ネイガウス
アレクサンダーテクニークの本であまりにたびたびロシアのピアニスト、ネイガウスのことが取り上げられていたので、エレーナ・リヒテル著「ネイガウスのピアノ講義」とゲンリッヒ・ネイガウス著「ピアノ演奏芸術」を読んだ。後者は読むのにちょっと骨が折れるけれど、本を読んでこんなに音楽的に何かを得られるとは思わなかった。
ネイガウス自身の録音もいくつか出ていて、ベートーヴェンのソナタが入ったCDも聴いた。音楽とは何か、何が音楽なのか少しわかるような気がする。楽譜の表面ばかり追いかけていた自分が恥ずかしくなる。
演奏する楽器によって人間の性格はずいぶん変わってしまうと思う。でもその中でもピアノは特別だと思う。「ピアノ演奏芸術」の中に、
『ピアノよりは感覚的という点ではるかに<具体的>で表情豊かな楽器類、すなわち、人間の声、フレンチホルン、トロンボーン、ヴァイオリン、チェロ、その他に比べて、ピアノの音にはある種の抽象性があります。この<抽象性>、<知的探求性>でさえ、強いて言うなら他と比べることのできない高度な資質であり、争う余地のないピアノの特性であるとも言えます。ピアノは楽器のなかでもっとも知的であり、それだからピアノはもっとも広い演奏範囲を支配し、はてしない音楽上の巨大空間を引き込んでくるのです。
・・・・・
ピアノは―私の考えでは―もっとも知的な楽器で、他の楽器のもつ官能的<肉体>はもっていないというまさにこの理由からこそ、ピアノのもつ豪華きわまりない可能性のすべてを完全に解明するためには、演奏する人の想像力のなかにより感覚的で具体的な音のイメージが存在することが、許されるとともにまた必要でもあり、さらには人間の声や、地上に存在する各種の楽器の音に具体的に現れるさまざまな様相を呈した現実的な音色や音の味わいが、演奏家の心にすでに宿っていることが、許され、また必要でもあります。しかしこれらすべてをピアニストが完全に知り、感じなければならない主な理由は何でしょうか?
・・・・・
ピアニストはたったひとり、孤立無援で一つの楽器と対峙し、だれの援護をも必要とせず、絶対的に統一性のあるイメージを生みだし、何か、最高の、完璧なもの―ピアノの作品― を創造していくからです。音楽すべてがピアニストの手にかかっている、彼ひとりにだけかかっているからです。・・・』
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