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2010年11月

2010年11月30日 (火)

2万人近くの

今晩のサントリーホール公演で11月中旬から続いたインバルの演奏会がひとまず終わり。今日のブルックナーは楽しかった。

空き時間にサントリーホールの公演カレンダーを見ていて、12月は18日からひたすら第九の演奏会が続くことを発見した。23、24日だけはクリスマスコンサート、それ以外は在京7つのオーケストラが入れ替わり立ち替わり第九を29日まで演奏する。2000人近いキャパシティのサントリーで10公演、ということはここだけで2万人近い聴衆が詰めかけることになる。なんとまぁ。

2010年11月28日 (日)

オーケストラを弾いている方が

都響ベトナム公演はブラームスプログラムでヴァイオリン協奏曲と1番の交響曲だった。
本番が終わってもヴァイオリン協奏曲がずっと頭で鳴っていて、帰国後も毎日のように聴いている。僕が持っているのはオイストラフ、ヌヴー、マルツィがソロを弾いている録音で、全てどちらかというと古いものだ。新しい演奏、それも現代的なオーケストラの音が聴きたくてギル・シャハムの演奏を手に入れた。オーケストラはアバドが指揮するベルリンフィル。期待通りオーケストラも素晴らしく、全体の音はもちろん、ソロとそれぞれのパートの絡みを聴くのも楽しい。

確かにヴァイオリン協奏曲なのだけれど、この曲はオーケストラのパートがとても充実していて、もしかしてオーケストラを弾いている方が楽しいのではないか、と思ったりする。建物にたとえると、オーケストラが構造を受け持ち、ヴァイオリンのソロが装飾など最後の仕上げをしているような気がする。
また第2楽章は冒頭からオーボエの長大なソロがあり、これはあらゆるオーケストラレパートリーの中で僕が最も好きなオーボエの旋律の一つだ。

最近チェロを弾くときのA線の第1ポジションの左手に問題があるのではないか、と思って集中的にさらっていたら、あまり調子がよくない。めいっぱいの練習は避けた方がいい状況なので、映画「ナイトアンドデイ」を観にいった。毎日のブラームスも素晴らしいが、ポップコーンを食べながら観る映画もいい。

2010年11月27日 (土)

地震だった

24日芸劇での本番中にパイプオルガンがみしみし音を立てたのは地震、と教えてもらった。茨城県沖を震源とする震度4の地震だったそう。ホールが揺れても必ずしも吊りマイクが揺れるとは限らないんだなぁ。
ずいぶん前、倉敷の市民会館でリハーサル中に地震があって天井から吊ってある大きな反響板がゆさゆさ揺れたことを思い出した。

2010年11月25日 (木)

ただならぬ気配

昨日の東京芸術劇場での演奏会、ピアノ協奏曲を弾いている最中に舞台後ろのパイプオルガンがただならぬ気配を発している時があった。すぐ天井から吊られているマイクを見ると揺れていなかったから地震ではなかったはず。巨大なパイプオルガンがみしみし音をたてるなんてうれしくない。

今日は昭和記念公園へ。楽しみにしていたイチョウの紅葉はとっくに終わっていた。あれま。

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園内はもうクリスマスに向けての準備が始まっていた。

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明日からはブルックナーの6番のリハーサル。

2010年11月24日 (水)

カルテットのように緻密な

同窓会で久しぶりに会って、その風貌の変わりように誰だかわからない人はいた。でも声を聞いたり笑い方を見たりするとすぐ思い出した。
以前夕刊のあるコラムに、70歳を過ぎてからの同窓会は肩書きがなくていい、働き盛りの時は名刺交換がつきものだったから、という内容のものがあった。
僕たちの先日の同窓会は、それぞれの境遇をあまりつまびらかにすることなく、楽しく大騒ぎをした。でも同窓会の案内が来て複雑な思いをした人はいたかもしれない。

昨日今日の都響はベートーヴェンの1、8番と1番のピアノ協奏曲というプログラムの演奏会。かなりシビアな内容だった。
今年の春、やはりインバルの指揮でエグモント、皇帝、運命を弾いたときの方が楽だったと思う。1番の交響曲がとにかく難しかった。大きめの編成に時差はつきものだけれど、それでもカルテットのように緻密な音楽をしたかった。
昔初めて1番を弾いた時、何も感じられなかった。今日はいろいろな面が見えて楽しかった。年をとることも悪くない。16型で弾くベートーヴェンの8番は、音楽人生で何度もないことだろうが、それもおもしろかった。

2010年11月22日 (月)

小学生の時

同窓会には当時の先生もお二方来てくださった。

小学3、4年の時は山田先生。厳しくてよく怒られたけれど自由だった。クラスで団結して何かの時間をレクリエーションに使ってしまったり、冬は教室のストーブで餅を焼いたりした。

5、6年生の時の岩本先生は今度の春で定年だそうだ。つまり僕たちを担任していたときは20代だったと聞いてひっくり返りそうになった。
時々読み聞かせをしてくれた物語が楽しくて、その時間の終わるのがいつも残念だった。確か6年生の時、理科の授業は午後の5、6時間目に続けて組んであって、裏山に出かけたことも忘れられない。いろんな生き物を捕まえて教室に持ち帰った。池や小さな流れがあって、そこで捕まえた手のひらに乗るくらいの亀(ゼニガメと呼んでいた)はしばらく飼っていた。誰かがイモリだかヤモリだかを捕まえて教室に持ち帰りふたのない水槽に入れておいたら、翌日にはいなくなっていた。失踪が忘れられた頃の大掃除で、教卓の中からすっかり干からびたそれが出てきて大騒ぎになったこともあった。

プール開きの前に掃除をしたとき、近くに川があるからか、プールの中は小さな生態系のようになっていて、アメンボはもちろん大きなゲンゴロウも何種類かいた。ゲンゴロウなんてその時以来見ていない。
冬のサッカー部の練習の仕上げは、夕方陽が落ちて真っ暗になったころ、川沿いの信号が青になってから赤に変わるまでに校庭を全力で往復して戻ってくる「10本ダッシュ」だった。
ニュースで知る限り今の学校は大変そうだけれど、あの頃のびのびしていたと思う。

一方、現実はといえば、今日もインバルの指揮でベートーヴェンのリハーサル。結局16型は8番の交響曲のみで、1番は14型、ピアノ協奏曲は12型になった。
1番の交響曲は確実な記憶では学生時代に1度弾いたきり、本当に弾く機会が少ない。久しぶりに弾いてその理由はよくわかった。特にファーストヴァイオリンが難しく、しかもその難しさが克服できたとして演奏効果につながりにくい。でも都響のヴァイオリンは素晴らしいと思う。チェロではあんなにきっちりできそうにない・・・。
みっちりした練習で少々くたびれて新宿のタワーレコードに行ったら、都響&インバルのCDがたくさん積まれていてびっくりした。明日からの演奏会も録音されるらしい。

2010年11月20日 (土)

同窓会

小学校の同窓会に出た。
20年以上会っていない人がほとんどで、どんな様子かわからずちょっとどきどきしながら大坪小学校前の「すし哲」に行った。
楽しかったなぁ。みんな40歳になる今年、それぞれの人生があるのだけれど、集まったら打算抜きの大騒ぎだった。
僕は成人式も出なかったし、接点をあまり持たずに生きてきた。でも多くの人が変わらず同じ区内に住み、友達づきあいが続いていたりして、それがうらやましくも嬉しくもあった。

残念ながら途中で失礼して今帰京する新幹線の車中。明日は朝からインバルのリハーサルがある。なんと弦楽器は16型(ファーストヴァイオリンが16本)、木管楽器は倍管の大きな編成でベートーヴェンの1番と8番。さて。

2010年11月18日 (木)

違う世界が

ベトナムで撮ったフィルムの現像を見たら、見事にブレ・ボケが並んでいてまいった。
今のよくできたデジタルカメラにすっかり慣れていたためらしい。キャノンのS95には素晴らしい手ぶれ補正がついているし、センサーが小さいことからピントもほとんど心配がない。露出の精度も大変なもの。誰でも失敗のない写真を撮るすごい技術が小さなボディに詰め込まれているんだなぁ。

最初がっかりしたけれど、6本のポジを丁寧に見ていくとデジタルとはまったく違う世界が写っていた。道具の違いもそうだし、撮る時の心構えが出るのだろう。今日からスキャンを始めた。はやくデジタルもフィルムも全ての写真をプリントしたい。

来年の小さな演奏会のプログラムを考えている。基本的にはなじみやすい曲を集めて、でも一曲何かぴりりと。その何かにブリテンのソナタを入れられないか思案中。ソルフェージュがばっちりできればかなりおもしろいと思うが、そこが問題。

11月5日以降のベトナムでの日記に画像を追加しました。(http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-c460.html

2010年11月16日 (火)

ぱりっと元気に

前回削ってから2年たって、いつも弾いているチェロの指板がまたおねおねと掘れてきてしまったので、ベトナムに行っている間に平らにしてもらった。ちょうどよい機会と一週間ほど弦を外して楽器を休ませた。何年も酷使したままだった。

弦をしばらく外したりゆるめたりすると、意外に楽器が眠ってしまい、なかなか調子が戻らないことがある。でも今回はぱりっと元気になった。人間はまだベトナムの衝撃と疲れが抜けずぼけたまま・・・。

指板のおねおね掘れた掘れ方を見ると、どうもハイポジションに問題があるのではないか、と思わずにはいられなかった。要するに上手な人の楽器の使い方には見えないのだ。10日間別の楽器を弾いて、いつものチェロの音色や特徴がよくわかるし、楽器も元気になったから頑張ろう。

ベトナムにまた是非行きたいかと聞かれたら即答はできないけれど、おもしろかったなぁ。

2010年11月14日 (日)

帰国

早朝の便で帰国。10日間のうちに木々が色づいていて驚いた。

この国は透明で、静かで、清潔で、ものは壊れていず、まるで初めて来たところのようだった。
チェロを弾くことのできる毎日は、奇跡的なほど恵まれた状況なのだと身にしみてわかる。

2010年11月13日 (土)

迷わないこと

7、8年前のハノイには北爆の跡なのか、街に穴があった、とオーボエの広田さんに教えてもらった。和君の説明では、北爆で破壊されてしまったためにあまり高い建物はなく、今もそこかしこで建設をしている。
ハノイがほこりっぽいのは北爆の瓦礫によるものもあると聞き驚く。

ホーチミンのオペラハウスの前も交通量が多く、昨晩の公演中には車のクラクションが聞こえてきた。演奏しながら、以前パリのシャトレ劇場でラヴェルのトリオを弾いた時、足下を地下鉄が通り過ぎていく低く太い音のしたことを思い出した。

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深夜の帰国便を待っている。フィルムが少し残っていたので、ホテルの近くを歩いた。
ズームレンズのついたデジタルカメラは便利だけれど、ズームのおかげで時々自分の立ち位置がわからなくなる。固定焦点の時は、出かける時に視界がその焦点距離になっているから迷わずにすむ。もちろん撮れないものもあるが、それはそれでいい。
大切なことは撮る時に迷わないこと。デジタルを使っている時、モニターで確認して撮りなおしてもあまり良い結果を生まない、ということがわかってきた。

ベトナムに持ってきたコンタックスのT2は、今となっては旧式のカメラだが、僕の眼となってくれた。大切に撮った6本のポジフィルムの現像を早く見たい。

2010年11月12日 (金)

快晴のホーチミン

今日のホーチミンは快晴。抜けるような空はベトナムに来て初めて見た。

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いつも路地へ入り込んでいく癖があるので、今日は名所を歩いてみることにした。
今晩の演奏会場であるホーチミンオペラハウスを過ぎてサイゴン大聖堂、中央郵便局、革命博物館、と歩いたら暑さで熱中症になりそうだった。

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ベトナム滞在も残り少なくなってきた。

ベトナムの電線

日本でも写真を撮っているときに電線や電信柱が気になることはある。
当地では気になるどころか電線が圧倒的な存在感を持つ。何十本か何百本か定かではない束ねられた黒く太い何かが、変圧器から電信柱へ、さらに電信柱へ。ハノイよりはホーチミンの方がきちんと束ねられているという違いはあるけれど。

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ガイドの和君によると、強い風が吹くと電線の事故があるそうだ。切れて地面に垂れ下がるのだろう。そうでなくても時々1、2本の電線があてもなくぶら下がっている。

ハノイの旧市街では電信柱になぜかコンセントの差し込み口があって、屋台の人がそれを利用していた。電気代は、きっと払っていないんだろうなぁ。

2010年11月11日 (木)

きっと風邪のせい

朝起きたら寒気も頭痛もすっかり抜けていた。ハノイで毎朝はうようにベッドから出ていたのは、別に僕が愚図だった訳ではなく、きっと風邪のせいだったのだ。

出国の前日、横浜の演奏会から帰る途中にiPod touchを買い求めた。
不思議なことにハノイでもホーチミンでもどこかしら無料の無線LANがあり、思いの外活躍することとなった。日記の更新はもちろん、天気、地図、日本の新聞、来年発売されるらしいカメラの情報まで。

今日はおとなしくホテルの周囲で過ごしている。
昼間、野菜や肉、魚を売っている路地に入ったらあふれるような生命力に圧倒された。ただ皆小柄なのか軒先が低くて、気をつけないと頭をぶつけそうになる。

ベトナムに一週間いて、日本の素晴らしいところにいくつも気付いた。でも日本で感じるようなストレスがないことも事実だ。その理由の一つは、ベトナムの人たちはすごく勘を働かせていることだと思う。そして僕たちもここにいる以上勘を働かせなくてはならない。

ホーチミン到着

10日午後の飛行機でホーチミン着。当地は南国の都会だ。空気がほこりっぽくもいがらっぽくもなくてうれしい。

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ハノイオペラの舞台では何人もせき込んでいたもの。彼の地はどこに行ってもどこを見ても霞んでいた。ホーチミンはすっきり見渡せる。ちょうど雨期の終わりにあたり大雨が降った影響もあるらしい。

僕はといえば、ハノイの本番が終わったあたりからどうも具合が悪くて、風邪気味。明日は休みなので遠くまで足を伸ばすことができるのだけれど、残念ながらキャンセルした。旅先で体調を崩すと最悪なのは身にしみているからおとなしくおとなしく。

2010年11月10日 (水)

ゆっくり歩く

ガイドの和君が言ったように、ベトナムにはあまり信号がなく、あっても意味がない。だからどんなに広い道路でも人々は自主的にそれぞれの方向に移動する。信号が少ないから交通の流れは遮られず合理的なような気もしないではない。
鉄道が未発達だからこの交通量なのだろう。信号の無い、原付と車がひしめきあう大きな通りを横断するなんてとうてい無理、と初日には思ったけれど、すぐ平気になった。大切なことは、教えてもらったとおり、ゆっくり歩くということらしい。時々思わぬ方から原付が突っ込んでくるから周りはよく見て。
ただし日本に帰ったらこの習慣を忘れてしまわないと大変なことになる。

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通貨はドン。ガイドブック的に言うと1ドン=0.005円ということらしい。簡単な換算法として、末尾の0を二つ取って2で割ると円になると教えてもらった。とにかく数字の桁数がやたら多くて毎日戸惑っている。以前のイタリアリラも桁数が多かったけれど、その比ではない。

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今日9日のハノイ公演は無事終わり、明日はホーチミンへ。ハノイでは天気に恵まれたが彼の地の天気予報は連日雨。

2010年11月 8日 (月)

Lucky sign

午後は明日の都響ハノイ公演のリハーサル。オペラハウスの舞台でブラームスの1番を弾いていたらヴァイオリンの方で動揺があった。何かと思えば、楽器ケースの置いてある客席でネズミが走り回っているらしい。
ベトナムのスタッフは「Lucky sign」と言っていた。ん!?

リハーサルの後、河が見たくて順平さんとオペラハウスの裏手に足を伸ばした。
道はどこまでも河と平行に走り、しかも河沿いはすべて建物のようだった。道端では果物だけではなく生の魚や肉も売っていて、さらにその隣では原付の整備をしていたり、建物の建設をしていたり、ゴミを燃やしていたりと、実に様々な強いにおいが充満していた。
光景にカメラを向ける気も起こらず、河に出られる路地もないようなので目的を断念して引き返した。
昨日歩いた旧市街はまったくの観光地だったのだ。

Strong esprit

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昨晩、ベトナム国立交響楽団(VNSO)との合同演奏会の後、VNSOがパーティーを開いてくれた。
ちょうどチェロのゾンさんと席が隣になり、とつとつと話をすることができた。

ゾンさんは52歳、VNSOに在籍して26年だそうだ。それだけでもう僕はグレート、とかワンダフルとか言ってしまった。VNSOの過去の来日公演や、日本の印象、次に我々が演奏するホーチミン市のこと、僕のベトナムの印象などを話した後、思い切ってベトナム戦争のことを聞いてみた。
ハノイは北爆の対象で、B52(米軍の大型爆撃機、沖縄から離陸したはずだ)が飛来したそうだ。戦争中もチェロを弾いていたのか尋ねると、ハノイから遠く離れたところで(多分疎開のことを言っていたのだと思う)チェロを弾いていたと言われ、胸がいっぱいになってしまった。
ベトナムの人たちは外からの侵入に屈さないですね、と言うと「Strong esprit」という答えが返ってきた。

ゾンさんによると、ホーチミン市はハノイの4倍混雑していて4倍うるさいそうだ。今でも充分衝撃的なのだが。わお。

2010年11月 7日 (日)

ハノイ市街

今日のゲネプロは午後の遅い時間からなので、朝食後順平さんとハノイ市街に出た。

ホアンキエム湖の横を通り(結婚するたくさんのカップルが、花嫁衣装をまとって記念撮影をしている)、旧市街へ。
京都の町屋のようなマーマイの家を見て、店の立ち並ぶハンドウォン通りを歩いて、ハノイ大教会を見て。

とにかく人々の生活が路上にむきだしになっているから、多分何時間いてもどれだけ写真を撮ってもあきないと思う。ただしクラクションの音といがらっぽい空気にはなかなか慣れることができない。
路上には、体重を計る商売の人、天秤棒を担いだ様々な行商、昼時はテーブルもなく本当に路上で開かれるフォーの店(もし僕が鉄の胃袋の持ち主だったら是非食べてみたい。でも食器を洗うたらいの水の色を見ると無理だとわかる)、地図を見ているとすぐ声をかけてくるシクロ(人力タクシー)、店番する人、・・・。

原付であふれかえる道を横断することには少し慣れてきた。日本にいるときよりはるかに五感を働かせなくてはならない。

今日の散歩のお供はフィルムのカメラ。とにかくほこりっぽいからセンサーのゴミ問題どころではない。6年前ヨーロッパの演奏旅行ではフィルムが足りなくなってパリでトライXを買い足す、なんて気のきいたことができたけれど、今や誰もフィルムなんて使わない様子。残りの4本を大切に使おう。

VNSO練習場

僕の勝手な想像でベトナム国立交響楽団(VNSO)の練習場は郊外の広々としたところにあると思っていた。
それは見事に外れて、練習場は原付のひしめきあう通りから少し入ったところに立つ、がらんとした建物の3階にあった。

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2010年11月 6日 (土)

初めて来た国

初めて来た国なのに、昨日車中から目にしたベトナムの風景は見たことがあるような気がした。きっと開高健さんの著作や石川文洋さんたちの写真を見てきたからだと思う。

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今回の我々のベトナム人ガイド和(かず)君ー機智に富んだ抜群のセンスを持っているー曰く、ベトナムには信号があまりなくあっても皆守らないから意味がない。
道路にあふれた原付、自転車、車、歩行者、それらはたくみに流れにのってそれぞれの目的地に向かっている。しなやかにしたたかに、かつたくましく。
この人達、この人たちの親達、またその親達がフランスからの独立戦争、その後のベトナム戦争をくぐり抜けてきたのだ。僕は驚嘆しないわけにはいかない。

明日は都響とベトナム国立交響楽団との合同演奏会があり、これからそのリハーサル。

2010年11月 5日 (金)

ハノイ到着

ハノイ到着。
聞いてはいたけれど、いつもけむっているくらいここの空気はいがらっぽい。
空港からホテルに向かうバスは夕方の渋滞に加えて、途中の火事や交通事故もあって、なかなか着かなかった。

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でも道中目にした光景は常に目を丸くして見た。この国ではきっとたくましくすばしこくなければならないのだ。

2010年11月 4日 (木)

バーンスタインの

一度だけアメリカに行った時に、なんだか読めるような勘違いをして買ってきたのがバーンスタインがハーバード大学で行った講義録「The Unanswered Question」。第1章でもちろん挫折して長いこと本棚の肥やしになっていた。
今再び読み始めている。受験勉強をした時のようにこちこち辞書を引きながら(ただし現在は電子辞書という素晴らしい道具があって飛躍的にはかどる)、頭を抱えながら読んでいる。

全部で6章あるうちの今は第2章、言語学を参照しながら音楽にも言葉にも共通する普遍性を探している最中だ。用語が多く出てきて難渋している。50年くらい前の講義だから、その後きっと言語学も大きな発展を遂げ、もしかして時代遅れの説を一生懸命読んでいるのかもしれない。確か邦訳もあったような気がする。
でも物事を把握する仕方、知的好奇心や驚き、簡潔でたたみこんでいくようなリズムなど、文章からバーンスタインの人となりが手に取るように伝わってきておもしろい。本当に魅力的で大きな人だったのだと思う。(6月17日の日記をご覧くださいhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-c0e3.html

原書は持ち運ぶには大きく重いので、章ごとにコピーをとって書き込みながら読んでいる。「失われた時を求めて」に続いて「The Unanswered Question」も読めたら、それだけで今年はいい年だったと思おう。

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明日からベトナムへ。

2010年11月 3日 (水)

今日この演奏が

本番の舞台でのジャン=フィリップ・コラールは座るか座らないかのうちに弾き始め、弾き終わった時には立ち上がっていた。ピアノと彼の間にはすき間がなく、音楽は完全に体となり声となっていた。この人は別格だと思った。
生きていく上では毎日いろいろなことがある。でも今日この演奏が聴けてよかった。心が洗われるようだった。

2010年11月 2日 (火)

ジャン=フィリップ・コラール

明日の都響演奏会(みなとみらい)のソリストはジャン=フィリップ・コラールでサン・サーンスの2番のピアノ協奏曲。
今日1時間だけリハーサルがあった。おいくつくらいなんだろう、素晴らしくてびっくりした。颯爽として明快で、大きくて悠然としていて、時々茶目っ気もあって、十分な音量が出ているのにまだまだアクセルを踏める感じ。とても背が高いことにも驚いた。

2010年11月 1日 (月)

ゴミ問題と保証期間

新しいデジタルカメラのセンサーについたゴミはキヤノンのサービスセンターに持っていったら数時間で解決してくれた。

S95は一眼レフのようにセンサーのクリーニングをすることができないので、ユニットごと、つまりレンズも一緒に交換するそうだ。
ゴミを防ぐ有効な手だては?と尋ねると、レンズの鏡筒が出入りする部分にゴミが入り込まないようパッキンは入れてあるが何しろゴミ(チリ)はそこら中空気中にあるので、各社共対応に苦慮している、とのことだった。
確かにその通りだろうと思った。普及機に根本的にゴミ(驚くほど小さいゴミがモニターでは気になる)が入らないようにすることはきっととても難しい。

保証期間を過ぎたリコーのGRD2を銀座のリコーに持っていったら、やはりユニット交換しか方法がないとのこと、費用は2万円近くかかると言われ引き返してしまった。

センサーにゴミは入りうると思う(僕はこの2ヶ月で3台に問題が起きた)。保証期間内はいいとして、期間を過ぎたらゴミが入るたびに安くはないお金を払うのは大変だ。
コンパクトデジタルカメラは保証期間内にできるだけ使って期限が過ぎる前に手放すか、センサークリーニングのできる一眼レフを使うか、ちょっと残念だけれどそう考えなくてはいけないのかと思ってしまった。

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