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2010年2月

2010年2月27日 (土)

ヘフスさん

25日宮崎からの帰り、羽田空港濃霧の影響で飛行機が大幅に遅れた。悪天候は誰のせいでもなく仕方がない、空港の待合でオリンピックの中継を見ながらラズモフスキーの勉強が少しできた。

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26日、待望の休みは日頃の心がけが悪いせいか雨。天気が良ければ江の島で猫に遊んでもらおうと思っていたのに・・・。今月は結局1回も自転車に乗れず終わりそうだ。この日は家でくたばっていた。

27日、草加市文化会館でへフスさんの2回目の本番。トランペットの超絶技巧プログラムの演奏会なのだけれど、なにより素晴らしかったのは彼の持っている音楽の流れだったのだと思う。その素晴らしい音楽の表現手段がたまたまトランペットだった、という気がする。
演奏会でへフスさんのソロはいつもゲティケの演奏会用練習曲で始まった。2回あった練習も本番もいつもこの曲で始まっていた。なんだか好きになっていて、もう聴けないと思うととても残念。

明日からはラズモフスキーの練習が始まる。

2010年2月25日 (木)

南国宮崎へ

2月24日はトランペットのマティアス・ヘフスさんの演奏会で都城へ。

この演奏会の練習は、ヘフスさんが東フィルとジョリベやハイドンの協奏曲を吹いた二つの本番の合間にあった。こちらのプログラムは超絶技巧が売りなのだが、まったく疲れを見せずいつもジェントルで驚くほど安定している。あまりに自然にお吹きになるので、超絶技巧だということを時々忘れてしまう。
練習も本番もいつも変わらず素晴らしく、アンコールの2曲目にベルが二つある(!)トランペットでいかしたソロの曲をばっちり吹いて演奏会を締めくくった。
管弦打鍵盤楽器15人の編成でヘフスさんの伴奏の他に、13人で演奏する版の展覧会の絵などを弾いてさすがにくたくた。くたくたの打ち上げで食べる地鶏は美味しくて身にしみた。

飲みながら、当然ヘフスさんの話題になった。超絶技巧は言うまでもないのだけれど、いつも音楽の自然な流れがあることが素晴らしいのではないかということを言う人がいてなるほどと思った。
僕らのように無いところから無理やり音楽を始めるのではなく、地下の水脈のようにずっと音楽が流れていて、たまたまそれを舞台の上で演奏という形で披露する。どこにも不自然なところや力の入ったところがない。どうしたらこうなるんだろう。
ヘフスさんの演奏会はもう一回、27日に草加で開かれる。

2010年2月23日 (火)

むずむず

毎月20日は多くの雑誌の発売日で書店に行くのが楽しみな日だ。

釣り雑誌「Gijie」4月号に犀川での大型のニジマスを追う記事があって、ふむふむと読んだ。
「犀川を目指すアングラーにとって、2009年は苦しめられたシーズンだったに違いない。・・・」
そうかそうか確かに。僕が昨年一度だけ行った犀川は水量が多くていつもとまったく違う様相を見せ、小さなニジマスやウグイの反応すらなかった。釣りにくかったのはヘナチョコの僕だけではなかったらしい。
「Gijie」は休刊されるそうで残念。

さて芦ノ湖はもうすぐ解禁になる。ボート屋からメールが届くようになって、久しぶりに僕の釣りの虫もむずむずしてきた。最近は解禁当初の寒さと早起きがおっくうになっていたのだけれど、去年は楽しかったものなぁ。
あの湖でマス類は自然繁殖できないから、実はマスに関しては広大な釣り堀とも言える。それでもボート屋であれこれ教えてもらい自分でも一応作戦をたてて広い湖面にポイントを決め、最初は緻密にやがてぼんやりとする釣りは大好きだ。
1月終わりからずっと仕事をしている。そろそろ遊びたい。

2010年2月21日 (日)

さらに

東京文化会館の譜面灯でもう一つ素晴らしいことを発見した。電球の笠が熱くならないのだ。普通の譜面灯は、向きを変えようとしてうっかり素手で触ると火傷しかねないくらい熱くなる。日本のマルモという会社が作っているようだ。

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ピット裏にさらに素晴らしい落書きを発見した。今年来日したベルガモのドニゼッティ劇場には洒落た方がいらっしゃるようだ。

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オテロは、幸い大きな事故もなく今日でおしまい。

2010年2月20日 (土)

柔よく剛を

バンクーバー・オリンピックが始まってからついつい競技の中継を見てしまうことが多く、物事がはかどらなくて困る。

開幕に合わせてのNHKスペシャル「ミラクルボディ」を見た。3回の放送のうち、ジャンプのシモン・アマンを取り上げた回が特におもしろかった。大柄なジャンパーが有利とされる中で、身長172センチの彼がなぜ遠くまで飛べるのか様々な観点から分析をする。彼のバランス感覚は驚異的だった。実際、開幕してすぐのノーマルヒルで素晴らしいジャンプを見せて優勝した。

シモン・アマンの飄々とした雰囲気とともに、体の大きさやパワーではない彼の強さは、柔よく剛を制すという感じで実に痛快だった。
弦楽器を弾くときにも弓のバランスのとり方というのがきっとあるに違いない、と思ってしまった。

様々な競技を見ていて、多くが短い時間で終わってしまうことに厳しさを感じる。4年間積み上げてきたものがあっという間に終わってしまうのだ。
くらべてはいけないが、小さな本番でも僕たちの体が思うように動かずひやりとすることがある。選手たちに4年分の思いと周囲の注目はきっとかなりの重さとなってのしかかるだろう。

予備の電球

慣れていないピットでの仕事は6日間が過ぎ、あと2公演となった。うす明るい譜面灯の下で楽譜を見るのに加えて、相変わらず譜読みするものが多くてずっと目が疲れている。なかなか本も読めないし、この日記の更新もままならない。

譜面灯には電球が使われている。感心するのは笠の中に電球が二つあり、もし一つが切れてもスイッチを切り替えてすぐ別の一つが使えるようになっていることだ。確かに譜面灯が消えては仕事にならない。

2010年2月15日 (月)

文化会館のオーケストラピット

今日からオテロの通し稽古が始まった。
東京文化会館のオーケストラピットに入るのは7年くらい前の小澤さんのオペラ以来。すっかり忘れていたけれど、広くて快適だ。快適性はピットの中で何日も穴倉生活をする上でとても大切なことだ。幸い近所の人間や楽器や譜面台と弓もぶつからず、指揮者も見える。時々シンバルや鐘が炸裂するので、その場所は楽譜に書き込んでチェロの糸巻きで耳をふさいだり前進守備をとったり覚悟を決めたりして、一瞬聴覚を失う事態は避けられるようになった。

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文化会館のステージは、オペラの舞台が上・オーケストラの演奏会で使う舞台が下という巨大な二層構造になっている。つまり大きな2階建てのエレベーターがあって、上階がオペラの舞台、下階がオーケストラの舞台、と考えるとわかりやすいだろうか。ピットの裏側からは見慣れた舞台が奈落に沈んでいるのが見える。一応手すりはあるが、高所恐怖症の人間は近寄りたくないくらいの高さだ。公演中にもし地震が起きたりとか火事になったり、などとは洒落にならないので考えないようにする。

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文化会館の舞台袖にはいっぱい落書きがある。いろいろな団体が書いていて玉石混交だが、ピット裏の落書きはなかなかのものがあると思う。

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イタリア語を聞くのは大好きだ。ころころとした陽気な音は耳に心地よい。
オテロのパート譜には歌詞のガイドがかなり書いてある。今日から字幕が入ったのでほんの少しだけイタリア語の意味がとれるようになった。感心するのは音楽と言葉が切り離せない深い関係を持っていることだ。なるほど、と唸りたくなる。

2010年2月13日 (土)

カザルスホールでのボザールトリオ

ショスタコーヴィチのトリオを弾いて、ボザールトリオの演奏会を思い出した。10数年前カザルスホールが主催公演を活発に行っていた頃だ。

僕は当時学生か出たてで桐朋とカザルスホールにはつながりがあったから、演奏会のゲネプロから聴かせてもらった。NHKのテレビカメラが入っていて、リハーサルが始まってからチェロの譜面台が画面の邪魔だから低いものに変更できないかと演奏者に言った。ずいぶん強いことを言うものだと思ったけれど、折りたたみの背の低い譜面台にしたらチェロの音が通るようになって驚いた。以来僕もできるだけ低い譜面台を使うようにしている。
初日のプログラムはブラームスの1番とシューベルトの1番だった。ブラームスの終楽章でチェロは、最後のページをわりと際どいタイミングでめくらないといけないのだが、そのあたりでチェロのピーター・ワイリー(だったと思う)が慌てているので何だろうと思ったら、A線(1番線)を切っていた。でもとにかくD線(2番線)のハイポジションを駆使して(!)彼は弾き切った。

演奏会の2日目はショスタコーヴィチのトリオ。
白熱した素晴らしい演奏だった。ピアノのプレスラーが第3楽章のコラールを存分に気合の入ったすさまじい音で弾いている時に(ピアノはひたすら8小節のコラールを繰り返す。このフレーズが終楽章でもう一度現れ、曲の結尾に重要な意味を持つ)ピアノの弦を切った。すごい音がしたはずだが演奏は続行し、そのまま終楽章に入って音楽が激しくなったところで今度はチェロのワイリーがまたA線を切った。さすがに弾き続けるのは無理で演奏は中断した。弦を換えて仕切り直し、終楽章の冒頭のピアノの八分音符から再開したのだけれど、それまでの白熱した勢いは消え失せてなんだか気の抜けた炭酸飲料のようだった。

多くの音楽体験をさせてくれたカザルスホールはもうすぐ閉じられる。

2010年2月12日 (金)

穴あきエンドピン

JTチェロアンサンブルの時に、ドイツに住んでいる斎藤千尋さんがユニークなエンドピンを持ってきていて話題になった。チタン製のパイプにところどころ穴があいていて、不思議な構造を持っている。(http://www.fiedler-cases.de/index.php/cat/c1472_Berlin-Sound-Pin.html)
音は大きい、でも音が立ち上がる時や消えていく時の含みの部分が少ないように思った。いずれにしても先日見附さんに素晴らしいものをつくってもらったし、各種エンドピンが家にはどっさりあるので手を出さないでおこう。

昨日都響の仕事の後に、3月の室内楽の最初の練習をした。練習をした、というよりとにかく音をだして弓を決めただけ。それだけなのに4時間近くかかってしまった。カルテットは本当に手間がかかる。カルテット・エクセルシオはほぼ毎日練習をしているそうだ。すごいと思う。カルテットとしてフルタイムに活動している日本で数少ない団体の一つではないだろうか。

昨日は朝から晩までチェロを弾いて帰宅した。でもとても楽しかった。今日は休み。チェロを弾かないのは正月休み以来だと思う。今いっぱいアイデアがあって弾かないのは残念なのだけれど、少し休もう。明日からはオテロの舞台稽古が始まる。

2010年2月 7日 (日)

初めての寝台特急

姫路駅で寝台特急サンライズ瀬戸を待つ間にすっかり体が冷えてしまい、ようやく乗車した暖かい車内とシャワーは極楽のようだった。
列車が大阪を過ぎたあたりから外はまた雪景色になっていて、もし翌日の仕事がなければ通り過ぎていく美しい眠った街をぼんやり何時間でも見ていられそうだった。初めて乗った寝台は快適で、東京駅まで8時間かからないことが本当に残念。短いながらもぐっすり眠れたようで午後遅い時間までのオテロのリハーサルも大丈夫だった。

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2010年2月 6日 (土)

ショスタコーヴィチ日和

昨日の午後和田山の駅に着いた時は地面は乾いていたのに、夕方からじゃんじゃん雪が降り始めて朝起きたら一面真っ白だった。

ショスタコーヴィチ日和とでも言えばよいのか、生野マインホールは暖房を入れてもなかなか暖まらず、2番のトリオを寒さに震えながら弾きはじめた。ただでさえ緊張する出だしだから寒い演奏会場は状況としては避けたいが、曲にはぴったりかもしれない。

ガラコンサートだったので様々な演奏者がいた。ピアニストが5人、ヴァイオリニストが2人、歌、サックスの田中靖人さん(去年の日記に書いた、恵比寿で偶然すれ違ったTさんとは田中さんのことで、彼も気付いていたそうだ。2月6日のブログに僕の馬鹿顔が写っていますhttp://yaplog.jp/tanakayasuto/)、僕。
最後は長生淳さんにアレンジして頂いたこのヘンテコな編成のための曲を弾いて終演。

僕は明日10時半から都響のオペラのリハーサルが始まるので、カーテンコールも失礼して生野駅から播但線に飛び乗った。
姫路に着くとさすがに雪はなくてほっとするが、やはりみっしりと寒い。寝台特急を待つ間、駅で食べた吉野家の牛丼が身にしみた。

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2010年2月 5日 (金)

着実に

喉元を過ぎた熱さはすっかり忘れて、昨日のチェロアンサンブルは楽しかったと思う。

懸案のブーレーズ、ソロチェロ以外の6人は基本的には独立した動きをしている(スコアを見ると視覚的図形的に整然ととても美しく書いてある)のだけれど、フレーズの終わりや始めに16分音符6つあるいは7つ、時として1つだけ一緒の動きをする。それが皆と一緒にならなかった時の取り残された孤独は何とも言えない。
本番は孤独を感じることなくあっという間に終わり、舞台袖で「生きて帰ってきた!」と喜んだ。

今の若い子たちのチェロアンサンブルも上手で素晴らしいが、僕が弾かなかったチェロ3本や5本の曲を聴いて、そして7本、9本、12本の曲を弾きながら、我々も味わいだけでなく着実に経験を積んできたと思った。

同業者同士の仕事は楽しく厳しい。去年のこの演奏会、僕にとって大きく課題を残すものだったが、今年は楽しかった。打ち上げの後帰宅して、日曜日から始まる「オテロ」の勉強を少しだけした。このところ久しぶりに譜読みするものが多い。

今日は朝来へ。

2010年2月 3日 (水)

メサージエスキス

一昨日からJTチェロアンサンブルの練習が始まっている。
昨日ブーレーズのメサージエスキスが本当に弾けなくて、ぺしゃんこになって帰宅した。ソロの向山さんのすさまじいテンポにまったくついていけなかったのだ。職業音楽家として大変まずいことになった、と思った。

今日はその前に、生野で弾くショスタコーヴィチのトリオの合わせがあった。高橋さん礒さんと会うのは福岡でトリプルを弾いて以来。久しぶりのトリオはとても楽しかった。

少し気をとりなおしてJTに向かう。今日のブーレーズは並び方を少し変えてもらったことと、昨晩の泥縄のような勉強が効いたのか、どうにかよろよろついていった。
こんなに大変な曲なのに実はいくつも録音がある。僕が持っているのはバレンボイムの指揮するパリ管のチェロセクションによるもの。他には、ケラスが楽譜の表示テンポを上回るような超速で弾き飛ばしているもの(人間技とは思えない)、ゲリンガスが指揮をしている(!)もの、ロシアのチェリスト達が弾いているもの。
今回の向山さんの弾け具合は圧倒的なものだと思う。後ろの我々6人はとにかく取り残されないように必死だ。でもこんな年になっても「弾けない!」とか「落ちた!」とか子供みたいに騒いで、自分の能力の限界(年々落ちているかもしれないのだが)に挑戦できることは幸せだと思う。

このチェロアンサンブルがないとなかなか一緒に仕事をする機会のないチェリストがいる。あまり言葉を交わさなくても、隣で弾いたりさらっているのを聴いたりするとその人の流儀がよくわかってとても刺激になる。
しばらく練習するとすぐ休憩になるのも特徴で、いつも雑談が大変盛り上がる。内輪にしておくのがもったいないくらいだ。今回秀逸だったのは、どんな弦を張っているかという話題でそれぞれうんちくを語った後、ある方が何年も弦を換えていないと言ったのには一同爆笑して、それから「弦じゃないんだよな(腕だよな)・・・」とうなだれた。

JTチェロアンサンブルは明日本番。

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