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2011年4月 2日 (土)

「afterward」

様々な引用を、字ばかりで長いです。

週刊文春4月7日号、養老孟司さんと阿川佐和子さんの対談から
『養老「・・・僕が今回のことで、発電所の所長さんに訊いてみたいのはそれだけですよ。何で水をかぶったら予備の発電機がダメになっちゃうんですか。以上、終わり。」
 ・・・
 養老「・・・千年に一度の津波は想定外だったというけど、千年に一度にしろ何にしろ、周期的に起こることは分かっているんだから。千年に一度のことが二度続けて起こったら想定外って言っていいかもしれないけど、それだって起こるかもしれない。起こらないなんて誰にも言えません」
 阿川「去年、この対談で半藤一利さんにお話しを伺ったとき、「日本人は、起きてほしくないことは、起きないだろうと思ってしまう。先の大戦でも、ソ連は絶対参戦しないと思い込んでいた」とおっしゃっていたんですけど、たしかに大事な判断をするときに、楽観的になる癖があるのかなと。
 ・・・
 養老「・・・日本のエネルギー依存をどうするかっていう話ですよね。僕はずっとそれが気になっていたんです。日本は高度成長以降、猛烈な右肩上がりでエネルギーを使ってきた。この傾向って絶対にまずいと思った。それで、昔、東京電力の副社長に訊いたことがある。いつまでも増やせるわけはないんで、天井っていうことを考えなきゃいけないはずだけど、そのへんはどうなんですかって。」
 阿川「そしたら?」
 養老「その返事はよく憶えていますよ。彼は「電力会社は、電力を供給する義務を法律で負わされています」と言った。あ、これが右肩上がりの言い訳になっているんだなあと思った。」』

4月2日の産経新聞に、チェルノブイリ原発事故が起きた1986年から5年間、放射能汚染除去作業の責任者を務めたユーリ・アンドレエフ氏のインタヴューが掲載された。その中から
『‐状況はなぜ悪化しているのか
「東電の情報が不正確で不足しているからだ。(企業というものは)会社の利益を優先して行動するので作業から外す必要がある。幅広い知識を持つ経験豊富な技術者を日本中から集めて特別チームを編成し、作業にあたらせるべきだ」
 ‐チェルノブイリで得た教訓は
「ヘリから放水したり原子炉の下に穴を掘ったり無意味な作業に追われた。原子炉内に核燃料があるのか知りたかったが、実際はすでに溶け出して残っていなかった。ソ連当局は事故の原因と規模を隠し、状況を悪化させた。日本では原子力政策と安全規制を同じ経産省が担当している。世界的にみても安全規制当局は原子力産業界に依存しており、独立した委員会を作る必要がある」
 ‐放射能汚染の除去にどれぐらいかかるか
「チェルノブイリでは原発の汚染除去に2年かかった。30キロ圏内の除去は実際上、不可能なので行われなかった。福島の場合、放射線量が明らかでないので答えるのは難しいが、1~2年かかる可能性がある」
 ‐「フクシマ50」と報じられた現場の作業員について助言はあるか
「50人は少なすぎる。5千人以上を投入すべきだ。特別な防護服を着用してもガンマ線を浴びたり、プルトニウムを吸引したりする危険性がある。確かに彼らはサムライだが、ロボットも導入すべきだ」』

3月29日朝日新聞夕刊に掲載された松浦寿輝さんの詩

   afterward

   惨禍の一瞬が私たちの生を
  「その前」と「その後」とに分断した
   なぜ彼らは 「君たちは」そんなに
   平静なのか 平静でいられるのか と
   ある知り合いのフランス人が言った
   呆れたように なじるように
   そう見えるだけだよ と私は答えた
   しかしもし平静と見えるのなら
   それはとてもよいことだ とも
   なぜなら「その後」をなお私たちは
   生きつづけなければならないから
   悲嘆も恐怖も心の底に深く沈んで
   今はそこで 固くこごっている
   それがやわらかくほとびて 心の表面まで
   浮かび上がってくるのにどれほどの
   時間がかかるか 今は誰にも判らない
   それまで 私はただ背筋を伸ばし
   友達にはいつも通りに挨拶し
   職場ではいつも通りに働いて
   この場所にとどまり 耐えていよう
   心の水面を波立たせず 静かに保つ
   少なくとも保っているふりをする
   その慎みこそ 「その後」を生きるものの
   最小限の倫理だと思うから 
                        
                                                        』

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