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2011年4月

2011年4月30日 (土)

違う世界への

今日の都響はリムスキー=コルサコフの曲ばかり集めた演奏会。シェヘラザードや「くまんばち」くらいしか知らなかったけれどそれ以外にも曲はもちろんあり、楽しかった。指揮は下野さん。
会場のオペラシティで弾くのは久しぶりだった。客席に人がいないと驚くほど残響は長いが(何秒も音が残る)、音は響きに包まれず意外と生のまま客席に届いてしまうことに気付いた。気に留めておこう。良く言えば響きもあり音も細部まできこえるということだろうか。

できるだけ毎日ipodで写真を撮るようにしている。知らない場所はもちろん、毎日の行き帰りでも時々違う世界への入り口が見えて楽しい。

Sugamo

2011年4月27日 (水)

4月27日紀尾井ホール

紀尾井ホールで弾くのは、この前ここで弾いたのがいつで何だったか思い出せないくらい久しぶりだった。
今使えなくなっているカザルスホールに関して何かできないか、という思いから企画された今日の演奏会、集まった多くの演奏家にお会いし演奏を聴いているうちに、学生や出たての頃に参加した沖縄ムーンビーチのミュージックキャンプ、長野アスペンの講習会、倉敷や宮崎の音楽祭のことを思い出し、胸がいっぱいになった。

以前紀尾井の舞台に立った時は自分が小さく感じられその度に縮みあがっていたのだけれど、今日はいい響きに包まれて幸せだった。舞台の音は客席にはなかなか届きにくいのかもしれないのだけれど。

先日放映されたアンドラーシュ・シフの演奏会(ベートーヴェンの最後の3つのソナタを弾いた)も紀尾井ホールだった。その日彼は午前中2時間ほどホールで練習し、そのあと本番まで弾かなかったそうだ。シフと僕を比べてはいけないが、舞台に出るぎりぎりまで楽器に触れていたい僕にはそれはとても難しい状況だ。しかもあの素晴らしい演奏だったのだから。

2011年4月25日 (月)

「メアリー&マックス」

映画「メアリー&マックス」を観た。http://maryandmax-movie.com/
勝手に「羊のショーン」のようなちょっとひねりが効いて楽しい映画を想像していったら、

Shoen

打ちのめされてしまった。手間のかかるクレイアニメだからこそ表現できる世界を感じた(完成に5年を費やしたそうだ)。音楽も音楽の使い方も好き。もう一度観に行ってもいい。

2011年4月24日 (日)

忘れないように

シベリウスのフィンランディアが、言い方は悪いけれど、最小の労力で最大の効果を得られる曲だとすると、5番の交響曲はその対極にあるかもしれない。でもいい曲だった。忘れないようにしよう。
今日の演奏会、ソリストの変更がありコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲は豊嶋さんが弾いた。都響で豊嶋さんの音が聴けてうれしかった。

銀座線溜池山王駅の階段にどうして東京文化会館の舞台の写真が貼ってあるのだろう、と思ったら都響のポスターだった。

Tmsoposter

2011年4月22日 (金)

ハンヌ・リントゥ

日曜日の演奏会のリハーサルが始まった。指揮のハンヌ・リントゥが前回来たのは2年半前、マーラーの「巨人」とベートーヴェンの「皇帝」というプログラムだった。その時彼は眼底出血のため片目が真っ赤で「気味悪く思わないで」と言っていたのを思い出す。ピアノの中村紘子さんとのやりとりも楽しそうだった。

今回はシベリウス・プログラム。自分の国の音楽だからだろう、前回よりずっとのびのびとしている。あちこちでさんざん演奏してきたフィンランディアがまるで別の曲のようだった。初めて弾く5番の交響曲は、よく演奏される2番よりも好きだ。

2011年4月21日 (木)

練習場所が

今日仙台フィルの公演がある、というのでサントリーホールの楽屋口に伺った。
仙台では今オーケストラの演奏会どころか、リハーサルをする場所がないそうだ。でも皆さん明るく、逆に僕が「痩せた?」と言われ、元気をもらう側になってしまった。何人かの方から「今は気を張っているから」という言葉を聞いた。どうかくれぐれも無理をされないよう願うばかり。

2011年4月20日 (水)

4月20日ルネこだいら

小平での演奏会、多くの方にお越しいただき、またとてもあたたかく聴いていただき本当にありがとうございました。
盛りだくさんのプログラム、思うようになったこともならなかったことも・・・。いっそう精進します。

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上の画像はルネこだいら前の人の背丈よりずっと大きな郵便ポスト、下の画像はピアノの佐々木京子さん。

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2011年4月17日 (日)

どうにかして

ズービン・メータがN響を指揮したチャリティー公演の第九の模様が放映され、思わず見た。すごい音だった。第2、3楽章が聴けなかったのは残念。

フィラデルフィア管弦楽団が経営破綻だそうだ。http://www.asahi.com/showbiz/music/KYD201104170002.html
オーケストラの経営はとても難しい。でもアメリカのメジャーオーケストラがこういう状況になるとは。

今日はもちろん楽器でさらった。ここ数日自分の壁にぶつかっている。問題点が今よくわかる。あと少し、ここを越えられると大きく変わると思う。この少しの、しかも大きな問題をどうにかして越えたい。

2011年4月16日 (土)

もう少し早く

4月20日の演奏会にも実は停電の影響が心配されていたのだけれど、幸い開催されそうでほっとしている。僕の貴重なソロの機会だもの。

今朝は先日ピアニストと合わせた練習の録音を聴いた。以前ほど辛くはないが、それでも自分の演奏を聴くのはしんどい。この数ヶ月で革命的に良くなったつもりでいたのに、聴いてみると・・・。ぐれたくなる。
明治神宮に出かけた。大きな木があって空も見える境内は好きだ。気持ちがまっすぐになるような気がする。それに一昨日の演奏会はちょっと普通ではない様子があった。

帰宅してから20日に弾く曲を、楽器なしで楽譜を見た。どれだけ豊かに強く思い描けるか。ごしごしチェロを弾くだけが練習ではない、ということが最近ようやくわかってきた。もう少し早く気づいていればなぁ。

2011年4月15日 (金)

澄んで集まった音の中で

今年に入ってからなかなか都響の音がまとまらないと感じていた。少し鳴るようになったと思ったらあの地震だった。

アツモン氏はとにかく旋律を浮き立たせるように声部間のバランスをとった。確かにブラームスの2番はごりごりぐりぐり弾く曲ではない。久しぶりに澄んで集まった音の中にいた。
今回初めてだったエルガーのヴァイオリン協奏曲の、ソロのパートは細かい音符がびっしりでぞっとするくらい黒い楽譜だった。この50分近い大曲を竹澤さんは素晴らしい密度で弾ききった。まさにソリスト、すごい音だった。

下の画像は月末のリムスキー=コルサコフの演奏会で使うトランペットの楽譜。都響のライブラリーで何十年も眠っていたのだろうか、ほとんど使われた形跡がなくとても綺麗だ。なんだか古文書のような色合いだったので。

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2011年4月12日 (火)

演奏会の予定を

昨日の夕方からひっきりなしに地面が揺れている。今日午後大きく揺れた時はちょうどエルガーのヴァイオリン協奏曲のリハーサル中だった。でもアツモン氏は意に介さず、ソロの竹澤さんも気付かなかった。練習が終わる時のアツモン氏の言葉は「Tomorrow is another day」。

演奏会の予定を更新しました。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/ensoukai.html
5月26日に宗次ホールで「セロ弾きのゴーシュ」があります。(2月22日の日記をご覧くださいhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-5731.html

2011年4月11日 (月)

こんなに始終

今日は地震が少ないと思っていたら。夕方5時過ぎに大きく揺れた時はちょうど弓の毛替えを頼んでいて、重野さんは揺れる工房で淡々と仕事をしていた。
http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/
震源に近い福島の方たちは不安な夜を過ごされているのではないだろうか。こんなに始終地面が動くなんて・・・。

アツモン氏が頻繁な揺れにびっくりしないといいのだけれど。今日のリハーサルで、マーラーの1番「巨人」の冒頭がブラームスの2番の終楽章の再現部の前にそっくりなことに気付いた。

2011年4月10日 (日)

逆らいがたく惹きこまれて

このところ毎週のように深夜の衛星放送でカルロス・クライバーのことが放映された。

先週は86年のバイエルンのオーケストラとの来日公演の模様。以前にも見た演奏なのに、逆らいがたく惹きこまれて夜更かしをしてしまった。最初のベートーヴェンの4番は残念ながら見逃して、7番とアンコールの「こうもり」序曲、「電光雷鳴」ポルカ。オーケストラの仕事をしていると手垢がべったりとつく曲ばかりだったけれど、まるで知らない曲のように素晴らしかった。クライバーの指揮はずっと見ていたくなる。
指揮者を御者、オーケストラを馬に例えると、クライバーに御されるのは嫌ではない(人間は基本的に誰かに指図されることが嫌いだと思う、ここに指揮者とオーケストラの関係の難しさがある)。指図される、というよりは行き先とスピードを決められてほうり出されるようだ。もしかしてオーケストラはコントロールされていることに気付きもせず、ただなぜだかいつもよりもっと生き生きと上手にふるまっていると感じるかもしれない。到達点にたどり着くまでは容赦なく鞭を入れるのに、いったん達するとそのあとは勢いだけでいかせてくれる。この塩梅がすごい。彼は子供のように無邪気で夢中で、あんな羽がはえたように進んでいくベートーヴェンの7番は聴いたことがない。
クライバーには、ウィーン・フィルと74年に録音した「運命」の名盤があるが、あの圧倒的なドライヴ感の秘密が来日公演の映像から見えるようだった。

この映像はカーテンコールの時の客席の様子も映している。突然客席で拍手しているチェロのMさんが画面に出てびっくりした。先日の紀尾井ホールでたまたまお会いして尋ねたら、86年確かに人見記念講堂に行ったそうだ。こういう演奏はきっと一生忘れられないだろう。僕もその場にいて体験したかった。

昨晩は指揮者、歌手、同僚、友人、家族のインタヴューとリハーサル風景で構成したクライバーのドキュメンタリー「Trace to Nowhere」。劇的な彼の人生を語る実姉ヴェロニカの言葉が悲痛だった。

一方現実は。指揮のモーシェ・アツモンは来日し「会う人全てに止められたけど、来ないという選択肢はなかった」と語ったそうだ。自分の国へ急遽帰ってしまった演奏家、来日しなかった演奏家はいる。そのことに対して何かを言うことは難しいが、やはり来てくれることはうれしい。都響は地震当日の函館公演が中止となり、ちょうど一ヵ月たった明日からアツモンのリハーサルが始まる。

2011年4月 9日 (土)

やはりかたくなって

大地震の後、今日初めての本番だった(チャリティーコンサートに都響チェロアンサンブルとして出演)。もちろん広い場所で弾くのも3月11日以来。あらためて東京文化会館の大ホールはいいと思った。仕事がなかったこの一ヵ月ずっとそうならないように心がけていたのに、やはり本番ではかたくなってしまった。反省し、終わってからもう一度さらった。

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去年使い始めたキャノンの小さなデジタルカメラ(S95)はくっきりはっきりとてもよく写る。でもその便利なはずのズームレンズがどうもしっくりこなくなってきた。ズームを使うと、僕が旧式なだけかもしれないが、世界をどう見たら良いのか世界に対してどう立っていればよいのかわからなくなる。フィルムでじゃんじゃん撮ることは今や贅沢だし、固定焦点でファインダーの見やすいデジタルカメラなんてあまりないと思っていたら、実は手近にあった。ipodのカメラ。大きな画面は見やすく小気味よく動く。一方画像はざらざらで露出は暗め色も渋め、でもなんだかいい。上の画像はipodで撮ったもの。

2011年4月 7日 (木)

東京もようやく春らしい陽気になって桜が咲いた。大きな地震で普段の心を失ったけれど、それでもやはり咲いた桜を見て少しほっとした。桜を見るとお世話になった方のことを思い出す。

2011年4月 5日 (火)

東京チェロアンサンブル

紀尾井ホールへ東京チェロアンサンブルを聴きに行った。
有相無相の轟音がひたすら鳴り響くチェロアンサンブルの時代は終わったようだ。82年から86年の間に生まれた13人の若いチェリストたちは「和を以て貴しと為す」という言葉がぴったりくるようだった。皆よく弾けてアンサンブルもよく整う。周りを聴かずひたすら自分のペースで弾きまくる人はどこにもいない。
でももう少しはみ出してもいいと思った。ホールの特性かもしれないけれど、おとなしい印象も受けた。
震災の影響はここにも及んでいて、予定されていた栃木公演は中止となったそうだ。難しい時期にこれだけの演奏会を実現させた彼らに拍手を送りたい。

2011年4月 4日 (月)

厳しい状況の中で

この数日いくつかのオーケストラの関係者と話す機会があり、内容はどうしても公演・指揮者・ソリストのキャンセルや変更になってしまう。ドイツから一時帰国している演奏家に聞くと、向こうの報道ではまるで日本は人の住むところではないような扱いらしい。
仙台フィルはとても厳しい状況の中すでに活動をしている。すごいと思う。http://www.sendaiphil.jp/news/index.html#news110328
都響も動こうとはしているのだけれど。

2011年4月 2日 (土)

「afterward」

様々な引用を、字ばかりで長いです。

週刊文春4月7日号、養老孟司さんと阿川佐和子さんの対談から
『養老「・・・僕が今回のことで、発電所の所長さんに訊いてみたいのはそれだけですよ。何で水をかぶったら予備の発電機がダメになっちゃうんですか。以上、終わり。」
 ・・・
 養老「・・・千年に一度の津波は想定外だったというけど、千年に一度にしろ何にしろ、周期的に起こることは分かっているんだから。千年に一度のことが二度続けて起こったら想定外って言っていいかもしれないけど、それだって起こるかもしれない。起こらないなんて誰にも言えません」
 阿川「去年、この対談で半藤一利さんにお話しを伺ったとき、「日本人は、起きてほしくないことは、起きないだろうと思ってしまう。先の大戦でも、ソ連は絶対参戦しないと思い込んでいた」とおっしゃっていたんですけど、たしかに大事な判断をするときに、楽観的になる癖があるのかなと。
 ・・・
 養老「・・・日本のエネルギー依存をどうするかっていう話ですよね。僕はずっとそれが気になっていたんです。日本は高度成長以降、猛烈な右肩上がりでエネルギーを使ってきた。この傾向って絶対にまずいと思った。それで、昔、東京電力の副社長に訊いたことがある。いつまでも増やせるわけはないんで、天井っていうことを考えなきゃいけないはずだけど、そのへんはどうなんですかって。」
 阿川「そしたら?」
 養老「その返事はよく憶えていますよ。彼は「電力会社は、電力を供給する義務を法律で負わされています」と言った。あ、これが右肩上がりの言い訳になっているんだなあと思った。」』

4月2日の産経新聞に、チェルノブイリ原発事故が起きた1986年から5年間、放射能汚染除去作業の責任者を務めたユーリ・アンドレエフ氏のインタヴューが掲載された。その中から
『‐状況はなぜ悪化しているのか
「東電の情報が不正確で不足しているからだ。(企業というものは)会社の利益を優先して行動するので作業から外す必要がある。幅広い知識を持つ経験豊富な技術者を日本中から集めて特別チームを編成し、作業にあたらせるべきだ」
 ‐チェルノブイリで得た教訓は
「ヘリから放水したり原子炉の下に穴を掘ったり無意味な作業に追われた。原子炉内に核燃料があるのか知りたかったが、実際はすでに溶け出して残っていなかった。ソ連当局は事故の原因と規模を隠し、状況を悪化させた。日本では原子力政策と安全規制を同じ経産省が担当している。世界的にみても安全規制当局は原子力産業界に依存しており、独立した委員会を作る必要がある」
 ‐放射能汚染の除去にどれぐらいかかるか
「チェルノブイリでは原発の汚染除去に2年かかった。30キロ圏内の除去は実際上、不可能なので行われなかった。福島の場合、放射線量が明らかでないので答えるのは難しいが、1~2年かかる可能性がある」
 ‐「フクシマ50」と報じられた現場の作業員について助言はあるか
「50人は少なすぎる。5千人以上を投入すべきだ。特別な防護服を着用してもガンマ線を浴びたり、プルトニウムを吸引したりする危険性がある。確かに彼らはサムライだが、ロボットも導入すべきだ」』

3月29日朝日新聞夕刊に掲載された松浦寿輝さんの詩

   afterward

   惨禍の一瞬が私たちの生を
  「その前」と「その後」とに分断した
   なぜ彼らは 「君たちは」そんなに
   平静なのか 平静でいられるのか と
   ある知り合いのフランス人が言った
   呆れたように なじるように
   そう見えるだけだよ と私は答えた
   しかしもし平静と見えるのなら
   それはとてもよいことだ とも
   なぜなら「その後」をなお私たちは
   生きつづけなければならないから
   悲嘆も恐怖も心の底に深く沈んで
   今はそこで 固くこごっている
   それがやわらかくほとびて 心の表面まで
   浮かび上がってくるのにどれほどの
   時間がかかるか 今は誰にも判らない
   それまで 私はただ背筋を伸ばし
   友達にはいつも通りに挨拶し
   職場ではいつも通りに働いて
   この場所にとどまり 耐えていよう
   心の水面を波立たせず 静かに保つ
   少なくとも保っているふりをする
   その慎みこそ 「その後」を生きるものの
   最小限の倫理だと思うから 
                        
                                                        』

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