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2012年1月27日 (金)

音が出る瞬間、意識せずに

午後のリハーサルはトランペットのへフスさんのソロでアルチュニアンの協奏曲。ゆるがない、大きな河のような音楽の流れは、、そうありたいと感じるものだった。

遊び呆けていたせいで、弦をはじく右手の指先は水ぶくれ寸前、左手の指先も弦との摩擦でちょっと痛い。職業音楽家にあるまじきていたらく。

シャフランが演奏を始める前、弓先を床につけてから振りかぶるようにして弾き始めるのは、自分の裸を人に見られたくないように、弓の毛が弦に接して音が出る瞬間を見られたくない(注視されたくない)からだそうだ。シャフランが来日してレッスンをした時に、尋ねられてそう答えた、とチェロの桑田さんに教えていただいた。
(シャフランの映像はこちらhttp://www.youtube.com/watch?NR=1&v=7AaRT1o3sME&feature=endscreen

ペレーニがトッパンホールでバッハの組曲を弾いた時、それぞれの曲を始める時をじっと見ていたのだけれど、いつの間にか音が出ている感じだった。弾く前に身構えたり予備拍を感じたり、ということはどこにもなかった。
達人の演奏に接すると、僕のチェロはよちよち歩きでしかないことがよくわかる。

夜のニュースにハンマー投げの室伏選手が出て、「意識せずできた時に最大の投擲ができるはず」と言っていた。きっとそうだろう。
JTチェロアンサンブルのスリー・フォー・スリー、意識せず弾けるようになりたい。(僕の楽譜には他のパートのガイドが書き込まれ、がちがちな意識のかたまりになっている)

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