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2011年6月 5日 (日)

もし起きてしまったらという

NHKスペシャル「原発危機・事故はなぜ深刻化したのか」を見た。背筋が寒くなるような内容だった。見終わって、もし深刻な事故が起きたらどうするか、という議論は事故前にはなされていなかっただろうと思わずにはいられなかった。

4月2日の日記(http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/afterward-24e2.html)に引用した養老孟司さんと阿川佐和子さんの対談の中から
「・・・半藤一利さんにお話しを伺ったとき、『日本人は、起きてほしくないことは、起きないだろうと思ってしまう。・・・』」
という一節を思い出した。

4月20日の産経新聞には堺屋太一さんのこんな文章が載っていた。
「私はかねて、原発の必要性を認めながらも、日本のやり方を批判してきた。日本の考え方は基準主義、官僚が定めた安全基準を満たせば、『事故はあり得ない』とするものだ。日本やロシアはこの考えに立っている。
アメリカやフランスは確率主義だ。ここまでの安全対策を採れば事故の可能性は1億分の1か10億分の1になる。だが、ゼロでない限り、非常対策は要る、とするものだ。」

4月21日の同じく産経新聞のインタビューで 畑村洋太郎さんがこんなことを述べていた。
「― 想定外を失敗学の視点から捉えるとどうなりますか
畑村 起こると困ることは考えようとしない。(考えないから)それが想定外になる。」

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