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2009年11月

2009年11月29日 (日)

心に思い描く

東京都写真美術館でサルガドの写真を見て、何より被写体に対する思いが大切と思った。

チェロを弾く時、技術や楽器の状態など実に様々な外的な要因も関わってくる。今までそういうことにばかり気をとられていたと気付いた。技術を訓練しておくことはもちろん欠かせない。楽器はセッティングによって、弓によって、松脂によって、弦の組み合わせによって、エンドピンによって、床の状態によって、音が違ってくる。
楽器の状態に心をくだいてそこから出る音を物理的にどうかしようとするのではなく、どんな音楽を、どんな音を、どんな音色を、どんな音程を心に感じられるか思い描けるか、そこが全てといまさら気付いた。気付くには、恥ずかしいことにずいぶん時間がかかった。

そう気付いたらチェロを弾くことが本当に自由で幸せなことになった。長いこと楽器を弾く技術にものすごくとらわれていたのだ。楽器のよく鳴る状態もつかめるようになった。これまでチェロを生かせていなかった。

こうしたことをトリプルを弾いた時や10月の演奏会の時にわかっていたら、とは思う。でもあの時必死にさらったらから今いろいろなことが遅いながらもわかってきたのかもしれない。

2009年11月27日 (金)

寄り道

今でも月に一回仙川に行って、学生時代と同じ店で散髪をしている。髪を切ってくれるKさんも自転車が好きなのでとりとめもなく自転車の話をして、その足で吉祥寺の鞄屋グーワタナベさんのところに行った。こういう時にするすると移動できるのが自転車のいいところだ。
グーワタナベさんの店内には鞄を展示するための自転車が何台もある。古いカンパニョーロのパーツで組まれた(後ろの変速は5速!)ロードレーサーや、ものすごくクラシカルな自転車用距離計(イギリス製のサイクロメーター)などおもしろいものがいっぱい。
自転車がたくさんあるので、パンクの修理を、と言ってくる人がいるそうだ。

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2009年11月26日 (木)

都響にも

都響の主要な業務の一つに小中学生のための音楽教室がある。
舞台から客席を見ると、子供も先生も全員マスクをしていることが時節柄めずらしくなくなった。予定されていたオーケストラと一緒に子供たちが歌うプログラムが中止されることもある。感染の危険ということらしい。
他のオーケストラでは学校側の事情により音楽教室が大幅にキャンセルされることがあったようだ。規模によってはオーケストラの経営にまで影響してしまう。

都響の団員の中にも新型インフルエンザに感染する人が少しずつ出てきている。団員間の感染は今のところない。
いつもリハーサルをしている場所は、この季節になるとかなり乾燥するし人間が密集しているわりには容積も少ない。それに難しい曲、あるいは緊張を強いられる場面では一時的に免疫力が低下するのではないか、と思ったりする。オーケストラは見かけより、特にメンタルな面で、タフな仕事だと思う。

先日ブルックナーの5番を演奏して、僕はブルックナーの交響曲を2番から9番まで全部弾いたことになる。音の多さ読みにくさでこの曲は群を抜いていると思う。あの臨時記号の羅列から無傷で帰ってくることは本当に難しい。弾き終わったらさすがに疲れを感じた。でも幸い元気のまま。

2009年11月23日 (月)

バン・クライバーン国際ピアノコンクール

辻井伸行君が優勝した時のバン・クライバーン国際ピアノコンクールの模様が放映されて、とても興味深く見た。

たまたまテレビをつけたら辻井君がシューマンのピアノ五重奏曲を弾いていて、この上手なカルテットはどこだろうと思っていたら、それがコンクールの予選だった。課題にシューマンやブラームスの五重奏が入っているのはとてもおもしろいと思った。カルテットのメンバーとどのように音楽を作っていけるか、ということも審査の対象になるらしい。そのカルテットはタカーチだった。タカーチ・カルテットと共演するなんてなかなか大変なことだと思う。
審査員にメナヘム・プレスラー(ボザール・トリオのピアニスト)もいて、彼のコメントもおもしろかった。
辻井君が本選に進むことが決まった時点で、彼の師匠である横山さんが日本から駆けつけてレッスンをしたり、母親やマネージャーが付き添っていたり、総力戦という印象だった。すごいなぁ。
本選のオーケストラのコンサートマスターは、ヴァイオリンのあごあてからあごがすっかり外れて弾いていた。熱演するとそうなるのだろうか。

優勝者には3年間のコンサートツァーが約束されるそうだ。これはとても大きなことだと思う。彼がこのコンクールに優勝してちょっとしたフィーバーになった。これまでも誰かがコンクールで優勝するとブームになることがあった。僕ごときが言うことではないのだけれど、誰に対しても長くあたたかい目で見守ってほしいと思う。コンクールは一瞬でも、その後ほとんどの人が何十年ものキャリアを生きていくのだから。

2009年11月21日 (土)

サルガドの「アフリカ」

昨日は久しぶりの休みで東京都写真美術館にセバスチャン・サルガドの「アフリカ」を見に行った。とても重い。
3階の展示室では日本人カメラマンの作品も展示されていたのだが、サルガドを見た後で、テーマは違うにしても被写体に迫っていく強さがまったく違うと感じてしまった。音楽でも時々日本人と向こうの人との表現の強さの違いを感じることがある。それと同じ種類の違いを感じてしまった。技術ではない、気持ちや思いの部分だと思う。

ブルックナーの5番

明日からブルックナーの5番のリハーサルが始まる。聴いたCDはチェリビダッケ、ミュンヘンフィルのライヴ録音で1986年サントリーホールでの来日公演のもの。
演奏も録音も素晴らしくて驚いた。もともとFM東京(当時)が放送用に録音していたもので、いずれ破棄されるはずだったそうだ。FM東京には1972年のフルニエの来日公演でも素晴らしい録音があって、そちらもCD化されているが、いいディレクターやエンジニアがいたということだろうか。

80年代から90年代にかけて何度かチャンスがあったのに、チェリビダッケとミュンヘンフィルの演奏を実際に聴かなかったことを、今となってはとても残念に思う。
この十数年音楽をとりまく環境にも大きな変化が起こったと思う。音楽は便利で簡単で表面的で、時として物語まで必要とするようなものになってしまった。

CDのライナーノーツには息子セルジュ・イオアン・チェレビダーキの文章も載っている。
『これらの録音はコンサート・ホールでのすべての体験を再現できるものでないのは明らかですが、そもそも、人生の局面のすべてを完全に把握するなどということは難しいことです。そのような意味では、このすばらしい瞬間を発見したり、思い起こしたいという皆様には、ほんの一部分ではありますが、聴いていただくほうがよいと思うのです。単にそれがよいというだけではなく、父の演奏会によく足を運んでくださった方や、今となっては何にも替えがたい体験を失ってしまった方にとって、演奏会の瞬間というものは非常に大切なものであり、人生の足跡そのものとなりつつあります。私自身もそのひとりなのです。』

2009年11月19日 (木)

島で弾くこと、御蔵島

御蔵島に行った日、朝7時半過ぎに竹芝桟橋に集合してから羽田空港、さらに調布飛行場と移動して、どうにかたどり着いたのは午後3時くらいだった。無事7時から演奏できたのだけれど、乗り物に強いこと、少々のことではへこたれないことも音楽家として重要な要素と思った。欠航が知らされる度に皆で笑い飛ばしながら次の可能性に移動した。メゾソプラノの長谷川忍さん、ヴァイオリンの山本知重さん、田口美里さん、ヴィオラの小林明子さん、僕、都響のスタッフ2人、いいチームだったと思う。御蔵島村役場の方にもよく支えていただいた。

島の暮らしはきっととても大変だと思う。でも、あんなに熱心に聴いていただいて本当に幸せだった。都会の普段の生活は、情報が多すぎて気持ちが麻痺しているのかもしれない。

御蔵島を出る日の午前中、島内を案内していただいた。
いくつも興味深いことがあった。集落は島の北側に集まっていること。港も北側にあり、船が接岸できないことがしばしばあること。滞在中も波が高く、港まで近づくと怖いくらいだった。
平地がほとんどないこと。水はあること。水力発電所があること。植生は低地では亜熱帯の、標高の高いところでは高山のものであること。柘植が特産で将棋の駒や櫛に使われること。風が強く、場所によっては木の枝が傾いて成長すること。イルカがいること(港の近くで2頭見た)。カツオドリの大きな営巣地があり、そこら中に墜落している個体がいること。飛び立つのが下手なので、時々人間が放り投げてあげること。
島の南側は、訪れた時は風裏になり北側とは別の場所のように暖かかった。

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2009年11月17日 (火)

「回想の太宰治」

津島美知子著「回想の太宰治」を読んだ。すごいと思った。
『・・・このような性癖は、つまりは太宰がいつも自分をみつめている人だったことを表わしている。風景にもすれ違う人にも目を奪われず、自分の姿を絶えず意識しながら歩いてゆく人だった。連れ立って歩きながら、この人は「見る人」でなく「見られる人」だと思った。近視眼であったが、精神的にも近視のような感じを受けた。彼に比べたら、世の人は案外自分で自分を知らず、幻影の交じったいい加減な自分の像を作って生きているような気がする。彼が作品の中に自分で自分のことを書いているところがいくつかあるが、よく自分を見ていると感心する。・・・』

例えばエリザベス・ウィルソン著「ロストロポーヴィチ伝」は、著者にはそう見えていたのだろう、ロストロポーヴィチを英雄的に書いていると思う。
「回想の太宰治」の視点は驚くほど冷徹で、文章も普通の人のものではまったくない。太宰治は妻の能力に気付いていたのだろうか。

2009年11月16日 (月)

すんなりとは

御蔵島での演奏会、全島の半分近く百数十人の方々がきてくださって、とても親密な雰囲気だった。
島で演奏する時いつも客席からのひたむきな視線を思う。そして音楽はこんなに大切なものだったとあらためて感じさせられる。かなりばたばたして御蔵島にたどり着いたけれど、来て本当に良かったと思った。

翌日の帰路は何の心配もしていなかったが、大島で乗り継ぐ予定のジェット船が欠航。
ヘリコプターが早めに着いたら、もしかして間に合いそうにない客船に間に合うかもしれない、というので大島空港から岡田港までタクシーをとばした。この旅はそんなにすんなりと終わらない。目に入ったのは、桟橋を離れたばかりの客船だった。
再び大島空港に戻り調布飛行場行きの便のキャンセル待ちに願いをつなぐが、思いむなしくこの日戻る手段はなくなった。

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2009年11月14日 (土)

本領発揮

今日の御蔵島公演のために本当は昨日大島に入っているはずだった。

昨日乗る予定のジェット船は悪天候で欠航。今朝早く再び竹芝桟橋に向かったらまた欠航。全日空機に乗るため羽田空港に行ったらこれも欠航。雨男の本領発揮だろうか。
調布飛行場から昼に飛ぶ大島便がある、というので今度は調布へ。大泉洋の番組「水曜どうでしょう」のような展開である。

結局この20人も乗らないプロペラ機が飛んだ。いつもの上下動に加えて左右の横滑りと、着陸時には強烈なひねり運動までついてきて秀逸な乗り心地だった。ふう。

大島ですぐヘリコプターに乗り換え御蔵島へ。素晴らしいパイロットだったそうで、無事到着。すでにひと仕事が終わったような気がするが演奏はこれから、御蔵島小中学校体育館で19時開演。

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2009年11月13日 (金)

まだまだきっと

チェロを弾くためのかなりいいウォーミングアップになることもあって、家にいるときはほぼ欠かさずピアノをさらっている。
初心者だから、例えばハノンでもできないことがいっぱいあり、それが少しずつ着実にできるようになることがものすごくおもしろい。演奏旅行に出かけて数日さらえなかった後に弾くと、今までできなかったことが難なくできたりする。さらいさえすればよい、というものではないらしい、不思議。左右対称にできている両手で、同じ音型を弾くことにもとても新鮮な驚きを感じる。頭に今まで使っていなかった部分のあることがよくわかる。
チェロで音を出すとき、弓の毛が弦に触れる瞬間には左手の準備ができていなくてはならない、つまり、だいたいいつも左手が右手に先行して演奏している。そのばらばらな両手でピアノを弾くと見事にばらばらだ。
ピアノで音階をさらうようになって(もちろん両手で)、チェロのオクターヴの重音を弾くことがとても楽になった。技術的な問題というより耳の問題だったようだ。ちょっと恥ずかしい。

ほとんどの音楽家は僕よりずっとピアノが弾けるはずだし、今僕が経験している過程をとっくにやすやすと通りこしているはずだ。これまでの僕はずいぶん欠落した部分のあったまま演奏してきたことになる。
せめてもう10年早く始めていたら、と時々思う。でもきっとまだ遅くない、まだまだ伸びしろはあると思おう。

2009年11月11日 (水)

雨男の物忘れ、オイミャコン

明後日から都響メンバーの室内楽で御蔵島に行く。この1年都響の仕事で訪れた小笠原、八丈島、大島は全て雨だった。今日から雨で、週末もすっきりしなさそうだ。

御蔵島から帰るとマーラーの4番のリハーサルが始まる。数年前に弾いているはずなのに、勉強したらほとんど何も覚えていなかった。感心したくなるほどの忘れ方だ。

先日テレビで、気温マイナス71.2度を記録したシベリアのオイミャコンという村が取り上げられていた。洗濯物をどこに干すかというと、日本と同じように屋外に干す。マイナス40度の気温で洗濯物の水分はしみだして表面に凍りつき、その氷をはらえば乾いたと同じことだそうだ。なるほど。
10月12日の日記に書いた椎名誠さんの小説の舞台もこのあたりだと思う。当然厳しい生活と想像していたのに、オイミャコンの人たちは実に屈託ない感じだった。どうしてあんなに幸せそうなんだろう。そこの人にとって本当に寒いというのはマイナス50度とか60度のことで、マイナス40度は春だ、と言っていた。気温がマイナス56度を下回ると学校は休みになるそうだ。

2009年11月 9日 (月)

偶然

自転車で出かけて、まず渋谷のマリオルッチで弦を買い(11月20日まで40パーセントオフ)、恵比寿のラボテイクで写真のプリントを頼んで(8月からフィルム3本しか撮っていない)、広尾、青山とまわって帰ってきた。都心のこのエリアは自転車で動くと本当におもしろくて、ちょうど昼時だったのでいろいろなところからいい匂いがしてきたし、知らなかった様々な店に気付くことにもなった。

恵比寿のある通りでサックスのTさんとすれちがった。先方は僕に気付いていなかったし電話もしていたので声はかけなかった。時々活躍の様子は伺っていたけれど見かけるのは何年ぶりだろう。

先日山手線に乗っていたら、以前立命館大学のオーケストラで僕がドヴォルザークを弾いた時のオーケストラのメンバーが声をかけてくれた。彼女は就職して東京でがんばっている。

よくイタリアに行っていた頃、フィレンツェの聖堂の横のジォットの鐘楼に登ったらほんの短い期間秋田でチェロを教えた親子にばったり会った。
フィレンツェの空港で、京都の講習会で毎年のように習っていたクリスチャン・イヴァルディに会った。彼はグッビオの講習に出かけるところだった。
キジアナ音楽院のブルネロのクラスの聴講を抜け出しては、毎朝必ずシエナの縞々の聖堂に行っていた。そこでたまたま観光に来ていたN先輩に会った。
夜シエナのカンポ広場でたまっていたら、ヴァイオリンを背負った見たことのある人影がぴょこぴょこ歩いている、と思ったら桐朋で同期のNさんだった。

写真に夢中だった頃、カメラを探して銀座をさまよっていたら(銀座は中古カメラの聖地のようなところだ)、三越の前で高校生の頃本当に好きだった子とすれちがった。向こうも気付いていたが、こちらはカメラにとりつかれていたので通りすぎた。あの時どうして声をかけなかったのだろう。

何年か前、名古屋駅の山本屋(味噌煮込みうどんの有名な店。うどん一杯が2千円以上する)に入ったら、店内にいる男の子と目があった。つい最近会ったはずなのに誰だっけ、としばらく考えた。当時住んでいた仙川の部屋に新聞を配達してくれていたO君だった。集金の度に顔をあわせていたのだ。三重の友達の命日だと言っていた。
ある年彼は新聞の奨学金で大学を卒業して就職したと挨拶してくれた。立派だと思う。

会ったからといって何かが起こるわけではもちろんない。思いもよらないところで思いもよらない人とばったり会う、ということは誰にでもよくあることなのだろうか。その人とかかわりのあったのとは別の場所でその人に再会するのは確率としてはとても低いことのような気がする。たまたまと言ってしまえばそれだけなのかもしれないけれど。

2009年11月 8日 (日)

お茶の水博士

今都響岐阜公演からの帰りの車中。
乗るまではいつもばたばたするけれど、新幹線の移動は好きだ。弁当を食べたり眠ったり本を読んだり、こうしたまとまった時間は意外と日常にはない。


宮田大君がロストロポーヴィチコンクールで優勝した。すごいと思う。これまで日本人チェリストは大きな国際コンクールでなかなか良い結果を残せなかった。時代が変わってきたのかなぁ。
僕は予選敗退の経験あり。

昨日の日記に書いたウィーンフィルのサンタさんについて、うちではお茶の水博士と呼んでいる、という情報をいただいた。確かに。

2009年11月 7日 (土)

サンタさんのオケコン

ウィーンフィルのサントリーホールでの公演がテレビで放映されて見た。9月17日、つまり都響の一月半前同じ会場で同じバルトークのオーケストラのための協奏曲だった。

ずいぶん違う。こうありたいと思うところがいっぱいあった。ウィーンもベルリンも、とにかく今のオーケストラの水準はとても高い。
曲の中でティンパニーの音程をグリッサンドで上げる箇所は、ペダルがない楽器だからか奏者の横にもう一人いて皮のテンションを調整して音程を変える場面があり、古いスタイルの楽器を使い続けるウィーンならではの光景と思った。

指揮はメータ。僕が持っているバルトークのCDはメータの指揮するベルリンフィルで20年くらい前の録音だけれど、今の彼の演奏はもっとドライでテンポも速くなり、より洗練されていると思った。

かなり前からウィーンフィルの映像を見るたび、名前は存じあげないが、立派な髭をたくわえ大きなお腹にコントラバスをのっけるようにして速い弓で指板の上の方を弾くベーシストが気になっていた。僕は勝手にサンタさんと呼んでいるのだが、今回も彼が映っていてうれしかった。

2009年11月 4日 (水)

東京の街

これまで東京で自転車に乗るときはいつも多摩川や荒川のサイクリングコースを走っていた。それはそれでちょっとストイックでいいのだけれど、基本的には平坦な道だし、それほど変化もなく少し乾いた感じがする時もある。

都心を走ってみたらものすごくおもしろかった。僕は車を運転しないから普段の移動は電車を使う。なんとなく東京の地理をわかっているつもりでも、それは基本的にはいつも駅を起点とした大きくはない蜘蛛の巣状のものだ。自転車で移動してみてはじめて、蜘蛛の巣と蜘蛛の巣が思いもよらないところでつながっていたり、蜘蛛の巣同士が意外と近かったりすることに気付く。駅という点が線となり、面となり、面と面がつながり、さらに東京は坂が多いから立体になる。これには時々感動する。

自転車はたとえゆっくり走っていても、地面に接しているというよりは飛んでいる気がする。そして坂の上り下りにつれて視点が大きく動き、東京の街のおもしろさが倍加する。

2009年11月 1日 (日)

赤と青

懐かしいオイドクサを張ったら楽器がまた伸びやかになった。でも久しぶりに使ってこんなにピッチが安定しない弦だったかと思った。そうした実用上の問題からまたスピロコアに戻した。ヤーガーのミディアムとスピロコアのミディアム、高校生の頃から馴染んでいる弦の組み合わせだ。チェロの調子はかなりいいと思う。でも7月にこの組み合わせを張った時には上2本がぺしょぺしょで全くだめだった。楽器は不思議だ。

11月1日からの日経新聞の「私の履歴書」は物理学者の益川敏英さん。今月は楽しみ。

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秋の演奏会のためにこの夏は過ごしてしまったから、最近少しぼんやりしている。今朝は秋晴れの下、新宿御苑にいた。たまには何をするでもなく外にいるのもいい。

最近また自転車に乗っている。外で遊んでいると秋の日の短さに驚くばかりだ。調べたら今の東京の日の入りは17時前、それがさらに進んで12月初めころの日の入りが一番早くて16時半頃。38年も生きていてようやく知った。どんどん日が短くなるのはなんだか残念だ。
芦ノ湖の水温の低下も気にしていて、禁漁前に一度くらい釣りに行けないかと思っている。

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