郡山、丸谷才一
都響の室内楽で郡山の行健小学校に行った。
演奏中に歌ったり踊ったり、のりのりで元気な子供たちだった。楽しかったなぁ。午後の僕たちの演奏が終わってすぐ、校庭に子供の姿があったので尋ねたら、すでに表面の土を5センチ削ってあるそうだ。線量計というものも初めて見た。
行き帰りの新幹線で読もうと思って、家の本棚なら取り出してきたのが丸谷才一著「猫のつもりが虎」。和田誠さんの挿絵も相まって絶妙の面白さだった。丸谷さんの文章を読むとしばらく頭の中が丸谷節になってしまう。こんな具合だ。
『渋谷のオーチャード・ホールへウィーン室内合奏団を聞きに行つた。あのホールのステージ正面は、教科書出版社の出す本の装釘みたいで、なんだか固苦しくて、気づまりで、見てゐて厭になる。それで、幕間にはロビーに行つた。ところがこのロビーも、みんながせつせと煙草を喫ふのに換気装置が追ひつかないらしく、煙がこもつて、まるで夜霧のたちこめた港みたいである。昔、ヘビー・スモーカーだつたころのわたしなら、こんなのはちつとも意に介さないが、禁煙してからはもう駄目で、我慢できない。あわてて自分の席に帰る。
わたしが腰かけてから数分後、すぐ後ろの列に一人の男が戻つて来て、ちようどわたしの真後ろの席に腰をおろした。そして、隣にゐる奥さんらしい人にかう言ふ。
「何てロビーだ。人を狸と間違へてやがる。音楽聞きに来た人間を煙でいぶして、何になるつてんだ。しかしまあ、ロビー一つ作れないなんて、呆れた先生もゐたもんだぜ」』(「驢馬の耳」より)
オーチャードホールにはすっかり行かなくなってしまった。あのホールは、敷地の問題なのだろうけれど、楽屋と舞台が離れていてあまりうれしくない。いちいちエレベーターで行き来しなくてはならないし、楽屋も狭い。銀座にある楽器店のホールも、舞台と楽屋が違う階で、しかもかつて見たことのないほど小さなエレベーターに乗らなくてはならない。
演奏する側としては舞台と楽屋、できればトイレも同じ階で近接していて欲しい。その点でも優れている池袋の芸術劇場や川崎のミューザは、今は両方とも使えない。
「猫のつもりが虎」は発売された2004年に買ってもちろん読んだはずなのに、例によって何も覚えていない。オーケストラの曲をすぐ忘れてしまうのは嘆かわしいばかりだが、この忘れっぽさのおかげでまるで初めて読むような楽しさだった。
そういえば先日、父の運転する車に乗っていた時のこと、ラジオから明らかにマーラーの交響曲だろうという音楽が流れていた。知らない曲だから、ということは弾いたことのない8番か9番だね、という話をした。なんとそれが弾いたことのある7番で、がっくり。
今日の行きの東北新幹線、窓が割れていて外側から粘着テープで補強してあった。昨日上海で地下鉄事故があったばかりだから悪い冗談だろう、と思ったら、そのまま走り始めてしまった。何があったのか知らないが、新幹線の窓ガラスが割れるのは相当な力がかかったはずだ。トンネルの出入りで受ける風圧は大丈夫なのだろうか(郡山まではあまりトンネルがない)。
郡山駅前のビルの中にある真ん丸の物体はプラネタリウムだそうだ。こんなに高い所にある。
明日からは現代曲のリハーサル。微分音が出てくるのだけれど、それが4分の1音ではなくて3分の1音。そしてその音程を3つ続けると全音になる、と説明書きにある。確かにそうだ、理屈の上では。さて。
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