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2011年10月 8日 (土)

3つの写真展

3つの写真展に出かけた。

まず六本木、富士フィルムスクエア「ユーサフ・カーシュ作品展」http://fujifilmsquare.jp/detail/11090101.html
有名なチャーチルのものはもちろん印象的だし、ヘレン・ケラー、ジョージア・オキーフは美しく、ホアン・ミロはいたずらっぽい。シベリウスの写真もあって驚いた。15人のポートレート全てにカーシュ本人の文章が添えられていて興味深かった。カザルスについて、
『スペイン・プラドのクサ修道院で、私はこのチェロの名手と忘れられないひと時を過ごした。私たちの心は、出会った瞬間に通じあった ― 愛蔵の楽器を運ばせるほどに、私を信頼してくれたのだ。彼が演奏するバッハを聴いて、すっかり感動したあまり、私はしばしの間、撮影に集中することができなかった。誰かがカメラに背を向けている姿を撮影したのは、後にも先にもこれが初めてだが、このときはそうすべきだと思った。何もない部屋の光景が、芸術の頂点にある音楽家の孤高と、亡命者の孤独を伝えている、と、私には今も感じられる。
 何年も後の話だが、この写真がボストン美術館で展示されると、毎日やって来てはこの写真の前に立ち尽くして時を過ごす年配の紳士がいたらしい。「なぜ、あなたは来る日も来る日も、この写真の前に立ち続けるのですか?」、好奇心を抑えられなくなったある学芸員が、思い切って尋ねてみると、彼はきつい目をして叱りつけたそうだ。「しっ、お若いの、静かに。わからんかね?私は音楽を聴いているのだよ」。』(1954年の撮影、プラドはスペイン国境のフランスのはず、だけれど)

その後、国立近代美術館 「レオ・ルビンファイン 傷ついた街」へ。http://www.momat.go.jp/Honkan/leo_rubinfien/index.html#outline
人々の険しい表情ばかりと思っていたので足を運ぶのは気が重かったのだけれど、素晴らしかった。何が素晴らしかったのかはまだわからない。10年前の同時多発テロを契機としたこれら一連の写真に添えられたルビンファインの乾いた文章も読みたくて、僕としては珍しく図録を買った。その文章から、
『・・・近隣の環境もあまり上等とは言えなかった。それでも、いずれはよくなるだろうと信じることにした。ある意味で、私たちはギャンブラーだったのである。もちろん、カジノで派手に散在するタイプではない。未来が友好的であることを願いながら、いつも小型望遠鏡で先をのぞいているようなタイプのギャンブラーだ。
 私たちの世代は、子供の頃から、アメリカは可能性に満ちていると教えられてきた。そして実際、多くの場合、それは真実だった。私たちはみな、未来は自分のためにあると信じ、その約束を愛していた。そして、正当な相続権をもつ後継者が長い放浪の旅から帰還したかのように、意気揚々と未来に踏み入っていくつもりだった。』

最後は3331 ARTS CYD 「写真家60人の瞬間と永遠」http://www.tamron60.com/
「3331 ARTS CYD」は千代田区の練成中学校を改修して作られたスペースで広々としたところだった。良い季節 になった。

3331_2

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