカでも盛んに演奏されるようになったことが書かれた後、
『バルトークが<管弦楽のための協奏曲>の中で、この交響曲の「戦争の主題」の一部を引用して風刺したことはよく知られているが、・・・』
とあり、いやいや恥ずかしながら僕は知りませんよ、しかし、と慌てていろいろな人たちに聞いた。「管弦楽のための協奏曲」の第4楽章、トロンボーンのグリッサンドの後、遊園地のような音楽になったところのヴァイオリンの下降音型がそれ。本当にそのものだ。突然どうして脈絡なく、こんな能天気な音楽が出てくるのか不思議に思っていた。そういうことだったのか・・・。
バルトークはこの曲がもてはやされていることを苦々しく思っていたのでは、と僕は勝手に想像する。彼のアメリカでの晩年を知ると、胸がつぶれそうになる。(アガサ・ファセット著「バルトーク 晩年の悲劇」)

3月26日の定期演奏会の前半はやはりショスタコーヴィチの、ピアノ協奏曲第2番(ソリストはアレクサンドル・タロー)。1番の協奏曲の方が演奏機会が多いと思うけれど、僕はこの2番が好き。バーンスタイン&ニューヨーク・フィルの演奏を幾度も聴いて、曲とその演奏が切り離せなくなってしまった。
ファゴットの、いかにもファゴットらしい主題の6小節の前奏の後(どうして6小節なんだろう、4小節+2小節・・・)、ピアノが始まる。ヘ長調だ。ヘ長調のピアノ協奏曲は珍しい。すぐ思いつくのはガーシュイン。モーツァルトには何曲かあるけれど。
ショスタコーヴィチらしくなく、この曲には皮肉がない。大きな展開もなく、少さな変化を伴いながら同じ流れの中にずっといる。そういう意味ではシューベルトのようだ。特に第2楽章は美しい。ピアノが旋律を左手の3連符で伴奏する書き方は、ベートーヴェンの月光ソナタを連想させる。第1番のピアノ協奏曲の冒頭がベートーヴェンの熱情のパロディであることは「よく知られている」と思うけれど、この協奏曲はパロディというより、ベートーヴェンへのオマージュのように思える。終楽章には7や9の変拍子が出てくる。たまたま日曜日夕方のラジオからブルガリアのダンスミュージックが流れ、それも7拍子だった。DJのバラカンさんがこの7拍子は確かに踊れそうです、と言っていた。聞きながらショスタコーヴィチの協奏曲のことを思った。

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亀山郁夫さんが昨年、ソヴィエト体制下の芸術家たち、というテーマで行った講演を聞いた。ショスタコーヴィチに関しては5番の交響曲の終楽章を取り上げ、金管楽器で演奏される冒頭の主題が、カルメンのハバネラから来ていること(下降形の旋律の後、調性が明るくなるところ)、そしてその部分の歌詞は・・・、というものだった。
ショスタコーヴィチの4番の交響曲はとうてい分かりやすいとは言えない。それを踏まえると5番の終楽章が延々と華々しく書かれているのは、決して作曲家の本心ではなく、こう書けば当局は喜ぶんでしょ、という痛烈な皮肉のように僕は感じていた。真情を担保するために、当時の芸術家たちは「二枚舌」を使った、というのが亀山さんの説明だった。終楽章の主題の基になった部分のハバネラの歌詞はおそらく(間違っているかもしれません)、「prends garde a toi!(用心しなさい!、あるいは、気をつけろ!)」。
想像もできないことだけれど、ショスタコーヴィチが新しい交響曲を発表する時、それは常に注目を集め、同時に政府からにらまれる危険も背負っていたのだと思う。

これはS君に教えてもらった話。エンリコ・ディンドはロストロポーヴィチ・コンクール優勝の後、ロストロポーヴィチ自身の指揮でショスタコーヴィチのチェロ協奏曲を弾いた。演奏会の度に、ロストロポーヴィチは本番前、人目をはばからず号泣していた。その理由は、(自分は亡命したのに)どうしてショスタコーヴィチを西側に連れ出してやらなかったのか、という自責の念だったそうだ。

2018年3月23日 (金)

アイデアについて

ルービンシュタイン自伝の後は、「ゾウの時間 ネズミの時間 - サイズの生物学」の著者、本川達夫さんが書いた「ウニはすごい バッタもすごい - デザインの生物学」を読んだ。ハチはどうしてあんなに速く羽ばたくことができるのか、アサリはどうして殻をしっかりと閉じ続けられるのか、ヒトデはどうして五角形なのか、バラの花弁はどうして5枚なのか、・・・。僕の頭できちんと理解できたかどうかははなはだ怪しいけれど、楽しかった。生き物たちがどうしてその形なのか、構造なのか、気にもしなかったことを考えてみることには大きな発見がある。動いたり、力がかかったりするもの、例えば自動車、飛行機、ロボット、楽器、レコードプレーヤー、家具、・・・、そうしたもののデザインを考える時、きっと多くのことに応用できるヒントがこの本の中にはある、と思った。

先日、東京ステーションギャラリーで開かれている「くまのもの 隈研吾とささやく物質、かたる物質」へ。(www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201803_kengo.html)
しばらく前の日経新聞日曜の別冊に隈さんの特集があり、興味を持っていた。建築に特別関心があった訳ではないけれど、素材ごとに分けられた展示にはすっかり見入ってしまった。それぞれの素材に対する、時間をかけて考えられた考えがあり、そこから様々なアイデアが生み出されていったことに心動かされた。
隈研吾著「小さな建築」の冒頭にこんな文章がある。

『建築をゼロから考え直してみようと思った。
 きっかけは東日本大震災である。あらためて歴史を振り返ると、今まで気がつかなかった、重要なことに気がついた。大きな災害が建築の世界を転換させてきたという事実である。・・・
 幸福なときの人間は、過去の行動を繰り返しているだけで先に進もうとしないが、災害に遭ったとき、悲劇にうちのめされたとき、人間は過去の自分を捨てて前へと歩き始める。』

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以前は7時のニュースを見ながら夕食をとっていた。今は国の内も外もひどい有様で、本当にうんざりする。だからもうテレビは消してしまった。いつからそうしているのか、この世界はいったいどうなっているのか。
久しぶりにブコウスキーを読んだ。最近ちくま文庫に入った「ブコウスキーの酔いどれ紀行」。その中から。

『・・・人は頂上まで上りつめると、後はもっと金を集めて、もっと権力を手に入れることぐらいしかやることがなくなってしまう。酒を飲んで、食べて、・・・』
『みんなが感心したりすることにわたしはまったく感心できず、ひとり取り残されてしまったりするのだ。例を挙げていってみると、次のようなことが含まれる。社交ダンス、ジェット・コースターに乗ること、動物園に行くこと、ピクニック、・・・
 ほとんどどんなことにも興味を引かれない人間が、どうしてものを書くことができるのか?どっこい、わたしは書いている。わたしは取り残されたものについて書いて書いて書きまくっている。通りをうろつく野良犬、・・・。』
『・・・、わたしたちと一緒にハイデルベルク城に出かけた。行く途中、わたしの著書がほとんど揃っている書店に連れていかれた。しかしその場に足を運んで、自分の本を見つめてみると、うれしいというよりも気恥しい気持ちのほうが先に立った。そんなことをしたいがために書いたわけではない。もちろん工場勤めから抜け出せてよかったが、そういうことは一人で、とりわけ朝ひどい気分で目が覚めた時などに、ベッドの中でひっそりと祝うものだ。』
『魚は彼の手に吊り下げられ、死んでわたしたちの前にその姿をさらしている。長くてぬめぬめとした元殺し屋は、死んでもなお見事で、見まがうことは決してなく、余分な脂肪もまったくついていず、まやかしとも無縁で、完璧な姿だ。突き進み、激しく動きまわり、あたりをきょろきょろと見回し、泳ぎ回る、ほとばしる生命の塊。道徳もなければ、信仰もなく、友だちもいない。』


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2018年3月12日 (月)

「ルービンシュタイン自伝」

アルトゥール・ルービンシュタインの自伝を読み終わった。(原題「MY MANY YEARS」、ルービンシュタイン自伝 神に愛されたピアニスト 上・下巻 木村博江訳 共同通信社)
おもしろい・・・、と感じる所に付箋を付けていったら、100ページ以上になってしまった。絶版になっていることを本当に残念に思う。できれば読みやすく活字を組み直して、どなたか再版してくださらないだろうか。書物にこれほど強く励まされたことはない。この本を図書館に返さなくてはならないことを僕はさみしく思う。

時々吐露されるルービンシュタインの率直な考えに加えて、あふれるように記される様々な人物のエピソードが魅力だ。多彩な、ほとんど歴史上の人物たちが生身の人間として、息づかいまで聞こえるように語られる。
信じられるだろうか、ミヨー、サン・サーンス、ヴィラ・ロボス、ストラヴィンスキー、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ラヴェル、プーランク、サティ、シマノフスキ、ファリャ、シェーンベルク、指揮者ならトスカニーニ、バルビローリ、セル、クーセヴィツキー、オーマンディ、バーンスタイン、ビーチャム、バレンボイム、ウォーレンシュタイン、ピアニストはパデレフスキ、ホフマン、ラフマニノフ、コルトー、ギレリス、リヒテル、リパッティ、ホロヴィッツ、R.ゼルキン、弦楽器はイザイ、ハイフェッツ、クライスラー、ティボー、シェリング、ターティス、フォイヤマン、カザルス、ピアティゴルスキー、フルニエ、トルトゥリエ、・・・。美術や文学ではピカソ、キスリング、トーマス・マン、さらにワーグナーの娘、ココ・シャネル、キュリー夫人、パストゥールの孫、エドワード8世、チャップリン、グレゴリー・ペック、・・・。
こうした話があまりにおもしろいので、僕は人の迷惑も考えず、誰かに会うと前夜に読んだエピソードを話したりした。

プロコフィエフの2番のヴァイオリン協奏曲の初演に立ち会った時のこと。
『ヴァイオリニストが現れた。どう表現したらいいか難しいが、銀行でよく見かける、小切手を現金化するのを待っている男、とでもいう感じだった。しかし協奏曲をしっかり自分のものにしていた。美しいテーマを確固として弾き始め、巧みに展開し、オーケストラはその展開部を明確に気高く際立たせる。これこそ偉大なプロコフィエフの作品だった。音楽には静かで旋律的な流れがあり、いつものような皮肉っぽい展開はまったく見られない。続いて天から降ってでもきたような美しい第二主題が現れた。この気高い旋律線は、どんなにまずいヴァイオリニストも損なうことはできまい。私は興奮し、感動し、プロコフィエフに囁いた。
「ブラームスが書いたといっても通りますよ!まるでブラームスだ!」
セルゲイは歯をすっかりむき出して満面に笑みを浮かべた。
「そう、そう、ブラームスには学ぶところが大きかった!」』

リヒテルは若い頃、オデッサでルービンシュタインのリサイタルを聴き、ピアニストを志した。戦後リヒテルのアメリカ公演が実現し、数日後二人は夕食会で親しく話すことになる。ベートーヴェンのテンポについて口論となり、
『それを聞くと私はジャンプして、私のアダージョ、アンダンテ、アレグレット、アレグロを彼の前で踊ってみせた。そしてプレストに至ってどっと椅子に倒れ込んだ。それが床の上でなくて幸いだった。二人のピアニストが互いに意見を交わし合った素晴らしい出会いの夜として、このときのことはよく憶えている。
 翌日、私は生涯のうちでも最悪の二日酔いのひとつを経験した。医者を呼ばねばならないほど重症だった。症状を和らげる薬をもらい、ドアまで送っていくと医者はちょっと立ち止まり、にやりとして言った。
「おかしな偶然ですね。今朝もう一人ピアニストから呼ばれたんですよ ― リヒテルという名前ですが」』

数々の武勇伝もある。秀逸なものを。
『チリの首都サンチアゴで短く楽しい滞在をしてから、私は小さくてのろい飛行機でペルーのリマへ行った。到着した翌日の夜に、私はベートーヴェンのト長調、ショパンのヘ短調、チャイコフスキーの変ロ長調の協奏曲を、無名の指揮者の下でオーケストラと協演しなければならなかった。ひどい飛行機で七時間も揺られたので、リマに着いたときは半ば死んだようになっていた。
 ・・・私は半ば昏睡状態でベートーヴェンのト長調を弾き始め、なんとか奇蹟的に息を合わせて終えることができた。
「休憩にしますか?」
指揮者が訊いた。
「いや。いま休みをとると、眠り込んでしまって誰にも起こせなくなるでしょう。ですからどうかすぐにショパンを弾かせて下さい」
と私は言った。オーケストラがトゥッティを奏し始めると、私は跳び上がった。演奏しているのはホ短調の協奏曲で、予定されたヘ短調ではない。
「協奏曲が違うじゃありませんか」
私は指揮者に怒鳴った。しかしこの奇妙な男は指揮棒を振り続け、音楽を止めもしないで落ち着き払って答えた。
「ヘ短調の楽譜がなかったので、これにしました」
私はがっくり腰を下ろすと、長いトゥッティのあいだ中ぽかんと口をあけて聴いていた。そして自分の出だしにさしかかると、機械じかけのように手が動き、なんとこのいまいましい協奏曲を終わりまで弾き通したのである。この類いまれな大手柄のあとで、大きくて重たいチャイコフスキーは子供の演奏のようになってしまった。リハーサルが終わると、私は人手を借りて車に乗り、ホテルの部屋まで運ばれた。そしてベッドにもぐり込むと何も食べずに十二時間以上眠り通したのである。コンサートではヒナギクのように爽やかな気分で演奏した。』

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また、
『・・・ステージに上がる十分前に電報を手渡された。
<病気で入院しています。急いでお金を送って下さい ― ネラ>
 私は雷にうたれたように坐り込んだ。考えられる限りの悪い病気を思い浮かべた。耐えがたい不安に襲われた。一分後にはショパンのロ短調ソナタを弾かなければならなかったが、ここでも私の根強いプロ精神が勝ち、私はかつてないほど感情をこめてソナタを弾いた。
 強い感情は、それが愛する者の病や死、耐えがたいほどの嫉妬、絶望的な孤独、悲劇的な出来事のいずれによるものでも、私に良い演奏をさせた。演奏することは、私にとって精神的な救命具(ライフジャケット)だった。コンサートのあいだ中私は全霊を注いで演奏した。二度もアンコールを受けた。しかし控え室で電報を手に坐ると、その場でドレスデンへ発つことに決めた。・・・』

功成り名を遂げた後のこのような述懐に心打たれる。
『夜は私のものだった。家中が寝仕度にかかると、私は馬小屋まで歩いて行き、閉じこもって奇妙な音楽生活に入る。これは私にとって、まったく新しい生活だった。ある意味で、これは意外な新発見だった。単純な事実として私は練習の楽しみを知ったのである。
 読者はご存じだろうが、私の子供時代の練習は、ごまかしとまやかしだった。私は右手と左手で交互に馬鹿げた音を出して、実際はチョコレートや、季節には桜んぼを食べながら小説を楽しんでいた。その後、私は生まれつきの器用さで協奏曲、ソナタ、小品などをすぐに憶えてコンサートで弾いてみせたが、技術的に難しい楽節はペダルを上手く使ったり、激しい強弱をつけた表現で平然とカバーしたので、何も知らない聴衆には私が完璧に弾いていると思われていた。
 数多くの作品を、数多くのコンサートで何度も繰り返し弾いたので、とくに努力しなくても弾くたびに上手になっていった。皮肉なことに、私がピアニストになった当初からマスコミの厳しい批評は、ベートーヴェンに深みが足りないとか、シューマンのアプローチに詩的な要素が不充分であるとか、ショパンの扱い方に無味乾燥なところがあるといったことに終始し、決して、一度たりとも私の技術的完成度に疑問が投げかけられたことはなかったのである!というわけで、私のピアノテクニックのみじめな状況をしっているのは自分しかいない、と認識せざるを得ない時点にきていたのだ。
 サン・ニコラで過ごした夜の時間は、私の芸術に対するアプローチの転換期になった。私はショパンの三度のエチュードをペダルを使わずに明確にきちんと弾いて、しかもあまり疲労を感じなかったときには、突如として、強烈な肉体的満足感を覚えた。私は、これまで忌み嫌っていた左手の指の練習を真剣に始めた。全部の音が明確に聴こえ、ぐずな第四指がしっかりキーを押さえるのを自分の耳で確かめながら弾いた。私は情けない左手にひたすら尊敬と自信を勝ちとるために、つまらない楽節を延々と繰り返し、第四指が生命を持ち、自立していくのを感じとった。
 私は自分のレパートリーから最もよく弾く曲を次から次へとひっぱり出し、長い間無視してきたすべての小節に最大の注意を払った。ときには朝の二時、三時まで続けながら、こういった作業を何夜か行ううちに、夜ごと五、六人の人が馬小屋の周りに、静かに坐り込むようになった。私の単調な練習でも音楽に聴こえているという事実は、自信さえ与えてくれた。』

ルービンシュタインを縦糸にして、再度20世紀史を見るようだった。世界はまるで違って見える。はなやかな人付き合い(大変もてたそう)、輝かしいキャリア、家族、一方で戦争や不景気、政治など抗しがたい世界の大きな動きとの関わりも描かれる。恵まれたほんの一握りの人しか経験できないような世界を垣間見られることだけでなく、一人の人間がこれ以上ないほど生き生きと自分の人生を生きた、そのことに深く魅せられるのだと思う。
本書は多くの分量があり、しかもそれはルービンシュタインの記憶による(驚くべき記憶力だ)。彼の中をくぐり、きっと様々な人々にも語られたエピソードは多分おそらく、脚色されている。だからいっそう目の前で繰り広げられているような臨場感があるのだろう。

ところで、21世紀に生きている僕は充分に生きているだろうか。自分の人生の10分の1も生きていない気がする。もう少し勇気を出して、まずこの10分の1を生きてみよう。

2018年3月11日 (日)

「本当の幸せ」

日経新聞に掲載された若松英輔さんの「本当の幸せ」という文章から。

『今日で、東日本大震災から丸七年になる。この出来事は、私たちからさまざまなものを奪った。ある人にとっては今も、奪われつつある状態が続いている。
 世の中は、「復興」という言葉のもとに再建可能なものを新しく作ることに躍起になった。しかし、私たちが考えなくてはならないのは、再建できるものを探すことだけでなく、再建できないものを見つめ直すことではないだろうか。
 失望を深めるためではない。真の意味で新生するため、それは本当に失われたのか、見失ったのかを、しっかり感じ分けるためである。
 失われた、そう感じるものの一つが「生きがい」ではなかったか。『生きがいについて』で神谷(美恵子)は、生きがいは作りだすものであるよりも、すでにあって発見すべき何かだという。苦悩や悲痛を経験すると人は、生きがいを奪われたと思う。だが、神谷はこの本で、誰も奪い尽くすことのできない、真の生きがいが存在すると語っている。そのことを彼女は、岡山県にあるハンセン病療養施設長島愛生園の人々との交わりのなかで見出していた。
 求めているものとの出会いは、かねて予想したように現れるとは限らない。むしろ、それを大きく裏切るようなかたちで人生を横切ることがある。
 自分の小さな人生を顧みても、幸福を告げ知らせる経験は、歓喜のうちに現れるとは限らず、悲痛をともなう出来事のなかで、その深みを知ることもあるように思われる。本当の悲しみは、時間と共に癒えていく、というものではないだろう。その傷は、いつもありありと存在する。だが、その出来事が扉になって、私たちはまったく予想しない世界に導かれることもあるのではないだろうか。』

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2018年2月26日 (月)

湧き上がってくる音楽を

2月25日、ローエングリンの最終日。短くはないし、毎回それなりの覚悟を持ってオーケストラピットに入っていた。今日は一つ一つの音符を弾き終えていくことをちょっとだけ残念に思いながら、惜しみながら弾いた。
初めて弾くワーグナーのオペラは密度の高い音楽だった。歌詞を理解できていたらもっと感じることはあっただろう、そうでなくても様々なパートの間で複雑に絡み合う音符を、自分の働きを踏まえながら弾いていくのは、いつも違う世界が見えてくるような試みだった。音楽は場面を変えながらどんどん進んでいく。一つのフレーズが終わる時に新しいフレーズが始まる、だからそのフレーズはどのように次につなげていくのがよいのか、こんなことを感じながら弾くのがオペラの醍醐味なのかもしれない。さらに歌が入ってくると、例えばそこに一つ入る四分音符はどんな性格を持ち、どんな速さあるいは遅さが必要で、だからどんな長さになり・・・。横に広く、楽器の配置や距離がいつもと違うピットで、少しずつ全体の音がなじんでいくのを体験するのは楽しかった。本番回数が多いオペラならではのことかもしれない。

指揮は準メルクルさん。リハーサルは言葉少なで短かった。指揮自体がよく語るので言葉はいらなかったのだと思う。本番中も彼の指揮とオーケストラが話をしているようだった。そう、演奏中に言葉を交わすことはほとんどないのだから、できることなら練習も言葉が少ないほうがいい。音楽という言葉がある。
美しく的確な指揮は音楽の色や動きまで見えるようだった。楽譜から湧き上がってくる音楽を湧き上がるままに示した、そんな気がした。それは誰のものでもない音楽だった。何かを演奏者に強いることはなかったし、それぞれの奏者の大切な場面を過ぎるとそれに対しての謝意があった。自由だった。長かったはずの仕事はあっという間に最終日を迎えていた。

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2018年2月18日 (日)

受け継ぐもの

都響はオペラ、ローエングリンの最中。昨日からオーケストラピットに入っている。

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ワーグナーのオペラは初めて。楽員の間で、あるモチーフがチャイコフスキーの白鳥の湖に似ている、という話になった。その他にも弾いているとマーラーやR.シュトラウスの曲はここから、と感じるところがたくさんある。
ローエングリンの初演は1850年。僕の勝手な想像で、ワーグナーのオペラは音楽的な内容はもちろん、規模など様々なことを含めて当時の最先端だったのだろう、と思う。規模の大きな音楽が、しかも精緻に書き込まれているのに驚く。それはきっと続く作曲家たちに強い影響を与えたに違いない。ワーグナー、チャイコフスキー、マーラー、R.シュトラウス、そうした人たちは一人一人がとても大きい。でも彼らも受け継ぐものがあり、そうして発展したものを今の僕たちは享受しているのだと思った。

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2018年2月16日 (金)

素晴らしいジャンプを

平昌オリンピックの男子ノーマルヒル決勝、日付が変わる頃テレビをつけた。風が強く吹く中、選手はスタート位置については戻り、位置については戻りを繰り返していた。深夜の寒い中で何度も待て、を繰り返す状況をライヴで見ていて、本当にすごいなと思った。おそらく10分くらい待った後で彼は(待ちきれない様子だった)見事なジャンプをした。スイスのシモン・アマン。そして後続のロベルト・ヨハンソン(髭の人です)も素晴らしいジャンプで銅メダル。驚くほかない。この人たちはいったい何だろう、と思った。凍える寒さの中で、その上自分の思い通りにならないタイミングを待つ、でも素晴らしいジャンプをする。

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2月16日の日経新聞に掲載された三浦知良さんの記事はやはりオリンピックに触れていた。その中から

『・・・例えばスキージャンプ。4年に1度、何秒間かの踏み切りや飛躍に全てをかける。それでいて、その一瞬が必ずしもいい環境に恵まれない。気まぐれな風。寒さ。悪条件。過酷というか、不条理にさえ思えてくる。
 色々な条件がピタリとかみ合わないと、自分のパフォーマンスを出し切れないときは僕にもある。・・・』
『考えてみればストリート育ちのブラジル選手は、どんな条件でサッカーをさせてもうまい。いい芝生、硬い地面、ぬかるみ。様々な状況でやってきて、本当の意味で使える技術を持っている。僕自身もブラジルに渡った10代にはあらゆる悪条件でサッカーをした。「こういう場でもプレーできなければ、本物じゃない」と言い聞かせながら。
 経験とは、いろんな条件の下で戦い、生きてきた幅のことだ。そして生き残るということは、状況に順応できるということ。理想の条件ばかりは望めない。言ってみれば、僕らには泥沼しか与えられない。それでも合わせていく。それを「力」とも言い換えられるのだろうね。』

2018年2月 8日 (木)

シューベルト

海へ。海の上に雲が出始め、雲の透き間には短い虹も見え、振り返ると山側には黒い雲がかかっている。夕立の時の雲と同じ、でもまさか、と思っていたら雪まじりの雨が降り始めた。空気が動いているときの景色はドラマチックだ。夢中で写真を撮っていたら、シャッターを押せなくなるくらいの寒さになっていた。

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「群像」2018年1月号に掲載されたヴァレリー・アファナシエフと吉増剛造さんの対談から。
『先ほど吉増さんが触れられたシューベルトの最後のソナタは長い曲なので、構成をまとめるのが難しいと言う人がいます。でもわたしは、個々の要素をうまく一つにまとめようとは考えないほうがいいと思います。一度自分の中で作品の和声感を完全に感じることができるようになれば、好きなように、自由に弾いていいんです。これは矛盾した結論と思われるかもしれません。しかし、いったん自分の中で空間と時間の使い方が確立されてしまえば、形式は自然と現れるので、その中で自由にいろんなものが作れるようになるのです。』
『メロディーとハーモニーの関係は音楽家がもっと真剣に考えなければならない問題ではないでしょうか。このところよく思うのですが、メロディーは、いつも邪魔されるというか、中断されてしまう危険をはらんでいます。しかしハーモニーは、いつもそこに存在しており、それだけで完璧なものです。実際にコンサートホールで演奏しているときにも、ハーモニーの働きによってメロディーそのものが横に延ばされ、時間を拡張されたハーモニーになってくるときがあります。そうなると、もうわたしではなく、コンサートホール自体が演奏しているようになる。演奏していると、そんなことが起こるのです。』

演奏という感覚的なことを言葉にするのは難しい、でもアファナシエフはまさに言いあらわしていると思う。新日フィルにいた頃、彼が指揮する演奏会があった。プログラムはシューベルトの「未完成」とブルックナーの9番(どちらも未完の曲だ、でもどちらも見事な曲だ。)。指がぬっと出てくるような指揮は独特だったけれど、音楽はよく伝わってきた。

『・・・シューベルトは決して音楽に成長を強いようとしたりはしないんです。言うなれば、一人の人間の中から何かが自然に成長していく。だから作曲するときにも、ずっとこのままだと単調だから、ここで違うフレーズを入れよう、などとは考えない。・・・』(アファナシエフ)

昔クリスチャン・ツァハリアスにシューベルトの変ロ長調のピアノ三重奏のレッスンを受けた時、彼は「シューベルトの音楽は、今ここにいることの心地よさだ」と言った。その言葉に目を開かれるようだった。このピアノトリオも、他の多くのシューベルトの作品と同じように、旋律が何度も何度も繰り返されていく。転調やモチーフの小さな変化は伴うけれど、ベートーヴェンのように大きな展開をしたり、その恩恵を受けた壮大な結末を迎えたりはしない。旋律は湧き続ける泉のように自然で美しく、どんな小さなモチーフにも、いつまでも手元に置いて弾いていたくなるような愛らしさがある。こうした音楽に接するといつも、書いた人に畏敬の念を覚え、同時にこんなに素晴らしいものを残してくれたことにただただ感謝したくなる。こんな音楽を書くことができたなんて。

アンドラーシュ・シフがフォルテピアノで録音したシューベルトの即興曲、ソナタ(D894、D960)のCDがある。シフが書いたライナー・ノーツから。

『・・・19世紀には(さらに後になっても)、シューベルトはビーダーマイヤー風にセンチメンタルで無邪気に演奏されがちであった。彼のドラマチックな才能、その音楽の暗い力と計り知れない深さは、正当には認識されていなかった。爆発力と力強いクライマックスだけでなく、シューベルトが他の誰にも比べられないほど我々の心に迫るのは、静かな、最も静かな瞬間なのだ。彼の楽譜ではpとppが支配的である。pppも稀ではない。・・・』

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僕がたった一冊持っているピアノソナタの楽譜が、シューベルトの最後のソナタ(D960)だ。初めて楽譜を開いた時、冒頭がピアニシモで始まることと、重ねられている音の多さに驚いた。今日楽譜を開いて、冒頭だけでなく、第2、第3楽章もピアニシモで始まることに気付いた。これほど規模の大きなソナタがピアニシモで始まることは普通ではない。きっと大切なことは規模ではなく、まるで自分一人のために書かれたかのような親密さなのだと思う。

ルービンシュタインがシェリング、フルニエと録音したシューベルトの変ロ長調のトリオの素晴らしい録音がある。ライナー・ノーツはリン・S・マッツァが著し、書き出しには様々な人の言葉がある。
『シューベルトは、死というものにまっすぐ向き合うことができた唯一の作曲家だろう・・・・自分が死ぬとき、私は周りに誰もいてほしくない。威厳をもって死ぬために森の中に消えていく動物のように、私は死にたい ー たったひとりで」(ルービンシュタイン)
『人生は時によって、われわれの愛や成功や自由や健康や幸運を奪い取ってゆく。しかしながら人生はわれわれの思考、想像力、あらゆる芸術や本や花への愛、そしてあらゆるものへの興味を奪うことはできない』(ルービンシュタイン)
『音楽は、人間本性がそれなしではすごせないようなある種の快楽を作り出す』(孔子)
『シューベルトのトリオ(Op.99)を一瞥するだけで、われわれの人間的な経験における困難は消えうせ、世界は再び新鮮で輝かしいものとなる』(シューマン)

こんなに印象的なライナーノーツはそうない。それぞれの言葉の出典が記されていないことを残念に思う。もしかして何かわかるかもしれないと思い、ルービンシュタインの自伝を図書館で借りてきた。生き生きとした冒険譚のようなこの本の後ろには、今は使われなくなった図書カードが挟んであった。日付は全て昭和だった。

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