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2011年12月

2011年12月31日 (土)

新しい年こそ

このごく個人的な日記を読んでくださって本当にありがとうございます。
新しい年こそ良い年でありますように。

2011年12月30日 (金)

煩悩のしもべ

チェロを弾かない日は時間がゆっくり動く。

今日は煩悩のしもべとなって、まず新宿の中古カメラ屋へ。少し前、写真を学ぶ学生が必ず使ったマニュアルの一眼レフが安く出ていて、心動かされた。何でもコンピュータ任せの世の中だけれど、かえって思うようにならない全自動を補正して使うより、マニュアルの道具を使う方がまどろっこしくないのではないか、と思ったり。

その後銀座のソニーへ。予定通りなら冬になる前に発売されるはずだったカメラ(NEX-7)が、タイの洪水被害で店頭に並ぶのは来月になった。その目当ての実機はショールームにはある。触ってみたら前評判に違わずいい。新しい方式のファインダーは、コンピュータゲームの画面を見ているようだった。
これにツァイスの新しい明るい24ミリレンズをつけて旅に出たら、と考える。実際、パンフレットの写真は田村彰英さんの撮ったイタリア、トスカーナ地方の素晴らしいものだ。(http://www.sony.jp/ichigan/gallery/NEX-7/tamura/index.html)
ボディとレンズとあわせて20万、銀座のチャンスセンターには行ったけれど、どこかからお金が降ってこないかなぁ。

2011年12月29日 (木)

仕事納め

昼間一つ仕事をして2011年の仕事納め。夜少しさらってから弦をゆるめた。チェロを弾くことは楽しく、明日から3日も弾かないなんてとても残念だけれど、いま心と体と楽器を休めよう。

言うまでもなく今年は大変な年だった。生きるとは生活するとはどういうことなのか、当たり前に思い考えもしなかったことを考えない訳にはいかない年だった。
幸運なことにこうしてチェロを弾き続けていられる僕にとって、そのチェロを弾くごく個人的なことに関しても、大きな変化があった。外から見てもわからないかもしれない、でも僕にとってはチェロを弾くことがまったく新しい体験になるような変化だった。

コンピュータのようにハードウェアとソフトウェアに分けると、これまでずっとハードウェアのこと、つまりチェロの弾き方、体のあり方、楽器や弓のあり方ばかり考えてきた。でもそうではなくソフトウェア、つまり音楽を司る心、聴く耳、思い描く能力が大切なのではないか、と思っている。素晴らしい演奏とそうではない演奏の差は、肉体的物質的なことの差は実はそれほどなく、端的にどれだけ聴けてどれだけ素晴らしい音楽を思い描けるかの差ではないかと思っている。
音楽と心と体の間にすき間がなくぴったりとしていたい。

いつも、数か月前あるいは半年前の自分を思い起こすと、まるで別人のように感じる。何もわからずにいたように感じる。数カ月たつと今の僕はまるで何も知らない人間のように思い返されるかもしれない。

リルケの「マルテの手記」の中にこんな一節がある。

『僕は見る目ができかけている。自分でもどういうのかよくわからないが、なにもが今までよりも心の深くへはいりこみ、いつもとどまる場所よりも奥へはいる。きょうまで自分でも知らなかった心の隅があって、今はなにもがそこまではいりこんで行くのだ。その隅でどんなことが起こるかは知らない。
 僕はきょう手紙を書いたが、それを書きながら、僕はこの都会へ来てからまだ三週間になるだけであることに気がつき、不思議に感じた。どこかほかの場所で、たとえば田舎で過ごした三週間は、一日のように短く感じられるが、ここではそれが何年もに感じられる。僕は二度ともう手紙を書かないことにしよう。僕が変わりかけていることをなんのために知らせるのだろう?僕が変わりかけているとすれば、僕は今までとは同じ者ではいないといえる。今までとは同じ者ではないとすれば、僕は知人を持たないことになる。僕を知らない他人へ手紙は書けない。』

2011年12月28日 (水)

写真、本

年が明ける前に、もう一度写真を撮りに出かけようと思った。行き先は船橋漁港。なぜ船橋漁港かと言えば、しばらく前の産経新聞に猫の写真が載ったからだ。http://sankei.jp.msn.com/region/news/110728/tky11072820150008-n1.htm

もちろん意中の猫には会えなかったけれど、記事の通り、都会のすぐ隣にあるとは思えない雰囲気だった。

船橋に向かう途中の車窓、錦糸町あたりでスカイツリーがよく見える。周りの縮尺を無視したかのように突然現れる建造物は、怪獣映画のセットのような奇妙な感じがした。

年末は本を読もうと思い、船橋からの帰り、読みたかった3冊を買った。ちょうどヘンリー・ミラーの「北回帰線」を読み終えたばかりなので「南回帰線」を、それからジャン・クロード=カリエールとウンベルト・エーコの対談「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」、シアン・バイロック著「なぜ本番でしくじるのか」。楽しみ。

明日が仕事納め。

2011年12月27日 (火)

本来の力を発揮できるように

昨日の演奏会、特筆すべきことがあり、それは合唱(東京オペラシンガーズ)が素晴らしかったことだ。芯に集まった声、奥行きのある声、合唱ならではの世界かもしれない。

夜さらい終わって衛星放送をつけたら、ゴルフの宮里藍さんが今シーズンどんなトレーニングをしてきたか、という番組を放送していて実に興味深かった。(見たのはほとんど終わりの部分だったのが残念)
彼女が短いパットを打つ時に、別の人が携帯(スマートフォンかな?)で実際に彼女が見ている感じで動画を撮る。ボールがカップに入るまで、その音も含めて録画して、その動画を何度もポジティヴな気持ちを持って見返すのだそうだ。

きっと本番の緊張感を伴う状況でも、おそれず本来の力が発揮できるようにするトレーニングなのだろう、と思った。
直接演奏には結びつかないが、この考え方はきっと役に立つ。

2011年12月26日 (月)

今年最後の

東京文化会館は一番好きな演奏会場だ。でも先日インバルの指揮した都響の演奏会を客席で聴いて、また一昨日、昨日と第九を弾いて、このホールでいいオーケストラの音を出すことは決して易しくないと感じた。
僕にとってサントリーホールは難しい会場だけれど、今日はその響きが有難かった。今までオーケストラ全体の音がよく聴けていなかったのだろうか。

第九の難しいのは、演奏が手垢にまみれたルーティンワークに実になりやすいことだと思う。それは演奏者の発想の貧困であり、企画の貧困であるかもしれない。本来第九は決して容易に演奏することのできない曲だと思う。

今日の第九は、何度も弾いてきた第九が、初めて弾く曲に感じられる時があった。今年最後の都響の演奏会が今日の第九でよかった。

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2011年12月24日 (土)

空気が澄み

空気が澄み、東京からも富士山がはっきり見える季節になった。

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2011年12月23日 (金)

第九の季節

12月に入ってぐっと寒くなった。小学生の頃の冬の寒さを思い出すようだ。
東京の冬場はとても乾燥するので、楽器が割れてしまわないよう湿らせたダンピットをf字孔から楽器の中に入れることがある。下の画像は都響のコントラバスのダンピット。ネギくらいの太さのものがうねうね置いてあると生命感すら感じる。

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大野さんの指揮する第九は明日から本番。練習はきつめだけれど、いつもとちょっと違う感じでおもしろい。
今日の東京文化会館は地下で都響のリハーサル、大ホールは日フィルの第九。第九の季節だ。
小ホールではヴァイオリンの和波先生のバッハ無伴奏ソナタとパルティータ全曲演奏会。1日で3曲のソナタと3曲のパルティータ全てを弾くのは大事業だ。

今バッハの6番の組曲を、どこかで弾くというあては無しに、さらっている。バッハの組曲の面白さの一つは奔放な即興性だと思う。このイレギュラーで生き生きとした音符を一体どうやって思いついたのだろう?
バーンスタインがハーバード大学での講義の時、モーツァルトのト短調の交響曲を取り上げて、もし全てのフレーズが2,4,8小節単位だったらどれほど予測可能で退屈なものになってしまうか、と実演したことを思い出した。

2011年12月21日 (水)

出してしまった音は

昨日の演奏会、広田さんのオーボエは変わらず素晴らしかったし、篠崎さんのハープも美しかった。それではチェロはというと、できるだけのことはしたつもりだけれど、できるようになったこと、できなかったことはある。いずれにしても出してしまった音を元に戻す訳にはいかず、今日はチェロを弾かないことにして心と体を休めた。

銀座ニコンサロンで始まったばかりの大沼 英樹さんの写真展「それでも咲いていた 千年桜」へ。
 http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2011/12_ginza.htm#03
この写真展を見て、言葉がない。

その後ライカ銀座店サロン 、ハービー山口さんの写真展「HIKARI」を見てから、新宿のペッタックスでQのファームウェアをアップデートしてもらった。時々挙動不審だったオートフォーカスはずいぶん的確になった。もう少し早くしておけばよかった。
街はすっかり年末の雰囲気だった。

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2011年12月20日 (火)

大手町の演奏会

暮の慌ただしく寒い中、多くの方々に大手町の演奏会にお越しいただき、本当にありがとうございました。

三井住友銀行本店ロビーは、外の大きな建物や車がよく見え、ジャズや現代曲も風景に合いそうだった。終演後街を歩いたらイルミネーションがまぶしかった。

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演奏前にスターバックスでコーヒーとバナナを求め(サントリーホールで仕事がある時は、アークヒルズのスターバックスでコーヒーとバナナを買いたくなる。バナナが売り切れているととても残念な気がするし、バナナを置いていないスターバックスも残念な気がする)、終わってからはハンバーグと焼きリンゴを食べた。そろそろ41歳になるとは思えない子供っぽさだ。
1年半前、楽器と衣装を持って駅のベンチに座っていたら、「学生さんですか?」と声をかけられた。

2011年12月19日 (月)

初めての編成

一つ仕事をしてから、夕刻明日の演奏会のリハーサル。

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オーボエ、ハープ、チェロという編成は初めて。でも楽しい演奏会になりそう。

2011年12月18日 (日)

奇跡的に恵まれた

板橋区立文化会館はすっかりクリスマス仕様だった。

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明日から芦ノ湖は禁漁になる。毎日ボート屋から届くメールマガジンを見てうぅ、とか、あぁ、とか言いながら、結局今年は8月に1回釣りに行っただけだった。来年はもっと釣りに行けますように。

大きな地震のことを思い返すと、こうして毎日チェロを弾いていられるのは奇跡的に恵まれたことだと思う。

2011年12月17日 (土)

この週末も

この週末も青島さんのツァー。水郷佐原を越えて神栖へ。

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ホールのすぐ裏は鹿島の工業地帯。

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味わい深いホールだった。(ほこりっぽい)

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上手袖のメーターボックスは人の顔に見える。(僕の撮る写真は縦位置が多い)

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明日は板橋へ。

2011年12月16日 (金)

ファンタジーが

広い部屋で録音をしながらさらった。
このところ革命的に良くなったつもりでいたのだけれど、残念ながらそんなことはなかった。うぅむ。数時間真面目にさらって外に出たら冷たい北風が吹いて、残っていた銀杏の葉もだいぶ散ってしまった。

Uenoichou

20日にバッハの無伴奏を少しだけ弾くことになっていて、2番か6番か迷っていたのを6番のジーグに決めた。自分の録音を聴いて反省し、帰宅してから何枚かCDを聴いた。僕にはファンタジーが足りない。縦ではなくもっと横に弾こう。

明日は茨城県の神栖へ。

2011年12月14日 (水)

「ロートレック」展、本

三菱一号館美術館で開かれている「トゥールーズ=ロートレック」展(http://mimt.jp/lautrec2011/)へ。
ロートレックの描く華やかな世界を堪能し(展示の照明が少し暗い・・・)、画家の人生に思いをはせた。そして10年前、ホームステイさせていただいたトゥールーズのフランキーニさんのことを思い出した。

航空関連産業に努める彼はアマチュアのヴァイオリニストで、アルビ(ロートレックの生地)にも連れて行ってくれた。彼の地のロートレック美術館には入らなかったけれど、マッシヴな外観と対照的に内部に驚くほど多くの装飾を持つサント=セシル大聖堂を見たことは忘れられない経験となった。

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その後丸の内の丸善へ。面白そうな本を2冊見つけた。
一つは巨大な「MAGNUM CONTACT SHEETS(マグナム・コンタクトシート) 写真家の眼―フィルムに残された生の痕跡」。マグナムの会員が撮った有名な写真と、その写真を含むコンタクトシートが公開されている。写真家の秘密を明かすようなものだ。残念ながら値段も大きさも手に負えないので国会図書館に出かけよう。

もう一冊は「小澤征爾さんと、音楽について話をする」。小澤さんと村上春樹さんとの対談を収めた本で、少し立ち読みしたらグールドがバーンスタインと弾いたブラームスの1番の協奏曲の話で始まっている。2,3年前のサイトウキネンのリハーサルに村上春樹さんが来ていたことを思い出した。
買おうか迷ったけれど、読みかけが2冊、読む本が少なくとも2冊あるのでまた次回に。

2011年12月13日 (火)

ときどき水平線を

昨日、代官山に新しくできた蔦屋書店へ。

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建物の外観はすべてTの字のタイルでおおわれていて、しかも離れてみるとタイル部分全体でTの字になっている。本はおもしろく陳列されているのだけれど、慣れないと何がどこにあるのかよくわからない。

12月に入り気温がかなり下がってきた。寒さで丸くなった猫に会いたくて今日は江の島へ出かけた。
江ノ島の猫たちはぶぎぶぎ言いながら寄って来てくれた。(家の近所の猫たちは近づくと睨みつけてから一目散に逃げる。まるで僕が悪い人のようだ。)

Enoshima

チェロを弾くのは楽しく、体の許す限り弾いていたくなる。でも時々水平線を見て、猫に遊んでもらった方がいい。フィルムの残りを気にしながら撮る写真も楽しかった。デジタルカメラのめざましい進歩はすごい。いっぽう今日使ったトライX(コダックのフィルム)なんて僕が生まれる前からあるはずだ。それでもフィルムで撮った写真は好きだ。

江ノ島で撮ったフィルムをラボテイクに出して、恵比寿の写真美術館へ。
「ストリート・ライフ」展http://syabi.com/contents/exhibition/index-1448.html。ビル・ブラント、ウジェーヌ・アジェ、ブラッサイ、アウグスト・ザンダーなど、よかったなぁ。初めて見たアウグスト・ザンダーの写真は様々な階級の人々を真正面から撮っていて、心をつかまれるようだった。
時間がなくて地下には行かなかったけれど、「見えない世界のみつめ方」展もおもしろそうだった。

2011年12月11日 (日)

夕焼け

今日は小山市立文化センターで本番。

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帰りの新幹線から見た夕焼けは美しかった。

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2011年12月10日 (土)

栃木県

週末は再び青島さんのツァー。

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昨日は宇都宮、今日は日光。宇都宮の本番の後、皆で餃子を食べた。日光の舞台はにおわなかっただろうか。

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演奏会場が東照宮のすぐ近くだったので、ゲネプロ前に出かけた。日中も0度に届かない冷え込みで、石の階段が凍って怖いくらいだった。

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日光総合会館には銀色の象がいる。

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夕方の新幹線で帰京。東京も空気が澄み、オリオン座のすぐ上にある月がだんだん欠けて赤黒くなっていく様子がよく見えた。
明日は小山へ。

2011年12月 8日 (木)

新しい駒

懸案の駒問題、今日新しい駒を立ててもらった。

結局2ミリ近く高いものになった。これまでの低い駒に慣れた僕のへなちょこの左手にはしばらくきついかもしれない。
音は申し分ない。馴染むのにも思ったより時間は必要なさそう。昨日の本番中、音がひっくり返りそうになる度に自分のふがいなさを嘆いていたのだけれど、もしかして駒の問題だったのかもしれない。(やはり僕の問題かもしれない・・・)
少なくともぺちぺちしたピチカートにはおさらばだ。

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今日重野さんのところに行くのはとても楽しみだった。駒問題の解決もそうだし、1年半毛替えしてなかった弓の毛替えもあった。
僕の左手に厳しくなった以外はすべての問題が解決し、冷たい雨の降る憂鬱な天気だったけれど、楽器や弓のことをいろいろ教えていただいて楽しかった。

昨日の演奏会、問題はなく、素晴らしかったと思い出す一方、何か踏み込み切れなかった感じもする。なぜだろう。
いずれにしてもフルシャにはもっと頻繁に来てほしい。いつもこの水準か、もっといい仕事ができるようになりたい。

2011年12月 6日 (火)

どんな楽器もかなわない

今日のスターバト・マーテルは4人のソリストが入ってのリハーサル。皆素晴らしくてびっくりした。どの声域の人も芯となる豊かな声の上に適度に倍音が乗り、心地よい。朗々としたバスのペテル・ミクラーシュさんは4人の中ではきっと最年長、でもお茶目な人だった。
ずいぶん前、チェコの少年合唱団と一緒の仕事をしたことがあり、その時、彼らが目を輝かして生き生きと歌っていた姿を思い出した。歌手の伝統のようなものがあるのだろうか。

声にはどんな楽器もかなわないと思う。

フルシャの指揮はとても端正だ。何より立ち居振る舞いが端正だし、彼も僕ももちろん英語はネイティブではないけれど、彼の英語は的確だと思う。ソルフェージュ能力も素晴らしい。この2日間のリハーサルは楽しかった。

明日はいい演奏会になりそうです。チケットもまだあるそうです。(http://www.tmso.or.jp/j/topics/index.php?id=237
お時間のある方は是非いらしてください。

演奏会の予定を

頼まれるばかりではなくたまには自分から音楽を発信しようと、来年の5月から6月にかけての週末の演奏会場を数か所名古屋と東京近郊で探したら、とっくに埋まっていた。無理のない大きさで予算も大がかりにならない会場は取るのが難しいようだ。平日なら空いているところはあるけれど。
残念!秋以降の予定で練り直そう。

演奏会の予定を更新しました。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/ensoukai.html
12月20日に三井住友銀行本店エントランス(大手町)でオーボエの広田さん、ハープの篠崎さんと白鳥やビートルズなどを演奏します。http://www.iij.ad.jp/news/concert/2011/1220.html

2011年12月 5日 (月)

ドヴォルザーク独特の

先週から青島さんのツァーが始まった。いつもの仕事とはちょっと違う感じがまた楽しい。土曜日は船橋、日曜日は上諏訪。上諏訪は新日フィルの時に訪れて以来だった。

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今日からの都響はヤクブ・フルシャの指揮するドヴォルザークのスターバト・マーテル。これは何年たっても不思議なことの一つだけれど、指揮者で音は大きく変わる。音が集まり始めたような気がする。
初めて弾くドヴォルザークのスターバト・マーテルは、全体にゆったりとしたテンポで、もちろん例えばヴェルディのレクイエムのように劇的な曲ではない。でもドヴォルザーク独特の心に寄り添うような旋律や、ヴィオラなど中音域の楽器を巧みに使ったオーケストレーションが美しい。

明日は歌のソリストの入ったリハーサル。

2011年12月 2日 (金)

見ずに

駒が低くて、弦をはじく時どうしても雑音が入るしあまり音量も出ない。実際に必要な高さはおそらくあと0.5ミリとか0.7ミリくらいのことだと思う。駒のアーチと指板のアーチ、指板の反り具合など、きっとかなり微妙な塩梅があると思う。

恥ずかしながらこれまでずっと、チェロを弾く時は左手を見つめてきた。見たって別に音程がよくなる訳でなし、むしろ指の動きに気を取られている時は耳がふさがって音を聴いていないことがあった。録音を聴くとそれはよくわかる。
今とにかく見ないようにしている。よちよちのピアノをさらう時も鍵盤を見ないように。見ないで音を聴く。見ない方が音に集中できるし、音程も取りやすい。もう少し早くこういうことがわかっていれば、とは思う。僕のチェロはようやく始まったばかりだ。

2011年12月 1日 (木)

ウィーンフィル、駒、五輪書

今晩のNHK-FMはウィーンフィルの来日公演。途切れ途切れに聴いていたのだけれど、アンコールの雷鳴電光ポルカの打楽器が、FMで聴いていても地響きがするようだった。実際に聴いたら相当の迫力だっただろうと思う。

夏に立てた低い駒が、空気が乾燥してきたこの頃、やはり指板が上がって弦高が不足気味になってしまった。元の駒に戻すか新しい駒を立ててもらうか思案中。新しい駒が馴染むのには随分時間がかかったので、今度もし新しく作る場合にはうまく時期を考えなくてはならない。

古武術の甲野さんが宮本武蔵に言及して、それがとてもとても興味深かったので、五輪書を少しずつ読んでいる。命がけの経験に裏打ちされた言葉は重い。今日読んだ「水之巻」から

『兵法の道におゐて、心の持ちやうは、常の心に替る事なかれ。常にも、兵法の時にも、少しもかはらずして、心を広く直にして、きつくひつぱらず、少しもたるまず、心のかたよらぬやうに、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、其ゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。静かなる時も心は静かならず、何とはやき時も心は少しもはやからず、心は躰につれず、心に用心して、身には用心をせず、心のたらぬ事なくして、心を少しもあまらせず、うえの心はよはくとも、そこの心をつよく、心を人に見わけられざるやうにして、少身なるものは心に大きなる事を残らずしり、大身なるものは心にちいさき事を能くしりて、大身も小身も、心を直にして、我身のひいきをせざるやうに心をもつ事肝要也。心の内ににごらず、広くして、ひろき所へ智恵を置くべき也。智恵も心もひたとみがく事専也。智恵をとぎ、天下の利非をわきまへ、物毎の善悪をしり、よろづの芸能、其道其道をわたり、世間の人にすこしもだまされざるやうにして後、兵法の智恵となる心也。兵法の智恵におゐて、とりわきちがふ事有るもの也。戦の場万事せはしき時なりとも、兵法の道理をきわめ、うごきなき心、能々吟味すべし。』

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