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2011年4月10日 (日)

逆らいがたく惹きこまれて

このところ毎週のように深夜の衛星放送でカルロス・クライバーのことが放映された。

先週は86年のバイエルンのオーケストラとの来日公演の模様。以前にも見た演奏なのに、逆らいがたく惹きこまれて夜更かしをしてしまった。最初のベートーヴェンの4番は残念ながら見逃して、7番とアンコールの「こうもり」序曲、「電光雷鳴」ポルカ。オーケストラの仕事をしていると手垢がべったりとつく曲ばかりだったけれど、まるで知らない曲のように素晴らしかった。クライバーの指揮はずっと見ていたくなる。
指揮者を御者、オーケストラを馬に例えると、クライバーに御されるのは嫌ではない(人間は基本的に誰かに指図されることが嫌いだと思う、ここに指揮者とオーケストラの関係の難しさがある)。指図される、というよりは行き先とスピードを決められてほうり出されるようだ。もしかしてオーケストラはコントロールされていることに気付きもせず、ただなぜだかいつもよりもっと生き生きと上手にふるまっていると感じるかもしれない。到達点にたどり着くまでは容赦なく鞭を入れるのに、いったん達するとそのあとは勢いだけでいかせてくれる。この塩梅がすごい。彼は子供のように無邪気で夢中で、あんな羽がはえたように進んでいくベートーヴェンの7番は聴いたことがない。
クライバーには、ウィーン・フィルと74年に録音した「運命」の名盤があるが、あの圧倒的なドライヴ感の秘密が来日公演の映像から見えるようだった。

この映像はカーテンコールの時の客席の様子も映している。突然客席で拍手しているチェロのMさんが画面に出てびっくりした。先日の紀尾井ホールでたまたまお会いして尋ねたら、86年確かに人見記念講堂に行ったそうだ。こういう演奏はきっと一生忘れられないだろう。僕もその場にいて体験したかった。

昨晩は指揮者、歌手、同僚、友人、家族のインタヴューとリハーサル風景で構成したクライバーのドキュメンタリー「Trace to Nowhere」。劇的な彼の人生を語る実姉ヴェロニカの言葉が悲痛だった。

一方現実は。指揮のモーシェ・アツモンは来日し「会う人全てに止められたけど、来ないという選択肢はなかった」と語ったそうだ。自分の国へ急遽帰ってしまった演奏家、来日しなかった演奏家はいる。そのことに対して何かを言うことは難しいが、やはり来てくれることはうれしい。都響は地震当日の函館公演が中止となり、ちょうど一ヵ月たった明日からアツモンのリハーサルが始まる。

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