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2011年2月

2011年2月26日 (土)

まねのできない心の中に

日経新聞、今月の「私の履歴書」は画家の安野光雅さん。今日は彫刻家の佐藤忠良さんについての文章だった。下記に

『旧ソ連の崩壊直後だから1992年の夏だったか、佐藤さんが抑留されていたバイカル湖のほとりまで、いっしょに写生に行ったことがある。何という光栄だろう。彼が直接に絵を描くところを初心者の目で見たのである。当然だが、ほかの誰もが描く方法と少しも違わない。外見に違いはない。まねのできない心の中にどうすることもできない違いがあると思えた。』

2011年2月24日 (木)

4月20日のチケット

4月20日小平での演奏会のチケット、すべて出てしまったそうです。当日券もないそうです。本当にありがとうございました。

2011年2月23日 (水)

版によって

岩波文庫版メルヴィル著「白鯨」の訳注によると、スターバックスコーヒーの名前の由来は「白鯨」に出てくるスターバック航海士なのだそうだ。

その「白鯨」の下巻を求めに本屋に入った時、宮沢賢治の著作も手にとって驚いた。僕の読んだ新潮文庫版と岩波文庫版では「銀河鉄道の夜」はずいぶん違った印象になると思う。
去年読み終えたプルーストの「失われた時を求めて」が岩波文庫から新しく出版され始めている。新しい訳で読みやすかったらもう一度読むことになるのだろうか、と思ったけれど、どうやら僕には読み終わった集英社文庫の方が合っているようで少し安心した。

サロメ2日目の今日、カーテンコールでコンヴィチュニーにはブラボーが散発していた。昨日と今日の違いは、さて。

2011年2月22日 (火)

胸を締め付けられるような

宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の朗読に僕のチェロで音をつける、という企画があり(5月下旬の名古屋)、久しぶりに原作を読んだ。子供の頃初めて読んだ時は何がいいのかまったくわからなかったのだけれど、今は素晴らしいと思う。
音を付けるにあたって「印度の虎狩り」は避けて通れない。持っている新潮文庫版の注によると「Hunting Tigers out in 'Indiah'」という「コミカルで軽快なダンス曲」だそうだ。僕が考えているのは、たとえばショスタコーヴィチの1番の協奏曲のどこかの部分を使えないか、ということだ。何しろゴーシュの弾く「印度の虎狩り」を聞いた猫が『さあこれはもう一生一代の失敗をしたという風にあわてだして眼や額からぱちぱち火花を出しました』とあるもの。

その新潮文庫「新編 銀河鉄道の夜」にはもちろん「銀河鉄道の夜」も収められていて、実はきちんと読んだことはなく、初めて読んだ。こんな胸を締め付けられるような物語だったとは・・・。
賢治の文章はどの部分も、情景や空気のにおいまで手に取るように浮かぶ。

今晩はサロメの初日だった。
新日フィルにいたとき、初めて弾いたサロメは何が起こっているのかまるでわからなかった。去年の松本のサロメはとにかくテンポが早くてオーケストラが(きっと歌手も)鳴らない感じだった。今回はどうだったのだろう。
このオペラは、膝が震えるようなドスの効いた音、めくるめく官能、有無を言わせずたたみこんでいく音楽の力があるはずだと思うのだけれど。
演出はコンヴィチュニー。あれが最先端というものだろうか。カーテンコールで彼が出てきた時は大きなブーイングが起こった。オーケストラピットからステージはよく見えないが、確かにヨカナーンが最後まで舞台にいるのは不思議だ。でもコンヴィチュニーは笑顔で応えているように見えた。あそこまではっきり観客が反応したら本望なのかもしれない。

2011年2月20日 (日)

金曜と土曜の夜

金曜日の夜、ケラスとタローの演奏会と、ロシアの若いチェリストの演奏会の模様が続けて放映されて興味深く聴いた。
ケラスの演奏会はシューマンの民謡風の5つの小品で始まり(この曲で演奏会を始めるのはとてもいいと思う。3曲目の問題の場所の指使い、ケラスはけっこう縦に動いていた)、メンデルスゾーンの後、ウェーベルンの小品とブリテンのソナタを続けて弾いた。なるほどウェーベルンの後にすぐブリテンを弾くのはいい流れだ。そういえば以前、ブルネロが確かアンコールでバッハの2番のサラバンドとソリマのアローンを続けて弾いたことがあったっけ。

ロシアの若いチェリストは、何しろよく弾ける人だった。ペッツォ・カプリチョーソをあれだけ速く明確に弾けるのは大変なことだと思う。きっととても大きい音で、いつもテンションが高く細かいヴィブラートがかかり、チェロという楽器をいかに上手くあやつるかということに彼のエネルギーが注がれているように見えた。僕はなんだか聴き疲れして番組を見るのを止めてしまった。

ケラスの演奏は自由だったなぁ。

土曜日の夜は戦場カメラマンの高橋邦典さん、宮嶋茂樹さん、渡部陽一さんの濃密な鼎談が放映された。言葉の端々まで実際の経験に裏打ちされていた。機材(カメラから防弾チョッキまで)の話から、現地でのガイドの探し方、危険な状況についてなど。こんな話をするときの渡部さんの表情はバラエティー番組で見るのとはちょっと違う。
体を張って仕事をしてきた人たちの言葉だった。

2011年2月18日 (金)

結局元に

ヤーガーのスペシャルは結局元のミディアムに戻してしまった。上が強いせいか下2本の深みがなくなってしまったこと、全体の響きにどうしても違和感があることがその理由だ。
元に戻したらミディアムがとても柔らかく感じられる。スペシャルの突っ張った感じと柔らかいミディアムと、実際はどちらの音が通るのだろうか。

2011年2月17日 (木)

弾かない日

今日はチェロを弾かない日。
先日深夜のJ-WAVEに世界ランキング2位のBMX(バイシクル・モトクロス)ライダー佐々木元さんが出て、普段の練習は公園で5,6時間、本当はもっとしたいのだが体がもたないから、という旨のことを言っていた。
チェロを弾くのは楽しくいつまででもさらっていたくなる時がある。でも今の僕は学生時代のような長い練習(むしゃくしゃすることがあると桐朋に朝5時半くらいに行って昼までさらっていた。でもこの練習に意味があったのかどうか・・・)はできず、むしろ上手に体を使うことを考えなくてはいけない時期にさしかかっていると思う。

チェロを弾かない日はとても長い。上野の文化会館からはもちろん、かなり離れた東京の各所からも見える東京スカイツリーの根元まで行ってきた。完成したら当分近づけそうにないもの。同じ理由で、パンダが来る前に上野動物園にも行くつもり。

2011年2月15日 (火)

暗譜してから、触感の問題

ジョナサン・コット著「グレン・グールドは語る」を読んでいたらとても興味深い部分があった。下記に

『何年も前、ベートーヴェンのソナタ第30番作品109を初めて弾くことになりました。確か19歳の時で、・・・私はあまり練習をしなかった。今はまったくと言ってよいほど練習しませんが、当時でさえ楽器の奴隷になりようがなかった。ピアノから離れて楽譜を勉強する癖があったからで、完全に暗譜してからピアノに向かうようにしていたのです。もちろんこれも、何らかの強い表現行為から触感を切り離す作業と考えられます。・・・』

この後、終楽章の第5変奏の上行音型で音程間隔が6度から3度に切り替わるところで
『文字どおり避けたり止まったりしない限りはこの箇所に到達できなくなりました。まさにその瞬間に私は硬直してしまうのです。』
(この状況を克服した大変興味深い方法については本書をお読みください。第1部41ページ以降)

『・・・障壁は消えていました。今でも、ときどき、たわむれに、障壁が戻っていないかどうかを確かめようと、ピアノに向かってこのパッセージを弾いてみます。大丈夫だ、障壁は戻っていない。かくしてこのソナタは私のお気に入りの公演曲目となったのです。
結局、どんなピアノを弾くときでも触感の問題は避けられない。だからこそ、その現実認識をそっくり拭い去るようなピアノへの接し方を、まず見つけることが肝要なのです。』

2011年2月14日 (月)

考える時間が

最近チェロの音が開き過ぎてしまい、どうしたものかと思っている。ヤーガーのスペシャルが強くて4本の弦のバランスが狂ったのか(今の音は魅力的、でもミディアムの自由な感じも懐かしい)、下2本をスチールにしてみようか・・・。
去年試してやめてしまったウルフエリミネーターは付けている。今はこの方が音がまとまるようだ。(10月20日http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-19a2.html、10月23日http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-8742.htmlの日記をご覧ください)

ピアノは時間がある時はできるだけ、よちよちとではあるけれど、さらうようにしている。
よく聴いているのはベートーヴェンの、有名な月光の一つ後、作品28のピアノ・ソナタ。ずいぶん前に買ったバックハウスの全集には、なにしろ32曲も入っているから、5曲しかないチェロ・ソナタからみると無尽蔵のように思える。バックハウスの演奏は、一つ一つの和音の声部間のバランスが素晴らしくて音の純度が高く、フレーズの動きや行き先、テンションのかかり方などが手に取るようにわかる。今までどうしてこの魅力に気付かなかったのだろう。

僕としてはめずらしく続いた忙しい日程も過ぎ、少し考えごとをする時間を持てるようになった。
4月の小平の演奏会、プログラムを出してしまった後でけっこう大変だということに気付いた。演奏会全体を見渡して弾けるような態勢をつくっておかないと無理かもしれない。ここは頑張りどころだ。ようやくブリテンのソナタを準備する時間ができた。
5月には名古屋の宗次ホールで弾く。今回はバッハの1番の組曲とカサドの組曲、という無伴奏の定番でプログラムを組んだ。時間的にもう一曲弾けるはずなのでそれを考えている時に、リンドベルイの「パルティア」という曲を見つけた。リンドベルイは以前「ストローク」を弾いた。この2001年に作曲された「パルティア」はもっと規模が大きく、さらに難しそうだ。舞台に上げられたらおもしろそうだけれど、はたして。

2011年2月12日 (土)

チェロ・コングレス・イン・ジャパン2011

起きたら外は雪でまっ白、という状況には幸いならず、無事サントリーホールへ。

結局くまんばちもコダーイの終楽章(冒頭の一部)も弾くことにして、ポッパーのポロネーズを含め、いったいこれは朝の10時からしかもホワイエの絨毯の上で弾くものだろうか、と後悔したけれど(決めたのは自分)、喉元過ぎればなんとかで、終わったら楽しかったことしか覚えていない。
マイペースの出し物を静かにあたたかくお聴きくださった皆様、本当にありがとうございました。

弾き終わってから少し他の催しを見てまわった。小ホール(ブルーローズ)では若者たちのチェロデュオのゲネプロを、大ホールでは巨大チェロアンサンブルのリハーサルをしていた。

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昔のカザルスホールのスタッフが何人も生き生きと動いてくださっていて、とてもうれしかった。

僕は早い時間に失礼して帰宅、8月に弾いて以来のサロメの音を出した。このところ時間を見つけてはスコアやパート譜は読んでいたけれど、50ページ近いパート譜を弾いたら心も体もさすがに電池切れ。
あらためて勉強して、それにしても松本で弾いた時のテンポは速かったのだと思った。さて都響のサロメは明日から。

2011年2月 9日 (水)

江の島へ

2月12日のサントリーホールでの出し物、バッハのどれを弾いて、白鳥は外せなくて、くまんばちを入れるかどうか、コダーイまで弾いてしまうかどうか、あれこれ考え、ポッパーのポロネーズをさらったりしていたら煮詰まってしまった。他にももうすぐ始まるサロメや、書かなくてはいけない作文、あれやこれやの雑用、などしなくてはならないことは山ほどあるが、全部放り出して江ノ島に行った。

久しぶりの江ノ島は、波の音がよく聞こえて気持ちよかった。猫は、湧くようにいた頃が嘘のように減ったけれど、それでも充分遊んでくれた。たまには外に出よう。

2011年2月 7日 (月)

今週の一枚を

2月4、5日の日記に画像を追加しました。

今週の一枚を更新しました。

http://ichirocello.cocolog-nifty.com/photos/konsyu/1109vietnam1.html

2011年2月 6日 (日)

とても自由だった

宮崎空港で出発を待つあいだ着陸する飛行機を見ていた。滑走路にもうすく火山灰が積もっている、この状況はいつまで続くのだろう。

昨日の「ます」はとても自由だった。一昨年初めて弾いた時はどうにも居場所がなくて弾き辛かった。普段チェロは低音を受け持っているのに、「ます」にはコントラバスが入るからチェロは内声に行く。本来セカンドヴァイオリンやヴィオラの職域だ。物事の決定権を持つのではなく、旋律とバスの間で立ち回って色や動きを決めるその働きが今回少しわかったような気もする。
楽しかったなぁ。

一昨日深夜にギル・シャハムの弾くバッハが放映されて興味深く聴いた。なるほどと思うことがたくさんあった。
少し前に放映されたワディム・レーピンのヴァイオリンと共通することがある。二人とも弓をかなり張ること(ギル・シャハムは弓が反対側にそるくらい張っていた。我々が通常使うタイプの弓を強く張っているのか、あるいはバロック・ボウを模した弓なのか)と正確でまっすぐな弓使いだ。弓は張るけれど圧力はあまりかけていないように見受けた。ウト・ウギの弓使いもまっすぐだったことを思い出す。
シャハムもレーピンも年をとった。レーピンは別人のようだった。

木曜日のJTチェロアンサンブルで12人が順繰りに旋律を弾き継いだドヴォルザークの「森の静けさ」、全部を弾いたことはなかったけれど、心に迫るドヴォルザークの旋律の美しさにやっと気付いた。都城に楽譜を持って行って読んだ。いつか弾いてみたい。

今日の産経新聞に綾小路きみまろさんの記事が載った。その一部を引用させていただきます。
『お客さんをうまく乗せられなくても、会場のせいにしたり、スタッフのせいにしない。‘重い’(笑いにくい)客を乗せる力がないんだ、と反省します。人生はぜんぶ自分のせい。人のせいにするのは芸人の逃げ』

2011年2月 5日 (土)

多くの方が

昨日は10時間半かけて都城にたどり着いただけではなく、会場(都城市総合文化ホール)で練習もした。響きの良いホールで室内楽を弾くことには疲れを吹き飛ばす喜びがある。

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演奏会はできるのだろうか、と思っていたけれど、多くの方があたたかく聴いてくださった。本当にありがとうございました。
小山さんの立体的で素晴らしいピアノと弾く「ます」はもちろん楽しかったし、ベートーヴェンの弦楽四重奏も(同じメンバーで作品18の6、ラズモフスキーの1番と弾いてきて、今度の18の2で3曲目)ちょっと今までと違う感じになった。
明日帰京したら久しぶりにソロの曲をさらわなくては。

2011年2月 4日 (金)

都城へ

朝6時に目覚ましのアラームが鳴った時は何が起こっているのか少しの間わからなかった。夢から脱出して身支度をする。その時点ですでに宮崎を飛び立って朝9時過ぎに羽田空港に着くはずのJALは欠航、ということだった。

僕たちが搭乗してから、その宮崎行きの飛行機は朝の噴火の影響で欠航が決まった。羽田で預けた荷物を羽田のターンテーブルで受け取り、再び手続き。午後の便でまず鹿児島空港に行くことになった。

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実は飛行機以外にも、羽田に向かうモノレールが漏電による火災で止まり、閉じこめられたメンバーもいて、多難な旅の幕開けである。

行くに行けず帰るに帰れなかった一昨年の御蔵島公演をはじめ(一昨年11月14日
http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-c8a8.html、16日http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-b9ca.htmlの日記をご覧ください)、都響の仕事で行った小笠原、八丈島、大島がすべて悪天候または雨だったのは僕のせい、ということになっているので、今回は雨ばかりか火まで持ってきた、と皆ににらまれてしまった。

さて、鹿児島空港からは陸路都城へ。途中気配もなかったのに都城に入ったとたん家や車や木が火山灰をかぶって白くなっているのに驚いた。都城駅近辺はもっと灰が厚く積もり、砂浜のようだった。

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夜になって小雨模様になった。灰は濡れてもやっかいだ。

2011年2月 3日 (木)

JTチェロアンサンブル

いつにも増して楽しかった今年のJTチェロアンサンブルはあっという間に終わってしまった。いい響きに包まれて幸せな時間だった。

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今回のシャコンヌは年齢順の席だったのだけれど、終演後の打ち上げで、次回の席は出身地、誕生日、血液型、喫煙非喫煙、携帯電話のキャリア、・・・、なにで決めようかと大いに盛り上がった。

さて明日は都城へ。

2011年2月 2日 (水)

今週の一枚を

今週の一枚を更新しました。

http://ichirocello.cocolog-nifty.com/photos/konsyu/1108vietnam1.html

2011年2月 1日 (火)

スーパープレスト

フィルムを買い足しにヨドバシカメラに行ったら、棚にあるはずのフィルムがなくて驚いた。最新のデジタルカメラの動向にばかり目がいって、感度1600の「スーパープレスト」というモノクロフィルムが去年12月で製造中止になっていたことを知らずにいた。幸い店内にいるときにたまたま入荷があり10本手に入れた。仕事場で音楽家を撮るにはこれしかない、というフィルムだ。

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何年か前、コダクロームの製造と現像が終了してしまったときもとても残念だった。あの渋く深い発色のフィルムはもっとも今風でなかったのかもしれない。

失敗なく画面すみずみまではっきりと写ることに関して今やデジタルは圧倒的に優れているし、富士フィルムもボランティアでフィルムをつくっている訳ではないから仕方のないことなのだろう。
実は最新のデジタル一眼レフが欲しくて、使わなくなっていたニコンの一眼レフ(フィルム)を手放すことを考えていた。でも、デジタルは最新が最高とほぼ断言できる世界だから、せっかく高価な道具を買ってもすぐ見劣りしてしまうだろう、と思い直し、今となっては旧式のそのカメラを久しぶりに使い出したばかりだった。

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