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2010年3月11日 (木)

オーケストラ奏者と指揮者

宮本文昭さんがオーボエの演奏活動を引退した時の引き際は見事なまでの潔さだった。僕にとって宮本さんといえばオーボエ奏者だし、今あの音を聴けないのは残念に思う。その宮本さんが先日何かの番組で、ヴァイオリニストの父、という紹介をされていたのは少しショックだった。

3月10日大田アプリコでの都響演奏会の指揮は宮本文昭さん。
オーケストラの中で弾く時、常にアンテナを立ててセクション内や他のセクションとの関係、全体との関係に気を配る。自分勝手に演奏できる部分は多くない。宮本さんは指揮をしていても、何十年もオーケストラで吹いていた習慣でどうしても様々な楽器のかみあわせを聴いてしまう、と言っていた。指揮をするには聴きすぎてしまう、ということなのかもしれない。
対して指揮者は他人のことはあまり考えずに自分の主張を貫く仕事だと思う。もしかしてオーケストラ奏者と指揮者は対極にある仕事かもしれない。

宮本さんはご自身に指揮の技術がない、としきりに恐縮していたけれど、音楽のありようはとてもよくわかる。指揮の仕方は小澤さんをほうふつとさせるものだった。指揮法を習ったのだと思う。なるほどこう振られるとオーケストラとしてはこう弾かざるを得ないなぁ、と感じるところがいくつもあった。
宮本さんの指揮にはいつも充分なブレスがあり、それはいっそう深い音楽を生み出したと思う。弦楽器は息を吸わなくても弾けるが、音楽が無呼吸になってしまわないよう気をつけよう。

本番の宮本さんは楽しそうだった。都響もいつもとちょっと違う感じで楽しかった。音楽が奔流となってほとばしるブラームスの2番は幸せだった。

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