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2009年4月

2009年4月30日 (木)

旅行中に考えたこと

シンガポールで驚いたことの一つは、様々な民族、宗教、言語が狭い地域に、少なくとも僕の見た限りでは共存しているように見えたことだ。そのために厳しい法律があり、きっと人々もうまくやっていくための知恵を持っているのだと思う。
とんでもない所得格差はあるだろうが、それでも多様な肌の色の人々が対等の存在としているように感じた。

演奏旅行中も都響の楽員と、インバルとの演奏会がどうだったか話をした。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ティンパニの4つの音で始まる。インバルはこのモチーフについて、どういう言葉で表現していたかは忘れてしまったが、方向性を持たないように何かをしようとしないようにしていた。そのこともとてもおもしろかった。
4拍子で、すべての拍に音があるだけなのに、どうしてこんなに生命感がみなぎっているのか。ベートーヴェンのマジックとしかいいようがない。

2009年4月29日 (水)

4月の芦ノ湖

4月はなかなか釣りに行けず、仕方ないのでソウル・シンガポールの演奏旅行には釣り雑誌を持参して、夜ホテルの部屋で眺めては気持ちを紛らわせていた。

名古屋の上飯田の釣り具店で竿を奮発した際、店員さんがPEラインとリーダーとの結び方を丁寧に教えてくれた。やはりノーネームノットは難しいので、8の字とユニノットを組み合わせた「ヨシイ・ノット」(店の方が考えたそうだ。名前が間違っていたらごめんなさい)は、揺れるボートの上でもできそうだし、リーダーの切り口もガイドの邪魔になりにくい方向に出る。

あっちゃんの演奏会から深夜に帰京して、翌朝芦ノ湖へ。天気予報では冬のような気温が出ていたのでしっかり着込んだ。実際桟橋は凍っていたそうだ。
魚が浮いていることは早くにわかったけれど、それからどうしてよいのかわからず、午前中はあまり釣った気がしなかった。いつもなかなかその日の状況がつかめない。
一方僕の腕前はともかくとして、新しい釣り竿(UFMウエダのTSS-68Ti)は、よく飛び、高感度で、魚とのやりとりも楽だった。素晴らしい!「ヨシイ・ノット」もばっちりである。

午後はにわか雨の予報だったので、風向きと雲の様子はずっと気にしていた。風が北向きになると温泉の硫黄の臭いが降りてきて、魚が釣れなくなるような気がする。
いつも午後になると寒くなって魚の反応もなくなるので期待していなかったのだが、幸い雨も降らず、南風が吹いてあたたかくなってきた。魚の活性があがったのか、沖の表層にルアーを投げると入れ食いのようになった。うーん、もう30分釣りができたら・・・。
でも魚がよく釣れる事に慣れていない僕はすでにその時点で右腕がパンパンになっていたから、よかったのかもしれない。とにかくぎりぎりまで釣りをして、キャンプ場沖から桟橋まで全速力で漕いで戻った。

筋肉痛になったけど、楽しかったな4 ぁ。

酒井淳 クラシカルチェロ・リサイタル

4月27日、名古屋の電気文化会館で久しぶりに酒井あっちゃんの演奏を聴いた。
プログラムの始めと終わりにモーツァルトの主題によるベートーヴェンの変奏曲を持ってくるなんて、よほどのことがなければできない。その中にフォルテピアノのソロでモーツァルトの幻想曲と、F.X.モーツァルトのグランド・ソナタ、ダンツィのモーツァルトの主題による変奏曲を入れた、実に気の効いた構成だ。
F.X.モーツァルトのことは全く知らなかった。素晴らしい演奏で、とてもいい曲というのがよくわかった。けれど、ものすごく難しそうだ。フォルテピアノとの組み合わせもよかった。現代の強力なピアノが後ろにいると、あんな伸び伸びとしてニュアンスにあふれた演奏は困難だろう。僕も楽譜は買ってみよう。

小さい頃からずっと、あっちゃんは抜群だ。

2009年4月27日 (月)

シンガポール航空のA380

23:40発の帰国便は最新の総2階建て、シンガポール航空のエアバスA380。もちろんエコノミークラスだが、いつもよりほんの少し座席と座席の間が広いような気がする。エンジンの音も少しだけ静かな気がする。残念ながらこんなに大きな飛行機でも、揺れる時は揺れる。ようやく少し寝たら朝早くに朝食で起こされた。日本の航空会社のようにあまりほっておいてくれない。
強い偏西風のおかげかずいぶん早く成田に着いた。着陸は、なんだかどっしりしていた。

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2009年4月26日 (日)

ディープ・シンガポール

4月20日。飛行機は深夜なので昼から街に出る。
オーチャードロードの有名ブランド店をひやかしてからリトルインディア(インド人街)へ。

びっくりした。シンガポールに来てやっと地に足が着いた。この国にも雑然としたところがちゃんとあるのだ。貴金属の店がまず目につき、レストラン、服、中古の携帯電話、果物、花、などを扱う店が道の両側にびっしり並んでいる。
少し歩いてから、芯まで冷えたココナッツの実のジュースを初めて飲んだ。ポカリスエットの天然版という感じで元気になる。清潔ではないけれど、生活がここにはあってほっとする。あの巨大なビル群がすべてではなかった。
僕たちが入ったレストランのカレーは、残念ながら特別美味しくもなく、寺院を見て、路地裏を通りながらアラブストリートの方へ歩く。路地を一本奥に入ると、ディープ・シンガポールとでも言いたくなる光景に出くわした。
かなりの種類の海産物の乾物を扱う店の近くはけっこうな臭いがした。あるレストランの裏手を通ったら、ひたすら魚の頭を落としていた。気味が悪くなるくらいの量だ。カレーの材料だろうか。食材を見てこの国の力を感じた。
道端にミシンを出している人もいた。きっとこれも生業なのだろう。

アラブストリート(イスラム教徒が多く暮らす地区)に入ると、雰囲気は一変する。もっと整然としている。リトルインディアは貴金属店が目立ったが、こちらは絨毯や織物などの店が多い。街中のブランドショップに行くより、もっとシンガポールらしいお土産が見つかる場所かもしれない。ちょっと近寄りがたい感じのするモスクを遠巻きに眺めて、そろそろ暑さでへばってきたのでホテルに戻る。ものすごくおもしろかった。
午前中雷雨があって涼しくなっていたのだが、日差しが戻るとまた蒸し暑くなった。

ソウルでは白黒フィルムで写真を撮った。シンガポールでは色がほしくてデジタルカメラの出番だった。

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2009年4月25日 (土)

エスプラネード

4月19日。シンガポールの演奏会場エスプラネードの外観は、ドリアンのようだと言った人がいたけれど、確かにちくちくしている。楽屋に入る際厳重なセキュリティチェックがあるのは、ここがテロの標的にされたことがあるからなのだそうだ。でも舞台袖では、楽器が置いてあるのにかまわず現地スタッフがシングルギアの自転車で走り回っている。不思議なところだ。

舞台の音響は、ドーム型の天井の影響だろうか、どこかに音の焦点があるような感じだった。場所によってすごく差があるかもしれない。ピアノ協奏曲の時には、ピアノの直接音と後ろの壁に跳ね返ってくる間接音と、いつもずれて2つきこえた。

開演前になると舞台袖の照明はぐっと落とされ、あたり一面真っ青になった。もう少し明るくてもいいのになぁ。
2日休んだ後に弾いたチェロはやはり楽しかった。今いろいろなアイデアが浮かんでいるからもっと弾いていたいのだけれど、明日も楽器にさわれない。

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2009年4月24日 (金)

「アナバシス」

シンガポールに着いてから、クセノポン著「アナバシス」を読み終わった。文句なしにおもしろかった。

記憶違いでなければこの本は、プラドのカザルスフェスティバルで講習を受けた後、コンクールを受けるためにジュネーブに滞在していたとき読む本がなくなって、日本にいる父に助けを求めて何冊か送ってもらったうちの一冊だと思う。94年に印刷された岩波文庫はすでに紙が変色しかかっている。
1ヶ月半のヨーロッパ滞在中、やはり日本語の活字は貴重だった。ぼろぼろになった週刊文春が日本人旅行者の間で読み継がれていたりした。

その時結局アナバシスは読まなかった。歯がたたなかったのだと思う。
今回もギリシア人の名前には苦労したけれど(クレアノル、クレアルコス、クレアンドロスなど本当に混乱する)、現代よりはるかに濃い人間同士の交渉(紀元前400年頃の話)が実に魅力的だった。戦いの描写も簡潔であるからかえって力強い。

あの頃はまったくこのおもしろさがわからなかった。本を人に勧めることの難しさはこういうところにもあると思う。

2009年4月23日 (木)

シンガポールの交通

泊まっているホテルの周辺の建物は巨大で高さがあり、物事は基本的に建物内と地下ですむようになっているようだ。建物が膨張して街になっている。暑さのためだと思う。
反対にソウルは路上に生活があふれていた。ソウルの車は右側通行の左ハンドル、運転はひどく積極的で道路は車でいっぱいだが、日本車はあまりない。シンガポールは日本と同じ左側通行の右ハンドル。こちらには高級車がたくさん走っている。

地下鉄はどちらも清潔で近代的だった。シンガポールの地下鉄でおもしろかったのは、たとえ一区間でも切符を買うときに1$のデポジットをとられることだ。いちいち買う切符がスイカやパスモのようになっている。

街の各所に巨大なビルを建設中で、日中の倒れてしまいそうな暑さでも工事をしている。そのすぐ下には有名ブランドの店があってにぎわっている。貧富の差はすごそうだ。

街には実に様々な顔立ちや色の人たちがいる。こんなに混在している国には初めて来た。

昼間に、ベトナム戦争時代の水陸両用車に乗る「あひる」ツアーに参加した。街を少し回ってそのまま海に入る。実用一点張りの車両はおよそ乗っている人間のことは考えられていないようで、ごつごつした乗り心地とエンジンの騒音と暑さと、おまけにガイドの説明が大声で入り、ちょっと疲れた。こんな道具で戦争をしていたのだなぁ。

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2009年4月22日 (水)

シンガポール到着

ソウルからシンガポールまでは空路6時間ほど。アジア内の移動と思って油断していたら、6時間狭い席に座っているのはやはり楽ではなかった。エコノミークラスのシートはわざと居づらくつくってあって、お金をためてビジネスに乗るように、という意図があるのではないかといつも思ってしまう。

飛行機がチャンギ空港に降りたってまもなく、窓に一面水滴がついた。肌寒い陽気のソウルから熱帯に来たのだ。湿度で空気は重いが、緑が多く清潔な街と快適なホテルにほっとする。

明けて18日、日経新聞の記事「自治体‘お抱え‘オケ苦境」でいきなり現実に引き戻される。
午前中は部屋でゆっくり新聞と本を読む。楽器は別送なので、今日もさらえない。このところ手の疲労がたまっていたのでいいのかもしれないが、でもチェロが弾きたい。たまにはこんなゆっくりした演奏旅行も悪くないけれど。
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2009年4月21日 (火)

4月16日ソウル

4月16日ソウル。昨晩焼き肉を食べていた時、僕が昔スイスの講習会で酔っぱらって倒れて前歯を折った話で大変盛り上がった。今日の朝食で奥歯の詰め物が取れてしまい憂鬱になる。やれやれ。帰ったらすぐ歯医者に行かなくては。
午前中時間があったので、地下鉄に乗って古い町並みのあるあたりを目指す。さんざん歩き回った後、ほんの通り2本分だけ静かな地区を見つけた。時間が止まっているようだった。久しぶりにフィルムでも写真を撮った。

ソウルの街を歩いていると、いろいろな露店がでていておもしろい。乾物や野菜、果物はもちろん、ざる売り、靴下売りなど。
方向を見失って地図を見てあれこれ相談していると、必ずといってよいほど通りがかりの人が日本語で助けてくれた。本当に親切だった。

夜は世宗センターで演奏会。チャイコフスキーの協奏曲や、5番の交響曲では不思議なところで拍手が出かかる。
舞台は一部が可動らしく、僕のいる場所は時々地震のようにゆらゆら揺れた。こんなところで舞台が落ちてほしくないなぁ。

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2009年4月18日 (土)

6月20日のプログラム

6月20日に文化会館のロビーで弾く演奏会のプログラムを考えている。

当初バッハはそんなに弾きたいと思ってはいなかったのだけれど、インバルの演奏会を通してやらなくてはならないことをいっぱい見つけたし、ケラスの素晴らしい録音が大きな刺激になっていて、6番を入れたくなってきた。全曲は長いので舞曲を減らそうか・・・。
アローン以外にもソリマの曲を、と思って何冊も楽譜を取り寄せてはみたが、譜読みがもう間に合わないかもしれない。
ブリテンの組曲も弾きたいし、コダーイもしばらく弾いていないのでどれか一つの楽章だけでも弾きたい、となると手の負担が大きすぎる。

さて、どうしようか。

2009年4月17日 (金)

二つが一つ

こんな苺を見つけた。

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2009年4月15日 (水)

シンガポール

旅行の案内書によると、シンガポールにタバコを持ち込む際、一本から課税され(一本につき35.2セント、一箱でおよそ450円)、無申告の場合罰金は最高5,000シンガポールドル。最近禁煙した同僚は安堵していた。僕は吸わないから直接関係はないけれど。

持ち込み禁止品はチューインガム、ニコチン1.3mg以上又はタール15.0mg以上のタバコ、肉製品、麻薬、武器類。
公共の場で泥酔状態で発見された場合、1,000S$以下の罰金が課せられる場合がある。等々。

初めてのシンガポールはどんな国だろう。

2009年4月14日 (火)

旅行の準備

一人で楽器と荷物を持って遠くの国へ長期間出かけるような昂揚や緊張はないけれど、それなりに準備をしている。ソウルとシンガポールはかなり気温差があるらしい。

今朝になって、僕の携帯電話が外国では使えないことがわかった。
外国にいる時くらい携帯から離れたっていいのだが、今回はなんとなく身につけていた方がいい感じがして、でもこのために機種を新しくするのも馬鹿げているので、結局レンタルすることにした。

「ノルウェイの森」を読んでいてすごくおもしろかったことの一つに、携帯電話が当時存在しなかったことがある。付き合っている者どうしが手紙を書いたり、寮の電話にかかってくるのを待っていたり、相手の家に電話をかけたら家の人が出たり。
携帯の出現で何かが決定的に変わってしまった。今やほとんどの人が自分専用の高性能な電話機を持ち、始終いじくっている。何もなかったところに生活を変えてしまう巨大な産業が出現したのだ。

2009年4月13日 (月)

ケラスのバッハ

ドビュッシーとプーランクに引き続いて、ジャン-ギャン・ケラスのバッハのCDを買った。うぅむ、こんなにチェロが弾けたら・・・。人生はずいぶん違ってくるだろう。
最近まったく使っていなかったipodに入れて、韓国・シンガポールへの演奏旅行に持っていこう。立体的な演奏の秘密が少しわかるかもしれない。

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2009年4月12日 (日)

今年の桜

3月末の福岡は桜の見ごろだった。4月はじめの新潟はまだ咲いていなかった。

東京は長い間咲いていて、上野の人出もずいぶん多かった。入学式の頃まで桜が咲いていたのは最近では珍しいのではないだろうか。散った花も美しいと思った。Photo_3

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2009年4月11日 (土)

ラロの協奏曲

4月10日の都響定期のソリストは堤剛先生でラロのチェロ協奏曲。
うまく表現できないのだけれど、音楽の真ん中にあるまっすぐな道を進んでおられるような、素晴らしい演奏だった。いつお会いしても、僕のような者にさえ敬語を使われるので恐縮してしまう。演奏だけでなく、あたたかいお人柄や機知に富んだ冗談など、本当に素敵な方だ。

ラロの協奏曲で忘れられないのは94年にアメリカのアスペン音楽祭でイェフダ・ハナーニさんに受けたレッスンのことだ。
初めて行ったアメリカで右も左もわからずうろうろしていた僕は、バッハの5番とラロを受けたのだと思う。ラロを弾いたのは公開レッスンで、そのレッスンのインフォメーションは毎週発行される分厚い音楽祭のプログラムに挟まれた紙切れ一枚でしかないのに、レッスン場は明らかに専門的には音楽に関わっていない人たちでいっぱいだった。アスペンが高級リゾート地であるにしても、一般の人たちがチェロの公開レッスンに詰めかけて興味津々で聴いていることに、あの国の懐の深さをみたような気がした。
ハナーニ先生のレッスンはあたたかく(それまでレッスンでそんなにあたたかく迎え入れられたことはなかったので、すっかり戸惑ってしまった)、その場にいる誰もが幸せになる雰囲気と、知的な分析、独特な歌いまわしや濃い音色がとても魅力的だった。
翌年参加した、プラドのカザルスフェスティバルでもお世話になった。あの頃シンシナティの大学で教えていらしたはずだが、今もお元気だろうか。

2009年4月 9日 (木)

6月8日、名古屋の宗次ホールで

10月初旬にに東京と名古屋でリサイタルを開くのだけれど、東京に出てから20年近く過ぎ、前に名古屋でリサイタルを開いてから6年たち、このところ名古屋がちょっとだけ遠くなってしまったので、6月にも名古屋で演奏させていただくことになった。
6月8日、宗次ホールで11:30開演、いつもとは趣向を変えてチェロの名曲を集めたプログラムを組んだ。白鳥やハンガリー狂詩曲といった子供のころから何度も弾いてきた曲に、僕にとっても新鮮なプーランクやソリマを加えた。久しぶりのソロは本当に楽しみだ。
全席自由で\1,000です。問い合わせは、大変お手数ですが、
ルンデ 052-861-0162
までお願いします。

演奏会の予定を更新しました。

2009年4月 8日 (水)

仙川駅前の桜

今でも月に一回くらい、仙川に髪を切ってもらいに行く。学生時代から同じ店だ。

駅前の桜は再開発する時に伐られることになったのだが、署名運動が起きてまもられた。春になるといつも、よかったなと思う。

今週の一枚を更新しました。

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2009年4月 7日 (火)

「絶対帰還」

新潟から帰京する電車の中で読み終わったのがクリス・ジョーンズ著「絶対帰還」。椎名誠さんがすごくおもしろい、と書いていた本だ。
宇宙ステーションに滞在中の宇宙飛行士3人が、スペースシャトル「コロンビア」の悲劇的な事故によって計画に大きな狂いが生じ(彼らを乗せて帰還させるはずのシャトルが飛ばなくなった)、いったいどうやって地球に帰るのか、というノンフィクション。途中宇宙開発の歴史のような話になると少し中だるみ気味になるが、後半は一気に読ませる。無重力下での長期滞在が体や精神に及ぼす影響など、知らなかったことが多い。

日本人飛行士が搭乗するとスペースシャトルの打ち上げはニュースになるが、一般的には以前のように大きくはとりあげられなくなっていると思う。しかし5機のシャトルのうち、2機(チャレンジャーとコロンビア)が事故で失われたことを考えると、宇宙に行って帰ることが決して日常的なことでも簡単なことでもないことがわかる。

2009年4月 6日 (月)

時間のデフォルメ

2週間半、3つのプログラムが続いたインバルのシリーズも今日の新潟公演で一区切り。
特にチャイコフスキーとベートーヴェンのリハーサルで感じたのは、彼が時間的に音楽を大きくデフォルメすることだ。フレーズの中で伸び縮みさせるのはもちろんのこと、フレーズの変わり目で多く時間をとったり、モチーフによってテンポを変えたり、同じモチーフでも毎小節テンポを変えたり、そこまでやるか、と思うこともあったけど、客席で聴いているともしかしてちょうどいいくらいなのかもしれない。輪郭をよりはっきり、させすぎかもしれないが、させる。方向性を明確にし、音楽が滞ることもとても避けたがっていた。いちいちのことが本当にそのとおりだった。

僕がバッハの無伴奏を弾いて録音を聴き返すと、のっぺりした恐ろしく単調な何かでしかなかった理由がよくわかる。バッハが弾きたい。今弾いたらどんなだろう。

インバルはとてもマイペースな人だと思う。例えば、「英雄」の本番の数日前に突然木管楽器を倍管(8人のオーボエ、ファゴット、クラリネット、フルートを16人にすること。確かにベートーヴェンを第一ヴァイオリン16人の編成で演奏すると、木管楽器の負担はかなり大きい。)にしたり、ベートーヴェンの強弱記号を演奏しやすいように変えたり(いつもそこで悩んだり工夫したりするのだけれど)する。指揮者はそれでいいのかもしれないし、そうあるべきなのかもしれない。オーケストラプレーヤーとは同じ舞台にいながら全く異質の職種ということになる。

2009年4月 5日 (日)

お父さんと一緒に

今日は東京芸術劇場で本番。
オピッツさんのピアノは期待どおり素晴らしかった。信じられないことにピアノ協奏曲のゲネプロは5分くらいしかできなかった。でもいつもあたたかく困難は何もなく、音楽は当然のようにそこにある、という感じだった。
こんな演奏をしてみたい。

客席にお父さんと思われる人に連れられた小さな男の子を見つけた。
小学校の低学年くらいだろうか、きれいな色のシャツにかわいいネクタイを締めて半ズボン。椅子にちょんと座って、お父さんに手を握られながら一生懸命聴いてくれていた。そのことに感心すると共にすごくうれしく思った。
僕は今でもじっとしているのは苦手だが小さい頃はなおのこと、特に演奏会を聴くのはひたすら退屈で、いつもじたばたしていたような気がする。

明日は新潟公演。

2009年4月 4日 (土)

都響の新しいロゴ

都響のロゴが新しくなった。赤は情熱、青は冷静だろうか。でもこの形は小さい頃遊んだおもちゃのブロックに似ている・・・。

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2009年4月 3日 (金)

ベートーヴェンの2番の協奏曲

明日ベートーヴェンの2番の協奏曲のリハーサルがあるので、勉強した。
5曲あるベートーヴェンのピアノ協奏曲の中で一番演奏されないのが2番ではないだろうか。僕は2回目。最初はジャパンチェンバーオーケストラで横山幸雄さんのピアノだった。その時もいい曲だと思ったし、久しぶりに勉強してやはり素晴らしい曲だと思った。
聴いたCDはレオン・フライシャーのピアノと、ジョージ・セル指揮のクリーヴランドオーケストラ。冴えたピアノはもちろん、鍛え抜かれたオーケストラサウンドも聴ける素晴らしい録音だ。フライシャーは右手が使えなくなってから、桐朋の学生オーケストラを指揮して、僕にはそれも忘れられない演奏会となった。
2番は少しだけモーツァルトに似ているような気もするけど、骨組みはもっとがっちりして、でもとてもチャーミングだ。オピッツさんがどんな演奏をするのか楽しみ。

オピッツさんとは1月の長野と名古屋、3月の福岡とみなとみらいで皇帝を演奏した。3月はチェロが外側に出て、より直接音が聴こえたせいもあるかもしれないが、その時の方が攻めていく感じの演奏だった。ずいぶん違う演奏だったと思う。インバルの指揮に合わせたのだろうか。

ベートーヴェンの交響曲では、3、5、7、9番の演奏頻度が圧倒的に多い。実際明後日からの2公演も3番だし、9番は言うまでもなく、7番について僕ですらすでに弾きすぎているような気がする。
一番好きなのは8番で、残念ながら本当に演奏する機会が少ない。東京に来てから演奏したのはたったの1回だ。初めての8番は草津の音楽祭で、同じ演奏会でヘンケルさんがトリプルを弾いたのだった。その時は何も思わなかったのだけれど。

2009年4月 2日 (木)

今週の一枚を

今日から「英雄」のリハーサルが始まった。
インバルのベートーヴェンは、もちろん今風のものではない。「Like Mahler !」(マーラーのように!)という言葉が出てしまったし、彼のやり方で演奏効果が上がるのはよくわかる。
ただ、音楽の方向性やフレーズ感、モチーフによってはっきりテンポを変えることなど、確かにその通り、ということも多い。

今週の一枚を更新しました。

2009年4月 1日 (水)

3月の芦ノ湖 その3

問題のPEラインとショックリーダーを結ぶノーネームノットもだいぶすんなりできるようになって、また芦ノ湖に出かけた。午前中はアタリすらないのに、隣のボートの人はどんどん釣っている。ボートを近づけて頭を下げて釣り方をご教授願おうと思ったほどだ。先日とは状況が全く違うことはわかるが、アタリもないのでどのように違うのかがわからなかった。

午後は時折暴力的に南風が吹く中がんばる。結局沖の底にルアーに反応する魚はいたようだ。最後の一匹はなかなか上がってこないほどのパワフルな魚だった。
昼前にPEラインが絡まってしまったので、小学校の時から知っている結び方でリーダーと結んだ。これでも十分魚とやりとりできたから、少しやわらかく考えてもいいのかもしれない。

明日からはベートーヴェンのリハーサルが始まる。

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