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2012年4月

2012年4月30日 (月)

天気は

それぞれのメンバーが3年までしかいられないので、HPACオーケストラはオーケストラとしての経験の蓄積がどうしても薄い。だから時々?、と思う場面はある。
でも20代が多いこと(彼らの若さが本当にまぶしく見える)、外国からのメンバーも多いこともあるのだろう、今日の演奏会はいつもと違う感じで楽しかった。

大阪の街も実におもしろかった。今回あまり時間がなく、ホテル周辺しか歩けなかったけれど、同じ日本でありながら常に別の国のような雰囲気を感じていた。

終演後いったん帰京するため新大阪で新幹線に乗り換えた頃、雨が降り始めた。戻ったら少し出かける時間があるのに、天気は持つだろうか。

2012年4月29日 (日)

眠る前に一通り

今回の仕事の前、HPACオーケストラはチェロのヴォルフガング・シュミットをソリストに迎えてツアーをしていたそうだ。

僕はシュミットの演奏を聴いたことはないのだけれど、素晴らしいドヴォルザークだったらしい。
彼の練習方法について興味深い話を聞いた。協奏曲の練習自体は1時間、技術的なことをさらって、演奏会前日寝る前に楽器なしで一通り頭の中に曲を思い浮かべるそうだ。なるほどなぁ。

今日は盛り沢山のプログラムで長い演奏会だった。さぁ明日もう一回。

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2012年4月28日 (土)

カーテンを開けてみたら

HPACオーケストラのチェロで前回も今回も一緒に弾いているのはシカゴから来ているチャーリーだけ。
チェロの皆で昼を食べながらオーケストラのオーディションの話になった。

弦楽器のオーディションで、その人の音が最初に聞こえるのは調弦だ。それが第一印象となるから、素早く正確にすることが大切と僕は思っている。
ところがなんと、アメリカのオーディションでは事前に調弦を済ませておくことが暗黙の了解になっているそうだ。そして、最初の審査で協奏曲を弾くときの伴奏者は無し、最終審査までカーテンは降りたままだそうだ。日本とはずいぶん違う。

人種の問題があるから単純ではないのだけれど、僕はオーディションはカーテン審査(誰が弾いているか見えない)ではなくオープンでするべきだと思っている。何年あるいは何十年も一緒に弾く同僚を探す作業なのだから、上手に弾ければ何でもいいという訳ではないと思う。
カーテンを開けてみたら逆立ちをして弾いていた、とか、鼻の穴に弓を差し込んで弾いていた、なんてことはあまりありそうにないとしても、でもやたら動き回ったり、反対に電信柱みたいに微動だにしない、ということはありうる。

話を聞いていると、アメリカの、特にメジャーオーケストラに入るのは本当に難しそうだ。

2012年4月27日 (金)

立体的で複雑な

今日からHPAC(兵庫芸術文化センター)での仕事が始まった。
HPACオーケストラのメンバーの任期は3年。前回一年半前に来たときとはずいぶんメンバーが入れ替わっている。管楽器は外国からも多く来ていて、知らない人のソロを聴くのは楽しいし、オーケストラ全体としてもだいぶ仕事がしやすくなったように感じた。
(2010年9月21、23、25日の日記をご覧くださいhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/hpac.html)

やはり一年半ぶりの大阪、梅田駅周辺は大きく変わっていて驚いた。立体的で複雑な動線を持つ未来都市のようだ。もちろん自然は1ミリもない。

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仕事の後、夕方の光線の中をカメラを持って歩いた。

2012年4月25日 (水)

深々と

練習の合間、原宿の竹下通りというところを生まれて初めて歩いてから明治神宮に行った。
東京の桜はすっかり終わり新緑の季節となった。やわらかい葉の色のあふれるこの時期は大好きだ。秋ももちろんいいけれど、たまにさみしくなるから。
久しぶりに深々と息を吸えた。また仕事が始まる。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲を勉強していて、今日聴いたのは何枚か持っているCDの中の、オイストラフが弾いているもの。オーケストラはジョージ・セルが指揮するクリーヴランド管弦楽団。
セルとクリーヴランドの録音は他にもいくつか持っていて、昔は何も気付かずに聴いていた。今は良く訓練された筋骨隆々としたオーケストラサウンドということがよくわかる。実際に聴いたらすごい音だったろうと思う。
ただし、セルの練習は厳しかっただろうなぁ。

2012年4月24日 (火)

ぎらぎらと表に

今日はチェロを弾かない日。
築地から銀座までぶらぶら歩いた。昼頃入った築地市場の場内は殺気立っていて、仕事でもないのに中にいるのが申し訳ないようだった。様々な商売と食欲とがぎらぎらと表に出ていておもしろかった。ベトナムの活気を思い出した。

6月と秋に小さなソロの本番があるので、何を弾こうか考えている。(6月の大枠は考えてあるのだけれど、6月はもうすぐだ) 秋は無伴奏。中断していたペンデレツキの新しい曲の譜読みをそろそろ再開させなくては。これまでのソロの本番のことを思い出し、反省しきり。もっとずっと良くなろう。

2012年4月22日 (日)

「マグナム・コンタクトシート」展

リハーサルの後、銀座のリングキューブで開かれている「マグナム・コンタクトシート」展へ。
http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/event/magnum65.html
コンタクトシート(ベタ焼き)は、ネガを直接印画紙の上に置いてプリントしたもの。そのフィルム一巻に何が写っているのかひと目でわかる。

展示は何人ものマグナムのカメラマンのコンタクトシートと、そこから選ばれたプリントで構成されている。
なぜそのコマを選んだのかとても興味深かったし、トリミングの指示があったり、最終的なプリントにはどのように手が加えられているかもわかった。なによりコンタクトシート上のぐぎぐぎとしたダーマト(だと思う)の書き込みから、生身のカメラマンの息遣いが伝わってくるようだった。

コンタクトシートをおおやけにするのは、演奏家でいえば練習を公開するような、普通表に出さない部分だと思う。
執拗に同じ被写体を追いかけて多くの枚数を撮る人も、同じアングルでは複数枚撮らない人もいて、その流儀もおもしろかった。そもそも選ばれていないコマも素晴らしく、一枚一枚のコンタクトシートが圧倒的な力を持っている。マグナムのカメラマンたちは動物的な感覚で写真を撮っているようだ。

無名の人たちの表情やしぐさを深くとらえた写真も、有名人の写真もあった。
マーガレット・サッチャー元英国首相のポートレートは、フィルム一本分の中に目をつむっているものが意外に多かった。(マグナムではなかったと思うけれど、ピカソの写真を多く撮ったカメラマンが、ピカソが目を閉じて写っている写真は一枚もない、と言っていたのを思い出した。)
マリリン・モンローのにぎやかに人に囲まれた写真の中に、1人で写っているものがあり、そのさみしそうな横顔は彼女の素の部分に思えた。

白黒の写真が多い中で、何点かあった深い色合いのカラー写真も心に残った。日本の久保田さんの写真も素晴らしかった。

比べてはいけないが、僕の撮る写真は止まっていると思った。音楽も一緒だなぁ。
リングキューブの外に出ると、いつもの街が違って見えた。

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2012年4月21日 (土)

ごろごろ何もしない

昨日の演奏会のソリストは辻井伸行君。
彼はピアノの右手のパート、左手のパートそれぞれを別々に誰かが弾いたものを聴いて覚え、しかもその覚え方はとても早いそうだ。
ヴァイオリンに点字の楽譜があることは知っていたけれど、実際もしピアノで点字の楽譜をつくったら膨大な分量になってしまう気がする。あるのだろうか。左右ばらばらに覚えたものを視覚的な楽譜なしに同時に音にしていく作業というのはちょっと想像がつかない。例えば左手が四分音符で右手が十六分音符ならともかく、昨日のショパンのように細かい音符を当てはめていくのは大変なことだと思う。

ショスタコーヴィチの10番は、先月弾いた4番に比べるとはるかにショスタコーヴィチの「定型」にはまっていて(いつものモチーフがたくさん出てくる)、精神的にはずいぶん楽だった。
結局昨日もぐぎぐぎ弾いて、今日は再びエルガーの合わせ。先月今月と少々タフだったかもしれない。
今日帰宅してからの時間はぐうたら感謝ということにして、ごろごろ何もしないと決めた。

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2012年4月19日 (木)

試行錯誤できる

学生の時、桐朋の公開講座で一度だけアンナー・ビルスマのレッスンを受けたことがある。今でも時々思い出す、示唆に富むとても貴重な時間だった。
今日はビルスマに習っていたK君(昨日のK君とは別のK君)とビルスマの話で盛り上がった。

ある時彼がビルスマに、音楽に入り込むと周りが聴けなくなる、周りを聴くとさめてしまう、どうしたらよいだろうか、と尋ねるとビルスマは彼の顔をじっと見てから、
「You are a too nice person.」
と言ったそうだ。

確かに、オーケストラやアンサンブルの場で周囲に気を配っていると、もっと自分を出せばよかったと思う時はあるし、周りを気にせず我が道を行った人の方が聴衆にアピールすることはある。

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ショスタコーヴィチのリハーサルの後すこしさらってから、虎の門交響楽団とエルガーの合わせへ。
普段の仕事場では協奏曲のリハーサルは多くて2日2回。今回のエルガーの練習は何度もあり、実は様々な試行錯誤のできる有り難い機会になっている。そもそもよほどの売れっ子でない限り協奏曲を何度も人前で通すことはあまりないと思う。
回数が多いからといってぼんやりしないようにしよう。

2012年4月18日 (水)

難しさの一つは

チェロのK君が大学院の試験でアルペジョーネ・ソナタを弾く、というので彼とひとしきりこの難曲をどうやって弾くのかという話をした。アルペジョーネに限らずシューベルトの難しさの一つは、音楽はシンプルなのに楽器を弾く身からすると恐ろしくテクニカルに見えてしまうところだと思う。彼がYouTubeにペレーニとシフの演奏があると教えてくれた。
http://www.youtube.com/watch?v=Ctp9uL0QHLo

先日買ったシフが弾くシューベルトの9枚組のCD、あれこれディスクを変えながら聴いている。少し前の僕にはシューベルトの素晴らしさはわからなかったかもしれない。

今週の日経新聞夕刊の「駆ける魂」はF1ドライバー小林可夢偉さん。レースの時のオーバーテイク(追い抜き)について、
『迷わないことと判断力が大事。そして相手が気を抜いた瞬間をうまく利用すると、意外と簡単に抜ける。』『当たり前の抜き方をしていたら、誰もがこの次に何をするかわかるじゃないですか。』

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東京駅の工事はだいぶ進んで駅舎が姿を現した。

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2012年4月17日 (火)

前回よりずっと

今日からショスタコーヴィチの10番のリハーサルが始まった。
どうしても去年弾いた時のことを思い出してしまう。(2011年6月9・11日の日記をご覧ください http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-8c78.html)もちろんインバルは楽譜を見て振っている。

僕に関して言えば、前回よりずっと曲の全体が見渡せるようになった。一つ歳をとるのもそう悪くない。
先月中旬にインバルが来て新世界に始まり、ショスタコーヴィチの4番、「大地の歌」、ペトルーシュカ、火の鳥、ブルックナーの7番、今回のショスタコーヴィチの10番とずっしりした曲が続いた。他の仕事で他の曲を弾くとずいぶん軽く感じる。

さてもうひとがんばり。

2012年4月16日 (月)

低い弦ほど距離が増えるテールピース(続き)

Frirsz社のHPには「How it Works」という項目があり、それによると、高弦の方がずっと音が通るし鮮明なのを、低弦側の弦長を長くすることによって低音を豊かに明晰にする、というようなことが書いてあった。
また、ウルフ(不快な共振音)については、低弦の弦長を長くすることによって楽器の倍音が変わりほぼなくなる、としているけれど、残念ながら僕の楽器ではなくならなかった。理屈としてもなんとなくそれは違うような気がする。

僕が知りたかったのは、実際どのようにセッティングしたらよいか、弦によって弦長が変えてあるその比率はどこから導かれたか、ということだった。残念ながらその答えはなかった。

上駒と駒との距離に対して駒とテールピースの距離がどのくらい、というのはおおよそ決まっている。
今の僕の楽器の設定は1番線(A線)側を標準の長さにしている。当然4番線の弦長はかなり長くなり、実際強い。メーカーの意図通り高音より低音の方がご機嫌だから、下に強い弦を張ると強くなりすぎるかもしれない。

僕のチェロはずいぶん弾く感じも強くなった。不思議なことに、音離れが悪くてあまり使っていなかった真鍮のエンドピンの方がずっしりと豊かな音で合うし、弓の印象もこれまでと変わった。

この形のテールピースをもっと発展させて、例えば1番線の距離の比が上駒-駒:駒-テールピース=6:1としたら、他の弦の比もできるだけ単純な整数比で設計する、とか、良質の木で作る、とかしたらどうだろう。

2012年4月14日 (土)

低い弦ほど距離が増えるテールピース

先月から使っているテールピースはこれ。

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どうしても中抜きのデザインに目がいってしまうけれど、大事なところは低い弦ほど駒との距離が増えるようになっていることだ。(ヴァイオリンやヴィオラのものはもっと普通の形)中抜きにしてあるのは重量を抑えるため。
アジャスターを使うか使わないかの選択ができるように、テールピースに弦を留めるためのプラスチックのユニットを付けるようになっている。僕はアジャスターを使わないので、この部分を省いて直にテールピースに弦をかけられるようになっていたらもっとよかったのに、と思う。材質は軽くて丈夫な航空機用の金属だそうだ。

音は明らかに強く大きく分厚くなる。出にくかったり出やすかったりした音は平均化して没個性になった気もする。すでに書いたように音色も若干失われ気味。メーカーの謳い文句に反してウルフは出る。
ただし、駒との距離の変化に加えて、材質やテールガットの長さも変わったので、一番大きな要素が何かは簡単には断言できないかもしれない。

メーカーのHPにはこの形の理由が掲載されている。解読してみよう。
http://www.frirszmusic.com/frirsz-cello-tailpiece.php

2012年4月13日 (金)

2年ぶり

今日の芦ノ湖 水温9.8度 晴れ 南風 風力2 最高気温15度

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昨年は地震の直後でとても行く気がしなかったので、春の芦ノ湖は2年ぶり。
拍子ぬけするくらいあたたかく穏やかな箱根だった。あまりぽかぽかするのでボートの上で靴も靴下も脱いで釣りをしていた。

最初の一匹が釣れたとき、2年ぶりなのになんだかあまり感動がない気がしたのだけれど、結局時間いっぱいまでコン!というあたりが来る瞬間を今か今かと待ち続けた。
来る時はぱたぱた釣れるのに、気配がなくなると本当に何もなくなる。群れで魚が移動してるのか、何かのきっかけで活性が上がったり下がったりするのだろうか、はて。昨夏の釣り以来ひたすら人間の都合の中で生きてきたのだから、今また魚の機嫌にほんろうされたっていい。少しずつ釣れ続けて、帰り際桟橋に戻ってからももう一匹釣れた。
一日よく遊んでご飯はますます美味しく眠りはすとんと抜け落ちるようだ。体に滞っていたものがきれいに抜けた。

「釣り竿は一方に釣り針を、もう一方の端に馬鹿者をつけた棒である。」サミュエル・ジョンソン
今年は何回釣りに行けるだろうか。

今日の箱根にはスーパーカーが2台いた。僕が子供の頃からスーパーカーと言えばランボルギーニとフェラーリだ。

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2012年4月11日 (水)

テールガット

テールピースを楽器に留めるテールガットの材質にはいくつか種類がある。僕が知っているのは、ガット(何かの動物の腸をかたく撚ったもの、だと思う)、ナイロン、金属の単線、細いタングステンを撚り合わせたもの、新素材(化学的に造った繊維)。

6〜7年前にテールガットをナイロンからガットに換えた時は音の良くなり方に驚いた。
不思議なのは、ガット弦は温度・湿度の影響を強く受けるのに、テールガットはとても安定していることだ。

先月から新しいテールピースを試している。
基本的には音も大きくなったし良いのだけれど、木のテールピースの音色は失われたと思っていた。
そのことが一つと、弾いた感じがどんどん固くなって余裕のない状態になったことも気になり、重野さんに相談した結果、新素材のテールガットを本物のガットに換えることにした。テールガットの長さも変わったので単純には比べられないけれど、やはり大きく変化した。音色が少し戻って、懐も深くなり弾きやすくなった。

新素材のテールガットの固い感じはタングステンのそれの傾向に似ている。タングステンのテールガットは10年くらい前に試したことがある。強いのだけれど、楽器の遊びがなくなってぎちぎちになってしまったのですぐ外した。僕の楽器には合わなかった。

僕の不注意やその他のことでかつてないくらい傷だらけにしてしまった楽器もきれいにして頂き、ひどいぐぎぐぎ弾きで毛をばっさり切ってしまった弓も元の状態にして頂いた。
楽器も弓も落ち着かなかったのがしゃんとして安心した。

東京の桜は今日の雨風でだいぶ散ってしまったなぁ。

2012年4月10日 (火)

音楽は知っていた

映画「スターウォーズ エピソード1」を観た。
ジョン・ウィリアムズの音楽はもちろん知っていた。新日フィルにいた時もよく弾いたし、ちょっと前まで都響の音楽教室の定番だった。(実は結構むずかしい、というよりほとんど弾けないところがある)
映像は、テレビだろうか、断片的には見ていた。

劇場の大きなスクリーン、大音響、しかも3Dの「スターウォーズ」、実におもしろかった。あれだけの大風呂敷を広げて見事に成立しているのだもの。宇宙戦争を描いているのに、ストーリーや人間は大昔のままで、そのアンバランスさもこの映画の特色だと思う。ポッドレースの場面なんて映画「ベン・ハー」の有名な戦車競走を絶対イメージしている。
延々と続くエンドロールを見ながら、いったいどれだけの手間をかけて作ったのだろう、と思った。

2012年4月 9日 (月)

たった一箇所


ブルックナーの7番のリハーサルが始まった。
このところ僕にとって雲をつかむようなプログラムが続いていたので、一つ一つの音符がこう弾いて、とか、こっちに行って、とか、あっちに行って、とかはっきり言ってくれるこの曲は楽しい。どうしてもこれだという音色や方向がある。

演奏時間1時間を超える7番の中でシンバルとトライアングルの音が聴こえるのはたった一箇所、緩徐楽章のクライマックスだ。シンバルは本当に一発だけ。今日久しぶりに弾いて、全曲のクライマックスもここにあるような気がした。残りの2つの楽章は残照のようだ。
終楽章には大ユニゾンのグロテスクなところがある。これは、例えば朗々と弾くとかして多少なりともとりつくろった方がいいのか、あるいは醜悪なまま置いておいた方がいいのか、どちらだろう。

サイトウキネンでブルックナーの7番を演奏したのはずいぶん前のことだ。
楽譜はK社のものを使っていた。版による音符の細かな違いが問題になりリハーサルが何度か中断した後、ヨーロッパからのある演奏者が、こんなアメリカの楽譜を使うから問題が起こるんだ、というようなことを言うや否や、アメリカから来ていたブラスの人たちがアメリカ国歌を吹き始めて、外野にいたこちらは、おーやっとるやっとる、と見ていた。
あの頃の松本では宮本さんのオーボエ、ライスターさんのクラリネット、ファースさんのティンパニ、ツェパリッツさんのコントラバスが聴けた。以前のことをよく思い出すのは年をとった証拠か。

昨晩放送されたJ-WAVEのGrowingReedは学生起業家の鶴田浩之さん。21歳だそうだ。
インドを旅した経験や去年の地震の後に取った行動、今という時代について、地に足のついた自分の言葉で喋っていた。何かの的確なセンスを持っているのだと思う。
今の若い世代の音楽家もそうだけれど皆優秀で、ちょっと前のこわもて、はったり、知ったかぶりはもう流行らないらしい。

2012年4月 8日 (日)

かなり頻繁な

昨日のストラヴィンスキー・プログラム、舞台上で何をしていたか冷静に思い出してみると、かなり頻繁な弱音器の付け外し、ピチカート(弦を指ではじく)とアルコ(弦を弓で弾く)のやはりかなり頻繁な持ちかえ(間違えるとあたふたしてギャグのようになる)と、毎度おなじみポンティチェロ(駒の近くを弾く、金属的な音がする)やコル・レーニョ(弓の木の部分も使って弾く)という奏法の弾き分け、もちろん変拍子の勘定・・・。音楽、というより頭を使う煩雑な作業をひたすらしていた、という感じだった。
(我々弦楽器奏者のこうした細かい弾き分けは、実際問題、金管打楽器が炸裂し始めるとたいした意味は持たないような気はする。)

明日からはブルックナーの7番のリハーサル。あまり押さえつけないで伸びやかに弾かせてもらえるといいのだけれど。

2012年4月 7日 (土)

どうやって

朝近所を散歩してから出かけた。

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JR上野駅公園改札は近付くのをためらうほどの混雑だった。
今日の演奏会は東京春音楽祭の一環。明日のワーグナーのオペラで千秋楽だそうだ。

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ユリシーズの1冊目が終わった。読みながら、画面の中のものそれぞれが何かを象徴している中世の絵画のように、様々な意味が言葉や文体に埋めこまれているのだろうとは思っていた。巻末に池内紀さんの「ジョイス語積木箱」という文章があって、これが格好のユリシーズ手引書になっている。なるほどそう読むのか、と教えられるようだった。
ユリシーズの舞台になっているダブリンと、ジョイスがこの作品を書き始めた当時滞在していたトリエステにいつか行ってみたい。

ペトルーシュカと火の鳥を弾き終わって帰宅したら、衛星放送で「フローズンプラネット」という番組を放映していた。http://www.nhk.or.jp/frozen/program/index.html#saihosoTOP
圧倒的な迫力の映像に着替えるのも荷物を片づけるのも忘れて見入ってしまった。いったいどうやって撮ったのだろう、と思う映像の連続だった。BBCの撮影だろうか、抜群のセンスと力強さを持ったカメラだ、すごいなぁ。
次回の放送も是非見よう。

2012年4月 6日 (金)

思い出す

なかなか咲かないと思っていた東京の桜がこの数日のあたたかさで急に開いた。入学式の時期に満開なのは久しぶりのことと思う。
毎年桜が咲くとお世話になった方のことを思い出す。

今のところ挫折することなくユリシーズを読んでいる。
どうしておもしろいのかまだわからない。少なくとも今のところ、劇的な展開がある訳でも宇宙を包含するような深遠な思想が提示される訳でもない。何時間もこの本に没頭する、というよりは細切れの時間に少しずつ読むほうが僕にはあっている。
4分冊の集英社文庫の1冊目がそろそろ終わる。本屋で2冊目を見たらさらに分厚くなっていた、さて。

明日は東京文化会館で本番。上野公園の人出は大変なことになりそうだ。

2012年4月 4日 (水)

もう少しふくよかに

予報どおり、昨日はひどい雨風だった。
ふらふら出かけることはできず、今日から始まったストラヴィンスキーのペトルーシュカと「火の鳥」の譜読みをぐじぐじしていた。

前は要警戒だったストラヴィンスキーの変拍子は、最近すこし楽しくなってきた。インバルの指揮は時々便宜的ではあるけれど、明快だ。
今回の「火の鳥」は1910年版。僕には冗長に感じられるところがあり、よく演奏される短い1919年版の方が凝縮されていて効果的だと思う。どうしてもストラヴィンスキーは打楽器的、打撃的になるので、もう少し音がふくよかになればなぁ。

2012年4月 2日 (月)

立体と平面

映画「ヒューゴの不思議な発明」を観た。
話の展開が安易すぎるような気がしたり詰めが甘いような気がしたりしながらも、あっという間に観終わった。映画はおもしろい。
3Dの映画は初めてだった。普段の眼鏡の上にさらに3D用の黒縁メガネをかけるのはどうにも具合が良くないのだけれど、映像は思いの外臨場感があった。目は疲れた。

見ておもしろくても写真に撮るとおもしろくなくなる被写体があるのは、立体と平面の違いが一つあると思う。両目で見るのと片目で見るのはやはり違う。
さらに技術が発達して写真も当たり前に立体になる時代が来るのだろうか。

僕が小さい頃、たぶん小学生の頃、絵を描く時に実物を見なくても(それを撮った)写真を見ながらだっていいじゃん、と言ったら3歳上の姉に、写真は平面だから(実物と)違う、と返され、うぅむなんだこの人は、とぐうの音も出なかったことを思い出した。

明日は台風並みの大荒れになる、と天気予報が言っている。

2012年4月 1日 (日)

ゆっくり昼を食べてからライカ銀座サロンで開かれているアレックス・マヨーリ写真展「IMAGE AVENUE」へ。http://www.magnumphotos.co.jp/
去年の春は地震の影響で街がひっそりしていたのと対照的に、最近の東京は土日ともなると大変な人出だ。銀座のチャンスセンターには札束ではなく、分厚い、あるいは山のような宝くじの束(いったい何枚なのだろう)を持って換金に並んでいる人が多くいた。僕も時々2枚ずつ買うけれど、ギャンブルとして考えると宝くじはかなり割が悪いはずなので、そのような光景を見ると複雑な思いがする。それだけ時代が閉塞している、ということだろうか。

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