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2011年10月

2011年10月31日 (月)

ハープとチェロ

都響のリハーサルの後少しさらってからJTアートホールへ。今晩はハープの吉野直子さんとチェロのクレメンス・ハーゲンの演奏会。ハープとチェロの演奏会を聴くのはもちろん初めて。どんなだろう、と楽しみにしていた。

よかったなぁ。プログラムすべての曲がおもしろかった。よく客席で眠くなる僕は(舞台の上にいる演奏会と客席で聴く演奏会は天と地ほど違う・・・)今日も眠くなったらどうしよう、と思っていたのだけれど、杞憂だった。
ドビュッシーのチェロ・ソナタをなんとハープとチェロで弾くことから始まり(ハープであのピアノパートを弾くことはきっと大変なはず。吉野さんの素晴らしい音を久しぶりにたくさん聴けた)、2曲目はチェロのソロでヘンツェのセレナード。先日チェロ・ソロの楽譜を探した時にはまったく気づかなかったこのセレナード、短い曲が9つ集まってとても興味深い。是非探してみよう。今日唯一の、ハープとチェロのためのイ・サンユンの作品も興味深く、後半、徳山美奈子さんのハープソロの曲もよかった。プログラム最後はアルペジョーネ・ソナタ。

惹きこまれっぱなしだったクレメンス・ハーゲンの演奏、アルペジョーネの時のフレーズの作り方と弓使いが見事に一致していて、聴きながら、うーんなるほど、と何度もおもった。もちろん帰宅してから楽譜を開いた。
素晴らしかった。いつも音楽が先にあった。アルペジョーネは憧れる曲だけれど、実際いい演奏に触れることはなかなかないと思う。どうしても技術が前面に出てシューベルトの音楽が遠くなってしまう。

それにしても見事な弓使いだった。いっぱいアイデアをもらった。いつも音楽があって、音楽のために卓越した技術があった。
ドビュッシーもシューベルトも、アンコールの白鳥も驚くほど長い弓で、それはハープとだから可能なのか、それともピアノとでもできるのか、聞いてみたかった。

最近絵ばかり見に行っていたけれど、たまには演奏会に出かけよう。

2011年10月29日 (土)

次から次へと新しい曲

このところ目が疲れているのは、新しいカメラで撮った写真の編集をコンピュータでしているせいでは決してなく、どうやら初めて弾く曲が続いているかららしい。
今月中旬にグリンカのスペイン序曲第1番、スクリャービンの交響曲第2番、今日はレスピーギの「ベルファゴール」序曲とトッカータ。これらの曲を次に弾くのははたしていつだろう。明日から始まるリハーサルには新曲があり、細かくしかも高い音符で埋まっている。

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来月の家庭交響曲まで譜読みが続く。

ソロの新しいレパートリーを探している。どうしても現代の尖った感じになってしまうのだけれど、リゲティとペンデレツキの楽譜を取り寄せることにした。

2011年10月26日 (水)

「モダン・アート、アメリカン」、靴

東京で木枯らしの吹いた今日、国立新美術館の「モダン・アート、アメリカン」展に出かけた。

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いろいろな作品があったのだけれど、それでもオキーフ、ホッパー、ロスコの作品は抜きんでて素晴らしかったし、チャールズ・シーラー、ラルストン・クロフォードなど名前も知らなかった作家の魅力ある画もいくつもあった。
マーク・ロスコの画は、もちろん遠くからでも一目でそれとわかるものだった。でも川村記念美術館にある大きくて黒い画とは異なり、あまりに小さいのに驚いた。二つの作品の制作年代には10年の開きがあり、今日見た画の淡く美しい色使いとその大きさには、作家の晩年を思わされた。
今回の展覧会はワシントンのフィリップス・コレクションによるもの。ロスコに関して、ここと川村記念美術館は大きなコレクションを持っているそうだ。ワシントンは遠くても、また川村記念美術館に行きたくなった。http://kawamura-museum.dic.co.jp/collection/mark_rothko.html

新美術館の後、靴を買いに行った。
僕はどちらかというとよく歩くほうだと思う。一番良くはく靴は、3年たってさすがに上はよれよれ、靴底も十分にすり減ってしまった。形も色もまったく同じものが売っていて、それにした。同じ靴を2度買うのは初めてかもしれない。

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靴と言えば、最近2度ほど引用されているのを目にした須賀敦子さんの文章を思い出した。
『きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。』(須賀敦子著「ユルスナールの靴」より)

2011年10月25日 (火)

だんだん小さくなって

普段毛替えしてもそんなに違いを感じないのだけれど、昨日毛替えした2本はとても良くなったような気がする。なぜだろう。重野さんの仕事はいつも通り素晴らしいままだと思う。ソロで使う弓は毛の種類を変えて、それも弓にうまく合った。
今ボウイングを気にしてあれこれ試しているせいか、変化に敏感なのかもしれない。

オーケストラの仕事で使う弓の、毛箱の下側の貝は手の汗で腐食するのか、だんだん小さくなってとうとうこんなになってしまった。

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日本でも人気のあるヨーロッパ製のこの新作弓は、確かまだ5、6年しか使っていないはずなのに、もしかして本番の緊張によるいやーな汗が貝を溶かしてしまったのかも、と考えたりする。様々な局面の多くの演奏会を支えてくれた弓には感謝するばかり。

2011年10月24日 (月)

しっぽの向き

空気から水分の浸み出てきそうな絶望的に蒸し暑い夏は永遠に続くような気がする。でも、幸い今年も秋になった。

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湿度が下がってやっと弓の毛替えをする気になった。人によっては月に一回、あるいはもっと頻繁に替えるそうだ。僕がオーケストラの仕事で酷使する弓は半年ぶり、ソロで使う弓は4カ月ぶり。
弓の毛は馬のしっぽ。気にしたこともなかったのだけれど、人間の髪の毛のようにやはりキューティクルがあって、上げ弓の時に引っかかりやすい向きに張るとある方に教えていただいた。なるほど。キューティクルの向きを半々にする方法もあるそうだ。うーん、なるほど。

この話を聞いて、7月に都響でベルクの協奏曲を弾いたフランク=ペーター・ツィンマーマンのボウイングは下げ弓も上げ弓も音色の変わらない見事なものだったことを思い出した。

下の画像は重野さんのところの駒。(ヴァイオリンのもの、だと思う)

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これは何の駒。

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2011年10月22日 (土)

今初めて音楽の入口に

もちろん毎日カメラで遊んでいたりふらふら展覧会に出かけてばかりいる訳ではなくて、今日は広い部屋で録音しながらさらった。自分の演奏を録って聴きながらさらう、なんて数年前なら辛くてできないことだったと思う。

Chair

さらっていて、なんだこんなことだったのかと思うことは多い。今初めて音楽の入り口に立っているような気がする。こうしたことをせめて10年前に気付いていればとよく思うけれど。きっと今からでも遅くない、がんばろう。

弓で弦楽器を弾く感覚は、泳ぐときに水をつかむ感覚に似ていると思う。これまでずいぶん無駄な力を費やしてきたのだった。やれやれ。

現代美術の展覧会を見ると、様々な形にはまらない発想があっておもしろい。そんな中でいったい何が芸術と呼べるのかと考えた時、どうしても表現しないではいられない何かがあるかどうか、だと思った。きれいで整っているだけのものもある。

明日からドイツレクイエムのリハーサルが始まる。新日フィルで弾いて以来2度目。何年もたっていて、その時指揮者が誰だったかは覚えていても、例によって音楽はほとんど覚えていない。でも勉強していくと、ところどころ古い記憶の層に触れるフレーズがあった。

2011年10月20日 (木)

知っている曲が一つもない

8月初めに頼んであった写真のプリントをようやく取りに行った。
ラボテイクで丁寧に仕上げられたキャビネサイズのプリントは美しかった。デジタルカメラのモニターを見ながら撮っては消しを繰り返していると、フィルムで撮った時の打率の低さにがっかりする。でもたまにきちんとはまる写真が撮れて、それはやはりいい。

その後タワーレコードへ。偶然、ニューエイジミュージックのコーナーで元クロノス・カルテットのチェリスト、ジョーン・ジャンルナード(Joan Jeanrenaud)のアルバム「STRANGE TOYS」を見つけた。
昔クロノス・カルテットの演奏するボロディンの2番を聴いた時、上手なチェロだなと思っていた。アルバムの装丁も演奏もいい、こういうのをクールというのだろうか。しかも女性。チェリストのアルバムで知っている曲が一つもない、というのは初めてだ。

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2011年10月19日 (水)

芸術の秋というよりは

今日はチェロを弾かない日。
原美術館で開かれている「アート・スコープ2009-2011」に出かけた。http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
駅から少し離れていることもあって、ここは都会の隠れ家のような場所だ。加えて併設のカフェ・ダールも居心地よく、中庭を見ながらゆっくり食事をした。たまには昼から飲んでもいい。芸術の秋、というよりは食欲の秋だけれど。

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その後品川のキャノンギャラリーSに足を伸ばして横木安良夫さんの写真展「Glance of Lens レンズの一瞥」へ。http://cweb.canon.jp/gallery/archive/yokogi-glance/index.html
よかったなぁ。何がよかったのかはうまく説明できない、でも写真を撮ることは見ることだと思った。

品川駅周辺は未来都市のようになっていて驚いた。

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2011年10月18日 (火)

演奏会の予定

演奏会の予定を更新しました。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/ensoukai.html

11月12日に小さな演奏会があります。
コントラバスの高橋洋太君とのデュオとソロ、クロサワバイオリン渋谷本店で12時開演。入場無料ですが要予約だそうです。http://www.kurosawaviolin.com/shibuya/event_20111112.html
ロッシーニやバリエールのデュオに加えてレーガーの無伴奏も少しだけ弾きます。

2011年10月17日 (月)

モンテプルチャーノ、東京文化会館の壁、反復練習をしない

日経新聞夕刊に栩木伸明(とちぎ、と読むのですね。知りませんでした)さんの「モンテプルチャーノ」という文章が載って、興味深く読んだ。モンテプルチャーノに行ったことはないけれどシエナと同じトスカーナ地方、モンテプルチャーノ産のワインは見たことがある。
栩木さんが彼の地を訪れた時の旅日記によると初日の夕食は「ハムとサラミの盛り合わせ、ラビオリ、ウサギ、パン、赤ワイン半リットル、炭酸水、果物の盛り合わせ」、翌日の朝食は「蜂蜜つけたクロワッサン3つ、スクランブルエッグ、赤いオレンジジュース」だそうだ。僕も旅に出たくなった。

今日の都響は東京文化会館で演奏会。東京文化会館は大ホールも小ホールも、最も好きな会場の一つ。大ホールの壁は、よく見るとかなり複雑だ。

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帰宅して見た報道ステーションにハンマー投げの室伏広治選手が出ていて、肉体的にはピークを過ぎた年齢でどのようなトレーニングをして結果を出して行くのか、という話が大変おもしろかった。できるだけ反復練習をしない、脳に覚えさせる、など。ウェイトトレーニングは重さも量も一時期の5分の1だそうだ。いかにうまく体をコントロールするか、というトレーニングの必要性を説いていた。
なるほど。楽器を弾くこともきっと同じだ。チェロを弾くことを曲芸のように考えると40歳の僕は20代の人にはかなわないはずだけれど、少なくとも自分の感覚として、今一番チェロをよく弾ける。
奏法を習得するには反復練習は欠かせないのかもしれない、でも同じことをおもしろさを感じずに10回20回と繰り返すのは、ある時期からは不要だと思う。たとえ同じ音階、同じフレーズでも毎日毎回新しい発見と創造をして弾こう。

2011年10月16日 (日)

芸術の秋、演奏会の予定、食欲の秋

今度はどの展覧会に行こうか思案中。
川村記念美術館のモホイ・ナジ展、僕の好きなエドワード・ホッパーやマーク・ロスコが見られる国立新美術館の「モダン・アート・アメリカン」、原美術館の現代美術もおもしろそうだし、西洋美術館でもうすぐ始まるゴヤ展も魅力的だ。

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演奏旅行でいろいろなところに行くと、東京の空気がよくないことに気付いてがっかりするけれど、展覧会が(演奏会も)たくさん開かれているのはやっぱりいい。

来月、「セロ弾きのゴーシュ」に僕のチェロで音を付ける会をしていただきます。音楽は前回5月の宗次ホール公演とは少し変えようと思っています。(5月23、26日の日記をご覧くださいhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-f546.html
朗読はいちかわあつきさん。会場のアクセスはあまりよくなくて、おそらく車が必要な所なのですが。
11月5日(土)19:30開演
中山道木曽馬籠 四方木屋 (チケット残りわずか)
11月6日(日)13:30開演
美濃歌舞伎博物館 相生座 
詳細は演奏会の予定をご覧ください。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/ensoukai.html

広告ばかり見かけて実物を見ることのまったくなかった「チョーヤ 酔わないウメッシュ」をとうとう近所のスーパーで見つけた。今晩は「酔わないウメッシュ」とポップコーンをお共にロードショーを見逃したデンゼル・ワシントン主演の映画「アンストッパブル」のDVDを見た。暴走列車を止めるこのパニック映画、おもしろかったなぁ。秋の夜長は更けてゆく。

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2011年10月15日 (土)

ぐりとぐら

録音スタジオのマイクスタンドが青と赤で、「ぐりとぐら」のようだった。

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2011年10月13日 (木)

みかん

みかんの美味しい季節になった。
小学生の時、箱買いしてあるみかんを10個だか20個だか漫画や本を読みながら食べてお腹を壊し、翌日学校を休んだことがある。冬になるといつもみかんの食べ過ぎで手のひらは真っ黄色だった。あの頃こたつみかんの友だった読み物のほとんどは、どこかのページにみかん色の染みがついていた。

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この夏は桃をたくさん食べて、イリアスを読んだ。よかったなぁ。去年の今頃は夏に読み切れなかった「失われた時を求めて」を半ば義務のように読んでいたのだった。
今年の冬はみかんを食べよう。

あるヴァイオリニストの突然の訃報を聞いた。同じ世代の演奏家の悲しい知らせは辛く重い。慎んでご冥福をお祈りいたします。

2011年10月12日 (水)

横浜トリエンナーレ2011

午前中無理くり譜読みをしてから(スクリャービンの2番)、横浜美術館に出かけた。横浜トリエンナーレhttp://www.yokohamatriennale.jp/

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それは芸術だろうか、というものも確かにある。でも広い会場で見て聞いて入って覗いて、写真を撮れる作品もあって、おもしろかった。

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2011年10月11日 (火)

ヴィンシャーマン、シールマンス、自分の中に降りていって

今朝のinterFM、ハーモニカとウッドベースの絶妙なデュオが流れて、誰だろうと思ったら、トゥーツ・シールマンスだった。("KILLER JOE" MARC JOHNSON W. TOOTS THIELEMANS) 来日中で、明後日までブルーノート東京でライブだそうだ。残念ながら売り切れ。http://www.bluenote.co.jp/jp/artist/toots-thielemans/
御歳89歳、いくら上等の席でもヨーロッパから日本まで来るのは決して楽ではないと思うのだけれど。

一方92歳のヴィンシャーマンさんは、昨日もお元気で、握手をしたら驚くほど力強かった。いつも明るくポジティブな方だった。

雑誌「Number DO」2011年4月号はランニング特集、村上春樹さんのインタヴューがある。その中に、
『・・・毎年受けている健康診断の先生が、「村上さん、人間60歳を過ぎたらもう生きていること自体がおまけなんです」というわけ。人間の体というのはもともと、それくらいの耐用年数で設定されているんだと。』
シールマンス、ヴィンシャーマン、あの年代の人たちの強靭さを僕たちは持っているだろうか。

その村上さんのインタヴューの中にこんなところがあった。
『・・・ほかの小説家のことは分からないけど、僕の場合はというか、自分の意識にあるものだけを使って書いていても小説はつまらないんです。意識から下の方に降りていって、自分ではコントロールできない世界に入っていかないと、物語って湧いてこないです。たとえば「1Q84」ってすごく長い小説でしょう。でも書き始めるときはどんなものを書くかというプランはまったくないんです。最初のシーンがあって、とにかくそこから始めるしかない。ただ「僕には最後まで書き終えることができるし、それは必ず面白い物語になる」という自信だけがある。そしてそのためには自分の中に降りていって、暗い闇の中で格闘しなければならない。実際にその暗い中に降りていって、毎日力ずくでそれをやる。・・・』

ピアノをもたもたさらっていると、僕にとってチェロを弾くことは無意識の部分の作業が多いことがわかる。一方オーケストラの中で弾くことは、意識的に全体を聴いて意識的に音を出すことだ。
ソロの時、緊張した舞台の上でうまく集中して自分の中へ降りていくことはできるだろうか。

2011年10月 9日 (日)

新しいカメラ

芸術の秋、食欲の秋、煩悩の秋、物欲の秋。物欲が爆発して新しいカメラを買った。

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仕事の時も必ずフィルムカメラを持っていた情熱は失せてしまったけれど、いつも持ち歩けて機敏に撮れるiPodは僕のカメラ観を変えた。旧式な僕にはやはりズームは無い方がいいし、楽器や衣装があっても苦にならない軽さ小ささは大切だ。
フィルムカメラをいつも持ち歩いていた頃は何ミリのレンズなのか、毎日考えていた。28ミリで現実を誇張して捉えるのか、35ミリでゆったり捉えるのか、50ミリで緊張感をもって切り取るのか、そんなことばかり考えていた。
最近また考えるようになり、今はどうしても50ミリで見たい、と思う。

とにかく小さくて標準レンズが使えて、となるとペンタックスQだ。ズームのついた小さなカメラは手放し、Qがやってきた。前評判通り電池はすぐ減るけれど、小さな躯体に小さなボタンやダイヤルがいっぱい付いて、使い勝手はとてもいい。

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ぶらぶら歩くには最高の季節になった。

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2011年10月 8日 (土)

3つの写真展

3つの写真展に出かけた。

まず六本木、富士フィルムスクエア「ユーサフ・カーシュ作品展」http://fujifilmsquare.jp/detail/11090101.html
有名なチャーチルのものはもちろん印象的だし、ヘレン・ケラー、ジョージア・オキーフは美しく、ホアン・ミロはいたずらっぽい。シベリウスの写真もあって驚いた。15人のポートレート全てにカーシュ本人の文章が添えられていて興味深かった。カザルスについて、
『スペイン・プラドのクサ修道院で、私はこのチェロの名手と忘れられないひと時を過ごした。私たちの心は、出会った瞬間に通じあった ― 愛蔵の楽器を運ばせるほどに、私を信頼してくれたのだ。彼が演奏するバッハを聴いて、すっかり感動したあまり、私はしばしの間、撮影に集中することができなかった。誰かがカメラに背を向けている姿を撮影したのは、後にも先にもこれが初めてだが、このときはそうすべきだと思った。何もない部屋の光景が、芸術の頂点にある音楽家の孤高と、亡命者の孤独を伝えている、と、私には今も感じられる。
 何年も後の話だが、この写真がボストン美術館で展示されると、毎日やって来てはこの写真の前に立ち尽くして時を過ごす年配の紳士がいたらしい。「なぜ、あなたは来る日も来る日も、この写真の前に立ち続けるのですか?」、好奇心を抑えられなくなったある学芸員が、思い切って尋ねてみると、彼はきつい目をして叱りつけたそうだ。「しっ、お若いの、静かに。わからんかね?私は音楽を聴いているのだよ」。』(1954年の撮影、プラドはスペイン国境のフランスのはず、だけれど)

その後、国立近代美術館 「レオ・ルビンファイン 傷ついた街」へ。http://www.momat.go.jp/Honkan/leo_rubinfien/index.html#outline
人々の険しい表情ばかりと思っていたので足を運ぶのは気が重かったのだけれど、素晴らしかった。何が素晴らしかったのかはまだわからない。10年前の同時多発テロを契機としたこれら一連の写真に添えられたルビンファインの乾いた文章も読みたくて、僕としては珍しく図録を買った。その文章から、
『・・・近隣の環境もあまり上等とは言えなかった。それでも、いずれはよくなるだろうと信じることにした。ある意味で、私たちはギャンブラーだったのである。もちろん、カジノで派手に散在するタイプではない。未来が友好的であることを願いながら、いつも小型望遠鏡で先をのぞいているようなタイプのギャンブラーだ。
 私たちの世代は、子供の頃から、アメリカは可能性に満ちていると教えられてきた。そして実際、多くの場合、それは真実だった。私たちはみな、未来は自分のためにあると信じ、その約束を愛していた。そして、正当な相続権をもつ後継者が長い放浪の旅から帰還したかのように、意気揚々と未来に踏み入っていくつもりだった。』

最後は3331 ARTS CYD 「写真家60人の瞬間と永遠」http://www.tamron60.com/
「3331 ARTS CYD」は千代田区の練成中学校を改修して作られたスペースで広々としたところだった。良い季節 になった。

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2011年10月 7日 (金)

耳車、プラスチック製の、お茶目

耳車を見た。

Mimiguruma

今日は東京タワーのふもとで仕事。相変わらず昇ったことはなく、近づくとつい写真を撮ってしまう。東京に20年住んでいる人間のすることとは思えない。

Tokyotower

トロンボーン界ではプラスチック製の楽器が話題らしい。都響にも早速持ちこまれていた。弘法筆を選ばず、見かけによらずきちんとした音が出る。YouTubeにはすでにいっぱい動画が出ていた。
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=eDU9Hj_3eSY

昨日の都響、ヴィンシャーマンさんは本番の舞台でもお茶目だった。
前半モーツァルトのレクイエムが終わると、晩年の深刻な表情をしたモーツァルトの肖像を聴衆に見せたり(僕たちはリハーサルの初日に見ている)、テ・デウムの後は最前列の聴衆2人と握手したり、いつの間にか合唱団の横に立っていたりと、行動が予測できない。
でもとにかく舞台は、ゆったりとしかも生き生きした彼の時間の流れに支配されてしまう。レクイエムはあっという間に終わった。次の演奏会は10日の新国立劇場。

2011年10月 5日 (水)

10年後に

合唱とソリストが入ってのリハーサル。
その前にサプライズで、今日が誕生日のガッビアーニ(合唱指揮、とてもお洒落な方だ)さんに皆でハッピーバースデーを歌った。それからヴィンシャーマンさんが彼に
「10年後に会おう。その時僕は100歳、君は60歳かな。」
と茶目っけたっぷりに言った。
立ちあがって生き生きと指揮する姿に、この人は本当に音楽を糧として生きてきたのだと思った。

iPhone4Sが発表になった。カメラがとても良くなったらしい。もしかしてこれで十分なのではないか、と思ったりする。富士フィルムからも新しいカメラと、今後の展開が発表されて、ますますカメラ選びは悩ましくなってきた。
先日の湘南には久しぶりにフィルムのカメラを持ち出した。フィルムは家にあった24枚撮り(!)のポジフィルム1本。世の中はすっかりデジタルだけれど、限られた枚数を刻むように大切に撮るのは楽しかった。

2011年10月 4日 (火)

ブルックナーの音

今日のリハーサルはブルックナーのテ・デウムからだった。
ヴィンシャーマンが指揮台に座って振ると、ブルックナーの音がした。ブルックナーの音とは何か?と説明を求められると困る。でもまぎれもなくそうだった。
ヘルムート・ヴィンシャーマンさんは御歳92歳、さすがに歩くのはゆっくりだけれど、声はよく通り美しい。びっくりするくらい大きな声だ。

都響のリハーサルの後、コントラバスの高橋洋太君と来月小さな演奏会があるので、その音を出した。定番のバリエール、ロッシーニのデュオに加えて、ボッテシーニの2台のコントラバスのための「GRAN DUETTO no.3」をできるかどうか試す、というのが今日の主旨。
楽譜を見て、実音より1オクターブ高く書いてあるにしても、コントラバスでこんなに高い音を弾くんだ、と驚いた。けっこう難しいので、一応音は出してから、やっぱりやめる方向に持っていくつもりだった。ところが、意外とおもしろい、なんだかいけそう、という話になってしまった。
やれやれ、本番でよれよれにならないようにさらおう。

2011年10月 3日 (月)

湘南の海

鎌倉に行った。
鶴岡八幡宮から妙本寺へ。小町通りや小町大路があるから「小町」、という地名があるのは知っていたけれど、妙本寺のあたりは「大町」という住所だった。小町があるのだから大町もあっていい。他にも「雪ノ下」「材木座」など、他にはない語感の地名を見ると、鎌倉に来た、と思う。

その後稲村ケ崎へ。湘南の海を見るのはいつ以来だろう。

Syounan

明日からはヴィンシャーマンの指揮でモーツァルトのレクイエムのリハーサルが始まる。昨日レクイエムを久しぶりに勉強したら圧倒された。この素晴らしさにまったく気付いていなかった。どんな音楽になるのか、楽しみ。

2011年10月 2日 (日)

同時に4つと3つ

今日の都響はサントリーホールで「作曲家の個展2011『三輪眞弘』」。下の画像はチェロの森山君。

Moriyama

現代曲の演奏会はいつも打楽器が活躍する。初演の「永遠の光・・」では打楽器の西川さんが同時に左手で4つ右手で3つのリズムを刻むところがいくつもあった。
早速真似してももちろんできず、教えていただいた。左右の手で違うリズムをいきなりとるのは難しいから、まず足で16分音符(4つ)をとりながら「ご・は・ん・ご・は・ん・・・・」と唱えて右手で3連符(3つ)をとることから始めたら、など。右で4つ左で3つ、と切り替えることはできるのですか?と尋ねたりもした。

フィンランドの作曲家マグヌス・リンドベルイの室内オーケストラの曲で、確か同時に9連符・10連符・11連符が鳴る箇所があった。そんなことできるのだろうか、と思ったけれど、実際の音を聞くと軽いトランス状態になるようだったことを思い出した。

本番の舞台ではいろいろなことが起こる、オーケストラが重くなったり前のめりになったり離れかけたり。自分の両側で同時に鳴る4つと3つのリズムをコントロールしながら、全体の揺れ動くテンポや、管弦打楽器のアンサンブルのずれに対応する、なんて頭がおかしくなりそうだ。
常に変化する状況にいつも絶妙な塩梅でくる西川さんの音とリズムに、さすがと思った。
野平さんの指揮も素敵だった。とても楽しそうだった。

僕にとっての大問題は、その「永遠の光・・」で弦楽器が始まるまでの五百数十小節をどう過ごすか、ということだった。四分音符=120というテンポ指示だからその通りに進んだとして、1小節が2秒、五百小節は1千秒つまり17分弱。
昔からじっとしていることが本当に苦手だ。なお悪いことに今日はチェロが外側で、体の左半分はお客さんの視線にさらされている。舞台上でそわそわしないように、向かいの客席数を数えたり、奏法を細かく指示する英語の文面を解読したり、こっそり左手の指で4つ・右手の指で3つのリズムをとろうと苦闘したりして、どうにか過ごした。

明日は待望の休み。海に行こう。

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