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2011年11月

2011年11月30日 (水)

あちらこちらへ

先週の郡山の後、久しぶりにあちらこちらで仕事をしている。千葉、府中、武蔵村山と続いて今日は江東区の森下。

森下の商店街で「長谷部米店」の看板を見つけた。長谷部はそんなに多くない名前だから、見かけると親近感を抱いてしまう。サッカーの日本代表キャプテンはもちろんのこと、入間では長谷部畳店、中野では「ことりの長谷部」という店を見つけた。

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明日は日野、週末は船橋、上諏訪と中長距離の移動が続く。

2011年11月26日 (土)

今考えていること

新宿御苑に出かけた。

Shinjukuichou

空高く晴れた昼間、ぽかぽかと陽あたりのいいベンチでぼんやりするのは極楽。

Nekonohirune

長いことどうやってチェロを弾くのか試行錯誤してきた。どのように構え、どのように弦を押さえ、どのように弓を持ち使い、さらにどのような楽器で、どのような状態で、・・・。様々な素晴らしい演奏家に接するとどうしても表面に現れる弾き方に気を取られてしまい、その人がなぜそのように弾くのか思いが至らなくなる。

今、大切なのは音楽を司る部分だと確信している。
まるで誰か他の人が弾いているように自分の音を冷静に聴き、しかも音楽をする心と楽器を弾く体の間にほんの少しの隙間もないようにする。それが実現できたら、よちよちチェロを弾いている僕はとても自由に音楽ができるような気がする。短い時間の練習でも、たとえ小さな仕事でも前へ行こうとする貴重な実践の場だ。
これまで毎日弾いてきてこれからも毎日弾いていくチェロは、今まったく新しい試みになった。

2011年11月25日 (金)

秋の深まり

今日の都響は府中で小学生向けの音楽鑑賞教室。

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昼休みにホール裏の公園を散歩した。秋が深くなり、東京でも木々が色づくようになった。秋はいい季節だけれど木の葉はどんどん落ちていくし、日が暮れるのも早くて、少しさみしくなる。

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チェロの中を掃除した。
f字孔からチリやホコリが少しずつ入るので、何年もほっておくとピンポン玉くらいに成長した「まっくろくろすけ」が中でごそごそするようになる。そうなると力技で出さないといけない。
楽器の中を掃除するために米粒を入れてがらがら動かすことがある。ただこの方法は、米の破片が糊となってさらにホコリを呼び寄せる、という説を聞く。僕は、少しだけ湿らせたボロ布を入れてホコリを取る。

汚れがひどい時は掃除すると音が大きくなることがある。ホコリが吸音材の役割をしてしまうからだろうか。今日の掃除は、けっこうあれこれ取れたけれど。

2011年11月22日 (火)

野菜、林檎、郡山

昨日の昼間、結婚式(行列)の写真を撮るために明治神宮へ。境内は七五三の親子連れと、野菜でいっぱいだった。

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野菜野菜。

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久しぶりにフィルムのカメラでも写真を撮って楽しかった。液晶モニターではなくファインダーを覗きながら撮るのはやはりいい。
夕方一つ仕事をしてから郡山へ。夜は皆と合流して、久しぶりに飲んだ。もう少し飲めたらいいのに、といつも思う。このお酒(カルヴァドス)、瓶の口より大きなリンゴが入っている。果実が小さいうちに瓶に入れて、それから成長させるそうだ。知りませんでした。

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今日は都響の室内楽。午前は郡山市の緑ヶ丘中学校。折からの冷え込みもあり、弾いたり話したりしているうちにどんどん体が冷えてしまった。弾くのは大変だったけれど、感動してしまうくらい純朴な子供たちだった。

Asakadaini

午後は安積(あさか)第二小学校へ。歌ったり踊ったり手拍子をしたり、元気いっぱいの子供たちの前で弾いた。夕刻の新幹線で帰京。

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今日思ったように体が動かなかったのは寒さのせいか、それとも。少しさらおう。

2011年11月20日 (日)

謎の多い楽譜

今度はバッハの2番の組曲を弾きたいと思って、楽譜を作っている。新しいベーレンライター版の、アーティキュレーションの全く書いていない楽譜に、マグダレーナ・バッハの手稿譜のスラーを写していく。何年も前に作っているのだけれど、もう一度やり直すことにした。

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同じ音型で毎回スラーが違っていたり、スラーの始まりと終わりが不明瞭だったり、というマグダレーナ・バッハの楽譜の謎にまたぶつかっている。でも1番の組曲よりはずっと謎が少ないように思う。書いた本人は、まさか300年後に極東の島国で、楽譜を見つめながらこのスラーはいったいどこからどこまで?と頭を悩ましている人間がいるとは思わなかっただろう。
フレーズの長さ、行き先を読み取ろうとすると、とても即興的に書いてあることに気付く。バッハの音楽に前よりは少し近づけるだろうか。

2011年11月19日 (土)

500年前の

今日は久しぶりの休み。江戸東京博物館のヴェネツィア展に出かけた。
雨なのにけっこうな混雑で、でもその混雑は気にならないほど堪能した。このところ現代美術ばかり見ていたけれど、古いものもいい。500年以上たっているものもあった。すごいなぁ。素晴らしい絵や、当時の金貨銀貨、ガラス、衣装、様々な文物が実におもしろかった。燕尾服や女性のドレスも展示され、その寸法の小さいことに驚いた。とにかく当時のヴェネツィアの栄華は大変なものだったろう。

今ちょうどチョーサーの「カンタベリー物語」を読んでいて(14世紀に書かれた作品、10年以上前に読みかけて諦め、本棚に眠っていたのを出してきた。あの頃どうしてこのおもしろさがわからなかったのだろう)、もちろんこの物語とは場所も時代も違うけれど、いずれにしても現代とはまったく違う状況に思いをはせた。

その後タワーレコードでチェリビダッケの11枚組CDを見つけた。驚くほど安い値段だった。チェリビダッケの演奏がそういう値段で、というのは複雑な気持ちだ。
オーケストラの仕事を始める前から彼の録音は持っていた。新日フィルに入って、例えば初めてチャイコフスキーのロメオとジュリエットを弾く時にチェリビダッケ&ミュンヘンフィルの演奏を聴いて行くと、仕事場ではうんとテンポが速くてまったく弾けないことがあった。
今日買ったのはバッハのロ短調ミサやフォーレのレクイエム、ロッシーニやメンデルスゾーンの序曲など。少しオーケストラの経験ができてから聴くと本当におもしろい。

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チェロは弾かず、夜は、普段ほとんど見ないプロ野球の、日本シリーズ第6戦を思わず見た。
落合監督の、全てを選手にあるいはもっと大きな何かに委ねているような様子に、勝負事はこうしてするものか、と思った。

2011年11月17日 (木)

趣味ではないデジタルカメラ

いつもは終わると意気揚々帰ってくる健康診断、今年しょんぼりしたのは胃の「精密検査を必要とします」という所見が出てしまったからだ。
今朝が内視鏡検査だった。近所の病院で上手にして頂いて、さほど辛くもなくすぐ終わり、撮影された画像を見て説明を受けた。鮮明な画像を見ながら、このデジタルカメラには人の命がかかっていると思った。

その内視鏡はもちろんオリンパス社製。フィルムカメラの時代から独創的な製品を生み出し、この秋も意欲的な新製品を発売したばかりの同社は今渦中。
それでなくても今年は春の地震、直後からの信じられないような円高、タイの洪水被害、と特に製造業には本当に厳しい状況が続いている。世界に誇る技術が受け継がれ発展することを願うばかりです。

幸い僕の体は異常なく、今日もオーケストラピットに入った。変わらず仕事ができるのは本当にありがたい。
昨日から気になっていた似顔絵付きの落書きはこれ。

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新たにスペースを見つけるのは至難のワザだけれど、とうとう都響のもお目見えした。

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2011年11月16日 (水)

オーケストラピットへ

一昨日の演奏会のことをまた思い返している。
オーケストラのメンバーは皆大きくて、エンドピンは長く、ピアノ椅子の座面もかなり高かった。ベルリンフィルのチェロアンサンブルもそうだった。日本で仕事をしているとほとんどのチェリストの座面は一番下か、下から何段目という感じだ。

客席は空席が目立ち、いい演奏会だったからもったいない気がした。僕の買ったチケットは下から2番目、それでも\13,000だ。一番安い席は売り切れ、いい場所もだいたい埋まっていて、おそらくA席が一番売れなかったのだろう。でも売れ残るのだったらもう少し安くすれば、と思ってしまう。十分納得できる内容だったし、この演奏会にかかる費用を考えるとチケットの値段は仕方ないのだろうけれど。

一方現実世界では、今日から都響は文化会館のオーケストラピットに入った。
あの地震の時はフィレンツェのオペラがこのピットにいて、奈落の上に巨大なゴンドラのように吊られているピットはおそろしく揺れただろうと思う。
(文化会館のオーケストラピットについて、2010年2月の日記をご覧ください。
http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-4925.html
http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-98be.html

今回もピット裏の落書きを興味津津で見ている。これはボリショイ劇場のチェロセクションかな。

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2011年11月15日 (火)

もしかして対抗配置で

昨日聴いた演奏会のことを思い返している。
不勉強なのだけれど、もしかしてマーラーは5番の交響曲を書いた時、対抗配置の弦楽器が頭にあったのでは、と思った。サントリーホールで聴いていて、近い位置にいるヴィオラとフルート、クラリネットの音のつながりがとても良かったこと、弦楽器が同じテーマを弾く時に並び順、つまりファーストヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、セカンドという順番で出てくるところがあったこと、など。演奏会に行くといろいろな発見がある。
第4楽章の旋律、プルトの表裏で弓順を逆にしている時があった。弓の上げ下げによる音質や音量の差をなくすためだと思う。ただ実際にやってみるときっと場所もとるし、弾きにくいと思うけれど。

ヨー・ヨー・マの演奏する姿を見て、トーンハレのオーケストラのチェロセクションの後ろ姿を見て、上手な体の使い方がきっとある、と思った。本人は同じようにやっているつもりでも、ほんの少しのことで結果が大きく違ってくることがきっとある。ハンマー投げの室伏さん、古武術の甲野さんをテレビで見たこともあって、このことをずっと考えている。

日経新聞夕刊の「人間発見」、今週は作家の伊集院静さん。昨日こんな言葉があった。
『悲しみを和らげてくれるのは時間しかない。悲しみはじわじわと続く。でも悲しみがあるから、人は酔ったり、歌ったりしたとき、心から笑うことができる。生きるということは悲しみそのもの。でも悲しみを経験すると、人間には本当のやさしさが身に付く。そして悲しみにも終わりがやってくる。小説は人の人生を変えることはできない。でも読者の悲しみに寄り添うことはできる。そんな作品を一つでも多く書いていきたいと思っています。』

2011年11月14日 (月)

オーケストラは楽しい

ヨー・ヨー・マがチューリッヒ・トーンハレのオーケストラとショスタコーヴィチの協奏曲を弾くのを聴きにサントリーホールに出かけた。
楽器も衣装も持たず、日が暮れてから、しかも正面入り口からサントリーに入るのは新鮮だった。

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ヨー・ヨー・マを聴くのは、ずいぶん前、在京のオーケストラでシューマンとドヴォルザークを弾いた演奏会以来。同じ会場の同じような場所だったけれど、今日のほうがよく聞こえた。彼が周りの人を幸せにする空気は変わらない。
チェロの一番くびれたところが丁度膝に当たるくらい、つまりとても低くチェロをかまえて、指板はもちろん見ない。うーむ。
ある時は少ない弓でしっかり弦をつかみ、ある時は早く、ある時はかなりの高さからぶつけて、曲の最後では弓を握ってショスタコーヴィチを弾いていた。飄々と弾いていた。協奏曲を弾くことが当たり前の日常のようだった。もし開演1時間前に「マさん、今日はショスタコーヴィチではなくシューマンをお願いします」と言われたってできそうな感じだった。

この前に外国のオーケストラを聴いたのは10年以上昔にシエナのドゥオモで、ロンドン交響楽団のブラームスや、メータの指揮するイスラエル・フィルのマーラー以来だと思う。あの頃はオーケストラの経験もあまりなかったし、風呂場以上に音が回ってしまうドゥオモの音響もあって、なんだかよくわからなかった。

今日は舞台がよく見渡せる場所に座り、トーンハレのオーケストラの様々な流儀がわかって楽しかった。
協奏曲の時の弦楽器はチェロが外側、交響曲の時は対抗配置(上手からファーストヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、セカンドヴァイオリン)、金管打楽器は一番後ろの壁沿いにいて、木管や弦楽器との間にまるまる一列開けてある。

ヨー・ヨー・マを聴きに行ったので、後半のマーラーの5番には特別の興味は持っていなかった。しかし、なんとまぁ、素晴らしくてびっくりした。
トランペットやホルンの1番はもちろん(若いホルンの1番奏者は3楽章になると指揮者の横で吹いていた)、2番や3番、どの奏者も上手だったし、弦楽器は弦楽器群として見事にまとまった音だった。
小太鼓がティンパニとアイコンタクトをとりながら音を出したり、大きなシンバルから長身を生かして見事な音色を引き出したり、ミュートの付いた金管と付いていない金管の音色や打楽器の音色を巧みに使ったオーケストレーションに感心したり、コントラバスのすぐ隣にいるハープの4楽章のアンサンブルが心地よかったり、いろいろなことが見えた。

ディビット・ジンマンの指揮は初めて。無駄な動きはなく、いつも的確で、出る時は出る指揮だった。きっと弾きやすいだろうと思う。オーケストラとも良好な関係のようで、舞台上に流れの滞るところはなかった。
実にいい時間だった。オーケストラは楽しい。

2011年11月12日 (土)

「花」の音を

クロサワバイオリンでの小さな演奏会、多くの方々にお越しいただき本当にありがとうございました。

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よく響く場所ではなかったけれど、弦楽器がたくさん置いてあるせいか、居心地のいい音だった。荻窪の「花」(和食器の素敵なお店、店内の器が響きを作ってくれていたのだろうか)の音を思い出した。
久しぶりにバリエールやロッシーニを弾けて楽しかったなぁ。(今日のプログラムは実はウルトラCだった)
明日からはオペラのリハーサルが始まる。それでもこれで一息ついて、ペンデレツキのディベルティメントやリゲティのソナタなど、新しいソロの曲を読もう。

2011年11月10日 (木)

古武術

今晩放映された「爆問学問」のテーマは古武術で実におもしろかった。力対力で考えるのではなく、体と心の使い方ひとつで物事は変わりそうだった。日常生活や演奏にもきっと生かすことができる。たとえば楽器を演奏するために、体の特定部位を鍛えるようなことはやはりしない方がよさそうだ。

番組の中で甲野善紀さんが実際に様々なことを示した後、現在は体の使い方から見ると石器時代で昔の武術の達人の方がハイテク、と言っていたことが印象的だった。確かにイヤホンで音楽を聞きながら携帯をいじっている状態は耳も目もふさいでいるのと同じだと思う。猫や犬だって周りの気配を感じているのに。

2011年11月 8日 (火)

明日が待ち遠しい

フレージングと弓使いに関してずっと試行錯誤していて、つかまえたと思うと遠ざかり、またつかまえたと思っても遠ざかり、毎日そんなことを繰り返している。
落ち着いてさらっているとできることが、本番の舞台でできなくなる、それはなぜだろうといつも思う。今日さらっていて、これか!と思うことがあった。はたから見るとなんだそんなことか、と思われることかもしれないけれど。
今日の大発見が明日も再現できるかどうか、明日が待ち遠しい。

2011年11月 7日 (月)

楽譜作り、力技でなく

今日の主要な任務の一つは12日に弾くボッテシーニのデュオの楽譜を作ることだった。
速い方の楽章は10ページあり、どこにもめくれるところがないので、そのたびに練習や合わせを中断していた。10ページの2段譜を切り貼りしてどうにか見開き3ページにできないか、がんばったけれど、再現部のようなところを端折っても4ページがぎりぎり。暗譜するか誰かにめくってもらうかする以外は多分これしか方法がない。

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一方初めて弾いた家庭交響曲は、たとえば英雄の生涯やドン・ファンのように力技でぐいぐい攻めていくところはなく、それが新鮮だった。難しいところはやはり難しい。でももしR.シュトラウスの作品がなかったら、オーケストラの仕事はずいぶん味気ないものだっただろう。こんな音型やフレーズを書いてくれてありがとう、と言いたくなる。
とにかく今日はあまりに弾けなくて反省し、帰宅後さらった。

2011年11月 6日 (日)

相生座

やみかけた雨は相生座に近づくとまた降り始めた。

今日の「セロ弾きのゴーシュ」の会場相生座は、瑞浪市街からかなり上がったところにあり、けっこう寒かった。小さいながら歌舞伎小屋で、回り舞台やせり(すべて人力で動く)もあり、新鮮だった。
遠くまでお越しくださった皆様本当にありがとうございました。

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都心のコンサートホールのような環境ではもちろんない。でも市川さんの朗読が始まった時、しんとして雨が屋根にあたる音が聞こえた。弾くほうは四苦八苦したけれど、なんだかよかったなぁ。

演奏が終わって相生座から出るとほとんど雨はやんでいた。
さて、明日からは家庭交響曲。

2011年11月 5日 (土)

馬籠、恵那

数日前の天気予報では明日から雨、のはずが馬籠に着く前に降り始めてしまった。雨の馬籠も風情があったけれど、ちょっと肌寒い。やれやれ、雨男だ。

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四方木屋(よもぎや)さんの古い建物は、とても心地よい空間だった。京都の法然院で弾いた時の音響を思い出した。ゴーシュ1日目は無事終わったと思う。
雨の中お越しくださった皆様、本当にありがとうございました。

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今日の中央道にはクラシカルな車が何台も走っていた。登坂車線を慎重に走っていたあの車は何だったのだろう。

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東名高速の名古屋インター周辺は様変わりして高架の道路とチェーン店ばかりの風景になっていた一方、途中寄った恵那の駅前は、奇跡的と言いたくなるほど古い町並みが残っていた。

恵那のお菓子と言えば、東京でも川上屋の栗きんとんが手に入る。でもいくつも個性的で魅力的な店があった。賞味期間が極端に短いお菓子や、昼には売り切れてしまうものなど、当地ならではというものがやはりある。五平餅もおいしかったなぁ。

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2011年11月 4日 (金)

ゴーシュ、家庭交響曲、芦ノ湖

午前中の新幹線で移動して、午後から「セロ弾きのゴーシュ」の練習。朗読の市川さんにお会いするのは初めて。
宗次ホールで弾いた時とはいくつか音楽も変えたし、今日実際に合わせながら音楽の出入りのタイミングも変えた。ほんの少しのことで、もしかして大きな効果が得られるかもしれない。
改めて宮沢賢治のテキストの素晴らしさを感じた。明日からの2回の本番が楽しみ。願わくば天候と会場の音響に恵まれますよう。

このところ僕としては珍しく予定が立て込んでいて、帰京したら翌日からR.シュトラウスの家庭交響曲が始まる。家庭という名前から(Symphonia domestica)なんとなく易しい音符を想像していたら、それは勝手な勘違いだった。
でもサロメのようには難しくなく、しかもまさしくシュトラウスの音符で譜読みは楽しい(時間のない時の譜読みはちょっとつらい)。パート譜を見ているだけでもモチーフの使い方の素晴らしさがわかる。

家庭交響曲の翌日はロッシーニやボッテシーニのデュオだ。ふぅ。
芦ノ湖のボート屋から毎日届くニュースには、そろそろヒレのピンとしたニジマスの釣果が載るようになった。しかし、今の僕に箱根は遠いなぁ。

2011年11月 2日 (水)

目、弦、本

今日の健康診断、残念ながら視力は両目とも少しずつ落ちていた。やはり楽譜とパソコンのモニターとiPodの画面と本と、身の回りの半径1.5メートルばかり見ている生活はよくない。1日釣りをするだけでずいぶん遠くが見えるようになるのだもの、これからはもっと遠くを見よう。

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もう一つ残念なことがあったのだけれど、そうしょんぼりもしていられないので、弦(Ⅱ番線)を替えた。この秋あれやらこれやら弾いて、さらに昨日の新曲と第九をぐぎぐぎ弾いてすっかり腰が抜けてしまっていた。新しい弦はいい。明日はⅠ番線を替えよう。

一昨日のクレメンス・ハーゲンの印象が今でも強烈だ。チェロはこうやって弾くもの、と教えてもらったようだった。夏前に聴いたイッサーリスといい、活躍している人たちのレベルはすごいと思う。

今晩のWBS(ワールドビジネスサテライト)には池上彰さんが出ていて、どのように本屋を活用するかというテーマだった。本屋には毎日行き、迷った本は買うそうだ。蔵書は2万冊。うらやましい。僕の小さな本棚はもうとっくにあふれていて、それで本を買うのをためらっている。池上さんが取り上げていた「ショック・ドクトリン」も読みたいし、今我慢しているのはジョゼフ・コーネルの伝記だ(分厚くて場所を取りそう)。

2011年11月 1日 (火)

伝説の巨匠たち

晴れていたり、雲の形がおもしろかったり、夕焼けを見たりすると空の写真を撮る。

Akinosora

今日の都響は東京文化会館50周年の演奏会。小ホールのロビーでは木下晃さんの写真展「20世紀のマエストロ100人」が開かれていて、とても興味深く見た。
100人の中には実際の演奏に触れることのできた演奏家もいる一方、残念ながらそれがかなわなかった人も何人もいる。録音や映像で演奏を知ることはできても、音楽はやはりその場にいて経験するしかないと思う。

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