文化会館の天井
東京文化会館の天井はプラネタリウムのように見える。青い色の天井を見ると、シエナの美しいドゥオモを思い出す。
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東京文化会館の天井はプラネタリウムのように見える。青い色の天井を見ると、シエナの美しいドゥオモを思い出す。
大田アプリコの舞台袖、床に写る影がおもしろかったので。
演奏会の予定を少しだけ更新しました。6月21日に大阪で小さな小さな演奏会があります。
昨日の演奏会、多くの方にお越しいただき本当にありがとうございました。
虎の門交響楽団の人たちと遅くまで飲んで深夜に帰宅した。どちらかと言うと普段演奏会の後はぐっすり眠れるのだけれど、明け方空が白んできてもなかなか寝付けなかった。
今回心がけたことが一つあって、それはできるだけ自然体でいようということだった。
残念ながらもう協奏曲を毎日6時間も8時間もさらえる年ではない。実際今までそうしてきたのだけれど、本番当日体は疲れ切っているし心は一突きで爆発しそうな腫れものになっているし、それはあまり良い状態ではないような気がしていた。ただ、そうは言っても本番数日前にのんびりしているのはちょっと不安だった。
本番の舞台にはとてもいい流れがあったと思う。楽しかったなぁ、この感じを忘れないようにしよう。
エルガーを弾き終わって、虎響の人たちが演奏するブラームスの2番やニムロッドを聴きながら、音楽は本当に素晴らしいと思った。皆さんのひたむきな姿勢に心打たれ、なぜ何のために音楽をするのか教えられるようだった。
誰かから与えられたかのような時間だった。深く感謝します。
自分が協奏曲の本番を控えているからだと思う、今回のメネセスほど都響に来るソリストの背中が大きく遠く見えたことはなかった。
都響の演奏会が月曜日、エルガーを弾くのが金曜日、泥縄以外の何物でもないのだけれど、僕としてはかなり根本まで戻ってチェロを弾くことを見直した。でも今朝になっても当然なかなか思うようにならないので、少々ふさぎこんでしまった。
それがたまたま、知っている方が生まれて数カ月のお子さんを連れているのに会い、なぜだか元気になった。子供は偉大だ。エルガーの協奏曲の最後の方にも、小さい命を慈しむようなところがある。
夜は虎の門交響楽団と通し稽古をして、さぁ明日本番。
14年前の夏、初めて参加したシエナの講習は2週間ブルネロのクラス、その後メネセスのクラスが2週間あった。
ブルネロのクラスは、最終日グラッパ(しかもブルネロ・ディ・モンタルチーノのグラッパ)を飲んでから、明け方ドメニコ教会下のブランダ泉まで行って全員がずぶぬれになるまで水かけっこをしたくらい、皆親密だった。一方、メネセスのクラスは生徒と先生、生徒同士でも常に一定の距離があって、僕はそのことに戸惑ったのを覚えている。今でもぶきっちょだけれど、昔は本当に人と接するのが下手だった。
あの年、やはりシューマンの協奏曲を習っていて、ブルネロはここでこう弾けと言っていたとかこんな指使いだったとか、どうして君は謝肉祭を知らないんだと言われたこととか、メネセスのクラスの演奏会はキジアナ音楽院の中庭で行われ(通常音楽院内の素晴らしい音響のホールで弾くのだけれど)この協奏曲を弾いたこととか、昨日舞台でその時のことを思い出しながら弾いていた。
今日は一日雨だった。
ちょうどリングになるところで雲に隠れてしまったのだけれど、どうにか金環日食を見ることができた。あの時間、陽の光は弱まり世界は知らない暗さの色になった。昔の人たちはきっと恐れおののいたことだろう。
今日の演奏会のソリストはアントニオ・メネセスでシューマンのチェロ協奏曲。
昨日のリハーサルで彼がオーケストラに向いて弾いた時、意外と音が出てないような気がしたのだけれど、とんでもない、文化会館のステージでは深々と実によく通る音だった。他の楽器の人に、この曲簡単なんだね、と言われてしまった。まいった。うーん、格が違う。それぞれのフレーズの終わる音まで見事だった。チェロはあぁやって弾くんだなぁ。
文化会館大ホールの上手袖には車と巨大な帽子があった。ウィーン・フォルクスオパーの舞台装置だそうだ。
これはもう病気のようなもので、時々、数か月に一度、合理的論理的な必要性なしにカメラが欲しくなる。
物欲というのは、本当にその物が欲しいというより、心のバランスがとれていない時に現れるものだと思っている。ということは僕の心も救いを求めているということか、うーむ。
ペンタックスのK-01
初めて見た時は、どうしてこんなデザイン重視で中途半端なものを出してしまったのだろう、とあきれていたのだけれど、ヨドバシカメラを通る度に触っていたら欲しくなってしまった。僕はころりとした形のものに弱い。冷静に考えれば、この価格帯ならオリンパスやソニー、ニコンを選ぶべきだろうに。
結局手元のカメラやレンズの、あれとこれとそれとあれを手放して40ミリレンズのついたK-01と、かねてから使いたかった21ミリレンズを手に入れた。
これまでのカメラはどうして似たり寄ったりのあの形で、しかも黒だったのだろう。K-01を使ってみて、今までどうしてカメラはこの形じゃなかったのだろうかと思う。使いやすい。もちろん好き嫌いの問題はある、でもデザインをしたマーク・ニューソンは素晴らしいセンスを持っていると思う。
画質は好き。ただし、ゴムでできたグリップが外れやすいことはいただけない。もう一つ、オートフォーカスは遅い。まぁ、あばたもえくぼ、ということにしておこう。
普段35ミリレンズを使っていて、もう少しゆったりしていればと思うことはあった。でもそれを28ミリにしてしまうと僕には遠近感が誇張されすぎる。だから換算32ミリ弱の21ミリレンズは実に心憎い。
とびきり薄い40ミリレンズも面白い。換算60ミリというのは、50ミリではまだ形が歪んでしまうと感じられる時にいいかもしれない。僕の感覚では標準レンズというより望遠だ。
21ミリと40ミリ、この2本のレンズがあれば僕の見ているものほとんどをカバーできるような気がする。
ところで、専用日食グラスも買ったのだけれど明日の天気は大丈夫だろうか。
弓の毛替えと楽器の調整をしに重野さんのところに行ったら、自家製の松脂があった。
もととなる松脂が2種類あり、白っぽく透明感のあるもの、黒いもの、混ぜたもの、それぞれを溶かして固めてある。白いものは音に角があり立っていて明るい。黒は暗めの音色、扱いやすく低い音はとてもいい。タールの中に足を入れているような感じ(実際に入れたことはないけれど)で、弓使いの拙さを少し補ってくれるようだった。
ただし、いろいろ比べてもよほど精密に聴いていないとわからないくらいの音の違いだった。弾けば、手元の感覚なのでよくわかる。
僕は黒い松脂を使わせて頂くことにした。簡単に言えば、原料を溶かして固めたものだ。
市販の松脂はどのように作られているのだろう?何か秘密のレシピがあるのだろうか。それとももしかしてあの値段の大部分は美麗な箱の!?
本棚同様、CDも棚に入りきらなくなり、この頃は買うのを控えるようにしている。
でも、先日試聴して以来気になっていたエンリコ・ディンドの録音を買いに新宿タワーレコードへ出かけた。
売り場が移動していて驚いた。前は9階にジャズと並んであったのに(けっこういい感じだった)、最上階がクラシック専門フロアになっていて、なんだか隅に追いやられたような気がする。でも今や店頭でCDを買うにはタワーレコードが頼みの綱だ。
ディンドの弾くバッハの組曲は、あまり考え込まず、美味い肉を食べていいワインを飲んでふくよかな音で広々歌おうよ、と言っているような気がする。
今日は一つ仕事をしてから広い部屋でさらった。善意の押し売りのようにただ一生懸命弾くのではなく、耳と心と体をもっと開いて弾けないだろうか。
新しい気持ちでさらったら少々くたびれたので、北千住まで出て町を散歩した。通りを一本曲がるだけで迷宮に入りこむような気がする。猫がのびのびしている町はいい。
昨晩弦をゆるめて、今日はチェロを弾かない日。
六本木の富士フィルムスクエアで「ユージン・スミス作品展」を見てから、森山大道さんの「カラー」展へ。
どちらも小さな展示スペースで、もっと点数を見られればと思った。森山さんの写真はやはりおもしろく、見慣れたはずの東京の街が外国のように見えた。
このところ休みの度に雨が降る。でも雨の日に撮れる写真もある、と思おう。
今日はいい演奏会だった。
ブラームスの協奏曲を弾くルケシーニさんを見て、この人は本当に音楽家だと思った。彼と音楽の間に余計なものがなく、真摯に音楽と向き合ってきた時間がそのまま音になっているようだった。
僕の頭の中にはしばらくこの曲が鳴っていそうだ。
明日の演奏会のソリストはアンドレア・ルケシーニさん。彼の演奏は好きだ。大声で何かをアピールすることはないけれど、彼にとって明確なブラームスの音楽があり、それにとても共感したくなる。
僕が20代の後半、毎夏イタリアでブルネロに習っていた頃、ちょうどブルネロとルケシーニ、お二人がシエナのロッツィ劇場でCDのための録音をしていたことを思い出す。ルケシーニさんに会うのはその時以来、演奏をきちんと聴くのは初めてかもしれない。
今日の産経新聞、先日の東京マラソンで日本人1位となった藤原新さんの大きな記事が掲載された。あの時、右足底筋膜炎というけがを抱えていたそうだ。記事から彼の言葉を
『足の裏に太い腱があるんです。去年それを傷め、痛みととともに過ごしていました。昨年12月の福岡国際に出場しなかったのは、そのけがのせいでした』『実際、この症状で引退する人もいれば、半年から1年休む選手もいます』
『実際の痛みもありますが、やっかいなのは、もっとひどくなったらという恐怖心です。その恐怖が痛みを増幅させるんです。しかし、痛みの悪化は1日ごとでは判断がつかない。そこで僕は、1週間単位でけがの状況を計りました。1週間前より良くなっていたら全力で練習していいというマイルールを作った。整形外科の診察なら、痛みがあるうちは走ってはいけないとなるのですが、僕は1週間前より悪化していなければ構わず練習を続けたんです。そうトレーニングするうち、痛みを克服しながら、どんどんスピードを出せるようになりました』
スポーツ選手のけがはよく聞く。僕たち音楽家も残念ながら、腱鞘炎を代表として、体の故障とは無縁ではない。藤原さんは東京マラソンの時、飄々とゴールしたように見えたのだけれど。
レンジャーモンキー3号
銀のバナナ付き
昨日は虎の門交響楽団とエルガーのリハーサルだった。事実上これが最後の練習で、あとは前日に通すだけ。
自分に足りないものを痛切に感じながら弾いていた。早速今日から、かなり本質に関わることだ、少しでも変われるようにさらい始めた。何となく弾けているつもりで本番を迎えるよりずっといいと思う。がんばろう。
ライカ社が新しいカメラを発表した。http://jp.leica-camera.com/photography/m_system/m_monochrom/#product-scroll-me-anchor
なんとモノクロ専用で、しかも噂ではこれまでのM9よりさらに高価になるらしい。うーむ、きっとすごい写真が撮れるに違いない。しかし、僕には縁がなさそう・・・。
一方IKEAもカメラを発表した。http://japan.internet.com/busnews/20120501/7.html
ズームと手ぶれ補正について、冗談のような、でも核心をつく説明がついていて楽しい。
5月4日の日記に画像を追加しました。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-754f.html
今晩放映された「カンブリア宮殿」は富士フィルムの古森重隆さん。http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20120510.html
実に興味深かった。写真フィルムの市場が縮小することを見越して、経営の多角化に成功した。従業員数万人を抱える大企業の大胆な舵取りは見事だと思う。
写真フィルムがなくなりませんように。
4月27日の日記に画像を追加しました。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-a37e.html
アップル社のデザインで斬新だと思ったのは、iPodtouchもiPhoneもストラップを付けないようになっていることだ。
携帯電話を新しく買った時はまずストラップを付ける、というのがマニュアル通りの従来のお作法だったと思う。それはカメラも同じだ。とにかく落とさないということが何より大切な扱い方だから。ストラップを付けられないカメラは、僕の知っている中では、古い古いライカのDⅡくらいだと思う。
ストラップがなければどんなにすっきりするか、とは時々思った。このデザインを実現したアップルはすごいと思う。幸い僕はこれまでiPodを落とすことはなかった。でももし高い所から落としたら、悲惨なことになりそうだ。
都響は明後日からラヴェルのダフニスとクロエが始まるので少し勉強した。
何度か聴いているはずの録音が素晴らしいことにやっと気付いた。ジャン・マルティノン指揮のパリ管。音楽の動きが手にとるように、目に見えるようにわかる。ただ、チェロは大した役割を持たず、全体の中の小さな歯車、というよりは雰囲気をつくるもやもやした何かの一部だろうか。
同じ5月14日の演奏会で楽しみなのは ブラームスの1番のピアノ協奏曲。
スコアを見ながらCDを聴いていたら、ブラームスがどう音楽をつくりたかったのか少しだけわかるような気がした。20歳代の作曲なんて驚くばかりだ。確かに抑えられないむきだしの感情が魅力かもしれない。二短調のこの曲は、主音のレが全曲を通して気持ちいいくらい支配的だ。チェロはそのレを最も多く弾く楽器の一つだと思う。
ピアノ協奏曲といえば、7月にはショスタコーヴィチの2番がある。ピアノとトランペットと弦楽器、という編成の1番の協奏曲はこれまで何度も弾いてきた。2番はようやく、とうとう弾ける。
3月に4番の交響曲を弾いて、ショスタコーヴィチという人がよくわかならくなった。4月に弾いた10番は何か自分を隠しているところがあるような気がするし。
2番のピアノ協奏曲は第2楽章が本当に美しい。この人にしては珍しくひねっていない。終楽章はハノンのパロディが出てきて、どんつくどんつく楽しい。
一昨年の11月に使い始めたiPodtouchは、もちろん最初は音楽プレーヤーとして買ったのだけれど、無線LANに接続する環境さえあればメールもインターネットもすぐ使えるので常に持ち歩くようになった。
残念ながらよく使ったせいか、ちょうど保証期間を過ぎたあたりでアプリケーションを終了させるボタンが駄目になってしまった。最初はぐりぐり押しているとどうにか働いたのが、とうとううんともすんとも反応しなくなったので修理交換した。
日本でもそこここで無線LANの電波が飛んでいる。でも多くはセキュリティがかかっていて勝手には使えない。その点、ヴェトナムは街中ならたいていどこかしらでフリーの電波があった。
日本ももっと無料の無線LAN環境を整備すればいいのに。
昨日の日記、すみませんひどい日本語でした。少し手を入れました。
楽しみにしていたフィルムの現像は、思ったより撮れていなくてしょんぼり。でももう少し撮ったものがあるからそこに期待しよう。
4月27・29日、5月4日の日記に画像を追加しました。
今日も月が大きく見える。
昨日、堺での終演後あわただしく帰京した。
HPACで仕事をして、普段の都響では気付けない僕自身の、足りない所もたくさん知ることができ、それはとても良い経験だった。
テールピースを変えて、組み合わせる弓の印象もずいぶん変わった。楽器は本当に不思議だ。何かが変わると同じ楽器や弓にも新しい可能性を見つけられることがある。
10年以上前に少しだけ弾かせてもらったことのある楽器を、つい先日再び弾かせてもらう機会があった。派手ではないごりっとした強さを持つ素晴らしい楽器の感触は、忘れないようにしよう。
自分の使う道具立てにはどうしても気を使ってしまう。でも一方で「弘法筆を選ばず」という言葉のように、目の前の些事を超えて突き抜けるものを持ちたい、と強く願う。
先週の大阪で撮ったフィルムの現像が明日できてくる。本当に待ち遠しい。春になったからなのかはわからないけれど、今は色が欲しくてカラーフィルムを使っている。もっともデジタルで撮っていればカラーかモノクロかなんて問題にもならないことか。
大阪はおもしろい。堺市民会館の隣には桶屋があり、街中で豹柄の服を着た特に中高年の女性を見ると、おぉ本場に来た、と思った。パリやプラハも素晴らしいだろう、でも遠くないうちに時間をつくって大阪を歩きたい。
カメラマン、渡部さとるさんの今日の日記にこんな文章があった。http://d.hatena.ne.jp/satorw/20120506/1336271095
『風景や物に対する接し方が決まってくれば、後はそれを外国なり地元なり、その時興味があるところに当てはめていけばいいことになる。
僕は「どのように世界を見ているか」がそれぞれの人の大きなテーマでありコンセプトとなりうると思っている。』
ゆっくり読んでいると「ユリシーズ」はいつまでたってもらちが明かないので、今月中に読む、という目標を立てた。
今は4分冊の集英社文庫版の3冊目、第14挿話。原文が古い文体で書かれており、訳文も対応して古い日本語の様々なスタイルで書かれている。それを昨日、帰りの新幹線で無理くり読んでいたのだけれど、頭がまったく追いつかずすぐ眠くなった。内容は、それは確かに当時悪徳防止協会から告訴されてしまうものだっただろう思う。
僕の持っている文庫本の奥付には、1冊目の第1刷は2003年9月で、2011年12月に第7刷。2冊目は2010年1月に第3刷、3冊目は2011年2月に第2刷、とある。つまり1冊目を買った多くの人は2冊目以降を読んでいないということだ。
あの凝った古い文体を見ると(訳には大変な創意工夫とご苦労をされたことだろうと存じます)、尻込みしてしまうかもしれない。4冊目はどのくらい版を重ねているだろうか。
再びHPACオーケストラの仕事で西宮へ。リハーサルが終わってから明日の公演地、堺に移動した。
日が暮れるまでにはまだ時間があったので、ホテルで地図をもらってから散歩に出かけた。
思いの外冷たい風が吹いていたけれど、その分空はドラマチックだった。まず港に向かい、旧堺燈台と船を見てから街に戻り、阪堺電軌阪堺線という路面電車に乗った。なかなか来ない路面電車を待つ時間も楽しい。高須神社という停車場で降りて歩き始めた。
普段街を歩く時はいきあたりばったりなのだけれど、堺は散策のモデルコースが整備されていて、それが意外に心地良かったので指示のまま進むことにした。
路地のたたずまいは東京とは違う。カメラを持つと外国にいるような新鮮な気持ちだった。北旅籠町、綾之町、柳之町、九間町、戎之町、櫛屋町、・・・、風情のある町には多くの寺社があり、夕方の光の中静かな道を歩くのは、まるで誰かから贈られたかのような素晴らしい時間だった。
阪急電車の切符を梅田駅で買うと見慣れない「田」の字が印刷される。どうしてだろう?
恵比寿の東京都写真美術館で開かれている「フェリーチェ・ベアトの東洋」展へ。http://syabi.com/contents/exhibition/index-1538.html
およそ150年前、江戸時代末期の写真があんなに多くあるとは思わなかった。当時の風俗がわかるだけでもおもしろい。
日本人の顔も150年の間に変化していることがわかる。驚いたのは体型で、当時の人たちはおそらく小柄で、顔はかなり大きく足は短い。野外の仕事をしている男たちは色黒に見える。
皆こわい顔をして笑顔の写真が一枚もないのは、当時カメラの前でしばらく(もしかして何分か)じっとしていなくてはならなかったからだろうか。