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2011年7月

2011年7月30日 (土)

長持ち

先日イッサーリスの演奏を聴いた時、指板に張り付いたように離れない左手の指がとても印象的だった。そんな当たり前のことを今頃、なのだけれど、そのフレーズの間左手のどれかの指が常に指板まで届いていれば、と気づいた。

フランク-ペーター・ツィンマーマンの、弓がいつも理想的な条件で弦に接している、そのボウイングは見事だった。

演奏には実際に接するものだと思う。二人の素晴らしい演奏家から大きなヒントをもらった。

できるだけ長くいい体の状態で演奏を続けるには、ということを考えるようになっている。
僕は昔から体が硬いのだけれど、さっき前屈をしてみてあまりの曲がらなさに驚いた。今日から毎日ストレッチをすることにした。
そして、この夏は夏休みらしい夏休みがあるので、楽器に触らない期間を作るつもり。チェロは好きだし、さらわなくてはならない、という強迫観念に昔からとりつかれているから、この10年1週間弾かなかったことは1回しかなかったと思う。年に一度か二度、心と体を楽器から離す時間はきっと必要だ。

2011年7月29日 (金)

さらわなくては、と思いながらついNHKスペシャル「グリコ・森永事件」を見てしまった。ドラマ仕立てはおもしろいのか、と思ったらおもしろかったなぁ。明日の続編も見よう。

2011年7月28日 (木)

楽譜の下に流れる

西洋美術館で開かれている「古代ギリシア展」に行った。

Girisiatyoukoku

看板になっている「円盤投げ(ディスコボロス)」の彫刻はもちろん、素晴らしいものがたくさんあった。僕は4000年以上前に作られた、ばっさりと簡素化された立像が好きだった。照明も工夫されているし、360度見られる展示もある。同じ彫刻がアングルによってずいぶん違った表情を見せる。
館内は夏休みの社会見学、とでも言いたくなるような様相だった。

Rodan

秋にコダーイの無伴奏の第1楽章を、しばらく先にエルガーの協奏曲を、それぞれ久しぶりに弾くので少しずつさらっている。
コダーイの楽譜を久しぶりに見た時、どうやって弾いていいのかわからなかった。今まであきれるほど何も読みとっていなかったということだろう、見事に音符の表面をなでていただけだった。楽譜の下に流れる様々な表情や性格、動きをまるで読めていなかった。
読み方が変わり、弾いたことのある曲も初めてのようで楽しい。以前弾いた時にこのくらいできていれば、とも思うけれど、これが自分だから仕方ない。

コダーイやエルガーだけでなく、レーガーやヒンデミット、ソリマの無伴奏も音を出している。こんなに楽しいとは思わなかった。誰も知らなくて、でも、「その曲いいね、何?」、と聞かれるような曲を見つけたい、といつも思っている。

2011年7月26日 (火)

外へ

「メカスの難民日記」を読んでいる。
『1949年1月8日 ・・・ゲオルゲ、ヴァレリー ― たった2、3冊の本でそんなに興奮するなんて、なんと馬鹿なと思う人もいるだろうことはわかっている。しかし、それが、夢を抱きながらの私の生き方だ・・・・・。瓦礫、恥、裏切りでは解明しきれないこの戦争の後には、いいものはほとんど残っていない。だから、埃と煉瓦とコンクリートを払い除け、白地の上の黒い字を読む・・・・・。』
『1949年1月1日・・・あぁ、本や壁と付き合う室内の生活ばかりだと、だれでもうんざりする。自分で自分に飽きる。たとえアルギスやヴラダスに会いにいっても ― 同じこと。ますます本と壁ばかりだ。だめだ。私たちは本と壁から逃れられない。』

例年3月4月は芦ノ湖に釣りに行く。でも今年は地震があり、とても行く気がしないままニジマスのシーズンは終わってしまった。
犬や猫のように身近な動物を見ていても、周りの物音や気配に敏感に反応することに驚く。僕たちの普段の生活は、人間の能力のある部分だけを局所的に肥大して使っているような気がする。眠っている能力はとても多いのではないか。
そして東京にいると人間は周囲の全てをコントロールできるかのように錯覚してしまう。でも確か、釣り場では天候も魚の機嫌も何一つ思い通りにならなかったはずだ。

Tokyo

今チェロを弾くことは何より楽しいのだけれど、そろそろ広いところに行って五感を働かせたくなった。しまいこんであった釣り道具を出してきて、天気予報を気にする毎日。

2011年7月24日 (日)

「自分本来の声を」

いずれもあの地震の前に出版されていた本で、高木仁三郎著「プルトニウムの恐怖」、広川隆一著「チェルノブイリ報告」、田中三彦著「原発はなぜ危険か」を読んだ。
脱原発、あるいは国策としての原発、という言葉はよく聞く。でも大きな災害を経て、今後10年あるいは20年この国はどう進むのか、そのためにはエネルギーをどうまかなうのか、という議論がもっとされたら、と思うのだけれど。

砂をかむような思いの時に随分救われたのはJ.L.ボルヘス著「詩という仕事について」。そんなに目先のことにとらわるな、と諭されるような気がする。こんな文章があった。
『つまり、あらゆる人間の場合と同じように、私の身にも色んなことがありました。泳ぐこと、物を書くこと、朝日や夕日を眺めること、恋をすること、実に多くのことに悦びを見いだしてきました。しかし、私の生涯でもっとも重要な事柄は、言葉が存在すること、そしてそれらの言葉を詩に織り上げるのが可能だということでした。』
『もし私が作家たちに助言をしなければならないとしたら(その必要があるとは思っていません。物事は皆が自分で解決すべきですから)、ただ、これだけは言いたい。自分の作品をいじるのは、できるだけ少なくしなさい、と。あれこれひねくり回すのは、いい結果を産まないと思います。自分に何ができるか、それが分かる時がやがて来ます。自分本来の声を、自分自身のリズムを見いだす時がきっと来ます。少し手を加えたくらいで、それが役に立つとは思えないのです。』

今読んでいるのは西沢立衛著「美術館をめぐる対話」。世界中の美術館に行きたくなる。

2011年7月22日 (金)

指揮の秘密、森の木琴、演奏会の予定

今週の都響は、普段小中学生向けに行っている音楽鑑賞教室の、いわば大人版を行っている。その中に指揮者体験コーナーがあり、昨晩のサンパール荒川では会場から希望を募って小学生の男の子、女の子、成人男性の3人がハンガリー舞曲の第5番を振った。2番目に指揮をした女の子が素晴らしく、テンポの締め方やフレーズの取り方など、いい指揮者の秘密があるような気がした。

世間的には知られているものかもしれないけれど、NTTドコモ幻のCMの映像を見た。こういう手の仕事は好きだ。
「森の木琴」http://www.youtube.com/watch?v=C_CDLBTJD4M

次回のJTチェロアンサンブル公演は来年1月31日、チケットは7月30日に発売されます。ご希望の方はどうぞお早目に。(チケットぴあ 0570-02-9999、Pコード142-854)
同じJTアートホールのシリーズ、10月31日ハープの吉野直子さんとチェロのクレメンス・ハーゲンの演奏会も素晴らしそうだ。

2011年7月20日 (水)

休みの昨日、朝ご飯を食べて寝て、昼ご飯を食べて寝て、チェロも弾かず本も読まずコーヒーも飲まず、八百屋に桃を買いに行っただけ、晩ご飯の前にも寝て、もちろん夜もぐっすり眠った。
このぐうたらな有様は台風で気圧が低いせいにする。涼しくなったのはありがたいが、もう災害はたくさん、台風6号よ早く去ってくれたまえ。

日本の白桃は最高の果物だと思う。みずみずしく繊細な果実が、傷一つないまま僕たちの手元まで届くことは感動的だ。毎年夏が終わる頃、あぁ今年も少ししか食べなかった、と後悔する。この夏こそ。

魁皇関が引退した。会見時のすがすがしい表情に心打たれた。先日のなでしこジャパンの活躍は言うまでもなく、スポーツのニュースに勇気づけられる。

2011年7月18日 (月)

楽しい時間は

ベルクのヴァイオリン協奏曲の第2楽章にはバッハのコラールが出てくる。その旋律がクラリネットにある時、セカンドヴァイオリンが追いかけてシ・ド・レ・ミ、ソ・ファ・ミ・レ・ドと弾く。そのミを開放弦で弾くようにアラン・ギルバートは求めた。オーケストラでヴァイオリンがピアニシモを弾く時、E線の開放弦は基本的に避けると思う。でも今回はその開放弦が、無垢な子供が弾くヴァイオリンのようで、とても効果的だった。
「ある天使の思い出に」という題のついたこの協奏曲、曲の持つストーリーや作曲された時の状況はシリアスだ。今日のツィンマーマンは一段と素晴らしく、まるで天使が見えるかのようだった。

昨日の演奏会も良かった。今日は、前半の2曲はゆとりがあってより自由だったし、ブラームスの1番では何か大きなものが見えたような気がした。楽しい時間はすぐ過ぎる。舞台で弾きながら、演奏が終わりに近づいていくことを残念に感じた。またアラン・ギルバートに来てほしい。

2011年7月17日 (日)

素直にもう一度

今日はサントリーホールでアラン・ギルバートと都響の最初の演奏会。

ベルクのヴァイオリン協奏曲の最後、ソロのヴァイオリンは高いソをずっと伸ばしている。その時のフランク-ペーター・ツィンマーマンの姿勢は実に自然体だった。すっと音楽に入ることも、大きな舞台に1人で立っていることも、オーケストラの伴奏で弾くことも自然体だった。弾きながら時々いたずらっぽい目でオーケストラとコンタクトを取ったりする、そんな彼の音を聴きながらパウル・クレーの描いた「忘れっぽい天使」の絵を思い出した。
アンコールのバッハには、体中の力が抜けてしまった。こういう経験はしたことがない。素晴らしいソリストはオーケストラを変える力を持っている。

ブラームスの1番はあっという間に終わった。これまでの都響の演奏会、オーケストラにはもっと能力があるのに、と感じる時があり、そういう時はもやもやとしたものを抱えた。でも今日は幸せだった。

明日も同じプログラムで演奏会がある。同じプログラムが2日続く時、初日がうまくいってしまうと2日目は大儀な感じがするし、うまくいかなかったときはもちろんやり直したいと思う。
でも明日は素直にもう一度弾きたいと思う。演奏会が2回あって本当に良かった。

2011年7月16日 (土)

羽が生えたように軽々と

フランク-ペーター・ツィンマーマンとのベルクのリハーサルは今日1回だけ。この曲は今までに2度ほど弾いたけれど実は苦い感触ばかりだった。それが今日は別の曲のようにすんなり進んだ。

ベルクのヴァイオリン協奏曲は、多分難しい曲だと思われるのに、ツィンマーマンは曲と一体となって、羽が生えたように軽々弾いた。ボウイングの見事さは特筆すべきものと思う。最初、音は大きくないように感じたけれど、オーケストラ全体が鳴っても関係なくよく聞こえる。不思議だ。

東京の暑さには猫もまいっている。

Nerimacat

2011年7月15日 (金)

「おはようございます」

演奏の仕事場での挨拶は「おはようございます」だ。今では何の違和感もなく使うし、時間帯を考えなくてもいいという便利さもある。

今日の日経新聞夕刊に載った桂三枝さんの文章「礼儀と自己主張」にはこんなことが書いてあった。
『寄席の挨拶は「おはようございます」から始まる。たとえ夜でも同じだ。今ではテレビ局でもこの挨拶になっている。
 なぜ夜でも「おはようございます」なのかと言うと「こんにちは」「こんばんは」はお客様が「来ん」につながるから忌み嫌って使わないのと、「おはようございます」は目上にも使える丁寧語だからだ。』

なるほど、「おはようございます」の理由を初めて知った。確かに「こんにちはでございます」とは言わない。

2011年7月14日 (木)

「Think the breathing」

フランス・ブリュッヘンが初めて新日フィルに来てシューマンやシューベルトを指揮した時、新日フィルってこんな音がするんだ、と驚いた。今日アラン・ギルバートが初めて都響を振って、その時のことを思い出した。都響には大きな可能性がある。

僕が新日フィルに入って最初の仕事はアラン・ギルバートの指揮で新世界だった。その演奏も素晴らしかったのだけれど当時は、僕は全て振っているから(指揮で示しているから)僕の指揮を見て、というスタンスだったと思う。
それから何年もたった今日のリハーサルは、もっと伸びやかで自発的なものだった。指揮者が考えてきたことをオーケストラに命ずるのではなく、指揮者とオーケストラの間で今生まれたものの中を生きる、そんな感じだった。
この1年いろいろな指揮者いろいろなオーケストラでブラームスの1番を弾き、その度に腑に落ちない箇所がいくつかあった。でも今日すっきりした。やっぱりこうだ、と思うことがたくさんあった。同時に、なるほどそうなのか、ということもたくさんあった。
「Think the breathing」(呼吸を考えて)とか「Flexible」(柔軟に)とか、こういう言葉が象徴的。楽しかったなぁ。

夜は日経ホールでイッセー尾形の1人芝居「私の大手町」を観た。今年も1時間40分素晴らしい集中だった。より熟成された感じはするけれど、僕は去年のネタの方が好きだった。

2011年7月13日 (水)

素人考え

残念ながらこの夏も溶けそうな暑さだ。ただ、例年なら夜も暑さが充満して耐えがたいのに、今年は日が沈むと風が涼しくなるような気がする。僕は素人考えで、もしかして節電の影響で都市の上空に溜まる熱の量が減っているのではないか、と思う。

Shinjuku

明日からアラン・ギルバートが都響に来てリハーサルが始まる。ブラームスのハイドン・ヴァリエーション、ベルクのヴァイオリン協奏曲、ブラームスの1番、とプログラムも良くソリストも良く、楽しみ。

ベルクのヴァイオリン協奏曲、ソロの冒頭はソ・レ・ラ・ミ・ミ・ラ・レ・ソと開放弦(!)で弾く8分音符で始まる。この印象的なモチーフは後で2分音符に拡大されて様々な楽器に受け継がれる。そのスコアを見ながら、石巻で弾いたモーツァルトの14番の弦楽四重奏曲の終楽章、全音符のソ・シ・ミ・ドという動機で始まる、を思い出した。さらにこの動機は有名な41番の交響曲の終楽章も連想させる。
勘違いかもしれないけれど、ベルクはこの動機に関して、意識してかあるいは無意識のうちにか、モーツァルトの影響を受けたのではあるまいか、と考えてしまった。

2011年7月12日 (火)

石巻

ただならぬ気配に昨晩は何度か目を覚ました。
午前中は河北中学校に間借りしている雄勝(おがつ)小学校へ。今日は演奏の前に少し楽器に触れて、落ち着いて弾けた。
雄勝小学校も大きな被害を受け、6割近い児童が転出して今全校児童は41名。地震の前と同じ家に住んでいる子はたった一人、スクールバスは毎朝1時間半かけて家、避難所、仮設住宅を回り学校に到着するそうだ。
3月に行われるはずだった卒業式は延期され、つい先日7月3日に県外にいる卒業生も集まって行われたそうだ。金庫に保管されていた卒業証書は水につかり、印刷会社も被災しているので、新しい卒業証書ができてくるまでにどうしても時間がかかったとのことだった。

津波の恐ろしいのは、広範囲にわたって根こそぎ壊されてしまうことだと思う。こんな災害は他にないのではないか。
一方石巻市内でも高台に上がると、何事もなかったように見える。

今回のアウトリーチではありがたいことに、チェロ用にいつも同じピアノ椅子を使わせていただいた。この椅子は、やはり津波の被害を受けた石巻市民会館(数年前、都響本体で演奏した)の舞台に置かれ、足の数センチまで水につかっていたもの、と教えてもらう。
古い石巻市民会館は今年3月13日に最後の公演があり、その後建て替えられる予定だったそうだ。

午後は前谷地(まえやち)小学校へ。ここはかなり内陸に入ったところで、新しい校舎に被害はほとんどないように見えた。子供たちは屈託がなくとても元気だった。
それまで訪れた石巻女子商業高校も雄勝小学校も大きな被害を受け校舎が使えなくなり、他の学校に間借りしている。あの子たちは元気そうに見えて、やはり大きなものを抱えていると感じた。

演奏が終わると大きな入道雲が出て、すっかり夏の空だった。

Natsunosora

石巻からわずか数時間の移動で東京の雑踏に戻ると、目の前のことが信じられず茫然としてしまう。

2011年7月11日 (月)

石巻へ

石巻市立女子商業高校は海の近くに校舎があり、津波の大きな被害を受け、今は3カ所に分かれて授業を行っているそうだ。
地震から4ヶ月たった今日、石巻市立女子高校に間借りしている2年生1クラスの前で演奏した。そう見えるだけなのかもしれないけれど、明るく元気な高校生と感じた。

演奏の後、市内を案内していただく。海の際の、魚市場のあたりは壊滅的な状態だった。日和大橋をわたってすぐの石巻文化センターももちろん使えず、補修するのか建て直すのか何も決まっていない、とのことだった。文化センターの近くには使えなくなった車が集められ、川を挟んだ対岸にはがれきがうず高く積まれていた。その旧北上川は今にもあふれそうな水位だった。地盤沈下の影響だろうか。

Ishinomaki

土地のほとんど全てのものがなくなっているか使えなくなっているのを見ると、いったいどうすればいいのかと思う。途方もない広さを一つ一つ片づけて行くのだろうか。案内してくださった方が、自分の生きているうちには復興できないかもしれない、と言った。

高校で弾いた時間帯は、聞いていた通り暑かったのだけれど、日が暮れると急に風が涼しくなった。臭いはしているし、蝿も多い。
4ヶ月たってやっと僕たち音楽家にも何かできるようになったのかな、という思いと、実際には物一つ動かしていない、という無力感が交錯する。市内を見ながら、ほぼフィルム1本分の写真を撮った。でも写真を撮ってよかったのか、とホテルに戻って思った。
今日一日いろいろなことを見聞きし感じ、どう捉えたらよいのか収拾がつかない。

2011年7月10日 (日)

心づもりはして

今日の都響はサントリーホールで昼公演。終演後楽屋口で水戸室内管弦楽団の人たちに会った。彼らは今朝11時から水戸で定期演奏会をして、その後駆けつけたそうだ。19時からサントリーでチャリティー公演とのこと、水戸も東京に負けず暑いはずだし、今朝の地震はより揺れたはず。大変な一日だと思う。

僕は明日から都響の室内楽で石巻の高校、小学校へ。宮城も大変暑いという連絡を昼頃頂いた。石巻の現状はしばしば報道されていて、心づもりはしているのだけれど、打ちのめされるかもしれない。

2011年7月 7日 (木)

木、アスパラガス

昨日重野さんに、楽器の横板はどちらに反りやすいか、とか、木目がどのようになっている時にその材はどのような性質を持つか、などいろいろ教えていただいた。

その話を聞いて、宮大工の小川三夫さんがテレビ番組の中で東大寺の転害門(てがいもん)を訪れ、柱に使われている材木は生えていた時と同じ方角に立てられている、と言っていたことを思い出した。

雑誌「考える人」2010年夏号に、北海道「杉本農産」のアスパラガスが取り上げられていて、その中に
『収穫直後から箱詰め、輸送中にいたるまで絶対に横置きしない。終始、畑に生えているときと同じ縦置き。アスパラガスを横に置いてしまうと、穂先が縦に伸びようとして曲がり、余分なエネルギーを浪費して味を損ねるためだ。』
とある。確かに、「杉本農産」ではないが先日北海道から送っていただいた箱詰めのアスパラガスには、縦置きするように書いてあった。
でも東京のスーパーでは横に置いてあるような気がする。

2011年7月 6日 (水)

少し低い

少し低い駒を立ててもらった。(6月30日の日記をご覧ください http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-ee8f.html
これまで使っていた駒は、オーケストラの仕事を始める前に楽器全体を大きく見なおした時に作ってもらったもの。8年、もしかしたら10万時間近くを過ごしてきた駒を、A線側が1ミリ、C線側は0.5ミリ程度低いものに替えた。
予想通り音のテンションは下がり、左手にやさしくなり、弾きやすくなった。ただ、別の楽器のように音色も変わって戸惑っている。音は開いているのだけれど、こもっているところもある。やはり駒というのは大きな要素だ。重野さんと相談して、しばらく様子を見ることになった。

最近見ようと思っていた映画をよく見逃してしまう。
今日久しぶりに映画館に行って見た「ハングオーバー」(http://wwws.warnerbros.co.jp/thehangover2/index.html)、思いのほかおもしろかった。後に残る内容というものはなく、荒唐無稽でR-15指定、でもよくできていて時間を忘れた。

2011年7月 5日 (火)

コントラストを

最近のデジタルカメラには画像をコントラストの強い白黒に変換する機能がついているものがあり、ずっと羨ましく思っていた。
昨日iPodのアプリで「Simply B&W」というのを見つけた。画像を白黒に変換するだけではなく、赤・緑・青・黄・オレンジのフィルターをつけて撮影したように加工したり、明るさとコントラストの調整もできる。

自分で白黒写真の現像とプリントをし始めた時(もちろんフィルムの)明るさだけでなくコントラストも自由に変えられることを知って、なんて素晴らしいんだろうと思った。あの頃、何枚も失敗しながら明け方までかかって夢中でプリントしていた。
いいのか悪いのか知らないけれどiPodでは手も部屋も汚さず、指先であっという間に露出のコントロールができる。

例えばこの画像を

Ginza3

コントラストの高い白黒にすると

Ginza4

逆にコントラストを低くすると

Ginza5

こうなり、同じ銀座とは思えなくなる。新しいカメラはそう簡単に買えず、このアプリはちょっと楽しい。

2011年7月 4日 (月)

現実感のない高さで

熱風が吹き荒れる今日の東京、六本木ヒルズの森美術館へ「フレンチウィンドウ展」を見に行った。

Frenchwindow

52階まで一気に上がるエレベーターはふわふわした乗り心地で、高所恐怖症気味の僕にはあまりよろしくない。
それが芸術であるかどうか、という議論はさて置き、地上53階の高さにあるとは思えない広々としたスペースで、透明な扉、ぴかぴかのヘルメット、横向きにされた便器、写りこむドクロ、様々な映像、・・・を見るのは楽しかった。
併設されていた田口行弘展も椅子に座りこんで見てしまうおもしろさだった。出口付近にある「モーメント・タタミ」の製作過程の映像は秀逸。想像できるけれど、それにしてもあきれるばかりの手間と体力だ。

展示を見終わり直通エレベーターで地上に降りてきて、あの高さには現実感が欠如していることに気付いた。ものの見え方や重さのかかり方が違っているような気がする。

Roppongi

2011年7月 2日 (土)

日本にも

今日は飛騨古川で本番。
ゲネプロ前に少しだけ散歩した。1時間もあれば回れてしまえそうな小さな町は素晴らしいところだった。静かで凛としている。そして草木の匂いなのか、建物の木材の匂いなのか、とにかく何かの匂いが感じられるところだった。いつもいる東京は排気ガスに覆われているのだった。
ベルンやアルルに行くのは大変だけれど、日本にもこんないいところある。

明日は岐阜へ。

Takayama

2011年7月 1日 (金)

多彩な世界を

リハーサルが終わって新幹線に乗るまでの時間をぬって竹橋の国立近代美術館に行き、パウル・クレー展を見た。
僕の知らないクレーの作品がたくさんあっておもしろかった。知っていたのはその一部だけで、多彩な世界を持っていた人と驚いた。絵を子細に見ると、実に丁寧に仕上げられていて、専門的なことは僕にはわからないが、様々な技法を追求した人でもあるのだと思う。

20代の頃、講習会やコンクールでスイスを訪れる度にベルンの美術館に行き、その素晴らしいクレーのコレクションを見た。クレーが晩年の作風に至るまでの変遷を見るのはいつも感動的だった。
今はパウル・クレー・センター、という施設ができているらしい。

ベルンと言えば、昨日チェロのT君に偶然会い、話をした。今はベルンでメネセスに習っている、ということだった。

このところ、チェロを弾いて本を読んだら時間が過ぎていく毎日なのだけれど、昨日オリンパスが発表した新しいカメラとレンズがとてもおもしろそうだと思っている。早く実物に触れてみたい。
たとえばベルンや、アルル、セゴビア、といった小さくて魅力的な街、パリのような大都市はもちろん、行ったことのない多くの街を、カメラを持ってふらりと訪れたらどんなにいいだろう、とよく考える。

新幹線に乗る前、丸の内の丸善で出たばかりの「メカスの難民日記」を手に取った。おもしろそう。大きく重く高価な本だったので今日は断念。でもきっと読んでみよう。

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