「自分本来の声を」
いずれもあの地震の前に出版されていた本で、高木仁三郎著「プルトニウムの恐怖」、広川隆一著「チェルノブイリ報告」、田中三彦著「原発はなぜ危険か」を読んだ。
脱原発、あるいは国策としての原発、という言葉はよく聞く。でも大きな災害を経て、今後10年あるいは20年この国はどう進むのか、そのためにはエネルギーをどうまかなうのか、という議論がもっとされたら、と思うのだけれど。
砂をかむような思いの時に随分救われたのはJ.L.ボルヘス著「詩という仕事について」。そんなに目先のことにとらわるな、と諭されるような気がする。こんな文章があった。
『つまり、あらゆる人間の場合と同じように、私の身にも色んなことがありました。泳ぐこと、物を書くこと、朝日や夕日を眺めること、恋をすること、実に多くのことに悦びを見いだしてきました。しかし、私の生涯でもっとも重要な事柄は、言葉が存在すること、そしてそれらの言葉を詩に織り上げるのが可能だということでした。』
『もし私が作家たちに助言をしなければならないとしたら(その必要があるとは思っていません。物事は皆が自分で解決すべきですから)、ただ、これだけは言いたい。自分の作品をいじるのは、できるだけ少なくしなさい、と。あれこれひねくり回すのは、いい結果を産まないと思います。自分に何ができるか、それが分かる時がやがて来ます。自分本来の声を、自分自身のリズムを見いだす時がきっと来ます。少し手を加えたくらいで、それが役に立つとは思えないのです。』
今読んでいるのは西沢立衛著「美術館をめぐる対話」。世界中の美術館に行きたくなる。