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2012年5月 6日 (日)

突き抜けるものを

今日も月が大きく見える。

昨日、堺での終演後あわただしく帰京した。
HPACで仕事をして、普段の都響では気付けない僕自身の、足りない所もたくさん知ることができ、それはとても良い経験だった。

テールピースを変えて、組み合わせる弓の印象もずいぶん変わった。楽器は本当に不思議だ。何かが変わると同じ楽器や弓にも新しい可能性を見つけられることがある。
10年以上前に少しだけ弾かせてもらったことのある楽器を、つい先日再び弾かせてもらう機会があった。派手ではないごりっとした強さを持つ素晴らしい楽器の感触は、忘れないようにしよう。
自分の使う道具立てにはどうしても気を使ってしまう。でも一方で「弘法筆を選ばず」という言葉のように、目の前の些事を超えて突き抜けるものを持ちたい、と強く願う。

先週の大阪で撮ったフィルムの現像が明日できてくる。本当に待ち遠しい。春になったからなのかはわからないけれど、今は色が欲しくてカラーフィルムを使っている。もっともデジタルで撮っていればカラーかモノクロかなんて問題にもならないことか。
大阪はおもしろい。堺市民会館の隣には桶屋があり、街中で豹柄の服を着た特に中高年の女性を見ると、おぉ本場に来た、と思った。パリやプラハも素晴らしいだろう、でも遠くないうちに時間をつくって大阪を歩きたい。

カメラマン、渡部さとるさんの今日の日記にこんな文章があった。http://d.hatena.ne.jp/satorw/20120506/1336271095
『風景や物に対する接し方が決まってくれば、後はそれを外国なり地元なり、その時興味があるところに当てはめていけばいいことになる。
僕は「どのように世界を見ているか」がそれぞれの人の大きなテーマでありコンセプトとなりうると思っている。』

ゆっくり読んでいると「ユリシーズ」はいつまでたってもらちが明かないので、今月中に読む、という目標を立てた。
今は4分冊の集英社文庫版の3冊目、第14挿話。原文が古い文体で書かれており、訳文も対応して古い日本語の様々なスタイルで書かれている。それを昨日、帰りの新幹線で無理くり読んでいたのだけれど、頭がまったく追いつかずすぐ眠くなった。内容は、それは確かに当時悪徳防止協会から告訴されてしまうものだっただろう思う。
僕の持っている文庫本の奥付には、1冊目の第1刷は2003年9月で、2011年12月に第7刷。2冊目は2010年1月に第3刷、3冊目は2011年2月に第2刷、とある。つまり1冊目を買った多くの人は2冊目以降を読んでいないということだ。
あの凝った古い文体を見ると(訳には大変な創意工夫とご苦労をされたことだろうと存じます)、尻込みしてしまうかもしれない。4冊目はどのくらい版を重ねているだろうか。

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