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2010年4月

2010年4月30日 (金)

所作も美しく

ペレーニの演奏会のことをよく思い返す。

4番のクーラントには二つの声部の音程がだんだん離れて行く箇所がいくつかあり、ペレーニはそれを2本の弦を使って忠実に再現していた。指使いはかなりとんがったものになる。京都でミュレール先生に習った時に、以前の僕はこんな指使いをしていたんだよ、と教えてくれたまさにそれだった。

ペレーニは舞台上での所作もとても美しかった。

席に座ってすぐ弾き始める、その態勢はいったいどういうことなのだろう。今日は横浜フィリア・ホールで演奏会があり、都響の柳瀬順平さんが聴きに行くそうなので、その謎解きをお願いした。

トッパンホールでは陶芸家の花岡隆さん(http://www.hanagama.com/blog)にお会いできた。工房に伺ったのは何年前のことだろう。器はころりとした感じになって素敵だ。いつもの玄米茶も美味しくなる。

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今日はラ・フォル・ジュルネの前夜祭で、都響メンバーでメンデルスゾーンの八重奏を弾いた。PAが入っているとはいえ、5千人収容のプラネタリウムのような国際フォーラムのホールAで、たった8人アリになったような感じでぐぎぐぎと。僕はといえば、緊張してかたかったなぁ。

2010年4月28日 (水)

一段一段階段を降りて行く

バッハはおおやけの場での演奏を想定してチェロ組曲を書いただろうか。

この組曲を弾く作業はとてもパーソナル(個人的)なことだと思う。自分の中の階段を一段一段降りていき、時として存在に気づいてすらいなかった部屋を見つける。
2日間にわたるペレーニの演奏は、聴いている自分のために弾いてくれている、と錯覚してしまう時があった。ほかの人たちはどのように聴いたのだろう。

2010年4月27日 (火)

力強く、幸福感につつまれた

今日4月27日はトッパンホールでのミクローシュ・ペレーニ、バッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏会の第1夜。

2月にトランペットのヘフスさんに接した時も感じたことなのだけれど、素晴らしい人たちの体の中にはいつも音楽が流れていて、人前で演奏する時には、たまたまそれが表に出るだけのようだ。(意を決して弾き始めるとか、せーの!で始める、というのはどうやら違うらしい)
ペレーニは舞台に現れて椅子に座るとすぐ弾き始めた。何度見ても魔法のような、実に少ない量の弓で弾く。いつも的確に音が出て、僕たちの弾き方は無駄ばかりかと思いたくなる。

第1、5番を演奏して休憩、後半に第4番という曲順は始まる前には不思議に思えた。5番は、僕は、チェロ組曲の中で最も規模が大きいと思うからだ。
休憩後の4番は圧巻だった。驚くくらい強く始まったプレリュード、続くアルマンドも力強かった。4番で初めて弓を多く使ったように見えた。クーラントとサラバンドは少しリラックスして、ブーレとジーグは、ペレーニ自身も幸せそうに見えたし、こちらも幸福感に包まれた。4番はこんなに素晴らしい音楽だったんだなぁ。

4番の変ホ長調という調性はなかなかやっかいだ。弦楽器では響きが出にくいし、おまけに第3音のソが解放弦で出せてしまうので、音程の点でもちょっと具合が悪い。
4番の組曲は左手をいつも開いて弾く感じだ。ブーレとジーグはけっこう(かなり)きつい。前半の5番は1番線をソに下げて弾いていたので、こちらはもっと左手を広げる。ずっと左手に負担をかけ続けるプログラムで、最後にこんな大きなクライマックスを持ってこられるというのは大変なことと思った。

明日は2、3、6番。

2010年4月26日 (月)

5月22日のプログラム

5月22日に名古屋の宗次ホールで弾くプログラムを、先日やっとすみずみまで決めた。

まずクープランの低音楽器のためのデュオの最初の楽章を弾き、ダンツィがモーツァルトのオペラアリアをチェロ2本のために編曲したものの中から有名な旋律を含む3曲、そして初めて演奏するソリマの"The Shooting"。
直訳すると題名は射撃とか狙撃ということになってしまうが、そこがよくわからない。ミニマルミュージックっぽく書かれた二短調の小品で、一緒に弾く長谷川彰子さんは「切ないですね」と言っていた。その通りの感じと曲名が結びつかない。いったいどんな意味があるのだろう。

デュオが3つ続いた後はそれぞれのソロを。まず長谷川さんがバッハの6番のプレリュードとサラバンドを弾いて、僕がカサドの組曲から1曲目と3曲目を弾く。
プログラムの最後はもちろんポッパーの組曲。終曲の鬼のようなオクターヴの重音(しかもトリル付き)が待っている。

演奏時間1時間とは思えないくらい盛り沢山になった。でも本当に楽しさだけで組んだプログラムだ。

昼の11時半開演です。お問い合わせは、大変お手数ですが、
ルンデ 052-861-0162
までお願いいたします。

2010年4月24日 (土)

卵が先か鶏が先か

ずっとチェロを弾いてきて、いかに弾くかということばかり気にしてきた。
どんな弓使いで指使いで、どんな姿勢で、どんな楽器や弓で、どんな設定で、・・・。

素晴らしい人たちは何が素晴らしいのか何が違うのか、ということをよく考える。
ムーティがモーツァルトやオルフに、ブルネロがドヴォルザークやレーガーに、相沢さんがモーツァルトに、どんな素晴らしい何かを感じているのか、そこが最も大切なところで、しかも彼らの素晴らしいのはそれを現実の音として出力できるたぐいまれな能力を持っていることだと思う。

恥ずかしいことにこれまでの僕は出力の巧拙ばかりに気を取られていた。難しいところは、技術的な難しさにだけとらわれて何も音楽を感じていないことが本当に多い。
気づいてみると何だそんなことか、とも思うし、そこが本当に決定的な分かれ目とも思う。

2010年4月23日 (金)

こんな日も

先週の木曜日にエルガーの第1番の交響曲を弾いて、翌金曜日釣りに行くつもりが冷たい雨で断念。昨日木曜日はエルガーの2番を弾いて、今日釣りに行くつもりが季節はずれの冷たい雨で断念。これをエルガー日和とでも言うのか。
芦ノ湖のニジマス釣りは4月が勝負と思っていたのだけれど、今シーズンはもう終わりかなぁ。先日の釣りは数は出ても、目の覚めるような一匹はなかったものなぁ・・・。

今日の休み、幸いなことに、1秒でも早く終わらせたい切迫した譜読みもなく、午前中に僕の趣味の部分のチェロをさらってから本屋に出かけた。大型書店を2軒はしごして、書棚から書棚へさまよう、こんな日も悪くない。
目当ての本はなかったりけっこう期待はずれだったりしたのだけれど、おもしろい本も見つけた。ニューヨークスタインウェイのコンサート技術部長(調律師)だったフランツ・モア著「ピアノの巨匠たちとともに」。ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、グールドなど名だたるピアニストのエピソードが満載で、読まずにはいられず買ってしまった。
これも買うつもりはなかったのが、かの有名な「失われた時を求めて」の新訳の第1巻(鈴木道彦訳、集英社文庫)。昔格好付けて読み始めたものの、すぐにやめてしまった。でも今度は、少なくとも最初は入っていける感じだ。全部で13冊ある、さて。

2010年4月22日 (木)

「gifted」

4月22日都響定期演奏会のソリストは相沢吏江子さんでモーツァルトのピアノ協奏曲第17番。
すばらしかった。この世の中にモーツァルトの音楽があって本当に良かったと思ったし、「gifted」(天分に恵まれた)とはこういうことを言うのだろうと思った。

2010年4月20日 (火)

辺境論の

昨年出版された「日本辺境論」の著者、内田樹さんのインタビューが4月17日の日経新聞夕刊に掲載された。うーん、なるほど・・・。最近人の言葉ばかり引用しているけれど、とても興味深いので。

『・・・「宗主国」のようなリーダーが不可欠なのですが、集団のパフォーマンスを上げるためには、いろいろなタイプの人材を有機的に組み合わせないといけない。頭が切れてロジカル(論理的)な人ばかりを集めると組織は破綻します』
『読売巨人軍が一時、4番打者ばかりそろえて勝てませんでした。小技のうまい選手、つなぎのできる選手も加えて、適材適所の役割分担型のチームにして強くなった』
『総合力では劣っていても余人をもって代え難い得意技を持った人、身の程をわきまえて黙々と仕事に打ち込む人、人を立て周囲を奮い立たせる人。組織のメーンストリートではない周縁で「雪かき」のような地道な仕事をいとわない人たちがいる。そんなモチベーションが高い組織は強い』
『成果主義は個人の能力と達成を評価するものです。しかし実際にはそんなものを取り出して計測することは不可能なのです。仕事は集団で行うものです。個人的な能力は高い。だが、その人がいるせいで集団のパフォーマンスが下がるという人間は「仕事ができない」人間なのです』
『身の程を知る、分際をわきまえるという言い方は今や死に瀕している。これは集団の中において自分の果たすべき役割を認識することです』
『「身の程知らず」の人間は、自分を大きく見せようとするあまり、無意識に周りの人間の仕事を妨害し始めます。「能力のある人間」たちが相対的な競争では勝者になっても、集団そのものの力は次第に衰えてゆく。それが日本の現状なんです』

洗面器のような

映画「モンスターズインク」で一番気に入っている場面は、一つ目のマイク(ぎょろ目ちゃん)が出社して、ロッカールームで洗面器のように巨大なコンタクトレンズをすっぽりはめるところだ。

先日映画「ハートロッカー」を観た帰り、さびれかけたゲームセンターのUFOキャッチャーの中にぎょろ目ちゃんを発見して挑戦したのだけれど、五百円失って撤退。休日に出直してさらに散財して手に入れた。ゲームセンターの思惑にまんまとはまったのである。

Photo

2010年4月18日 (日)

ブルネロのドヴォルザーク

4月17日、サントリーホールでの東京交響楽団の定期演奏会のソリストはマリオ・ブルネロ。シューマンやハイドンの協奏曲は聴いたけれど、彼のドヴォルザークを演奏会で聴くのは初めてだったかもしれない。

かなり後方の2階席まで、ブルネロのアタックの効いたあつい音はよく届いた。体が柔らかいから強いアタックでもかたい音にならない。間近で聴いたらすごい音だっただろう。いつも強い音色感と美しいヴィブラートだった。
強拍の最初の音を長く弾くあの弾き方はオーケストラをバックにするとちょうど良い感じだった(バッハの時はちょっとやりすぎと思ってしまう)。C線(4番線)のハイポジションを多用するのもいつものとおりだった。第1楽章の第2主題はしばらくD線(2番線)!で弾いていたなぁ。歌う時の弓の使い方とは対照的に、極端に遅い弓もとても効果的だった。

先日のムーティの仕事の時に、ムーティとブルネロの歌い方には共通点があるような気がしていた。ブルネロのチェロは本当によく歌う。シエナでドヴォルザークのレッスンを受けたとき、終楽章の終わり近く高いシの音から下がってくる箇所で、「ここはドヴォルザークの好きだった人が亡くなる場所なのに、どうしてそんな(淡泊な)弾き方をするのか」と言って、素晴らしい音で弾いてくれた。感動的なレッスンだった。

ショックなのはレッスンを受けた当時のブルネロの年齢に僕がなっていることだ。「少年老い易く 学成り難し」出るのはため息ばかり。

アンコールの1曲目、レーガーの2番の組曲も素晴らしかった。楽譜を手に入れよう。

2010年4月17日 (土)

手職人

雑誌「ユリイカ」2010年4月号に掲載された舘野泉さんの「ピアニストは手職人」という文章が見事で、長いのだけれど引用させていただきます。

『・・・私の日常も、ピアノを弾くのは別段何かをしているということでもなくて、金太郎飴のように何処で切ってもいいし、どこから始めてもよいものかもしれない。・・・一日何時間弾かなければならないし、暫く弾かないでいると感覚が鈍くなるというものでもない。いつでも、どんな時でも弾ける。ただ、しかし、楽器に触れた途端になにか実態のあるものに触れ、自分が確かに生きているという自覚を覚え、頭が冴え冴えと澄んでくるのも事実である。・・・
・・・
私は、ピアニストというのは手職人だと思っている。若い時からずっとそうだった。音楽を手で触るという感覚は面白い。手で音を撫で、愛しみ、大事にしていくのだ。いや、愛しんでというのは一面的な表現である。ごりごりと握り、投げつけぶつけ放り投げもする。作曲家の生涯だとか作品の構成とか歴史といったものに興味を持ったり考えたりしたことはない。あるのは作品だけ、その音だけである。・・・
手職人、・・・という言葉が私は好きである。海に網を投げる漁師も好きだ。作品との対峙、対決をし、自分の個性を主張する行き方は好きではない。作品を通して無名性にいたることこそが望みだ。』

2010年4月16日 (金)

実際にすること

何かをした人たちの言葉は重く、そうした言葉を読んだり聞いたりすることは大好きだ。
最近読んだのは「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」<中村哲、(聞き手)澤地久枝>。中村医師は命がけで医療や水路建設に取り組んでいる方だ。僕たちの日本での生活は、大変だ!忙しい!と騒いでいるだけで、実際はぬくぬくとしたまゆにくるまれている。

都心の改装されたばかりの大型書店でこの本を探していた時にたまたま見つけたのは、雑誌「ユリイカ」2010年4月号。その特集は「現代ピアニスト列伝」だった。これだから本屋は楽しい。
ピアニスト舘野泉さん、横山幸雄さん、野平一郎さんの文章などを興味深く読んだ。野平さんの文章は最近岩波書店の雑誌「図書」にも掲載されて、そちらもとてもおもしろかった。ブーレーズに関するものだったと思う。ちょうどブーレーズをJTチェロアンサンブルで弾いたばかりだった。
青柳いずみこさん・小池昌代さんの対談も、時に辛辣でおもしろい。

はたで見ているのと何かを実際にするのと、まったく違うことは多い。
演奏もそう、自分が舞台に立つ時はあんなに大変なのに、いったん聴衆として客席に座ると、どんな難しい曲が演奏されていても非常にしばしば眠くなる。その落差はいつも不思議だ。

2010年4月15日 (木)

目の前に

おりにふれて聴いてきた演奏の一つに、ルーマニア出身のピアニスト、ディヌ・リパッティのブザンソンでの最後のリサイタルがある。実家にLPレコードがあり、東京に出てきてからはCDを買った。

先週のカルミナ・ブラーナの最初の演奏会の後、この録音を久しぶりに聴いて、あぁそうだったのか、こんなに素晴らしかったのか、と思った。
大切なことは目の前にあり、時として手を触れていさえするのに、気づいていなかった。

2010年4月14日 (水)

ジャンルー・シーフ写真集

永田町にある国会図書館に初めて行った。
入館には手続きがいるし請求した資料が出てくるまでに時間はかかるけれど、広くて静かな閲覧室で「ジャンルー・シーフ写真集」を見ることができてとてもよかった。
彼の言葉を引用したい;

『私にとって「芸術家」とは質に関わるものであって、カテゴリーの問題ではない。ユニークな才能を持ち、表現すべくパッションをもっている個人は、写真を撮ろうが、彫刻を手段にしようが、文章を書こうが、どんな媒体を選択するかは関係ないと私は思っている。』

『・・・私の写真は戦闘的でも客観的でもない。私は何らかの証人になろうなどと思わないし、伝えるべきメッセージも、堅持する観点も持たない。はなから私は解釈を拒否するし、いわゆる「作品」やモニュメントも残したくない。下らぬ死後の名声に捧げられた、荘重な台座の滑稽きわまりない銅像よりも、その日その日の生活を大切に思っている。
私の写真は緩慢なものであり、私の唯一の望みはこれらのイマージュがかつての思い出を残しながらゆっくりと黄ばんでゆくことである。
生きるものが、かつて愛した死者のことを忘れない限り、死者が完全に死んでしまうことはありえない。・・・』

2010年4月12日 (月)

黙って仕事

どんな音楽の有りようを望んでいるのか、ムーティの指揮は実に明瞭だった。目の前で見ているとまったく自然なことだったのだけれど、今思い返すと魔法のように思える。
男は黙って仕事、と思った。僕らだったら、しのごの言わずに出した音が全てを語っている、そんな演奏家だろう。先は遠い。

ソプラノ、テナー、バリトンのソリストも素晴らしかった。あの音色感。なるほど声とはそういうものか。

演奏すること音楽をすることが、この貴重な数日でにわかに現れてしまった。そうだったのか、今まで何十年も何をあんなにばたばたしていたのだ。

2010年4月10日 (土)

言葉にできない

昨日の演奏会は何だったのだろう。
カルミナ・ブラーナの終わり近く、短く美しい「最も愛しい人・・・」というソプラノの独唱のあと、合唱が「Ave formosissima,・・・」(ようこそ、美しい人よ・・・)と歌い始めたあたりでぐらっときてしまった。僕の席からはソリストも近く、字幕もよく見える。声は理屈抜きに官能的で本質的だ。それに言葉の力が加わり、たたみこむように圧倒的な終曲に入る。テキストの最後は「運命は時として勇者をも倒すことを皆で嘆こう。」

音楽でしか表現できないものがあった。
昨日の演奏がなんだったのか、今はとても言葉にできず、かなうことなら数日ぼうぜんとしていたい。現実は次の仕事の山のような譜読みが待っているのだけれど。

今晩2回目の本番。

2010年4月 9日 (金)

ムーティのリハーサル(続き)

ムーティの指揮は、どんな音楽を欲しているのかよくわかる。だから言葉による説明がいらないし、練習も効率よく進む。もう一つの発見は大きな動きがなくても強い音や深い音が出る、ということだ。音楽上の指示や説明に多くの言葉や時間を使ったり、ぶんぶん棒や腕や頭を振り回したりすることは必要ないらしい。
そもそも言葉にならないから音楽をしているのだった。少ない言葉だから皆が集中して聞くし、ここ一発という時の強いモーションはすごみのある音を生み出す。

彼は人の気持ちの引きつけ方を心得ていると思う。
モーツァルトを最初に通した時、棒の先がかすかに動くくらいで体はほとんど動かなかった。この人はいったい何を考えているのか次は何をするのか、と思って注視してしまう。だから2日目のリハーサルで、前日とまるで違うことを振っても皆ついていくし、新しいものが生まれる。
気性は激しい。日本人にはなかなか見られない強さだと思う。

リハーサル中に多くの印象的な言葉を耳にした。象徴的だったのは「カンタンド センプレ」(いつも歌って、という意味だろうか)。もちろん、オペラの歌い手のようにモーツァルトを弾くという意味ではなく、楽器を弾く都合だけで音を出してしまわない、ということだと思う。いつも音楽的に。その音の音楽的要求をよく感じて。

マエストロのご機嫌うるわしく、3人のソリスト(デジレ・ランカトーレ、マックス・エマヌエル・ツェンチッチ、リュドヴィク・デジエ)、東京オペラシンガーズ、東京少年少女合唱隊、声も皆素晴らしい。ティンパニはベルリンからゼーガースが来ていて、あらためて素晴らしい音楽家と思った。弦楽器はN響の人たちが多く前にいて、その流儀を見ているのも楽しい。たまにはこんな仕事もある。
今晩最初の本番。

2010年4月 8日 (木)

ムーティのリハーサル

ムーティは圧倒的な存在感だった。
カルミナ・ブラーナは思ったとおり素晴らしい。でも、初日のモーツァルトのリハーサルはさらに忘れがたいものだった。帰宅してもう一度楽器を手にした時、これまでと同じ感覚では弾けなくなっていた。

モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」は何度も演奏してきた。表面的なスタイルや楽器を弾く都合にばかりとらわれて、今まで「ハフナー」の何を弾いてきたのだろう。一見技巧的に見える曲の、楽譜に書いてある音符や指示をただがしゃがしゃ弾いてきただけかもしれない。もしかして弾けているつもり音にしているつもりという幻想だけで、実際には楽器を弾く都合ばかりがきこえる演奏だったかもしれない。

当たり前のことだけれど、モーツァルトの音楽に何を感じられるかが一番大切で(あきれるくらい多くのことを見落としていた)、今度はそれを実際の音に置き換える作業をしなくてはならない。弾いているつもりだけで実は耳が閉じていることが本当に多い。ムーティはそこのところのコントロールがすごい。

2010年4月 6日 (火)

ジャンルー・シーフ写真展

自転車で恵比寿の写真美術館に行った。
満開は過ぎてしまったけれど、そこかしこに咲く桜は強く目を引き、街はいつもとすっかり別の顔を見せていた。こんな時自転車は最高の乗り物と思いたくなる。

目当てはジャンルー・シーフ写真展。写真はもちろん、深い黒と艶やかさを持つプリントも素晴らしかった。フィルムで撮った写真は粒子自体が美しいので、大きく伸ばして粒子がはっきり見えるようになっても気にならない。時としてうっとりするようなプリントだった。
シーフの存命中に発売された巨大な写真集が売られていた。中には彼の書いた文章もあって、それがまたよかった。ほしいなぁ。どこに置けばよいのか、と思うくらい巨大でしかも高価な写真集の、その文章だけでもまとめてコンパクトな本になったらいいのに。

宗次ホール

去年名古屋の宗次ホールで演奏したとき、スタッフのてきぱきとした素晴らしい仕事ぶりに驚いた。

昨日のテレビ番組「カンブリア宮殿」でCoCo壱番屋の創業者宗次徳二さん直美さん夫妻が取り上げられていて、興味深く見た。事業が成功するには理由があり、それは宗次さんが建てた宗次ホールにも反映されていると思った。
人が集まることにお金を使える人はすごいと思う。

2010年4月 5日 (月)

カルミナ・ブラーナ

明後日からカルミナ・ブラーナのリハーサルが始まる。
1曲目だけはずいぶん前に弾いたことがある。(始まってすぐ、音量が落ちる箇所でどこを弾いているのかいつもわからなくなっていた・・・。)初めて全体を勉強して、思った通りプリミティブで血のたぎるような音楽だと思った。
映像でしか見たことがないが、指揮のリッカルド・ムーティにぴったりのような気がする。

僕が中学か高校生のころ、フィラデルフィア管弦楽団の来日公演が放送され、その放送はビデオに録画して繰り返し見た。
ムーティの指揮で、プログラムは確かプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」とマーラーの「巨人」と、リストのレ・プレリュードもあったかもしれない。
「巨人」のクライマックスで8人のホルンが立つところなんて抜群に格好よかったものなぁ。

実際はどんな人なのかどんなオーラを持った人なのか、リハーサルの始まるのがとても楽しみ。

2010年4月 4日 (日)

京都フランス音楽アカデミー

東京文化会館で京都フランス音楽アカデミーの教授陣による演奏会を聴いた。
この演奏会のことを昨日の夜気付いて、予定はあったけれど、習った先生方が二人とも弾くのだからどうしても行こうと思った。

フィリップ・ミュレール先生の弾くプーランクのソナタを聴きながら、毎年のように通った京都フランス音楽アカデミーでのレッスンのことを思い出した。初めて参加した20年近く前、酒井あっちゃんがこのソナタでレッスンを受けていて、彼のあまりの弾け具合に我々桐朋からの参加組はびっくりしてしまった。
プーランクのチェロソナタは、チェロのレパートリーとしてはこれ以上ないくらいチャーミングで、しかも技術的な困難を伴う。音程の素早い跳躍やピチカートと弓の持ち変え、音をピアノのように出すことなど。
ミュレール先生の変わらず素晴らしいボウイングや左手を見ながら聴きながら、最初に習った頃、自分もいずれあのようにできるようになると思った浅はかさを思い出した。
とんでもない。何かを変えるにはどんな小さなことでも、時として砂をかむような思いをしながら、必死にじりじりと進むしかないことを今はよくわかる。
イヴァルディ先生のピアノも変わらず、澄んで厳しい音だった。改装されて今は響かなくなってしまったが、関西日仏学館の稲畑ホールの心地よい空間で受ける彼の室内楽のレッスンは極上の時間だった。

僕の20代は、毎年3月の下旬に京都のフランス音楽アカデミーに参加して、夏は外国の講習会に参加して、帰国するとお金がだいたい底をつき、また仕事をして、というように過ぎていたと思う。かといってものすごく本気で音楽に向かっていた訳ではなく、チェロをさらっている時でも釣りか写真のことばかり頭にあった。フリーで仕事をしていたあの頃、実際本当にフリーで何も考えずに生きていたような気がする。
でも当時受けたレッスンのことは今でもよく思い出すし、様々な国に行って様々な人々と交流できた経験はかけがえのない財産になっている。

2010年4月 3日 (土)

ぼんやりと

もっと忙しい人は世の中にたくさんいるだろうけれど、1月からずっと走り続けてきた僕は今日から少しの間休み。たまには仕事のことを考えないでぼんやりしよう。

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