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2011年5月31日 (火)

スティーヴン・イッサーリス

スティーヴン・イッサーリスの演奏はそれまで1回聴いたことがあった。CDも何枚か持っている。その1回というのは何年も前、BBCウェールズのオーケストラとサントリーホールでエルガーの協奏曲を弾いた時のことだ。きっと近くではいい音がしているのだろうけれど、それは客席まではなかなか来ない。ガット弦を使う彼の透明な音が、スチールやナイロンの弦を使うオーケストラの角が立った音に埋もれてしまう印象だった。

でも先日紀尾井ホールで短いプログラムのイッサーリスのリサイタルを聴いた時は、とにかく圧倒的な弾け具合でびっくりした。この人はこんなに弾けるんだと思った。技術的な問題は何もなく、歌を聴いているようだった。テンペラメントというのだろうか、瞬間湯沸かし器のように音楽的な激しさがすぐ沸点まで達する。けれど何かが崩れることは決してない。いつも素晴らしい音程感が保たれているのにも驚いた。

4本ガットを張って何の問題も感じさせない演奏をするのは大変なことだと思う。しかも彼は舞台では一度も調弦しなかった。
ガットの下2本は裸ガットの上に金属の巻き線を2重に巻いてあるからそれなりに安定する。でも上2本はガットの上にアルミが巻いてあるだけで、これがすぐよれてむけてきてしまう。僕もオリーヴかゴールドのA線D線を張ってみたことはあるけれど、高価な弦の巻きがすぐよれてきて、嫌になってやめてしまった。もちろんスチールのように無理はきかない。常に左手は下まで押さえ、弓もきちんと当たっていないとすぐ音がひっくり返る。

イッサーリスはシューマンを弾いた時もフランクを弾いた時も、素晴らしい集中でとても積極的な演奏だった。そんなに弾いたらガットのA線は巻きがよれるどころか切れてしまうのではないか、と心配になるくらいだった。でも何も起こらずいつも豊かな響きだった。この響きはスチールやナイロンでは実現できないかもしれない。
あの日、彼の演奏を聴いてチェロにはこんなに可能性があると思ったし、遠くおよばないが同じ楽器を弾いていることを誇らしく感じた。

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