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2010年6月

2010年6月29日 (火)

ニ短調の協奏曲

仙台のコンクールの仕事で一番の発見は、初めて弾いたブラームスのニ短調の協奏曲が素晴らしい曲だった、ということだ。
何箇所か弾きながら泣きそうだったし、チェロとコントラバスが低音を強く伸ばしてその上にピアノが弾くテーマがのっかる部分は、まさに低音楽器の醍醐味と思った。

ブラームスが20代の時の作曲で、演奏時間も長いしよく整った曲とは言えないのだけれど、そういうところまでも魅力かもしれない。
仕事の前に買えよと怒られそうだが、帰京してからスコアと「普通の」テンポを知るべく新たにCDも手にいれた。消化不良を起こしていて、もう一度勉強し始めたのだ。

最近旅の仕事にデジタルカメラさえ持っていかなくなった。
数年前だったらその旅の何ヶ月も前からどのカメラとレンズを選ぶのか毎日のように頭を悩ませていたのに。今年は釣りも一回しか行っていない。
音楽が趣味のようになってしまったのかもしれない。

2010年6月26日 (土)

ピアノ部門本選

仙台国際音楽コンクールピアノ部門の審査が終わった。
ほとんどの参加者がリハーサルと本番の間に明らかに成長していて素晴らしいと思った。様々な景色が見えた。

乱暴な言い方をすると、男の子の方がロマンティックな夢見がちな演奏で、女の子ははるかにリアリストだと思った。

リハーサルの時オーケストラが急ぐ、言った子がいた。指揮者は否定したが(僕はその子のテンポが不安定だと思った)、頑として主張をゆずらない。本当にゆるぎないものを持っていたら強い主張になったのだけれど。
それはともかくソリストとしてその強さは必要だと思う。ただ本番が始まったらリハーサルの時の安全運転はどこへやら、とても速かった。

優勝した彼のラフマニノフは好きだった。大きい音ではないし特に激しい演奏でもないから、そこがどう評価されるのかとは思っていた。でも、ラフマニノフはそういう音楽だよね、と思わせるものがあった。

演奏会とはまた違う集中と緊張をした後、仙台の街に出るとまだ明るくて、世の中はこんなに平和なのかと拍子抜けした。

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そう、昨日は演奏の後螢を見に連れていってもらった。青年文化センターのすぐ裏手で螢が見える。真っ暗なところでほのかな光を見ると、使わなくなった感覚が呼び戻されるようだった。

クラマーさんの言葉

今日の日経新聞に50年前に来日したサッカーのドイツ人コーチ、デットマール・クラマーさんの言葉が載った。印象深いので引用させていただきます。

「サッカーではどんな展開が待っているかわからない。だってボールは、こんなにまるいんだから」
「君は今、大変なことをやろうとしている。大変なことだから素晴らしいのだ。素晴らしいことをする人間が、くじけてはいけない」

2010年6月24日 (木)

東西問題

エスカレーターの東西問題というのがあって、東京では人々は左側に立つ、名古屋も左側。大阪は右側らしい。右か左か、どこにその境界線があるのかなかなか興味深い問題だ。
以前ブルネロに「イーストジャパンでは人々は左側に立つが、ウェストジャパンでは右側だ」と教えたら、「信じられない、イタリアでは滅茶苦茶だ」と言っていた。

ちなみに仙台ではほとんどの人が右側に立つ。実際にその土地に行かないとわからないことは確かにある。

2010年6月23日 (水)

仙台国際音楽コンクール

仙台国際音楽コンクールの仕事が始まった。ヴァイオリン部門はすでに終わっていて、僕が弾くのはピアノ部門の本選。
このコンクールの特色は最終予選(セミファイナル)からオーケストラと協奏曲を弾くことだ。これから世に出ていく人たちにとってプロのオーケストラと弾く機会はそうそうあることではなく、もし入賞するとこの期間に3回(セミファイナル、ファイナル、ガラコンサート)共演できるから、きっと大きな糧になると思う。

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ファイナル1日目のリハーサルが終わっただけで、オーケストラ(仙台フィル)にとって決して楽な仕事ではないことがわかる。
ピアノ本選の課題曲は18曲の中から選ぶ。選考過程で絞られて、結局6人で5曲となった。
今日ブラームスの1番のリハーサルもあった。わかってはいたけれど耳にしみついたグールドのテンポよりずっと早く、まるで別の曲のようだった。

新日フィルに入った頃、家にあったチェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルの録音で勉強していくと、いつもそれよりずっと早いテンポで弾かなくてはならずあまり参考にならなかったことを思い出した。

仙台のコンクールは1日3人、一人あたり1時間のリハーサルが割り当てられ、あとはゲネプロと本選。日曜日には入賞者によるガラコンサートがある。

コンクールで入賞するためにはもちろん間違えずに上手に弾いた方がいい。でも音楽家としてキャリアを築いていくためにはもっと大切なことがある、それが今の僕には痛いほどわかる。相変わらず楽器はなかなか思うように操れないが、少なくとも頭ではよくわかる。
今日3人の若い参加者の演奏を聴いて感じた。

2010年6月21日 (月)

バックハウスのブラームス

僕にとってその演奏と切り離せなくなった曲はいくつかある。バックハウスが弾くブラームスの2番のピアノ協奏曲はその一つだ。

ブラームスの音楽とは、という問いに見事に答えてくれる演奏だと思う。冒頭のホルンや第3楽章のチェロ・ソロの素晴らしさは言うまでもなく、ベームが指揮するウィーンフィルとピアノの音色が渾然一体となり、テンポ、音色、フレージング、音楽の動き、全てがもうそれしかない、と感じられる。
オーケストラの仕事をする者として、たとえ一聴衆としてでもいい、こういう音楽を生涯に一度は体験してみたいと願う。
高校2年生の頃、この曲を聴かずには一日も過ぎなかった時期があった。カザルスのホワイトハウスでのコンサートと並んでよく聴いたLPレコードだ。

僕が生まれる前の1967年の録音。演奏はもちろん、録音のエンジニアも素晴らしかったのだろう。録音の古さは感じられないし、むしろ音楽の大切なところはあますことなくとらえられているような気がする。

予選の結果今週仙台で弾く可能性はなくなった。

2010年6月18日 (金)

ミューザ川崎

今日はミューザ川崎で「復活」の2回目の本番。
デザインなのか音響のためなのか、それぞれのフロアが螺旋状になっていて、舞台から客席を見ると水平がわからなくなりそうだ。斜めの床に一つ一つ水平を出しながら客席を設置したのだろうか、もしそうだとしたら大変な手間だなぁ。

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舞台は奥に深く、また舞台から明るい一階席がよく見える。バックステージは広く落ち着いていてとても居心地がいい。僕たちにとっては大切なことだ。
有名なベルリンのフィルハーモニーに一度だけ行ったことがある。舞台裏に軽食の売店があってなかなか素敵だった。

2010年6月17日 (木)

グールドのブラームス

今まで一度も弾いたことがなくて今回初めて勉強した曲の一つがブラームスの1番の協奏曲。
名古屋にいた頃、高校生か、もしかしたら大学生になっていたかもしれない、バーンスタインが指揮するニューヨークフィルとグレン・グールドが弾いたLPを買ってよく聴いた。1962年カーネギーホールでのライヴだ。同じものを東京に出てきてからCDで買って、やはりよく聴いたと思う。でももう何年も棚で眠っていた。

今回その録音を初めて楽譜を見ながら聴いた。ピアノの音色はもちろん、チェロのごりごりいっている音や管楽器の音程のずれまで克明に覚えていてびっくりした。頭の中のどこか奥の方にしまわれていたらしい。
客席で誰かが始終咳をしていることまでよくわかってしまうのだけれど、演奏は文句なしに素晴らしい。どの音にも音楽的要求がみなぎって、ライヴならではの緊張感がある。ただし健康的な感じはあまりせず、陽のあたらないところで青白い炎がぐらりと揺れるような魅力だ。

このブラームスもオーソドックスではない演奏で、それを説明するため演奏に先だってなされたバーンスタインのスピーチも収録されている。
「Don't be afraid, Mr.Gould is here」(心配しないで、グールド氏はいます)と始めた途端に聴衆がわっと沸く話はユーモアのセンスにあふれていて抜群だ。バーンスタインは指揮だけでなく、実に様々な面で才能を持っていた人だと思う。
第1回目の札幌のPMFで世界各国から集まった若者のオーケストラを指揮しながら(シューマンの2番だった)、必死に音楽を伝えようとしていた姿は忘れられない。

CDのライナーノーツの中には、当時のものと思われるニューヨークフィルのメンバー表も載っている。チェロを見ていたらNathan Stutchという名前を発見した。インターナショナル版のポッパーの練習曲の校訂者だ。ニューヨークフィルの人だったのか。
3人いるアシスタントコンダクターの中にはSeiji Ozawaとある。今日6月17日の新聞報道で小澤さんは今年から来年にかけて予定されていたベルリンフィルの指揮をキャンセル、とあった。心配。

2010年6月15日 (火)

ピアノ協奏曲

来週始まる仕事のためにこのところずっと様々なピアノ協奏曲を勉強している。
http://www.simc.jp/index_j.html

ピアノには協奏曲だけで大変な数がある。チェロにはドヴォルザーク、シューマン、ロココ、ショスタコーヴィチ、ハイドン、・・・。
ピアノの何より素晴らしいことの一つはふたを開けたらすぐ弾けることだ。チェロは音が出るまでに何かと手続きを必要とする。ケースから出してエンドピンを伸ばして弓を張って松脂を塗って調弦して・・・。
でもピアノで身をたてようとしたら、一番才能の必要な楽器だと思う。オーケストラの仕事で、例えばショパンの協奏曲は当たり前のように弾くが、スコアを見てみて、この膨大な音を暗譜で弾くピアニストは、それだけで尊敬に値すると思った。

明日からはインバルの指揮する「復活」の本番が続く。メゾソプラノのイリス・フェルミリオンは今回も素晴らしい。

2010年6月12日 (土)

「ゲルマントの方」

4月下旬に読み始めたプルーストの「失われた時を求めて」。最初の3冊は順調に読み進んだのだけれど、先月急に忙しくなったこともあって滞っていた。昨日から集英社文庫で5冊目、第3篇の「ゲルマントの方」に入った。
3冊目4冊目と進むにつれてだんだん分厚くなり、1冊あたり五百ページを超えて大変になってきたと思っていたら、5、6冊は本文だけで六百数十ページある。本屋で全体をながめたらこの第3篇がかなり長くて、どうやらここが半分の地点になりそうだ。それでもあと7冊ある。普通の長編小説ならもうとっくに終わっているぞ。
さて読み切れるだろうか。

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2010年6月11日 (金)

HMV渋谷

蓄音機、LPレコード、オープンリールのテープ、カセットテープ、CDと様々にメディアが変化した中で、今のipodに代表されるオーディオプレーヤーの画期的なところの一つは(ハードディスクを搭載した機種もあるけれど)、回転部分を持たないことだと思う。
僕にも、これまでのオーディオが回転部分の問題に多くのエネルギーを費やしてきたことはわかる。一昔前のカセットテープデッキのカタログにはどれほどテープの走行が安定しているかが高らかに謳われていたし、いまでも新製品が出るハイエンドのレコードプレーヤーにとっていかにターンテーブルを静かに回せるか、ということはとても重要な要素のはずだ。

回転部分のノイズから解放されて、しかもモーターに電池を消費されることのなくなったエディロールやipodは昔のカセットテープのウォークマンからすると夢のような道具だ。音源をCDからではなくインターネット経由でダウンロードすることも一般的になっているようだ。
新聞にHMV渋谷店が8月に閉店という記事が載り、店側は理由を明らかにしていないが、音楽がダウンロードされるようになってCDの売り上げが落ちているためではないか、と書かれていた。

CDは仕事上必要だから着実に増えて、今ある棚がいっぱいになるのは時間の問題だ。
でももしすべてハードディスクに入れてデータとして管理してしまえばその問題は解決する。小さなハードディスクにCD数千枚のデータは入る。CDプレーヤーで聴くよりも、いったんハードディスクやメモリーに取り込んでから再生した方が音がいいとも言われる。さらに今のCDを縛っている規格を越えてずっと音のよいものを作ることだって可能だと思う。

必要に迫られてCDショップに行くことはあまり好きではないが、それでも先日のホロヴィッツのように思いもかけない録音に出会うことはある。目当てではなかったものや興味のなかったものに触れて手にとる機会、という意味で本屋と共通する発見や喜びがある。時代は変わるものだけれど、全てデータになってネット上でやりとりされるようになったら随分さみしいだろう。
HMV渋谷には学生時代、同級生でチェロの林君と一緒によく行き、時間をかけておもしろそうなCDを見つけることが楽しみだった。

2010年6月10日 (木)

確かに頭にくるだろう

江東区の倉庫の上にあるギャラリーで開かれている奈良美智展に行った。
http://www.tomiokoyamagallery.com/exhibitions/yoshitomo-nara-exhibition-2010/#fragment-1
おもしろい作品がたくさんあって、お金と場所があれば僕もと一瞬思った(ドチラモナイ)。聞くと特に小ぶりなものは初日に売れてしまったそうだ。相応の値段がついていてもそういうものか。

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その後映画「コロンブス 永遠の海」を見た。上映中ずっと大きないびきをかいて寝ている人がいて、別の人がそれに怒って紙屑か何かを投げつけたのだけれど状況はまったく変わらなかった。近くでされたら確かに頭にくるだろう。僕の席からは一部始終が見えて、映画はともかくそれがおかしかった。

2010年6月 9日 (水)

まだまだ

弦を変えたせいか弾き方が変わったせいか、調子がいい。
わかってしまうと何だこんなことかと思う反面、何かができるようになることはやはり大きな喜びだ。気のせいかもしれないけれど演奏上の発見はよくあり、数ヶ月前の自分とは別人になっていると思うことさえある。振り返ると過去の自分はいつも愚かに見える。いくつになっても大人になれない子供のような気がするのはこのせいか。

残念ながら暗譜の能力や反射神経は10年20年前より落ちているかもしれない、でもまだまだ先へ進めそうだ。
チェロをやっていてよかったと思うのは、幼い頃始めたものを今も続けていて、しかものろのろとではあるけれど向上を目指せることだ。
もしも運動選手だったら僕の年齢は厳しいかもしれない。音楽家も楽な仕事ではないが、まだがんばれる。もう少しましになりたい。

2010年6月 6日 (日)

ホロヴィッツのチャイコフスキー

またすごい録音を見つけた。
タワーレコードに行ったら「ホロヴィッツ未発表正規録音/極上プライベート盤より復活!」という刺激的な見出しとともにCDが平積みされていて、少し試聴してすぐ買うことに決めた。ジョージ・セル指揮のニューヨーク・フィルと演奏したチャイコフスキーの協奏曲、1953年カーネギーホールでのライヴ録音だ。

僕が初めてチャイコフスキーのピアノ協奏曲を弾いたのは桐朋の学生オーケストラで、ソリストはグレゴリー・ソコロフだった。そんなに弾いたらピアノが壊れると心配になるくらいの音で弾き初め、終楽章はさらにすごいテンポと音量になり、オーケストラを完全に支配してしまった。
あの時学生でしかも初めてだったから余計そう感じたのかもしれないけれど、彼の印象は強烈だった。

オーケストラの仕事をしているとチャイコフスキーのピアノ協奏曲はしばしば演奏する。でも実はよく欲求不満になっていた。力で押し切るだけの演奏は好きではないが、この曲に関してはソリストにオーケストラを圧倒して欲しい。音量もそうだし、何より音楽の強さを聴きたい。

このホロヴィッツの演奏はすごい。火の玉のように弾いてオーケストラとぶつかり火花を散らす。第2楽章の途中からますます熱く、それはいくらなんでも無理!と言いたくなるテンポに到達してしまう。
終楽章は、そう弾いて欲しいとずっと願っていた3拍子の感じだ。ほとんどの人が平板に演奏するので、僕はおかしいのかとあきらめかけていた。でもこうだ、これだ。
熱くなりすぎて最後は大変なことになる。安全運転からはほど遠いが、演奏会として十分成立している。演奏はこうやってするんだ。

2010年6月 5日 (土)

当たり年

僕と同じ頃(95年卒)学校を出た人たちとは今でも仕事場でよく会う。都響の中にも6、7人いる。不思議なことにある年に集まる傾向があると思う。

今の24、5歳には優秀なチェロの子たちが恐ろしいくらいそろっている。先月一緒に弾いた長谷川彰子さん、松本瑠衣子さんもその学年だ。いったい何人いるのだろう。僕たちの頃からは考えられないくらい皆よく弾けるし、音楽の理解も深い。さらに感心するのは一緒にいて楽しいことだ。
その中には、すでに世の中に出ている子も、留学を目指している子も、まだ自分が何者か探している子もいる。

僕が出たての頃外国の講習を受けたりコンクールに参加したりすると、日本とあちらにはずいぶん差があると感じた。
もう時代は変わったのかもしれない。

2010年6月 4日 (金)

ターリヒ指揮のチェコフィルと

ロストロポーヴィチが弾くドヴォルザークの協奏曲の録音といえば、何と言ってもカラヤン指揮のベルリン・フィル、あるいは小澤さんの指揮するボストン交響楽団とのものが有名だと思う。
E.ウィルソン著「ロストロポーヴィチ伝」の中に、まだ20歳代の彼がプラハでヴァーツラフ・ターリヒ、チェコ・フィルとドヴォルザークを録音した際のことが出てくる。1952年のことだ。

この録音は数年前にミラノの小さなレーベルからショパン、シューベルト、フォーレなどの小品とカップリングされてCD化されている。録音自体はモノラルで演奏上の傷があるにしても、ドヴォルザークも小品も非常にスケールの大きな風格のある演奏で感銘を受ける。僕はロストロポーヴィチの録音を進んでは聴いてこなかったけれどやっぱりすごい。目の前で聴いたら圧倒されただろう。

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シュタルケルの歴史的なコダーイの録音は1948年頃、僕の大好きなフルニエのハイドンのニ長調の協奏曲の録音(ミュンヒンガー指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団)は1953年。どれも素晴らしい演奏だ。この頃の音楽界は大変な水準だったということだろうか。

以来50年以上過ぎて世の中の技術は確かに進歩したのだけれど。

2010年6月 1日 (火)

4本の青い弦 その2

楽器の調子は日によってけっこう違う。僕は楽器にテンションがあって音が立体的に出る時が好きだ。平ぺったくぺしょぺしょしてくると辛い。なぜ日替わりになるのかずっと不思議だった。

どうも僕の弾き方のせいらしい。ゲリンガスさんの弾き方を間近で見ていて、楽器を自由にしてやれば自然とテンションが出てくる、そんな気がした。
楽器のテンションがない時、弦のテンションを上げることは一つの方法ではある。でも多分それは解決にならなくて、再びテンションが落ちる可能性がある。
弦のテンションは下げて楽器のテンションを上げられたらとてもいいのではないか、と思って弦を変えてみた。赤い弦を4本(ヤーガーのフォルテとスピロコア)という組み合わせは好きだけれど、上をヤーガーのミディアム、下を最近日本に入ってきたワーシャルという弦にしてみた。

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ワーシャルはオイドクサをずっと使いやすくした感じで、ドスの効いた低音は期待しにくいが、響きが多くて上の弦の高音がとても伸びやかになる。
早く広い場所で弾いてみたい。

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