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2010年5月

2010年5月31日 (月)

自由な弾き方、ヤマハホールの音

ゲリンガスさんの弾き方はとても自由だった。心と体はたぶん表と裏の関係で、どちらかがかたくなるともう一方もかたくなる。こう弾かなくてはならない、という思いが体を締め、楽器と心も締めてしまうのかもしれない。

僕はどうしても細部をきちんと弾こうとする。でも少し離れて見た時、細かい仕上げはほとんど目に入らず、力強い一本の描写の方がずっと説得力を持つ、そういうことなのかもしれない。

ヤマハホールの音には経験したことのない要素があった。舞台の音は1階の客席より、2階席により直接届く。1階は響きがブレンドされるが、2階は弓の毛が弦にかむ音まで聞こえそうだった。
舞台の木は白木のままで、たたくとコツコツという音がした。よく選ばれた厚さのある材料だと思う。舞台と楽屋、客席とロビーの関係は少し遠かった。

2010年5月27日 (木)

5月27日ヤマハホール

ゲリンガスさんを中心としたこのチェロアンサンブルに参加させてもらえたのは偶然のめぐり合わせのようなことだったのだけれど、素晴らしい人たちと一緒に弾けて本当にありがたかった。ゲリンガスさん、向山さん、藤森さん、菊地さん、松本さん。舞台に立つには湧きあがるもの、突き抜けていくものが必要と痛感した。

前半の最後に弾いたウルヴァイティスのバッハヴァリエーションⅡが何といってもスリリングだった。集中していないと自分がどこにいるのか見失ってしまうし、本番はテンポが上がるからさらに緊張感を伴う。この感じは2月に弾いたブーレーズのメサージエスキスに似ている。
演奏を終えて舞台袖に戻り、「We survived!」と喜んだ。ミニマルミュージックではないが、細かいモチーフが早いテンポで延々と続くから恍惚感があるのかもしれない、「宗教みたいだね」という話から「布団が3組くらい売れるかもしれませんよ!」と冗談を言いあった。

明日は久しぶりの休み。いつもは休みになったらあれをしてこれをして、と楽しみにするのに今回はノーアイデア。
「我が祖国」からずっと続いて楽ではない時もあったけれど、上向きにいい仕事ができて(と思う)うれしい。少しゆっくりしよう。

2010年5月26日 (水)

銀座ヤマハホール

午前中銀座のヤマハホールでチェロアンサンブルのリハーサルがあった。
できたばかりのホールは舞台の音がそのまま客席に届く感じだった。よく響くのに音はまわらない。舞台の真上からはアクリル板が何枚かつり下げられていて、それを上げ下げして響きを調整するらしい。壁も複雑な形で、きっとこれが響きの秘密なのだと思う。

ゲリンガスさんはロストロポーヴィチがそうだったように、手足が長く胸板は厚い。椅子は高くしてあるのに頭の位置は低い。チェロは自然に体にフィットする。うらやましい。
間近に接して、チェロはこうやって弾くもの、と教えられるようだった。大切なことは心と体をいつも開き、楽器の響きも開くことだと思った。僕は心と楽器を締めていたようだ。それだけのことなのにチェロの鳴り方が変わった。

2010年5月24日 (月)

羽毛にくるまれたような

今日は月曜日。

ヤマハホールでのチェロアンサンブルのリハーサルが始まった。
ゲリンガスさんと一緒に弾くのは初めて。強く弾く人、と思っていたけれど、間近で見る右手と左手は見事な脱力だった。弓はふわっと持っているから、ぶつけても音がつぶれたりかたくなったりすることがないし、左手は指板の上でやわらかくボールが回る感じだ。
右腕に力が入らないようにとは思っていても、左を抜くと破滅的なことになるのでできないと思っていた。弾け具合がまったく違うんだなぁ。音はとても大きいのだけれど、誤解を恐れずに言えば、弾き方は羽毛にくるまれているようだ。全身がクッションのようになって弾いている。

ゲリンガスさんの演奏会や公開レッスンを見る機会は多く、クールな印象を抱いていたけれど、練習中も茶目っ気たっぷりだった。心も楽器を弾くことも、とにかく外に向かって開けようと思った。僕もきっとまだまだ音が出る。

プログラムの中にウルヴァイティスのバッハバリエーションという曲がある。チェロ組曲をモチーフにして、6パートがだいたい半拍ずつ遅れて追っかけていく。よく知っている曲が分解されて、しかも違う拍子にはめこまれてしまうとけっこうびっくりする。時々ブランデンブルクの6番のような響きになるが、はたして。
ヴィヴァルディの2本のチェロのための協奏曲はゲリンガス版で、ソロと伴奏を6パートに振り分け、全員がすべてのモチーフを1回は弾くようにできているらしい。成田からフランクフルトに飛ぶ機内で編曲したそうだ。

2010年5月22日 (土)

5月22日宗次ホール

5月22日宗次ホールでの演奏会、多くの方にお越しいただき本当にありがとうございました。
11時半開演の演奏会は、9時半にゲネプロが始まってから嵐のように時間が過ぎましたが、あたたかく聴いてくださった皆様と長谷川彰子さんのひたむきな情熱に支えていただきました。

昼食の後、新幹線に。
帰宅したら明日から始まる都響のニールセンやベルリオーズ、明後日から始まるヤマハホールでのチェロアンサンブルの勉強が待っている。さぁ、がんばろう!

2010年5月20日 (木)

ただ音が無いのではなく

4月のムーティの2日間のリハーサルは、書き留めておきたいと思う言葉がいくつもあった。
宗次ホールで明後日弾くデュオやソロの曲の練習をしていてよく思い出すのは、フレーズが終わり休符になったとき、ただ音が無いのではなく、次のフレーズへの方向性をもつように、ということだ。弦楽器を弾くことは難しい。でもその技術よりもっと大切で難しいことは的確ですばらしい音楽を心の底から感じることだと思う。

最近本番の日は家に帰ったら何もしないようにしていた。でも今晩はこれからポッパーの組曲やソリマの練習を録音したものを聴こう。先週の「我が祖国」疲れが抜けていない腕や手には、ファイテンのシールがいっぱい貼ってある(ピップエレキバンではない)。
5月も佳境に入ってきた。

2010年5月19日 (水)

音が集まる

幸いしなくてはいけないことが多くて、時々今日が何曜日かわからなくなる。

今都響には大野さんが来ている。
オーケストラの経験を何年か積んで、僕にも少しずつわかってきたことがある。大きな音を出すことはそれほど難しくないが、全体の音を集めたり小さい音を出したりすることは難しい。
うまくいっていない時はごみ箱をひっくり返したみたいに音が散らばるし、音程がほんの少しあっていないだけで音はすごくふくらんでしまう。音程がうまくいっているときは純度が高くて、一瞬音が小さいように錯覚する。

今日は3日目のリハーサルだった。澄んだ音で締まっていると思う。
チャイコフスキーのマンフレッド交響曲の第3楽章はオーボエの旋律で始まる。その旋律の冒頭はビートルズのノルウェイの森にそっくりだ。いや、ノルウェイの森が似ているのだった。

トッパンホールの情報誌に

トッパンホールの情報誌に僕の書いた文章を掲載していただいて、それがPDFファイルになったものがダウンロードできます。よろしければ下記からどうぞ。2010年3月号です。

http://www.toppanhall.com/archive/press/index.html

2010年5月17日 (月)

5本の弦楽器で

パガニーニのヴァイオリン協奏曲を5本の弦楽器(ヴァイオリン2・ヴィオラ・チェロ・コントラバス)で伴奏できないか、という話があり、先日5人集まって音を出してみたらなんだかいけそうだった。曲の構成がシンプルなので、ところどころ木管楽器が受け持っている旋律を誰かが弾けば形になる感じだ。金管・打楽器はないから花火が炸裂するような華やかさはないけれどおもしろそう。これにソリストが入ったらどんなだろう。

公演の詳細はこちら:
http://www.toppanhall.com/concert/detail/201008041215.html

2010年5月16日 (日)

一杯だけ

同じ内容で2公演以上ある時は必ずといってよいくらい公演ごとにまるで違うものになる。
今回の我が祖国、初日は緊張感が持続し、今日15日は最後の5、6曲目に大きな盛り上がりがあった。

もりもり弾く仕事だったから用心して仙台滞在中はお酒を飲まないようにしていたのだけれど、終演後仙台駅改札近くのキリンシティで一杯だけビールを飲み新幹線に飛び乗った。
さすがに体の負担が大きかったので帰京したらすぐプールに行った。

ところで明日からの仕事の譜読みはほぼ手つかずのまま山積みだ、さて。

2010年5月14日 (金)

年をとることも

今回の仙台フィルのロビーコンサート、ヴァイオリンのお二人と一緒に室内楽を弾くのは本当に久しぶりだった。小川さんとは、おそらく10年以上前にピアノトリオを何度も、小池さんとはその昔沖縄のムーンビーチでミュージックキャンプがあった時「フィレンツェの思い出」を弾いて以来だと思う。20代の、しかも前半だった。

指揮の広上さんに初めてお会いしたのは、ムーンビーチのキャンプがなくなった後、一度だけ室内楽と指揮を併せた講習会が開かれた宮古島でだった。
その時教えてもらった数々の珍体験(オーケストラの演奏会中に起こる信じられないような出来事)は今でも覚えている。

次に広上さんに会ったのはイタリアのシエナ。今日の演奏会にはあの97年の夏にシエナにいた人間が、僕を含めて、少なくとも3人いた。

今年40歳になる僕は、おののきながらなすすべもなく、誕生日に向かってひきずられている。30歳というのは責任も自覚もある立派な大人だと昔思っていた。その年齢はとっくに過ぎ去り、相変わらず中味は子供のまま、おそろしいことにあと数ヶ月で40歳になるのだ。

けれど、こうして久しぶりに誰かに会って、すばらしい時間を過ごすこともできるのだから、そんなにこわがらなくてもよいのかもしれない・・・。

いつも思い出深い

「我が祖国」の演奏会はいつも思い出深い。
去年は都響と小林研一郎さん、九響ではエリシュカさんの指揮で弾いた。

今回の広上さんと仙台フィルの熱い「我が祖国」も素敵だ。1曲目のヴィシェフラートが始まるとぐっとくるものがある。
3日間の練習はけっこうみっちりあったので、もし右手に細かい音符のきざみやトレモロを担当する「トレモロ筋」というものがあるとしたら、その筋肉はすっかり疲労困憊してしまっているが、明日14日からの演奏会が楽しみ。

2010年5月11日 (火)

「祖国」と「生涯」

仙台フィルの「我が祖国」のリハーサルが始まった。
今回は開演前のロビーコンサートでも同じスメタナの弦楽四重奏「わが生涯より」の第1楽章を弾く。5月の仙台は「祖国」「生涯」となぜだか人生系だ。
どちらも素晴らしく大好きな曲ではあるけれど、特に「我が祖国」は自分の右手の容量を越えてしまうくらいぐぎぐぎと弾いてしまう、労働量の多い曲だ。おかげで張り替えたばかりの新しい弦はすぐに馴染んで、スピロコア特有のあのじゃらじゃらした感じは落ち着きそうだ。

アイスランドの火山噴火の影響でヨーロッパからの飛行機が今朝成田に着き、電車を乗り継いで仙台に入ったばかりの指揮の広上さんが一番元気だった。

今日は本当によく弾きました。

2010年5月10日 (月)

演奏会の予定を

演奏会の予定を更新しました。

今週は仙台へ、5月27日には銀座のヤマハホールでチェロアンサンブルがあります。

http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/ensoukai.html

2010年5月 9日 (日)

楽器と弓

銘器と呼ばれるチェロを、ごく短い時間ではあったけれど、弾かせていただく幸運が最近あった。
僕が弾いても豊かな倍音が体を包む。たぶん耳にきこえる範囲よりもっと広い音がいっぱい出ていて、だからあんな深々とした響きになるのだと思う。楽器の顔も状態もとてもよかった。

それとは別の機会に、もっと新しい、百歳にはなっていないチェロを弾かせてもらうことがあった。
とてもよく鳴る楽器で、どんなに強く弾いても音はつぶれずに応えてくれた。

そういう経験をしていつものチェロに戻ると、自分の弾き方や楽器の癖がよくわかる。幸い、絶望的に対処のできないものではなくて、意外に近いところに突破口が見えたような気がする。
有り難かった。

毛箱をつくってもらった弓の、調整と毛替えをしてもらった。毛箱と弓の隙間を狭くして、毛の張り方にもお願いをしたら、さらに弾きやすくなった。
演奏会で使うことをあきらめかけていた弓だったのに、じゃじゃ馬のような性格はすっかり落ち着き、今はとてもよくなじんでうれしい。

2010年5月 8日 (土)

どうしても最終列車に

ピアニスト、アルカディ・ヴォロドスのウィーンでのリサイタルが放映されて、後半しか見られなかったのだけれど、素晴らしかった。
マシュマロのように丸く柔らかく分厚い手から生み出される音は、見事にコントロールされていて、うちのテレビからどうしてこんなにいい音が出てくるのか、と思うくらいだった。

新日フィルにいた時、彼がソリストとしてラフマニノフの3番の協奏曲を弾いたことがある。小澤さんの指揮で、確か酒田、北上、東京、と隙間のない日程で回ったはずだ。
北上公演は夜の早い時間で、翌日のパルテノン多摩は午後か夕方くらいの本番だったと思う。旅程は北上公演の後、現地泊、翌日帰京してそのまま多摩へ、となっていた。
でもぎりぎりのタイミングで北上から東京へ向かう最終の東北新幹線があり、北上公演当日はそれに間に合うかどうかが最大の関心事だった。そわそわしていたのは僕だけではなかったと思う。きついスケジュールだったから帰れるものならどうしても帰りたかった。

でももしヴォロドスがアンコールを弾いたらその時点でこの計画はご破算となる。気難しい人らしい、ということだったからなおさらアンコールについて尋ねる訳にいかない。もちろん北上に泊まる人たちもいたけれど、僕は宿をとらず帰るつもりだったから、やきもきしていた。
ふとしたときにヴォロドスが、オーケストラのメンバーはどうやって移動するのか?とスタッフに尋ねることがあって、その説明に彼も事情を飲み込んでくれたらしい。僕たちは終演後楽屋口に呼んでおいたタクシーに飛び乗り、最終列車に間に合った。

テレビを見てそんなことを思い出した。あの時は必死だったけれどアンコールの可能性がなくなった北上のお客さんたちには申し訳なかったと思う。
彼の演奏は当時より格段に素晴らしくなっていると感じた。

2010年5月 5日 (水)

石火之機

ペレーニが椅子に座るや否や弾き始めるのがやっぱり不思議だ。心にある音楽と、楽器を弾く体との間に隙間がないのかもしれない。

普段のオーケストラや室内楽の仕事の時、誰かが始まりの合図を出す。それはほとんど無意識の習慣になっているけれど、これがもしかして演奏を大きく左右しているのだろうか。

内田樹さんの著書「日本辺境論」に『「機」の思想』という章があり、その中で澤庵禅師の言葉が紹介されている。
『石火之機と申す事の候。(・・・)石をハタと打つや否や、光が出て、打つと其のまま出る火なれば、間も透間もなき事にて候。是も心の止まるべき間のなき事を申し候。(・・・)たとへば右衛門とよびかくると、あつと答ふるを、不動智と申し候。右衛門と呼びかけられて、何の用にてか有るべきなどと思案して、あとに何の用かなどいふ心は、住地煩悩にて候。』

本番の舞台でもっと無意識に自由になれたら演奏はきっとうまくいく。はっとしたり余計な心配をしたりした瞬間に演奏の流れが失われているのだから。

2010年5月 4日 (火)

熱狂の日

4月の冷たい雨が嘘のように、今年もゴールデンウィークは天気がいい。
昨日今日、都響はラ・フォル・ジュルネに参加した。相変わらずの盛況で、定期会員も来てくださっていたし、普段都響に縁のない人たちの前で演奏できることもとても新鮮だ。

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帰り道、猫に少しだけ遊んでもらった。

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2010年5月 2日 (日)

スワン家の方へ

ついうっかり「失われた時を求めて」の第1冊目を買ってしまったばかりに、他の本がまったく読めなくなって山積みのままだ。

まもなく文庫本で2冊目、全体では第1篇の「スワン家の方へ」を読み終わる。
ひとつひとつの文章が長いし段落も長いので、ペースをつかむまで骨が折れた。今はまさに読書にふけっている状態だ。こんなことは久しぶりだと思う。あとたっぷり11冊あるから、5月、6月にある旅の仕事に何を持っていくかの心配はなくなった。

ジャンルー・シーフが自身の写真集の中でこんなことを書いている。ヒントになるだろうか。
『奇妙なことに、多くの人にとって、プルーストの「失われた時」は「時間を失う」という意味で理解され、プルースト自身にとっての意味、つまり「もはやありえないであろう時間」という意味(すべての写真家にとってそう意味するはずである)では理解されていない。
個々のイマージュは、過ぎ去った時、そしてそのイマージュが少しだけ保存する時と不可分である。』

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