ほどほどに
どうもチェロの調子がよくなくてあれこれ悩んだ結果、弦の下2本をワーシャルから懐かしいスピロコアに戻した。
去年スピロコアからワーシャルに変えた時は低音の深みと高音の伸びに惚れたのだった。弦にしてもエンドピンにしても弓にしても、変えた時の印象としばらく使ってからの印象は異なることが多い。新しい部分の影響で楽器や人間も変わるのだろうか。
このところの僕の楽器のぺったりと平らになってしまった音は弦を元に戻して立体感を取り戻しかけているように思う。弦をあれこれ試した挙げ句、結局20年以上前から使っている古典的な組み合わせに戻るのは、なんだか小学生の自由研究のようだ。さて、スピロコア特有のしゃりしゃりした感じにはしばらく付き合わなくてはならない。
エンドピンは、去年見附さんに作ってもらったほんの少しだけ太い鉄製のものが素晴らしくてずっと愛用している。(昨年1月28日の日記をご覧くださいhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-48ee.html)
でも楽器が開きすぎて音が平らになってしまった時は真鍮のエンドピンを使うと厚みが戻ってくることがある。真鍮は音離れがあまりよくないような気がして、本番で使うことはなかったのだけれど、真鍮でもソケットにぴったりの太さにして長さも必要最低限にしたら別の世界が見えるかもしれないと思い、再び偏執狂的なお願いを見附さんにした。出来上がりが待ち遠しい。
あまり楽器のことで悩んでも仕方ないので、久しぶりに上野動物園に出かけた。
上野はすっかり公開を待つパンダ一色だが、どうしてどうして、これまでずっといる動物たちで楽しかった。特によかったのはゴリラ。片時もじっとせず動きまわるコモモという子供のゴリラ、ボロ布を頭からかぶったままうろうろするゴリラ、わらをいじったり鼻をほじったり顔をかいたり自分のにおいをかいだり背中ごしに人間をちらちら見たり(どちらが檻の中にいるのかわからなくなる)する見事な銀色がかった背中を持つ大きなゴリラ、いちいちの仕草に強くシンパシーを感じた。
悩むのはほどほどにしよう。
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