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2011年12月29日 (木)

仕事納め

昼間一つ仕事をして2011年の仕事納め。夜少しさらってから弦をゆるめた。チェロを弾くことは楽しく、明日から3日も弾かないなんてとても残念だけれど、いま心と体と楽器を休めよう。

言うまでもなく今年は大変な年だった。生きるとは生活するとはどういうことなのか、当たり前に思い考えもしなかったことを考えない訳にはいかない年だった。
幸運なことにこうしてチェロを弾き続けていられる僕にとって、そのチェロを弾くごく個人的なことに関しても、大きな変化があった。外から見てもわからないかもしれない、でも僕にとってはチェロを弾くことがまったく新しい体験になるような変化だった。

コンピュータのようにハードウェアとソフトウェアに分けると、これまでずっとハードウェアのこと、つまりチェロの弾き方、体のあり方、楽器や弓のあり方ばかり考えてきた。でもそうではなくソフトウェア、つまり音楽を司る心、聴く耳、思い描く能力が大切なのではないか、と思っている。素晴らしい演奏とそうではない演奏の差は、肉体的物質的なことの差は実はそれほどなく、端的にどれだけ聴けてどれだけ素晴らしい音楽を思い描けるかの差ではないかと思っている。
音楽と心と体の間にすき間がなくぴったりとしていたい。

いつも、数か月前あるいは半年前の自分を思い起こすと、まるで別人のように感じる。何もわからずにいたように感じる。数カ月たつと今の僕はまるで何も知らない人間のように思い返されるかもしれない。

リルケの「マルテの手記」の中にこんな一節がある。

『僕は見る目ができかけている。自分でもどういうのかよくわからないが、なにもが今までよりも心の深くへはいりこみ、いつもとどまる場所よりも奥へはいる。きょうまで自分でも知らなかった心の隅があって、今はなにもがそこまではいりこんで行くのだ。その隅でどんなことが起こるかは知らない。
 僕はきょう手紙を書いたが、それを書きながら、僕はこの都会へ来てからまだ三週間になるだけであることに気がつき、不思議に感じた。どこかほかの場所で、たとえば田舎で過ごした三週間は、一日のように短く感じられるが、ここではそれが何年もに感じられる。僕は二度ともう手紙を書かないことにしよう。僕が変わりかけていることをなんのために知らせるのだろう?僕が変わりかけているとすれば、僕は今までとは同じ者ではいないといえる。今までとは同じ者ではないとすれば、僕は知人を持たないことになる。僕を知らない他人へ手紙は書けない。』

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