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2012年3月

2012年3月31日 (土)

忘れられない一日に

昨日、昼間の時間を盗んで恵比寿の写真美術館へ。ロベール・ドアノーの写真展を見て、一昨日までに撮ったフィルムをラボテイクに出してからサントリーホールに向かった。

今回の演奏会で退団される方が4人もいらっしゃるので、この数日常に誰かが写真を撮っている感じだった。40年もいたオーケストラを去る時の気持ちはどんなだろう。オーケストラの仕事をしていると、たまに気が遠くなりそうになって、これが無限に続くように思える時があるのだけれど、誰しも舞台を離れる時は来るのだと思った。

昨日はいい演奏会だった。いろいろな意味で忘れられない一日になった。終演後あちこちのセクションが宴会を開いていた。深く深く飲んだ人もいたかもしれない。

今日は休み。久しぶりに朝寝坊して、昨日撮ったカラーのフィルムを新宿のヨドバシカメラに出しに。
カメラ売り場にはオリンパスの社員さんがいて、発売されたばかりのOM-Dを手にとりながら熱っぽく説明してくれた。小さなボディにあれだけの機能が凝縮されているのには驚くばかりだった。なんだか腑に落ちなかったデザインも納得できた。今注文しても一ヵ月くらいかかるそうだ。いいカメラだった、でも僕はライカのレンズが欲しいなぁ。

強い南風が吹き荒れる中、タワーレコードへ。実家にLPがあって、ずっとそのCDが欲しいと思っていたグリュミオーの弾くベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(オーケストラはコリン・ディヴィス指揮のコンセルトヘボウ)と、アンドラーシュ・シフのシューベルトのピアノ作品集、9枚組で4千円くらい(なんと)を求めた。
買わなかったけれど、試聴しておもしろかったのはエンリコ・ディンドの弾くバッハの無伴奏チェロ組曲。低めのピッチで、とにかく当たりの柔らかい音で美しく美しく弾いている。彼がN響とショスタコーヴィチの協奏曲を弾いた時もふくよかないい音だったもの。

今日は弾かないつもりだったけれど、チェロを弾きたくなった。

2012年3月29日 (木)

音の海の中に

時々旋律を弾くことはあっても、「大地の歌」の中でチェロの占める役割は小さい。リハーサルはどうしても止め止めの切れ切れになるから、さらに全体像が見えづらくあまり興味深くない時もあった。
でも今日のサントリーホールの舞台は良い流れだった。音の海の中にいるようだった。
さぁ明日もう一回。

2012年3月28日 (水)

説明のできない

仕事で必要なもの以外オーケストラの曲をiPodに入れることはないのだけれど、ベルリオーズの幻想交響曲を取り込んだ。

何年か前のサイトウキネン、前半デュティーユさんの新曲と彼の若い時の曲(これが難しかった)、後半に幻想というプログラムの時があった。
数回の演奏会のうち、前半が必ずしもうまくいったとは言えなかった後の幻想がとりつかれたように素晴らしかったことを覚えている。何がどう良かった、という説明のできないすごさがあった。そういう瞬間に時々出会えるのがオーケストラの醍醐味かもしれない。

幻想を弾きたくなった。

2012年3月27日 (火)

断片が少しずつ

今日から「大地の歌」の稽古に歌が入った。(メゾソプラノ:イリス・フェルミリオン、テノール:ロバート・ギャンビル)
お二人とも素晴らしく、いつものことながらやっぱり歌だなぁと思う。器楽奏者とは職種が違う感じがする。
まるで初めて弾く曲のような「大地の歌」はだんだんいい曲に思えてきた。チェロには時々とても美しい旋律が来る。ヴァイオリンは音が高く細かく難しそうだ。

理由もなくベルリオーズの幻想交響曲の華やかなフレーズが頭の中で鳴ることがある。CDの棚には幻想と並んでオペラ「ファウストの傲罰」があり、久しぶりに出して聴いている。
松本で弾いたのはもうずいぶん前のことだ。もちろん小澤さんはとてもお元気だったし、舞台では大変なアクロバットが繰り広げられていて、時々オーケストラピットから振りかえると、兵隊が壁を垂直に歩いていたり、スパイダーマンのような人たちが壁をびよんびよん伝っていたりして、驚くべきものだった。また、松本城に野外特設ステージを組んだ公演もあった。その時の歌はカバーキャストが出るという粋なはからいだった。
久しぶりに「ファウストの傲罰」を聴くと、記憶の層にしまわれていた断片が少しずつ浮かび上がって来る。

アサヒカメラ誌の4月号にはロベール・ドアノーとエリオット・アーウィットの写真も掲載されていた。
ドアノーの「広告塔モリスの掲示、1959年」、その広告塔に演奏会のポスターも貼られていて(字ばかり)、クララ・ハスキル、パウル・クレツキ、サンソン・フランソワ、ジャン・ピエール・パイヤールなどの名前が見える。LPレコードやCDでしか知らない往年の名演奏家たちは、当時一線で活躍していたのだなぁ。
ドアノー(http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1545.html)、アーウィット(http://www.magnumphotos.co.jp/)、それからマグナムのカメラマンたちのコンタクトシートが見られる写真展(http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/event/magnum65.html)が本当に楽しみ。

2012年3月25日 (日)

上野の空には

絵本の朗読に音楽をつける今日の仕事、思いもかけず朗読の山田美也子さんから著名なカメラマンの話を伺うことができた。実に興味深く楽しかったなぁ。
あと少ししたら写真を撮りに出かけたり釣りに行ったりする時間ができるはずだ。

上野の空には大きなクジラが泳いでいた。

Kujira

2012年3月24日 (土)

分厚過ぎて

新潮文庫のブックカバーが届いた。ずいぶん前、新潮文庫のカバーに付いている印を20枚ちょきちょき切り抜いて送っていたのだ。
本屋で本を買う時はカバーを付けてもらうのだけれど、家の本棚から取り出して読む時は他の本のカバーを外して使ったり、新聞の折り込み広告で作ったりしていた。

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新しいブックカバーはジッパーで閉じられるようになっていてとてもいいかな、と思っていたのに、なんとユリシーズは分厚過ぎてうまく入らない。今読んでいるのは4分冊の集英社文庫の、1冊目半ば。せっかくのカバーの出番は当分先になりそう。

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この3月で何人かの方が都響を去られる。最近のいくつかの仕事ではその方々の写真を撮る機会がある。
僕が3年に満たない間在籍した新日フィルを辞める時ですら、なんだかこみ上げるものがあったから、長くいらした方の思いはいかほどかと思う。

昨日のショスタコーヴィチの4番、弾きながら少しだけいい曲に思えた。包み隠さないショスタコーヴィチかもしれない。
今日は2回目のエルガーの合わせ。墨田区の奥深いところにある練習場所まで駅から歩いた。京島、八広あたりは興味の尽きない場所だ。楽器がなければカメラを持ってしばらく歩いていられると思う。
明日はラヴェルの二重奏の断片を弾いて、明後日からは「大地の歌」のリハーサルが始まる。久しぶりに勉強した「大地の歌」はやっぱり記憶に残っていなかった。少々仕事の密度が高くタフになってきたけれど、あと少しがんばろう。

2012年3月22日 (木)

進んでもとどまっても

与謝野晶子の「はかなきものながら歌のたぐひに候べし」ではないけれど、もし本がなければ人生は味のない料理のようになってしまうと思う。
幸い今のところ挫折することなくユリシーズを読んでいる。いったい何がおもしろいのかわからないのだけれどおもしろい。「失われた時を求めて」の時は分量も多く途中で話が緩んでしまうので、義務のようにひたすら読み進まなくてはならなかったけれど、ユリシーズは読み進んでも、詳細な訳注を見ながら一箇所にとどまっていてもいいような気がする。

電車に乗っている時の細切れの時間は本を読む貴重な時間だ。でも時々なんだか暗いな、と思うと頭上の蛍光灯が抜いてあることがある。節電のためだろうか。
去年の今頃、節電とか計画停電で大騒ぎだった。あれは本当にそうしなくてはいけなかったのだろうかと思うし、一方今は喉元過ぎれば・・・、になっている気がする。

明日の演奏会、宮田大君の弾くロココは広々としていい。なるほど、と思うことがいくつもあった。
ショスタコーヴィチの4番の後は「大地の歌」。これも新日フィルにいた時弾いたはずなのに覚えていない。譜読みするものがたくさんある。

トヨタ自動車のCM、ジャン・レノ扮するドラえもんが尻尾をびよんとさせながら登場して「ノビタクン、ヒ・サ・シ・ブ・リ」というのも良かったし、昨日見ていたらジャイ子が出てきた。

2012年3月21日 (水)

いつか全曲

日曜日の催し(http://www.tokyo-harusai.com/program/page_1044.html)の練習で国際こども図書館へ。上野公園を抜けて芸大の手前を右に入ると立派な建物が現れて驚いた。旧帝国図書館を改装して子ども図書館にしたそうだ。http://www.kodomo.go.jp/
演奏する場所は木の床で天井も高く、とてもいい音がする。ここで演奏会ができたらいいのに。

初めて弾くラヴェルの二重奏(もちろん抜粋)はやはり美しい曲だった。実は去年の秋に演奏できそうだったのが、残念ながらその機会は流れてしまっていた。大変難しいけれどいつか全曲弾いてみたい。

2012年3月20日 (火)

はかなきものながら

昨日の日経夕刊に日立製作所、川村隆さんの「何を後世に遺すか」という文章が載った。
若い頃技師として設計、設置した発電所用の大きな電気機械が、人間の会社勤めより短い期間で引退することに触れた後で、与謝野晶子の書簡を引用して。
『人生に何が残り候やと考え候へば、はかなきものながら歌のたぐひに候べし』

音は出たはなから消えていってしまうが、せめて心に残る音は出してこれただろうか。

今年は平気だ、と思っていたのに昨日爆発した。都響のチェロでも3人、この数日で花粉症の症状が出ている。近所のドラッグストアに行ったら、安い箱ティッシュは僕の買った一くくりで品切れになってしまった。やれやれ。

2012年3月19日 (月)

おたまじゃくしがかえるに

油断していて、もう一つ譜読みをしなくてはいけないことが抜けていた。
http://www.tokyo-harusai.com/program/page_1044.html

普通、絵本の朗読にラヴェルの二重奏は使わないだろうと思うけれど、いずれ弾きたいと思っていた曲なので湯気を出しながら譜読みした。ショスタコーヴィチもさらったら頭がおたまじゃくしであふれ、かえるになりそうになったので出かけた。

神田明神を起点にして神田駅まで歩いた。
東京の街は本当におもしろい。一つ路地を入るだけで違う世界に入ることがある。時々写真を撮りながら歩いて、くたびれたらコーヒーを飲みながらユリシーズを読んで、という風にしたら旅に出なくてもそれでしばらく過ごせるような気がする。
もちろん途中、小川町のオリンパスプラザに寄って話題のカメラの先行展示を見てきた。うぅむ。

秋田で撮ったフィルムの現像とベタ焼きを受け取り、新宿のマップカメラに入ったらライカのM9が手にとれる状態で置いてあった。高価なカメラなのに、ライカの素晴らしいファインダーにはブライトフレームと距離計と露出計の赤いランプしかない。実にいい写真が撮れそうだ。こんなデジタルカメラなら欲しい。
いつものもし宝くじが当たったら、の中にM9も入れよう。

2012年3月17日 (土)

オアシスのような

「新世界」の本番の後、無理くりショスタコーヴィチの譜読みをして、プールに行って体をほぐして、明日は久しぶりに仕事もないしチェロも弾かないオアシスのような休み。さて何をしようか。

2012年3月16日 (金)

かいじゅうという言葉が

明日の演奏会のメインは「新世界より」。火曜日からはショスタコーヴィチの4番のリハーサルが始まる。
僕が新日フィルに入った最初の演奏会はアラン・ギルバートの指揮する「新世界」、やめるときはショスタコーヴィチの4番だったから、最近あの頃のことをよく思い出す。

新日フィルにいた頃、地方公演や音楽教室というと「新世界」だった。秋の短い期間に10数回弾いたこともあった。
確か六ヶ所村に始まり公演を重ねながら南下していった演奏旅行で、すっかり手垢のついてしまったこの曲の終楽章のまん中あたりチェロの旋律の手前、ヴァイオリンの受け持つ旋律が、豊嶋さんのリードで毎回違う景色に見えたことがある。いつも自発的、即興的にセクションが一体となって素晴らしかった。

そろそろ勉強しているショスタコーヴィチの4番は、勉強していっても前回の記憶はやはりほとんどない。
5番の交響曲とは大きく異なって、晦渋という言葉がぴったりくるような気がする。甘いところや晴れやかな所はどこにもなく、いつも渋い。もしかしてこれがショスタコーヴィチなのかと思う。久しぶりの大曲だ。

2012年3月15日 (木)

それぞれの流儀

今日からインバルのリハーサルが始まった。
ドヴォルザークのピアノ協奏曲も今日から。以前クン=ウー・パイクさんが新日フィルでショパンの2番を弾いた時、ストイックと言いたくなるくらいのテンポ感で、それがかえって鮮烈な抒情を生み出していた。今日のドヴォルザークはゆるがない大きな岩のようだった。すごく強い音の時も決して割れたりつぶれたりしないし、いつも鮮明だ。僕もこうありたい。いい曲に思えてきた。

夜は虎の門交響楽団と初めてのエルガーの合わせ。
あたたかく迎えてくださってうれしかった。今日の目標はとにかく暗譜で弾くこと。以前弾いた時、あんなに危なっかしい暗譜でどうして平気で弾けたのか不思議だ。久しぶりのエルガーは、これまで気付かなかった様々な動きや光景が見えて楽しい。

昨日までは大学オーケストラを教え、今日の昼間は都響、夜は社会人のオーケストラにお邪魔した。それぞれの場所にそれぞれの流儀があり、オーケストラっていいな、と思った。

2012年3月13日 (火)

玄人好みの

今日は大学オーケストラの合宿にお邪魔するため富士五湖へ。一昨日帰京して荷ほどきしたものを洗濯してまたカバンに詰めて、という具合でなんだかおかしい。

富士五湖ではないけれど、芦ノ湖も解禁してボート屋から毎日釣果を知らせるメールが届くようになった。昨年の春はとても行けなかった。今年は是非行きたい。

明後日からはインバル強化月間が始まる。
最初のプログラムにドヴォルザークのピアノ協奏曲がある。あまり演奏されない曲だ。ピアノはクン=ウー・パイクさん。新日フィルとショパンの2番を弾いた時素晴らしかった。渋い曲に玄人好みの演奏家の組み合わせはどうだろう。

その次はショスタコーヴィチの4番。新日フィルを辞める時の演奏会で弾いた曲だ。
その演奏会の指揮は大野さんで、もう一曲はやはりショスタコーヴィチの1番のピアノ協奏曲、トリフォニーで2公演あり、と細かな情景も覚えているのに、いったいどんな曲だったのか肝心なところは皆目覚えていない。
楽譜を見ると親しみのない音符がたくさん並んでいた。

2012年3月11日 (日)

演奏すること

昨日の秋田、今日の盛岡公演も無事終わり、帰京する新幹線に飛び乗った。本当にほっとしている。

一年前の今日、函館公演が中止になり、夕方金管楽器の人たちと一緒にホールからホテルに戻る路面電車に乗った。
駅前のホテルに着いて、たまたまお会いしたピアノの小山さんと調律の杉浦さんと何か話をしかけた時、津波が来ます避難してください、と言われ、分かれてとにかく上の階に上がった。今月の演奏会で小山さんにお会いしたのは、その時以来のことだった。

一年がたちテレビの画面には様々な映像が流される。それを見ながら、何年も前、紀尾井シンフォニエッタでゲルハルト・ボッセさんがR.シュトラウスのメタモルフォーゼンを指揮した時のことを思い出した。第2次世界大戦が終わった時、若かったボッセさんは破壊されたドイツの街を見て、もう音楽はできないと思ったそうだ。

今日演奏しながら、結局僕たちには演奏することしかないし、再び東北で演奏できたことを感謝しなくてはならないと思った。

2012年3月 9日 (金)

演奏旅行

8年前の演奏旅行は、ほとんど奇跡的といってもいいくらいの偶然で、新日フィルのスペイン・ツァーとサイトウキネンのヨーロッパ・ツァーがつながった長いものだった。

スペイン・ツァーは、リハーサルの最初の1時間のうちにオーケストラが指揮者を見切ってしまった。オーケストラが指揮者を見切ってしまう瞬間は恐ろしい(逆のことももちろんあると思う)。特に外国への演奏旅行は、演奏以外の要素も多くお祭り気分のところはある。でも身のない演奏旅行は味気ないことをこの時痛感した。

その指揮者ありきの仕事だったから仕方なかったのだけれど、マーラーの「巨人」はその早振りについていく人とそうでない人がいてオーケストラが不和になりそうだったし、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」は、日本のオーケストラだから、という理由だけでプログラムに入れたとしか考えられない理解の仕方だった。武満さんの音楽に艶や色や、それを実現するためのテンポがなければ何のために弾くのかわからない。

でもバルセロナやマドリード以外の、おそらく2度と訪れることのないであろう小さな街は魅力的だった。
確か大西洋岸のヴィーゴという場所で、終演後に入ったレストランは素晴らしかった。大皿いっぱいに盛られたハムやサラミの美味しさは僕の知らないものだった。

新日フィルのツァーはマドリードで終わり、数日してからバレンシアでサイトウキネンのリハーサルが始まった。武満さんのレクイエムがそんな状態だったから、やはりこの曲でプログラムが始まるサイトウキネンが待ち遠しかったことを覚えている。
あの頃のサイトウキネンにはコントラバスのツェパリッツさん、ティンパニのファースさん、クラリネットのライスターさんがいた。移動のバスの中でたまたま耳にしたティンパニとクラリネットのお二人の会話は痛快だった。ファースさんがちらりとこちらを見て目くばせをしてくれた。

都響はちょうど昨年の今日、秋田県の大館で演奏をし(この日の昼にもけっこう大きな地震があった)、函館に移動してからあの地震に遭った。僕は出かける前iPodにマタイ受難曲を入れて、函館に向かう電車の中で聴いていた。どうしてだったのだろう。
今回の演奏旅行も、その時と同じ小林研一郎さんの指揮と小山実稚恵さんのピアノで、明日秋田公演、11日には盛岡公演。全体から見るとささいなことかもしれないけれど、それでもこの演奏会は僕たちにとって、少なくとも僕にとって大きな意味がある。

今朝、東京から直接秋田には向かわず、新潟を経由した。新潟を出てしばらくすると羽越線の窓から日本海が見える。にぶい色の海が目に入った時ぐっと胸がつかまれるようだった。
秋田の手前で特急から各駅停車に乗り換え、下浜という小さい駅で下車した。浜に降りて行くと波の音にまじって、強い北風に砂の動く音が聞こえた。耳が痛くなるような冷たい風に早々に退散した。

2012年3月 7日 (水)

それぞれの

先日、都響のチェロ6人が、ごく短い時間ではあったけれど、同じ楽器を同じ弓で弾くことがあった。
それぞれの人がそれぞれの音を出すのは、それぞれの道具立て(楽器や弓、セッティングなど)と密接に関係していると思っていた。それがその時、同じ楽器でもいつものそれぞれの音がした、たぶん目を閉じていてもはっきりわかっただろうと思う、それは僕には驚くべきことだった。音は不思議だ。

今月の都響は3日に「悲愴」、6日にベートーヴェンの7番、演奏旅行はチャイコフスキーの5番、とぐぎぐぎ弾く曲が続いている。
「悲愴」を弾きながら、8年前のサイトウキネンのヨーロッパツァーを思い出していた。パリ公演の時、悲愴の第3楽章が終わった途端、拍手が来た。もしかしたら終楽章の前に拍手をしてしまうほどいい演奏だったのかもしれないし、そもそも楽章間で拍手をしてはいけない、という決まりがある訳でもない。

3日の悲愴はもう少し練れていればもっと良い演奏だったかもしれない。今回は弦楽器の編成が少し小さく、16型ですごい音がしたあのツァーのことを思ってしまった。
5番の交響曲と違い、悲愴を書いた時のチャイコフスキーは人生の終末を意識していたと思う。とても普通ではない。
僕はエキサイトしすぎて弓の毛をたくさん、おそらく何十本も切ってしまった。もちろんほめられたことではなく、野武士のざんばら頭のようになった弓は、左右のバランスが狂って、このままでは使わない方がいい状態になってしまった。今は毛替えに行く時間もなく・・・。

演奏旅行に持っていく本は「ユリシーズ」になった。さて。

2012年3月 6日 (火)

珍しい名前

今日の日経新聞文化面に印章店モリシタ主人、森下恒博さんの「珍名印鑑10万種」という文章が載り興味深かった。その中から。

『・・・・・それをきっかけに独学で研究を始めた。まずは東京の電話帳を繰り、20軒以上ある名字を全部書き出していった。
 その中には当然、読めない名字が多数あった。たとえば漢字1文字で「一」「九」「十」さん。一は二の前にあるから「にのまえ」さん、あるいは「よこいち」さん。姓も名も「一」の「にのまえはじめ」さんという方が実際におられる。
 九は「1文字のく」だから「いちじく」さん。十はひとつ、ふたつ、みっつ・・・・・ここのつ、と数えていくと、「つ」がつかなくなるから「つなし」さんという具合。』

うーん、なるほど。
「長谷部」は、たとえば「田中」さんや「鈴木」さんと比べると圧倒的少数派で、しかも時々「長谷川」さんに間違えられる、という問題はあるけれど、もっとずっと珍しい名前はあるのですね。

2012年3月 5日 (月)

旅に持っていく本

寝不足の原因だったポール・オースターの「ムーンパレス」を一昨日読み終わった。夜中に読み終わったら、しばらく寝付けなくなってしまった。

都響の短い演奏旅行がもうすぐ始まる。その旅にどの本を持っていくのか思案中。
同じオースターの「トゥルー・ストーリーズ」はもちろんよさそうだし、残念ながらグロースマンの「人生と運命」は重すぎて(物理的な意味でも)無理として、名作と呼ばれるものを持っていこうかとも思っている。

最近の新しい訳は文庫本でも活字が大きく読みやすそうだ。
高校生の時背伸びしてとにかく読んだ、読んだだけとしか言えない「カラマーゾフの兄弟」か、ほんの少し読んで挫折したダンテの「神曲」、あるいは、読みとおせる自信はほとんどないけれどジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」。本屋であれこれ実際に手にとりながら考えるのは幸せな時間だ。

ただ、気張って難しい本を持っていっても結局いつものどんちゃん騒ぎでほとんど読み進まない可能性もある。でも本はお守りのようなものだから。

2012年3月 2日 (金)

画像を

2月26、29日の日記に画像を加えました。

http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post.html

http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-fe08.html

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2012年3月 1日 (木)

遊んでばかりいる訳ではなく

演奏会についてお尋ねを頂きました。すみません、予定の更新が滞っていました。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/ensoukai.html
毎日本を読んだり写真展に出かけたりばかりしている訳ではもちろんなくて、今はひたすらオーケストラの仕事をしています。4月下旬には関西のオーケストラにもお邪魔します。都響の演奏会で特に楽しみなのは大野和士さんが指揮する6月18・19日のプログラムです。

6月下旬に大阪で小さな小さなソロの本番があります。こちらの情報はまた後日。
5月25日には虎の門交響楽団というアマチュアオーケストラでエルガーを弾きます。http://www.k5.dion.ne.jp/~ogishima/

そのエルガーをさらっていて、今晩のブラタモリの最初を見逃してしまった。今週も来週もテーマは新宿で、抜群のおもしろさだった。

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