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2010年1月

2010年1月30日 (土)

首を長く長くして待っていた

見附さんからエンドピンが届いた日に毛箱ができたという連絡が入って、翌日朝一番に重野さんの工房に向かった。

ささくれた棍棒のような弓で力はあって音も出るのだけれど、音が散ってしまって焦点を結ばない感じがすることや高い音が神経質で薄く硬くなってしまうこと(自分のことを完全に棚に上げて言えば、上手にはきこえないということだ)、硬くて右手の負担が大きいことがどうしても気になって使わなくなっていた。

毛箱の形だけでも変えたらもしかして使いやすくなるかもしれない、と思い先月お願いした。(12月4日の日記を参照 http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/index.html
2ヶ月近く手元にないとさすがに寂しい感じがするようになっていた。

いつもの重野さんの素晴らしい仕事で新しい毛箱のついた弓は、まったく別物のようになっていた。かたくて神経質だったじゃじゃ馬のような性格は、落ち着いて少しだけしっとりとした音とバランスになった。毛箱だけでこんなに音や使い勝手が変わるとは驚きだ。世の中にはもしかして、弓自体はとても良いのに毛箱で損をしてしまっているものや、その逆のものもたくさんあるかもしれない。
エンドピンで楽器が毛箱で弓が大きく変わり、今とても新しい気持ちでチェロを弾いている。仕事で一日中弾いてへとへとになって帰ってきて、それからまた弾いたりしている。

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下の画像は黒檀のブロックから削り出した毛箱の試作。天地が逆さまになっている。

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2010年1月28日 (木)

ほんの少しだけ太いエンドピン

見附さんからエンドピンが届いた。

去年つくってもらった鉄のエンドピンはこれしかないというくらい気に入って使っていたのだけれど、ソケットとの間に少しガタがあるのが気にはなっていた。エンドピンによっては出し入れが不自由なくらいぴったりしたものがある。もし鉄のエンドピンをぴったりの太さでつくってもらったら音がより締まったりするのではないだろうか、と先月思い始めてしまった。(12月25日の日記を参照 http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/index.html

見附さんにその旨伝えたら、それはきっと百分の一ミリ単位の話だろうとマイクロゲージを貸してくださった。測ってみるとぴったりのものは10.00~10.01ミリ径、ガタが気になるものはなんと9.98ミリだった。0.02ミリの違いが大きく感じられる感覚というものは不思議だ。
ちなみに少し前に流行ったカーボンのエンドピンは10.07ミリ径くらいで、こうなると僕のソケットには入らない。

10.00ミリ径のものをつくるためには少しだけ太いものから研磨することになるそうで、はたしてその手間に値するかどうか迷ったのだけれど、結局お願いした。こんな偏執狂的依頼を引き受けてくださったことに本当に感謝しています。
実際に10.1ミリ径から研磨されたエンドピンは希望どおりぴったりの太さ(10.011ミリだそうだ)で、出し入れは丁寧にゆっくりしなくてはならないが、音は明らかに締まって大きくなった。0.02ミリ弱の隙間で振動をロスしていたのだろうか。音は本当に不思議だ。それにしても直径10.100ミリを10.011ミリにするということは、表面を0.05ミリ弱だけ研磨する僕には想像できない作業が必要となる。
(見附さんのHPは http://www.vcyoyo-mitsuke.jp/

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2010年1月27日 (水)

もっと踏み込んだところに

CDは職業上必要なものだから、じりじりと増えてたくさんある。
好んで聴くものは残念ながらわずかで、必要に迫られて買いその仕事が終わったら(始まったら)ほとんど聴かなくなるものや、なぜだかあるけれど聴かないCDのコーナーもある。でもごくたまにCDの棚を整理すると思いもよらないものがあって楽しい。

ジェシー・ノーマンのブラームス歌曲集を発見した。東京に出てきた年に買った数少ないCDのうちの一枚で、何度も繰り返し聴いた。10枚か20枚くらいしかCDを持っていなかったからそのほとんどが愛聴盤のようなものだった。
彼女の声は当時実際に松本でのオペラ「エディプス王」やリサイタル(凄みのあるカルメンだった)で聴いた。あの頃彼女の歌に何を聴いていたのだろう。聴き返してみて、独特な声質にはっきりと気付いた。大きな容れもののひとだと思った。持っている大きな力の、その十分の一くらいを使って人並み外れたふくよかな歌を歌っている感じだ。素晴らしい声に感動した。

声の質は弦楽器に置き換えると音色だろう。音色と口にはしながらよくわかっていなかった。これまで多くの色のない音を出してきてしまった。チェロの音色はもう一歩も二歩も踏み込んだところにある。今初めてチェロの弾き方を教えてもらったようで、弾くことが楽しい。

2010年1月25日 (月)

「生きて、語り伝える」

ガブリエル・ガルシア=マルケス著「生きて、語り伝える」を読んだ。分厚くて十分な読みでがあったのに読み終わるのが本当に残念だった。
若い部分の自伝なのだけれど、今の日本で暮らしている僕たちとは比較にならないくらい振幅の大きな人生で、経験が作家の形成に大きな意味を持つとしたら、彼の洞察は間違いなく深くて鋭いものだろうと思う。他の作品もぜひ読んでみたい。

2010年1月23日 (土)

今また

新しいパソコンが届いてインターネットの接続もできて一安心している。
僕の最初のパソコンはウィンドウズ95の時代で、いったいどうやってインターネットに接続したらよいのか皆目わからず、意味不明の用語であふれている分厚いマニュアルをひっくり返しながら真夜中まで格闘しても結局つながらず、さらに悪いことに翌朝起きてみたら頭の芯になんとも言えない疲れが残っていた。

早速iTunesをインストールして、あれこれCDを読み込んだ。どちらかというと仕事以外の時間は音楽を聴かないことが多くて最近までipodはほとんど眠っていたのだけれど、現代曲の仕事が続いて目が疲れるため移動中に本を読まなくなったことも手伝って、また持ち歩くようになった。思い返せば中学、高校生の頃ウォークマン(もちろんカセットテープの)は宝物で、持っていけるところにはどこでも持って行っていた。高校生の頃、バックハウスの弾くブラームスの2番のピアノ協奏曲ばかり聴いていた時があった。それなしではいられなかったのだと思う。
なぜだか今またとても音楽が聴きたい。

iTunesにはもちろんアルバン・ベルク・カルテットの抒情組曲も入れた。演奏の仕事をしていると、演奏後ずいぶん時間がたってからその曲の素晴らしさに気づくことが多い。どうして弾いている時に気付かなかったのだろうという残念な気持ちと、素晴らしさに気付いた幸せとが同居するけれど、やはりそれは幸せなことなのだろう。

2010年1月21日 (木)

アルバン・ベルク

昼間に指揮の小泉さんと都響メンバーの室内楽で上板橋第一中学校を訪れて演奏してから、上野の文化会館へ。夜は都響定期。

プログラムの最後はアルバン・ベルクのルル組曲。ベルクはこれまで叙情組曲、ヴァイオリン協奏曲やDer Wein(葡萄酒ということか)を弾いてきた。今回初めていい曲だと思った。今までは難しいとしか感じていなかったのだけれど、こんなに旋律的で官能的な音楽だったのだ。
ブーレーズの指揮するニューヨークフィルのCDを聴いたら、終曲のアダージョに女性のすさまじい絶叫が入っていて鳥肌が立った。夜中に一人で聴くことは到底おすすめできない。(もし今度聴いた時にその声がなかったらどうしよう。)
第2曲のオスティナートは曲の真ん中に鏡を立てたように書いてある。つまり、もし録音したものを逆向きに再生しても同じように聞こえるはずだ。不思議なのはある音型を逆に弾くことは本当に難しい、ということだ。

叙情組曲は憧れの曲だ。じょじょうくみきょく(Lyrische Suite)という音もいい。
僕は弦楽合奏でしか弾いたことがないけれど、常設の弦楽四重奏団にとって叙情組曲をレパートリーに入れるかどうかは、作曲者の名前を冠した団体があるくらいだし、ちょっとした決断ではないだろうか。3分と少ししかかからない第3楽章アレグロ・ミステリオーソはいったいどうやって弾くのか、という曲だ。これが1920年代半ばに書かれたことは驚きだと思う。
弾きたい曲がまた増えた。

2010年1月19日 (火)

助け舟

止まりそうなパソコンの話の続き。
メーカーのホームページの謳い文句通りならとっくに届いているはずのパソコンがまだまだ到着しそうにないので(やっと海外の工場を出たそうだ)、やむなくiTunesに入っている音楽をほとんど消してしのいでいた。

親切な方が不要なファイルを削除する無料ソフトを教えてくださった。最初英語ばかりのページで不安だったけれど、インストール後は日本語の設定もできる。早速使用したら1Gと少しハードディスクの空きが増えてほっとした。(http://www.piriform.com/ccleaner

1月下旬は現代曲ばかりの公演が二つ続く。一つめの初日のリハーサルが終わったばかりなのに、馴染みのない楽譜を凝視した目はしょぼしょぼ。

2010年1月15日 (金)

Musiliaケースの改良部品

一年以上使っているMusiliaのチェロケース、どうしてもストラップを束ねる部品が割れてしまうという問題があったのだけれど(3月23日の日記を参照http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/index.html)、発売元が改良された金属部品を送ってくださった。ありがとうございます。きっと大丈夫だと思う。
新しい製品はかみ合わせの問題も解消されているらしい

ケースの素材は柔軟性のあるカーボンで、アコードのそれとは違う印象だ。極端な例えだけれど、Musiliaはイチゴや卵のパックのようだ。細かい振動や小さな衝撃はかなり吸収してくれると思う。これに対して、アコードは卵の殻のような硬さがある。
部品を送ってもらったから宣伝する訳ではないのだが、Musiliaのもう一つよいところは、ケースが地面に接する部分に比較的大きなゴムがついていること。移動中に何度も担いだり降ろしたりする、その時にあまり気を使わなくてもいい。

チェロのケースはどれもかなり高価で、ずいぶん僕もお金を使ってきた。
Musiliaもアコードも良いケースだし、多少重いことを厭わなければアコードのハイブリッドはとても安心感がある(今の僕にはこれが重い)。初代に比べれば薄くなったブラックケースもとてもいいと思う。最近は中国製の、価格破壊(十分高価だけれど)と言いたくなるケースが流行っているようで、値段対性能を考えると申し分ないようだ。

Musilia

2010年1月14日 (木)

演奏会の予定を

演奏会の予定を更新しました。

http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/ensoukai.html

2010年1月12日 (火)

自分を把握する力

見事なまでに冬晴れの続いた東京も、今日は恵みの雨。傘をさして出かけるのはいつ以来だろう。

映画「THIS IS IT」を観た。
メディアの取り上げ方のせいか、マイケル・ジャクソンに関してはスキャンダラスなイメージしか持っていなかったし、興味もなかった。
映画はものすごくおもしろかった。

音楽家にとって、客席で自分の演奏がどのようにきこえているのか、それを把握する力が生命線だと思う。
マイケル・ジャクソンは自分の声や音楽だけでなく、踊り、舞台上での動きや位置関係、様々な演出まで素早く的確に捉えられるのだと思った。
身体能力もとびぬけている。あの体はいったいどうなっているのか。多くのダンサーの中で踊りも圧倒的に光っていた。

ミュージシャン達も素晴らしかった。僕はギタリストとドラマーが好きだった。
50公演予定されていたツアーが実現しなかったことはとても残念なことだったと思う。あのステージは多くの人々を強くひきつけるものだったろうに。

首を長くして

パソコンのハードディスクの空きが本当になくなってきて、不要なファイルは削除するようメッセージが出るのだけれど、削除できるものはとっくに削除してある。
何も入れていないし、スキャンしても悪いものは出てこないのに、気持ち悪いくらい着々と空き容量が減っていく。突然動かなくなったりするのだろうか。やれやれ。
注文したコンピュータの到着を首を長くして待っている。せめてあと1週間くらいで届かないかなぁ。


日記の更新がゆっくりになるかもしれません。

2010年1月 8日 (金)

巨匠のコンタクトシート

東京都写真美術館で開かれている「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン - 東洋と西洋のまなざし」を見た。

なんといってもおもしろかったのは二人のコンタクト・シート(ベタ焼き、ネガを直接印画紙に置いてプリントしたもの。この中から大きくプリントするものを選ぶ。インデックスプリントというとわかりやすいだろうか)が展示されていたこと。撮影の過程、秘密を明かしてしまうようなものだ。二人はコンタクト・シートも大きく違うと思う。
特に木村伊兵衛のコンタクトには展示されている作品が含まれているから、やはりそのコマが選ばれるだろうとか、どうしてこのコマをプリントしなかったのだろうか、と考えながら興味深く見た。

2010年1月 7日 (木)

話を聞く

飛行機が墜落する話なのだけれどおもしろくて、先月宮崎に向かう飛行機の中であっという間に読み終えてしまったのが沢木耕太郎著「イルカと墜落」。

年末に沢木さんのラジオ番組がJーWAVEで放送されていて、その番組もとてもよかった。僕の勝手な想像でもっと非情な人だと思っていた。番組中に沢木さんが何回かリスナーに電話することがあり、話の聞き方が上手なのに感心した。思いもよらない質問をして新しい話を引き出していく感じだった。
文春文庫版「イルカと墜落」の解説はNHKのディレクターによるもので、彼は沢木さんが「無類の聞き上手」だと書いている。

その沢木さんがラジオ番組の中でトニー・パーカー著「殺人者たちの午後」という本について話していた。トニー・パーカーが何人かの殺人者にしたインタビューをまとめたもの。彼もインタビューの名手だったらしい。
すでに先月買っておいたのだけれど年末年始に読むには重いかもしれないと思ってまだ開いていない。翻訳は沢木耕太郎さん。

2010年1月 6日 (水)

依存して

去年の暮れからどうもおかしかったパソコンがいよいよおかしい。ハードディスクの空き容量がなぜだかどんどん少なくなり、本当になくなってしまいそうだ。

この日記の更新や、メール、インターネット、画像の管理、録音した演奏の編集など、すっかりコンピュータに依存した日常になっていた。やれやれ。
慌てて最低限のデータのバックアップをとり、新しいコンピュータを注文した。今使っている機械は5年近く、大きなトラブルもなく動いてくれたからきっとそれは十分なことなのだろうと思うことにする。

コンピュータ会社はいつも機能を拡大して新製品を出す。車に例えると車体を大きくしていろいろなものを積めるようにして、見合うようにエンジンを大きくして、装備を増やして、さらに車体を大きくして・・・、というように見える。
豪華設備はないけど小回りがきいてきびきび動く、という選択がコンピュータにあってもいいと思う。

目下の心配は新しいコンピュータが届いたら、設定ができるかどうか。

2010年1月 5日 (火)

仕事始め

年末はいつものようにばたばたして、仕事始めは1月2日。3日に最初の演奏会があって、昨日からちょっとずれた正月休み。何ヶ月かぶりに気持ちのスイッチを切って、楽器もゆるめた。

2010年1月 4日 (月)

どんなことを

たいした考えもなしに年をとってきたのだけれど、あと60年も70年もチェロを弾けるわけではなさそうなので、今どんなことをしたいのかどんな曲を弾きたいのか考えてみた。

筆頭はシューベルトの変ロ長調のピアノトリオ、それからラヴェルのヴァイオリンとチェロのためのソナタ、ポッパーのチェロ2本のための組曲、カサドの無伴奏・・・。ポッパーは、小さい演奏会だけれど実現できるように動きだしている。3月に都響の室内楽で弾くベートーヴェンのラズモフスキー第1番も、実は僕のたっての希望をかなえてもらったものだ。第一楽章だけは弾いたことがあって、いつか全楽章弾いてみたいと思っていた。元日にちょっとだけ勉強したら、やはり難しい。
ベートーヴェンがその人にとってどんな音楽なのか、そこが本当に難しいところなのだろうと思う。

そしてブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲とシューマンの協奏曲も弾いてみたい。こればかりは自分だけではできないので、どこかで弾かせてもらえる機会がないだろうか、とずっと思っている。

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