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2010年12月 7日 (火)

「都響にきたソリストたち」

都響を応援してくださっている「都響倶楽部」の「都響倶楽部通信 秋号」に僕の書いた文章が載ったので下記に引用します。

「都響に来たソリストたち

庄司紗矢香さんが大野和士さんの指揮でショスタコーヴィチの協奏曲を弾いたのは僕が都響に移った年だったと思う。
文化会館の大リハーサル室に入った時、子供がいる!と思ってしまった。小柄な彼女は、手に対して弓の毛箱が大きく見えるほど。演奏を聴くのはそれが初めてで、素晴らしい集中力に感銘を受けた。ヴァイオリンを弾く体と音楽をつかさどる心の分離が見事にできていると思った。演奏は成熟したものだった。若いのにすでに人間として人生を一通り経験してきたかのように見える。
僕は20代後半に毎年イタリア、シエナのキジアナ音楽院の夏期講習に通った。ヴァイオリンにウト・ウギのクラスがあり、お母さんに連れられた日本人の小さな女の子が参加していた。麦わら帽子をかぶっていたと思う。その子が庄司さんだった。

ウト・ウギがチャイコフスキーの協奏曲を弾いたのは、大阪と札幌だった。結構なお年だろう、と思っていたらとんでもない。まっすぐなボウイングはヴァイオリンから輝かしい音色を引き出し、チャイコフスキー特有のほの暗い感じはなかったけれど、第2楽章なんて(かなり高めの音程で)まるでイタリアのテノールが歌っているようだった。
アンコールで弾いたパガニーニアーナも素晴らしかった。大曲の後に技巧的な曲を生き生きと弾いて、この人は体の芯からヴィルトゥオーソなんだと思った。

ベートーヴェンの4番のピアノ協奏曲の冒頭の和音、僕の知る限り全てのピアニストは繊細の限りを尽くして始めるのに、ヴァレリー・アファナシエフはあきれるほど無造作に弾き始めた。まるで「ト長調の和音だけど、何か?」と言っているようだった。(僕が新日フィルにいた時、彼は指揮者として登場した。10本の指がぬっと出てくるような指揮には面食らったが、音楽は不思議とよく伝わった。印象があまりに強烈だったので、錦糸町の居酒屋には焼酎の一升瓶が「あふぁなしえふ」という名でボトルキープされるようになった。)
サントリーホールでの本番でも変わらず彼は無造作に始めた。でも緩徐楽章に入ってからいつもと様子が違うことに気づいた。普段ホールは静かなようでも実はさわさわと気配がする。でもあの時のサントリーは水を打ったように静まりかえった。彼は異様な緊張感ですっかり空間を支配してしまったのだ。

ガブリエル・リプキンは不思議なチェリストだった。チェロの音圧で鼓膜が押されるような経験をしたのはリン・ハレル以来、しかもリプキンはいい音だった。都響のチェロは決して音が小さくないはずなのに、ショスタコーヴィチの協奏曲を彼が弾いた時、どう考えても我々6人の音より彼の方が大きかった。独特の音程の取り方、湾曲したエンドピン(初めて見た)と専用椅子とストッパー、もじゃもじゃの髪の毛をぶんぶん振り回しながら弾くその抜群の弾け具合にすっかりやられてしまった。
サントリーホールの舞台に出てきた彼は、友重さんの出すAを断って、弦を上から1本1本はじいて調弦していった。あんなやり方は初めてみた。案外いい方法なのかもしれないが、とにかくそんなことにも人をひきつける力があった。
本番のショスタコーヴィチは素晴らしかった。でも客席が明るくなっているのにアンコールの3曲目を弾き始めたのにはまいった。その時の指揮は好感の持てるヤクブ・フルシャだった。

オーケストラの仕事をしていると、ベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」を弾く機会は多い。でもピアニストが曲にのみこまれたり、あるいは攻撃的になったりすることが多く、なかなか本来の姿が見えない。
ゲルハルト・オピッツさんの「皇帝」は、困難なことは何もなく、いつも響きに包まれた自然な音楽の流れだった。皇帝を弾いてあんなに幸せだったことはない。名古屋だったと思う、終演後たまたま楽屋口へ降りるエレベーターが一緒になり、突然「せんろっぴゃくごじゅっきろ」と流暢に日本語を話すのでびっくりした。エレベーターの積載重量を読んでいたのだ。

すぐれた指揮者がそうであるように、すぐれたソリストにもオーケストラの音を変える力があると思う。来シーズン初めて来るソリストで楽しみなのはトランペットのマティアス・ヘフスさん。今年ご一緒させていただく機会があり、どんな時でも自然な流れの音楽と穏やかな人柄に感銘を受けた。」

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