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2011年3月

2011年3月31日 (木)

演奏会の予定を

演奏会の予定を更新しました。

パンダの前に

明日からパンダの公開が始まる。上野の人出が多くなる前に西洋美術館で開かれているレンブラント展を見に行った。先日の山種美術館も今日の西洋美術館も混雑していた。
帰りに寄った新宿では、地震の影響か、地下街のあちらこちらで漏水している。

原発事故に関する報道で無人偵察機やロボットのことがようやく出てきた。フランス原子力大手アレバ社のロボットに次いで、日本のロボットも紹介された。東海村の事故の後6億円かけて開発したものが、メンテナンスをしていなかったため今動かないそうだ。そんなこと、本当だろうか。

2011年3月29日 (火)

少しずつ

昨日のニュース番組の中で避難所にいる被災した女性が、(起こったことが)夢であってほしい、ということを言っていた。本当にそう思う。
今日の日経朝刊一面は「プルトニウム微量検出」だった。これが現実とは思いたくない。危険な現場で身を挺して作業に従事している名前も存じ上げない方々の無事を祈ることしか僕にはできない。

夕刊の一面には「火力発電向け燃料急騰 LNG・重油など1~2割高く」とある。
今の東京は節電で誰もが窮屈な思いをしている。当面の大問題は夏をどう乗り切るかだけれど、今後例えば冬の暑すぎる暖房、夏の寒すぎる冷房、まさしく不夜城である煌々と照明のついた24時間営業の店舗、林立する自動販売機、大画面に映像が写り大音量で音楽の鳴る交差点、などはどうなるのだろう。使いたいだけエネルギーを使う時代は終わったのかもしれない。

今日、地震後初めて楽器を持って出かけた。小さな集まりでバッハを弾くためだった。
新日フィルは地震当日トリフォニ―でマーラーの5番を演奏したそうだ。驚いた。読響は4月2日に、N響は10日にそれぞれ東京文化会館でチャリティーコンサートを開く。都響の中ではチェロアンサンブルが9日のチャリティーコンサートに出る。http://www.tokyo-harusai.com/
少しずつ音楽家も何かできるようになってきただろうか。

2011年3月28日 (月)

今週の一枚を

今週の一枚を更新しました。一枚と言いながら二枚。

http://ichirocello.cocolog-nifty.com/photos/konsyu/1109vietnam4.html

http://ichirocello.cocolog-nifty.com/photos/konsyu/1109vietnam5.html

2011年3月27日 (日)

演奏会の予定を

演奏会の予定を更新しました。

これらの演奏会が実現し、また実現できるような世の中でありますように。

2011年3月25日 (金)

一瞬現実を

山種美術館で開かれている「ボストン美術館 浮世絵名品展」を見に行った。
歌麿の繊細で優美な顔の輪郭、着物の形に託して表現された動き、北斎の描く役者たちのデフォルメの力強さなど、今は目をしっかり開けて起こっていることを把握しなくてはならない時だけれど、素晴らしい錦絵に一瞬現実を忘れた。

2011年3月24日 (木)

真鍮のエンドピン

小学校の同級生と都内で小さな集まりがあった。今日は同じ中学のガバチョことK君も一緒。彼とは卒業以来会っていなかったのに、声を聞くと二十何年かの時間が消えてしまうようだった。同級生に会うのは楽しい。不思議なことに1人はとても近くに住んでいる。

見附さんからエンドピンが届いた。再び偏執狂的な注文をして真鍮製でソケットぎりぎりの太さ、僕にとって必要最小の長さ(10.01ミリ径、長さ390ミリ、3月2日の日記をご覧くださいhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-8b33.html)。
去年作ってもらった同じ寸法の鉄製のものに比べると、みっしり音が詰まり低音はパワフル。音の断面が平らでそれほど飛ぶ感じはないから本番での出番は少ないかもしれないけれど、この2本をうまく使えば楽器をいい状態に保てそうだ。(見附さんのHPは http://www.vcyoyo-mitsuke.jp/

左が真鍮、右が鉄。

001

2011年3月23日 (水)

「アナトリア」

とうとう東京の水道水への影響が発表されてしまった。

地震に遭った演奏旅行の時のフィルムの現像を取ってきた。写真は残酷で、地震前と地震後の世界が同じ一本のフィルムに収まっている。揺れの数時間前に見た函館の海の色はきっと忘れられないものになるだろう。
ラボテイクに行った帰り、東京都写真美術館の図書室に寄った。鬼海弘雄さんの写真集「アナトリア」を見るためだ。(鬼海さんについて、12月14日の日記もご覧ください http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-1.html)アナトリアの名前も知らない人たちが写っている写真は、ほとんどが一度見たら忘れられないものばかりだった。はっと胸をつかまれるようだ。

2011年3月22日 (火)

言葉、音楽

バルガス=リョサ著「若い小説家に宛てた手紙」の中に、今度はこんな一節を見つけた。

『・・・小説の技法の偉大な勝利とはそういうことを言うのです。技法が透明になり、色彩、悲劇性、繊細、美しさ、暗示をもたらす物語がきわめて効果的な構成を備えるとき、読者はもはや技巧に目を留めることはありません。みごとな技法に魅せられて、自分は本を読んでいるのではない、少なくともしばらくの間は現実世界に生きていることを忘れてフィクションの世界を生きているのだと感じることでしょう。』

きっと音楽も同じだ。

バーンスタインの「Six Unanswerd Question」をまた読み始めた。今6つあるうちの3つ目。そもそも知らない単語が多いし、調べてもすぐ忘れるので辞書でいちいち調べながらよちよち毎日1ページくらい進む。譜例が出てきて音楽の話になるととたんに意味が取りやすくなるのだけれど、言葉ばかりになると難渋する。最初から変わらず言葉、言語学を参照しながら音楽を解き明かそうとしている彼の姿勢に、時々なるほど!と膝を打ちたくなる。

2011年3月21日 (月)

今週の一枚を

今週の一枚を更新しました。一枚とは言いながら二枚。
http://ichirocello.cocolog-nifty.com/photos/konsyu/1109vietnam2.html
http://ichirocello.cocolog-nifty.com/photos/konsyu/1109vietnam3.html
混沌とした(僕にはそう見える)ハノイの旧市街で、したたかにしかも飄々と生きているベトナムの人たちのことを時々思い出す。

2011年3月20日 (日)

帰国命令の前に

今日の日経新聞文化面に、先日帰国したフィレンツェ歌劇場の指揮をしたズービン・メータの大きな記事が載った。なんと3月13日は神奈川県民ホールで、14日には東京文化会館で公演をしたそうだ。
都響の4月14,15日の定期演奏会の指揮はモーシェ・アツモン、彼は来日の意思を示してくれているようだ。

演奏旅行の前に読み始めたバルガス=リョサの「緑の家」を、昨日読み終えた。5つのつながりのあるストーリーが入り組み、しかも話法や時代も様々に変化するこの強い小説は、現実を直視することが辛くなった時の大きな助けだった。

2011年3月19日 (土)

外部電源の復旧が

僕の知る限り、昨日東京で緊急地震速報は出なかったはずだ。今日は何回か揺れ、比較的大きいのもあったけれど、それでも余震は減ってきた。http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/
原発の状況を収束させるべく活動されている方たちのことを思うと、東京でのうのうと暮らしていることが申し訳なくなってくる。外部電源の復旧がどうか成功しますように。

演奏旅行中に地震に遭ってから帰京するまで楽器を弾けなかった。帰ってから毎日触ってはいても、ずっとチェロを持つ手は他人のままだった。休み明けのいつもの感じとは違い不安だった。ようやく今日自分の手に戻りかけている。
実はチェロを弾く体には昨年から疲労がたまっていて、それでも弾ける環境にあると弾いてしまうから、数日弾けなかったことは僕の体には良かったのかもしれない。まだうまく言葉にはできないけれど、この数カ月の間にチェロを弾く上で、心に関しても体に関しても大きな変化があり、今そのことに取り組める時間があることは本当に有り難い。
状況が少しでも落ち着いて、我々音楽家が人のために働けますように。

2011年3月18日 (金)

一週間

地震発生から1週間が過ぎた。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに被災された方に心からお見舞いを申し上げます。

今日、都響楽員の集まりがあった。都響を含めオーケストラの置かれている状況と今後のことを話したが、いずれも厳しい。コンサートホールを離れてもできるだけ演奏を、という意見も、今はまだ、という意見もあった。
海外の演奏家が今後来日することはしばらく難しいかもしれない。地震後、関西の団体で本番前にソリストが帰国してしまうことがあったそうだ。3月の都響とインバルの公演は全てキャンセルになったが、本屋で「音楽の友」を見たら表紙はインバルだった。

様々な公演中止が相次ぐ中、読響は19、20日の演奏会を行うそう。
http://yomikyo.or.jp/cat8/#news-topics-1047
こういう時こそ音楽を、という考えも、世間が落ち着くまで、という考えもどちらもあるとは思う。

プロ野球セ・リーグは25日の開幕を決めた。1週間後、余震や停電という状況は変わっているのだろうか。僕は今、首都圏で大人数が集まる催しは避けた方がいいと思う。

2011年3月17日 (木)

今日通じるように

宮城県の方から先ほど電話をいただいた。ご無事だった。今日携帯が通じるようになったそうだ。

昨日の新聞に、地震の影響でフィレンツェ市長から帰国命令があり、フィレンツェ歌劇場日本公演中止、と出ていた。
地震当日彼らは上野の文化会館にいて、楽屋口は混乱したらしい。文化会館のオーケストラピットは、客席からは見えないが、オーケストラの出入りする動線の片側に簡単な柵があるだけで、10数メートルほど下は奈落。大きなゴンドラが10数メートルの高さに浮かんでいるような状態だ。ピットに入る時はいつも地震や火事になってほしくないと思う。彼らの置かれた状況を考えるとぞっとする。

東京の街はひっそりとして人は足早に歩き、明かりも少ない。

2011年3月16日 (水)

これまで訪れた

八戸、釜石、気仙沼、石巻、仙台、南相馬、これまで演奏で訪れた街の今の姿に言葉がない。

今月のサントリーホールの公演カレンダーを見ると、地震以後軒並み公演中止に。http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/perform/index.html
都響も例外ではない。
http://www.tmso.or.jp/j/topics/20110315/
http://www.tmso.or.jp/j/topics/20110316/
演奏会が中止になって、自分がいかに仕事によって生かされていたかがわかる。

地震で函館公演がなくなった。その時からほぼ24時間、ある携帯電話会社の携帯は電話もメールもできなくなっていた。地震前は高機能携帯電話が流行になっていたけれど、つながること電池が長持ちすることの大切さを感じた。

背筋が寒くなる

福島の原発に関する午前中の報道、背筋が寒くなるようだ。

2011年3月15日 (火)

呆然と

今日は一日家に引きこもってやせたトドのようになっていた。呆然とテレビを見ていたのである。とにかく目の前の状況を少しでも良くしていかなければならないが、その先の復興を考えると、呆然とする。
もちろん四六時中全ての放送局がニュース番組ばかり流さなくてはならないということはない。でも夜になって通常の番組も放映されるようになり、チャンネルを変えるだけで被災地の報道と、地震前に収録されたらしいバラエティ番組が画面に映り、世界をどう見てよいのかわからなくなりそうだった。

住むところがあり、食事ができ、しかもその上チェロが弾けるのは奇跡的に恵まれているとしか言いようがない。

2011年3月14日 (月)

これまで誰も経験しなかった

仙台フィルのメンバーから、電話はほとんど通じず、食べ物、水、ガソリンを手に入れることがとても難しい、という内容のメールが届いた。
ミューザ川崎は地震の影響で天井の部材が落ち、3月は公演中止だそう。

今朝行ったスーパーはすでに混雑していて入場制限が行われた。かえって近所の個人商店の方が食材はあるようだった。幹線道路ぞいのガソリンスタンドは売り切れ。乾電池、懐中電灯、ポータブルラジオ、カセットコンロ(ボンベ)も市場から消えてしまった。チェーンメールも来た。報道の通りだ。街中では人々が大きくふくらんだ買い物袋やトイレットペーパーを抱え、車も自転車もただならぬ雰囲気で走り回っている。学校給食から牛乳がなくなる、あるいは給食自体が中止される、という話も聞こえてきた。
皆が必要以上に買いこまなければ、少なくとも東京で棚から商品がなくなることはない、と思うのだけれど。

原発や停電に関する電力会社の会見を見ると不安になる。もう一つ気になるのは、東北や関東の太平洋岸以外の、長野や新潟を震源とする地震が発生していることだ。これまで誰も経験しなかった状況に直面している。どうかこれ以上災害が発生しませんように。

2011年3月13日 (日)

帰京

スタッフの尽力のおかげで函館から空路帰京。搭乗した飛行機の飲料や毛布は、地震の影響により空港で過ごした人たちのために使用され、搭載していないというアナウンスが流れた。3便に分かれて楽員もスタッフも東京に着いた。楽器を積んだトラックは本州には渡っている。都響が今日帰ってこられたことは奇跡的だと思う。

昨日仙台フィルのスタッフから、「仙台フィルのメンバー、家族に被害が出たという報告は今のところありません」というメールが届いた。こちらから仙台の人たちに送ったメールに返信はなく、心配。

東京で夕方のスーパーに行ったら食材はほとんどなかった。明日からは計画停電が始まる。

2011年3月12日 (土)

たった一日で

たった一日で世界は変わってしまった。
東北の太平洋側の惨状は目を覆うばかりだった。去年仕事で行った気仙沼の変わりようには言葉を失った。また、福島の原発についてあまりに歯切れの悪い18時の記者会見には、いったい何が起きているのだろうと思わずにはいられなかった。
明日の盛岡公演も中止が決まった。函館から東京に戻らなくてはならない。

2011年3月11日 (金)

長くゆらゆら揺れるゆれ

午前中は函館の津軽海峡側に出てみた。冬の北海道で砂浜に打ち寄せる波の音を聞けるとは思わなかった。とても美しい景色だったのに。

午後函館市民会館でそろそろ楽器を出して、と思っていたらゆらゆら揺れ始めた。長くゆらゆら揺れる揺れは、何年か前新潟の大きな地震を東京で感じた時と同じ感じだった。
余震が続きその度にホールの反響板が揺れる。函館公演は中止になり駅近くのホテルに戻るとすぐ警報が出て、あっという間に駅前は水浸しになった。膝くらいの高さの津波でもあんなに不気味なのだから、ニュースの映像で流されるような津波の恐怖は・・・。

明日の八戸公演も中止。とりあえず函館に止まることとなった。
阪神の大きな地震の時もすぐには何が起こっているのかわからなかった。夜が明けるといろいろなことがわかるのだろうか。

2011年3月10日 (木)

函館到着

昨夜大館の本番が終わってから青森に戻った。大館より青森の方が雪が多い。
今日昼過ぎに函館着。函館は都会だった。演奏会は明日なので街を歩く時間がある。風は冷たかったけれどカメラを持って知らない街を行くのは楽しい。函館はその東西を海に挟まれているめずらしいところだ。今日は西側を歩いた。明日は東側を見てみよう。

2011年3月 9日 (水)

北へ

昨日東京でリハーサルをしてから青森へ。雪で真っ白だった。
都響の東北・北海道演奏旅行、今日は大館公演。

2011年3月 7日 (月)

「若い小説家に宛てた手紙」

「白鯨」を読み終わったら次はバルガス=リョサの「緑の家」と決めていた。本屋に行ったら、同じバルガス=リョサ著「若い小説家に宛てた手紙」という本を見つけてしまった。まだ前半部分だがおもしろい。進むのがもったいないくらいだ。小説家が手の内を明かしていく。「白鯨」も読み解かれる。

こんなことが書いてある:
『文学を志す人は、宗教に身を捧げる人のように、自分の時間、エネルギー、努力のすべてを文学に捧げなければなりません。そういう人だけが本当の意味で作家になり、自分を越えるような作品を書くことのできる条件を手にするのです。われわれが才能とか天分とか呼んでいるもうひとつの神秘は、若くして華々しい形で生まれてはきません ― 少なくとも小説の場合はそうです。詩人や音楽家の場合は、確かにランボーやモーツァルトといった古典的な例を見ても分かるように、時にそういうこともあり得ます。しかし、小説家の場合、才能、天分といったものは気の遠くなるほど長い時間、つまり何年もの間ねばり強く修練を積んではじめて身につくものなのです。早熟の小説家というのは存在しません。称賛に値する偉大な小説家たちも、作家に成りたての頃は例外なく三文文士でしかなく、信念を持って辛抱強く努力したおかげでその才能が花開いたのです。』

『・・・まず自分の文体をさがし、見つけだすことです。すぐれた文学書をたくさん読まないと、豊かで伸びやかな言葉が身につきません。ですから、とにかく本をたくさん読んでください。自分の文体をもつというのは生やさしいことではありませんから、あなたがもっとも敬愛し、文学を愛することを教えてくれた小説家の文体をできるだけ模倣しないように心がけてください。それ以外のこと、つまり、文学への献身、規律、おかしな癖といったものはいくら真似してもかまいません。また、正しいと思ったら、小説家の信念を学び取って自分のものにすればよろしい。しかし、敬愛する作家の文章をそのまま模倣してはいけません。というのも、あなたが自分自身の文体、つまり自分が語りたいと思っている内容にもっともふさわしい文体を作り上げなければ、あなたの書く物語が説得力をもつことはありませんし、命あるものにはならないでしょう。』

きっと音楽も同じだ。

2011年3月 6日 (日)

豊かな実りの時期を

金曜日に放映されたアンドラーシュ・シフの演奏会の模様、素晴らしくて結局最後までもらさず聴いた。彼はベートーヴェンの最後の3つのピアノソナタを、休みなしに続けて弾いてしまった。
ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏は特にそうだし、作品109、110、111のピアノソナタも、はたしてこれは音楽だろうかと思う。もちろんこの時期のベートーヴェンは聴覚を失っていたはずだ。旋律、感情、形式、そうしたものからはすでに離れ、世界と呼ぶほど地上には接していなく、何か純粋なものがあらわされているのではないだろうか。

シフの演奏、なかでも作品110変イ長調のソナタが好きだった。こんなにピアノが弾けたら、というよりこんな音楽の感じ方ができたら素晴らしい。体にも心にもこわばりがなく、いつまででもピアノを弾いていられそうだった。アンコールの音楽があふれてくるようなバッハの平均律を聴いて、今彼は豊かな実りの時期をむかえているのだと思った。

2月20日の紀尾井ホール、うかつにもこの演奏会のことは知らなかった。実際に体験したかったなぁ。あの日は文化会館のせまいオーケストラピットでサロメをもそもそ弾いていたのだった。

2011年3月 3日 (木)

新作、名器

雑誌「サラサーテ」の小さな連載「チェリストの眼」、3月2日発売の39号のテーマは楽器です。よろしければどうぞご覧ください。

2011年3月 2日 (水)

ほどほどに

どうもチェロの調子がよくなくてあれこれ悩んだ結果、弦の下2本をワーシャルから懐かしいスピロコアに戻した。
去年スピロコアからワーシャルに変えた時は低音の深みと高音の伸びに惚れたのだった。弦にしてもエンドピンにしても弓にしても、変えた時の印象としばらく使ってからの印象は異なることが多い。新しい部分の影響で楽器や人間も変わるのだろうか。
このところの僕の楽器のぺったりと平らになってしまった音は弦を元に戻して立体感を取り戻しかけているように思う。弦をあれこれ試した挙げ句、結局20年以上前から使っている古典的な組み合わせに戻るのは、なんだか小学生の自由研究のようだ。さて、スピロコア特有のしゃりしゃりした感じにはしばらく付き合わなくてはならない。

エンドピンは、去年見附さんに作ってもらったほんの少しだけ太い鉄製のものが素晴らしくてずっと愛用している。(昨年1月28日の日記をご覧くださいhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-48ee.html
でも楽器が開きすぎて音が平らになってしまった時は真鍮のエンドピンを使うと厚みが戻ってくることがある。真鍮は音離れがあまりよくないような気がして、本番で使うことはなかったのだけれど、真鍮でもソケットにぴったりの太さにして長さも必要最低限にしたら別の世界が見えるかもしれないと思い、再び偏執狂的なお願いを見附さんにした。出来上がりが待ち遠しい。

あまり楽器のことで悩んでも仕方ないので、久しぶりに上野動物園に出かけた。
上野はすっかり公開を待つパンダ一色だが、どうしてどうして、これまでずっといる動物たちで楽しかった。特によかったのはゴリラ。片時もじっとせず動きまわるコモモという子供のゴリラ、ボロ布を頭からかぶったままうろうろするゴリラ、わらをいじったり鼻をほじったり顔をかいたり自分のにおいをかいだり背中ごしに人間をちらちら見たり(どちらが檻の中にいるのかわからなくなる)する見事な銀色がかった背中を持つ大きなゴリラ、いちいちの仕草に強くシンパシーを感じた。
悩むのはほどほどにしよう。

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