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2010年12月

2010年12月31日 (金)

いついかなるときも

マゼールはいついかなるときも、意志がぶれることがなく、あいまいなところはどこにもなく、指揮は簡潔だ。
演奏が始まるとどの曲もあっという間に終わってしまう。あとは第九だけ。
手が疲れることを心配していたら、それは意外に平気だったのだけれど、長い演奏会でお尻が痛くなってしまった。座面と骨の間のあわれなうすっぺたい僕の肉が悲鳴をあげている。

今日の東京文化会館は大ホールでベートーヴェンの交響曲全曲、小ホールでは弦楽四重奏の連続演奏会をしている。
ベートーヴェン尽くしの年末ももう少しで終わりだ。

2010年12月30日 (木)

すべてが個性的

久しぶりに弾いたベートーヴェンの2番はみずみずしくて素晴らしい曲だった。

昔カザルスホールでリチャード・グードがベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏をした時に、32曲あるソナタはどれもユニーク、と言っていたことを思い出す。9曲の交響曲もまぎれもなくベートーヴェンの音楽だが、似ている曲は一つもなく全てがとても個性的だ。

今日3,2,1番を練習して、初期の2曲のこまやかさは別格と思った。その分神経も使うし難しい。明日の演奏順は1,2,4,3,6,5,8,7,9番。最初の3曲をどうにか越えられれば、よく演奏してきた曲ばかりになる。

チェロに関しては、チェロらしいといえばよいのか、首席の木越さん以外はまるで自由席のように曲ごとに皆で席を変わる。普段なかなか一緒に弾く機会のない人たちと弾けるし、前だったり後ろだったり真ん中だったり、セカンドの隣だったり、ヴィオラの隣だったり、コントラバスの前だったり、木管の前だったり、とオーケストラの聞こえかたも異なっておもしろい。

今回3D映像での配信があるそうで、少し画面を見させてもらったけれど(専用のメガネが必要)、立体ということは弓を間違えるとよくわかってしまうなぁ。

練習を終える時にマゼールは、人生は退屈なものだからこういう挑戦をしてもいいんじゃないか、と言っていた。
明日は9曲を暗譜で振るのだろうか。

2010年12月29日 (水)

つい数日前まで

今日は運命と第九のリハーサル。これまで弾いた6曲の中で第九の音が一番なじんでいる(ほとんどの人がつい数日前まで弾いていたのだから当然か)。すんなり練習が進むのでマゼールも少し驚いた様子だった。外国の事情は知らないけれど、毎年何度も何度も演奏されるのはやはり日本独自のことだろうか。

明日は3、1、2番。2番を最後に弾いたのはいつだったか思い出せないくらい前のことだ。

2010年12月28日 (火)

2回ずつ

今日のリハーサルはベートーヴェンの4、6、7、8番。どの曲もほぼ2回ずつ通した。80歳のマゼールが振るのだから僕たちも弾かない訳にはいかない。

楽譜は彼の持ち込みで、マゼール版とでもいうべきもの。例えば8番の第1楽章の再現部はチェロが旋律を受け持つのだが(埋もれてきこえにくい)、ヴィオラも加勢する。7番はところどころ音が変わっていたり、何より目を疑うような弓がついていた。冒頭を上げ弓で始めるのはまだともかく、8分の6拍子の特徴的なリズムを経験したことのないボウイングで弾く。何度弾いても自分の弓が上がっているのか下がっているのかわからなくなりそうだった。原典主義者が見たら卒倒しそうな楽譜だが、オーケストラ全体の音を聴くと納得するところはある。

脳の80パーセントは水分だから、水、それも泡の出ない水をとることを心がけよう、というマエストロのお話で第1日目のリハーサルは終わった。

2010年12月27日 (月)

「50の情熱」

銀座のリングキューブで開かれているマグナムの写真展「50の情熱」(1月16日まで)を見に行き、写真の持つ力を堪能した。よかったなぁ。
明日からの仕事はロリン・マゼールの指揮だ。

2010年12月26日 (日)

今日初めて

今まで何度も第九を弾いてきたけれど、今日初めて第2楽章を素晴らしい曲と感じた。
以前チェリビダッケの映像を見たことを思い出した。第九の第2楽章のリハーサルの時彼はオーケストラに、耳の聞こえないベートーヴェンが頭の中だけでこの響きをつくったことは驚くべきことだ、と言った。チェリビダッケ&ミュンヘンフィルの第九の録音を聴くと、もれなく第2楽章も一般的ではないテンポだが、ティンパニがものすごい音で入っている。

年内の都響の演奏会は今日でおしまい。一息ついたら今度はベートーヴェンの交響曲全曲のリハーサルが始まる。これまで1回しか弾いたことのない4番の楽譜を見たら、やはり難しそうだった。

2010年12月25日 (土)

無数の蛍が明滅するような

昨日は池袋の芸術劇場で、今日は上野の文化会館で第九の本番だった。
文化会館は最近のホールに比べるとドライな音響だけれど、弾きながらやはりこの音が好きと思った。響きに癖がなく、直接は聞こえてこない音の何かが立ちのぼるときがある。

第九の冒頭、セカンドヴァイオリンとチェロが弾く6連符や、第2楽章のセカンドヴァイオリンから始まるテーマなど、オーケストラ全体がうまく同期した時は、大きな木にとまる無数の蛍がいっせいに明滅する映像が思い浮かぶ。
昨日の第九は超快速テンポ、とでもいうべき演奏だった。今日は落ち着いていて楽しかった。こういう演奏は次につながっていく思う。指揮はジェイムズ・ガフィガン。明日はサントリーホールへ。

2010年12月23日 (木)

肝のすわった

仙台から帰京する車中で読んで鳥肌が立ったのが雑誌「文學界」1月号に掲載された河野多惠子さんの「逆事」。ぞっとした。すごい肝のすわり方だ。物書きと呼ばれる人はこういう文章を書くんだなぁ。

最近の都響第九のソリストは日本人ばかりだったが、今回はロシア人3人とアメリカ人1人。今日歌合せがあり、いつもと違う感じでおもしろかった。
第九の演奏会は第九だけでいいと僕は思う。でもたいていベートーヴェンの序曲が最初に演奏される。今回はウェーバーの「オベロン」。どうして第九の前にウェーバーなんだろう、と思っていたけれど、これもなんだかおもしろい。
第九の演奏会は明日から。

2010年12月21日 (火)

スヌーピーのような

今日の仙台公演で年内の弾丸ツアーは終了。帰京する新幹線に乗るため、仙台駅のホームに上がったら見慣れない車両がいた。鼻がとても長くてスヌーピーのようだ。

Shinkansen

来年1月下旬には札幌と帯広(寒そう)に行く。

明日は都響第九のリハーサル。弾丸ツアーの影響で日に日に音の出るタイミングが早くなっているから、飛び出さないように気をつけよう。

2010年12月20日 (月)

今週の一枚を

12月17日以降の日記に画像を加え、今週の一枚を更新しました。

http://ichirocello.cocolog-nifty.com/photos/konsyu/1107vietnam4.html

明日は仙台へ。

2010年12月19日 (日)

秋吉台国際芸術村

昨日演奏した廿日市のホールは実は寒くて、良い状態に持っていくことが難しかった。そこが寒いということは広響の人たちには知られているらしい。

Hatsukaichi

会場が暑い寒い、湿気ているいない、響く響かない、など言い始めると仕事にならないのであまり気にしないようにはしているけれど、それでもホールが寒いのはうれしくない。
ただ、ホールの空調は難しいようだ。稼働率の高くないホールに新年の仕事で行くと、その日久しぶりに暖房を入れたばかりで、夜の開演時間になっても冷えきったまま、ということはある。舞台が暑くて有名なホールはあるし、ゲネプロの時は問題なくても客席が埋まると対流が発生するのか、本番で舞台上に風が吹き楽譜がめくれて困ることもある。また、舞台と客席の両方が快適な状態を実現するのは案外難しいのかもしれない。

今日の会場は秋吉台国際芸術村。山の中の行き止まりに立派な施設があって驚いた。
ホールはムジカーザの拡大版と言ったらよいだろうか、横に広く、縦は客席が立体的に入り組んだ複雑な構造だ。4群のオーケストラを使うルイジ・ノーノのオペラを演奏するための設計だそうだ。

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開演の2時間前から入場待ちをする熱心な聴衆で会場はいっぱいだった。公演は無事終了し、空路羽田へ。明日は休み、髪が伸びてすっかり大きくなってしまった頭を小さくしてこよう。

2010年12月18日 (土)

「ひとつ戻る」

大分から廿日市へは電車とバスを乗り継いだ。大分小倉間の特急は眺望はよいのだけれど(海がよく見える)、デザイン重視のためかチェロを置く場所がなくて難儀した。やれやれ。
熊本、大分、広島と少しずつ東京に近づいてきた。でも明日は西へ引き返し山口県の秋吉台へ。双六でいえば「ひとつ戻る」だ。

2010年12月17日 (金)

別府湾

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熊本から九州を横断して大分向かう途中、日田のあたりは雪が残っていた。でも山を過ぎて長い下りに入ると別府湾が見えてくる。海に行きたくなった。

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今日はiichiko総合文化センターで本番。音響のいい大きなホールだった。

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明日は廿日市へ。

2010年12月16日 (木)

弾丸ツアー後半戦

弾丸ツアーの後半が始まり、今日は小雪の舞う熊本公演。九州は温暖な地という思い込みは冬に来るたびに覆される。
明日は大分へ。

2010年12月15日 (水)

「オーケストラと指揮者」

飛ぶように毎日が過ぎていって、今年も残すところあとわずか。ついこの間と思っていた11月初めに発売された雑誌「サラサーテ」37号の小さな連載に書いた文章は「オーケストラと指揮者」。よろしければどうぞご覧ください。

2010年12月14日 (火)

「アナトリア」「靴底の減りかた」

アサヒカメラ11月号に鬼海弘雄さんの写真「アナトリア」と言葉が載っていて興味深く、少し長いですが、引用させていただきます。(この雑誌を買い忘れ、国会図書館まで出かけた)
アサヒカメラのホームページには「靴底の減りかた」という鬼海さんの文章も連載されていて、そちらもおもしろい。http://www.asahicamera.net/info/blog/detail.php?idx=62

『私は、情報、スキャンダル、癒やしの写真は撮らないから、トルコとはこういう所です、と説明するために撮っているのではありません。そもそも写真は不思議なもので、一瞬の出会いでまったく違った世界が立ち上がってくるわけでね。なんの変哲もない同じような場所を、何度でも歩き何度でも撮れます。いま社会が圧倒的に求めている刺激を探すのでははなく、たんたんと海を見続けるように撮る場所 ― それがこの「アナトリア」なんです。
つまりこの写真は、私がどう見たかということであって、ちょっと出かけて撮ってきて一枚の写真で要約して見せる、ということでは意味がないんですね。見る目につぎつぎに現れる人たちが、確かに「生きる」ということを体に抱えて、まさにそこにいる!それをもっともリアルに表現するのが、写真なんです。
だから私は本を作ります。写真集を作るという考えがなければ、カメラは持たなかった。写真を本の形にすると、自分の目を投げ出すかのように見る人に示すことができ、見る人は自分を鏡で見るかのように本を見て、人それぞれにさまざまな考えを成立させていきますよね。写真集なんて消費社会や電子化の時代にはムダな形式だとも思うし、時代の経済に合った商品としての写真をやりたい人は、やればいいでしょう。でも私は、百年後もここに写っている人たちの声が聞こえていてほしいし、そういう世界であればいいなと思うから。こう撮りたいと思うことが偶然によって必然となり、人々が写真に明確に刻みつけれられる ― その過程が「実線」でつながるような、モノを作る実感、それは、本を作ることにあるんです。

・・・私は多様性を撮っているんです。変わった人や面白い風景を探して写真にしているのではなくて。多様性を写真の中に個別化しながら、風景の空気感を撮っているんだと思います。
ですから、35ミリのスナップはヨコ位置ばかりで撮るのは、人そのものでなく、人が見ている風景と時間を撮りたいんですね。そのためには余分なものがたくさん入り、「ことがら」が写るヨコ位置がいい。コントラストが強くないプリントに仕上げるのも同じ理由です。誰もが特定の被写体だけを見るような写真にしないためです。たまたま私がこの場所を撮ったけれど、百年前も百年後もここに同じような時間が流れている。そして、百年前の人が見ても百年後の人が見ても、それぞれの言葉が現れてくる、そんな写真であれば、と思うんです。

写真は誰にでもできることだとは思ってます。でも、私は写真が「できる」とは思わない。「できない、撮れない」と言い続けているうちにここまできて、まだ続けている。・・・・』

2010年12月13日 (月)

今週の一枚を

12月9日の日記に画像を載せました。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-64f2.html

今週の一枚を更新しました。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/photos/konsyu/1107vietnam3.html

2010年12月11日 (土)

帰京

水沢江刺を昼前に出る東北新幹線に2時間乗って宇都宮へ、すぐバスに乗り換えてまた2時間。常陸大宮に着いてさらってゲネプロをして本番をして、また2時間バスに乗って都心に戻ってきた。
現在地がどこなのかわからなくなりそうなツァーはいったん休み。明日から数日は冬晴れの東京暮らし。

2010年12月10日 (金)

「アクターズスタジオ」

昨晩ホテルの部屋に戻って衛星放送をつけたら「アクターズスタジオ」が放映されていて、つい2時過ぎまで見てしまった。
著名な俳優、女優が演技を志向する学生たちの前で様々な質問に答える番組で、どうにもひきこまれてしまう。見たのはラドクリフとモーガン・フリーマンの2回分。

米沢から奥州市へは、山形と福島の県境を越えてから東北道を北上した。その県境はすでに雪が積もり、空の色といい低さといい、いかにも雪国、という感じだった。
奥州市公演も無事終わり明日は常陸大宮へ。ひたすら移動の毎日だ。

2010年12月 9日 (木)

大切なことは

日曜日に鳥の歌とバッハの一番を弾くので、先日久しぶりに自分の演奏を録音して聴いた。悲惨なことにはなっていなくて少し安心した。
20年近くもチェロという楽器を操ることにばかり気を取られていた。大切なことは他にある、とようやく気づいた。やれやれ。まだ手遅れではないと思おう。

青島さんのツァーが始まり、今日は米沢公演。ホールのすぐ隣は上杉神社だ。

Uesugi

昼間は晴れていたけれど日が暮れてからみぞれまじりの雨となった。

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当地のバイク屋さんでは除雪機を売っている。なるほど、確かに必要でしょう。

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明日は奥州市へ。

2010年12月 7日 (火)

「都響にきたソリストたち」

都響を応援してくださっている「都響倶楽部」の「都響倶楽部通信 秋号」に僕の書いた文章が載ったので下記に引用します。

「都響に来たソリストたち

庄司紗矢香さんが大野和士さんの指揮でショスタコーヴィチの協奏曲を弾いたのは僕が都響に移った年だったと思う。
文化会館の大リハーサル室に入った時、子供がいる!と思ってしまった。小柄な彼女は、手に対して弓の毛箱が大きく見えるほど。演奏を聴くのはそれが初めてで、素晴らしい集中力に感銘を受けた。ヴァイオリンを弾く体と音楽をつかさどる心の分離が見事にできていると思った。演奏は成熟したものだった。若いのにすでに人間として人生を一通り経験してきたかのように見える。
僕は20代後半に毎年イタリア、シエナのキジアナ音楽院の夏期講習に通った。ヴァイオリンにウト・ウギのクラスがあり、お母さんに連れられた日本人の小さな女の子が参加していた。麦わら帽子をかぶっていたと思う。その子が庄司さんだった。

ウト・ウギがチャイコフスキーの協奏曲を弾いたのは、大阪と札幌だった。結構なお年だろう、と思っていたらとんでもない。まっすぐなボウイングはヴァイオリンから輝かしい音色を引き出し、チャイコフスキー特有のほの暗い感じはなかったけれど、第2楽章なんて(かなり高めの音程で)まるでイタリアのテノールが歌っているようだった。
アンコールで弾いたパガニーニアーナも素晴らしかった。大曲の後に技巧的な曲を生き生きと弾いて、この人は体の芯からヴィルトゥオーソなんだと思った。

ベートーヴェンの4番のピアノ協奏曲の冒頭の和音、僕の知る限り全てのピアニストは繊細の限りを尽くして始めるのに、ヴァレリー・アファナシエフはあきれるほど無造作に弾き始めた。まるで「ト長調の和音だけど、何か?」と言っているようだった。(僕が新日フィルにいた時、彼は指揮者として登場した。10本の指がぬっと出てくるような指揮には面食らったが、音楽は不思議とよく伝わった。印象があまりに強烈だったので、錦糸町の居酒屋には焼酎の一升瓶が「あふぁなしえふ」という名でボトルキープされるようになった。)
サントリーホールでの本番でも変わらず彼は無造作に始めた。でも緩徐楽章に入ってからいつもと様子が違うことに気づいた。普段ホールは静かなようでも実はさわさわと気配がする。でもあの時のサントリーは水を打ったように静まりかえった。彼は異様な緊張感ですっかり空間を支配してしまったのだ。

ガブリエル・リプキンは不思議なチェリストだった。チェロの音圧で鼓膜が押されるような経験をしたのはリン・ハレル以来、しかもリプキンはいい音だった。都響のチェロは決して音が小さくないはずなのに、ショスタコーヴィチの協奏曲を彼が弾いた時、どう考えても我々6人の音より彼の方が大きかった。独特の音程の取り方、湾曲したエンドピン(初めて見た)と専用椅子とストッパー、もじゃもじゃの髪の毛をぶんぶん振り回しながら弾くその抜群の弾け具合にすっかりやられてしまった。
サントリーホールの舞台に出てきた彼は、友重さんの出すAを断って、弦を上から1本1本はじいて調弦していった。あんなやり方は初めてみた。案外いい方法なのかもしれないが、とにかくそんなことにも人をひきつける力があった。
本番のショスタコーヴィチは素晴らしかった。でも客席が明るくなっているのにアンコールの3曲目を弾き始めたのにはまいった。その時の指揮は好感の持てるヤクブ・フルシャだった。

オーケストラの仕事をしていると、ベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」を弾く機会は多い。でもピアニストが曲にのみこまれたり、あるいは攻撃的になったりすることが多く、なかなか本来の姿が見えない。
ゲルハルト・オピッツさんの「皇帝」は、困難なことは何もなく、いつも響きに包まれた自然な音楽の流れだった。皇帝を弾いてあんなに幸せだったことはない。名古屋だったと思う、終演後たまたま楽屋口へ降りるエレベーターが一緒になり、突然「せんろっぴゃくごじゅっきろ」と流暢に日本語を話すのでびっくりした。エレベーターの積載重量を読んでいたのだ。

すぐれた指揮者がそうであるように、すぐれたソリストにもオーケストラの音を変える力があると思う。来シーズン初めて来るソリストで楽しみなのはトランペットのマティアス・ヘフスさん。今年ご一緒させていただく機会があり、どんな時でも自然な流れの音楽と穏やかな人柄に感銘を受けた。」

2010年12月 6日 (月)

今週の一枚を

去年行ったソウルでバイクにガスボンベを積んでいるのを見て驚いた。(2009年5月18日の日記をご覧ください。(http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-781d.html

ベトナムではさらにいろいろなものを積んでいる。

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ものを積んだ原付ばかりの「Bikes of Burden」という写真集があると教えていただいた。
僕はまだ現物を見ていないが、きっとさらにパワフルなはずだ。

今週の一枚を更新しました。
http://ichirocello.cocolog-nifty.com/photos/konsyu/1107vietnam2.html

2010年12月 5日 (日)

大きなピアノ

今日久しぶりにスタインウェイの大きなピアノを弾いた。
「フルコン」と呼んでいる(フルコンサートグランドピアノ、の略だろうか)楽器はやはり素晴らしくて、ほんの10分くらいよちよちとバッハの2声の小さな曲を弾いただけで自分までよくなったような気がする。鍵盤を軽く押せば輝かしい音が出る、その労力の少なさと出る音の輝かしさの落差にまいる。チェロはごしごし弾いてもたいした音は出ないのに。
そのスタインウェイは倍音がとても多くて、特に中低音はかなり個性的だと思う。よちよちの僕が弾いてすごいと思うのだから、能力の高い人が弾く時の可能性は大変なものだろう。この楽器と僕たちの小さなチェロでベートーヴェンやラフマニノフのソナタを弾いたら、バランスを取るのに困難でないわけがない。

グランドピアノのもう一つの特徴は鍵盤と音の出る場所が離れていることにあると思う。離れたところから出る音はとても冷静に聴ける。弦楽器や管楽器のように間近で音が出る楽器はかえって自分の音を聴くことが難しい。

ベトナムにいる時、iPodで一番よく聴いていたのはバックハウスの弾くベートーヴェンの「悲愴」や「ワルトシュタイン」だった。
先日ベートーヴェンの1番や8番の交響曲を弾いていた頃、「悲愴」の楽譜を初めて見てすごいな、と思った。様々な要素が盛り込まれているこの曲が弾けたらどんなにいいだろう。ピアニストはたった一人でこの響き実現するのだ。僕には到底弾けそうにないからところどころ和音を出してみるだけでもわくわくしそうだ。

来年2月に都城でベートーヴェンのカルテットを弾くので(作品18の2)、そろそろ練習のスケジュールを決めたりしている。ピアノソナタをよく聴くようになって、カルテットがこれまでと違ってみえる。

2010年12月 2日 (木)

今週の一枚を

ようやくベトナムで撮ったフィルムのスキャンができた。6本のフィルムから27枚。

写真に関していえば僕は、日本に帰ってきてから炭酸の抜けたコーラのようになってしまい、カメラをほとんど持ち歩かなくなった。街にエネルギーがないような気がするのは原付のクラクションが聞こえないから、だけか・・・。

今週の一枚を更新しました。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/photos/konsyu/1107vietnam1.html

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