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2012年6月

2012年6月29日 (金)

写真の日

雑誌「新潮」2012年3月号の特集「創る人52人の2011年日記リレー」は、2011年を1週間ずつ52人で書き継いだ日記。http://www.shinchosha.co.jp/shincho/backnumber/20120207/
写真家杉本博司さんの4月17日の日記にこんな箇所があった。

『・・・1週間分の仕事を検分し、その作品が世に問えるものかを自分に問い、そして失敗作はお蔵入りする。語感からすると「お暗入り」だ。失敗したプリントは、若い頃は捨てていたのだが、今は「お暗入り」する。同じ失敗を繰り返すことが多いので、失敗の見本は貴重だ。作品に成功というものは無い。ただ失敗しないだけだ。自分の失敗に気付かない者は凡庸な作家だ。しかし死後に失敗作が残されるのも問題だ。悟った時に「お暗」に火を放つ。しかし時局読み難し、いわんや悟りをや』

原美術館で開かれている杉本博司「ハダカから被服へ」展へ。http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
大きく美しいプリントに驚いた。どうやったらこんなプリントができるのだろう。
いつもは通ることのできる階段にエルザ・スキャバレリのイヴニングドレスがマネキンに着せて展示してあり、外から差し込む柔らかい光と、ドレスの赤と、マネキンの動きが合わさってはっとするようだった。

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午後は東京都写真美術館の川内倫子展「照度 あめつち 影を見る」へ。http://syabi.com/contents/exhibition/index-1593.html
動画が思いもかけずよかった。建物の外に出ると世界が違って見えるようだった。朝はぶ厚い雲に覆われていたのに、いつのまにか光のあふれる青空になっていた。川内さんの映像に影響されて、きらきらするもの移ろいゆくものに目がいってしまう。

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その「新潮」の特集、3月11日はやはり写真家の石川直樹さん。こう締めくくられている。
『こうしてあの日が過ぎていき、ぼくはその後の世界へと入っていくことになった。』

2012年6月27日 (水)

「ある出稼石工の回想」


先日チェロの佐藤君とよもやま話をしていた時、話題がフランスのことになり、巨大なノートルダム寺院の建設にはいったいどのくらい多くの人間が関わったのだろう、と言ったら、マルタン・ナド著「ある出稼石工の回想」という岩波文庫を教えてくれた。
この1997年に出版された本はすでに絶版。読んでみたくて神田の古書店街に出かけた。

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神田の古本屋に入るのは初めて。書店ごとに得意分野が分かれていて、平日昼間というのに活気があり驚いた。興味のある人にとっては宝の山なのだと思う。ほこりっぽい古本のにおいに鼻をむずむずさせながら、何軒目かで目当ての本を見つけた。

その後向かった銀座には大きな「お父さん」と

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猫がいた。

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2012年6月26日 (火)

時々ぴったりはまった

先日の旅行には、実はフィルムのカメラを持っていくかどうか少し考えた。デジタルの方が圧倒的に便利で枚数も気にしないで撮れるのだけれど、フィルムは時々ぴったりとはまった写真が撮れる。その感覚はデジタルにはないと思う。
結果的にデジタルカメラを持って行って、それは正解だった。でもフィルムで撮るのも楽しい。現像があがってくるまで待つことや、それを開けてみる時のわくわくする感覚、そして諧調のなめらかな感じはやはり好きだ。

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新宿のヨドバシカメラに、ニコンの最新のデジタルカメラで撮った横浜の夜景の大きなプリントが掲げられていて、それはもう人間の眼の解像度を超えているようだ。一つ一つの窓や灯りが隅々までくっきり写っていて、かえって現実には見えない。もちろんそれは当然進むべき方向だと思う。
でも最近のデジタルカメラには、なんとかフィルターとか、なんとかエフェクトとか、画像を加工する機能がよくついている。これはもはやカメラが写りすぎることへの反動だろうか。

このところ僕としてはばたばたしていて、今日仕事から帰ったらくったりふにゃふにゃになってしまった。

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2012年6月24日 (日)

6人でなくては

昨日撮った写真は、今年の暮に行われるコントラバス六重奏の演奏会のためのものだった。どうして四重奏ではなくて六重奏なのだろう、と思ったけれど、確かに6人でなくては撮れない写真があった。これは池松さんのアイデア勝ち。

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2012年6月23日 (土)

心と体の両方が

昨晩はブルネロが弾き振りする紀尾井シンフォニエッタを聴きに行った。
1曲目のレスピーギの第3組曲を聴きながら、彼が初めて紀尾井に来た時のことを思い出した。あの時も第3組曲はプログラムに入っていて、ブルネロは、この曲の冒頭は朝、窓を開けたら外の爽やかな空気が入ってくる感じで、と言った。当時僕を含めて何人かの人が仙川に住んでいて、僕たちの生活ではもし窓を開けると甲州街道の排気ガスが部屋に入ってきてしまう、と飲み会の席で彼に言ったのだった。

久しぶりにブルネロの弾く姿を見て、こんなに美しい弓使いだったかと驚いた。体もとても柔らかい。
ボッケリーニの協奏曲はもちろん、ソリマの「イタリアへの旅」も期待通りおもしろかった。チェリストの書いた曲はやはりチェロが活き活きする。
後半のプルチネルラを聴いて、またストラヴィンスキーのイタリア組曲が弾きたくなった。

正直なことを言えば、指揮よりも彼のチェロの音が聴きたくなる。昨日のチェロのアンコールは1曲、今日の公演では2曲あったそうだ。ちょっとうらやましい。

先日の庄司さんを見てもそう感じたのだけれど、ブルネロの音や姿に接して、聴衆に演奏が届くためには心と体の両方が開いていることが必要と思った。普通の人間には楽器を演奏することは難しく、どうしても意識が固まったり狭まったりしやすい。心と体が解放されているときっと演奏も伸びやかになる。

今日の夜は写真撮影。
帰り道の駅で、おそらくアマチュアだろう、チェロを担いだ女性が左手の指で楽器をぱたぱたしながら楽しそうに歩いているのを見かけた。それはそうだ、だってチェロを弾くのは楽しいもの。

2012年6月22日 (金)

昨日6月21日大阪での演奏会、あいにくの天気の中多くの方々にお越しいただき本当にありがとうございました。

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良い流れで自由に弾けたと思う。
思いもかけず懐かしい方たちに会え、遅くまで旧交をあたためた。楽しかったなぁ。

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今日午前中の新幹線で雨雲を追いかけるように帰京。夜は紀尾井ホールへ。

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2012年6月19日 (火)

無事に

今日は午前中からピアノの原さんと練習をしていた。昼を過ぎるとあっという間に部屋が湿気で満たされた。台風の力はすごい。
その原さんが教えてくれたのが、とても若い時のデュ・プレが弾くアレグロ・アパショナート。本当に若い、けろりと弾いている感じだ。
http://www.youtube.com/watch?v=sdLn8zNB53g
昨晩見たらいろいろ影響されて、ピアノと実際に合わせると右往左往してしまった。うーむ。

夜は雨風がどんどん強くなる中、都響の本番。いい演奏会だったと思う。(個人的な反省は、ある。)
東京文化会館に来て下さった方たちは皆無事に帰宅されただろうか。

2012年6月18日 (月)

とても自然に

サントリーホールの舞台で庄司さんの後姿を見て、ヴァイオリンを弾いている時と弾かないで立っている時と、背中の感じが同じことに驚いた。とても自然にヴァイオリンを弾いているということだろうか、楽器はあぁやって弾くんだなぁ。
今日の演奏会は楽しかったけれど、分量もたくさんあった。さて明日もう一回。

2012年6月17日 (日)

予測のできない

映画「メンインブラック3」を観た。ユーモアのセンスが抜群であっという間に終わってしまった。
こういう宇宙戦争ものは、スターウォーズのように大風呂敷を広げてそれを徹底的に描くか、ギャグにしてしまうか、どちらかと思う。中途半端だと見ているこちらがいたたまれなくなる。

ユリシーズは旅行に出かける前に読み終わっていた。集英社文庫版の4冊目には丸谷才一さん、池澤夏樹さんの解説があり、なるほどこう読むのかと思った。
もしかして本文より多いのではないかと思われる訳注に頻繁に足を止めながら時としてかなり難渋しながら読んだ、劇的な展開はどこにもない猥雑で冗談ばかりの小説だった。でもこんな小説があるんだと思った。自分の狭い世界から見通しの良い高台に連れて行ってくれるようだった。
ユリシーズを読み終わってから他の人の文章を読むと、あの冗談は必要なものだとわかる。たとえ文学と言っても人生はがっぷり四つに組むには、普通の人間には、重すぎるのだと思う。

旅行中に読んだのはポール・オースターの「トゥルー・ストーリーズ」。若きオースターがユリシーズに影響されてダブリンに行ったことや、彼がフランスとアメリカを行き来した頃の不思議な話しがおもしろかった。
今はホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編集「砂の本」。毎日少しずつ少しずつ読んでいる。

バルトークのオーケストラのための協奏曲は、これまで何度か弾いているはずなのだけれど、初めて弾くように新鮮でおもしろい。西洋音楽のフレーズは4小節や8小節が基本だ。その長さをバルトークは巧みに変化させて(見事な手腕だ)、音楽に予測のできない何かをもたらしていると思う。明日から2日間本番。

2012年6月16日 (土)

ヴァイオリンを弾く姿


今度の都響定期演奏会のソリストは庄司紗矢香さんでシマノフスキーの1番。彼女がヴァイオリンを弾く姿にはいつも感心する。なんと言えばいいのだろう、自分の出している音や、している音楽を見事にとらえながら弾いている感じがする。
僕は昨日都響のリハーサルが終わってから、来週大阪で弾く曲をピアニストと練習した。自分のぎこちなさを嘆いたばかりだった。

2012年6月14日 (木)

次々と浮かび上がって

明日から大野和士さんの指揮する定期演奏会のリハーサルが始まる。
バルトークのオーケストラのための協奏曲も、シェーンベルクの浄夜も、桐朋の学生オーケストラで弾いた曲だ。その時よく聴いて勉強したCDをまた聴き直すと、昔わからなかったことや気付かなかったことが次々と浮かび上がって来ておもしろい(バルトークはメータ指揮のベルリンフィル、浄夜はオルフェウス)。うーん、なるほどと感心したくなる音楽の作り方や職人技がいくつもあった。

夕刊の記事から

買い物目当ての旅行ではなかったけれど、日本にも入っているいくつかのブランドの同じ商品の値札には、噴飯もの、あるいはちゃぶ台をひっくり返したくなるような値段がついているものがあった。
このヨーロッパと日本の価格差は今の情報社会にそぐわない、と思っていたら6月9日日経新聞夕刊1面に「ユーロ安じわり値下げ」という記事が載った。いくつかのブランドや小売店での値下げの動きが紹介された後、あるエコノミストの「欧州からの輸入品はユーロ建て決済の割合が3割弱」という指摘があった。うーむ。

同じ日経夕刊の連載、6月13日の読書日記は女優の片桐はいりさん。「何をかくそう、わたしも映画館のまわし者である。20代のころ映画館でもぎり嬢を7年つとめた」で始まる、荒島晃宏著「映画館のまわし者」を紹介する彼女の文章はおもしろい。

2012年6月12日 (火)

こちらの心まで

パリの何が良かったのかと聞かれれば、その空気だったのだと思う。人々は感情を露わにし、それぞれの流儀で動き、思い思いの格好でそれぞれの言葉を話している。こちらの心まで解き放たれるようだった。

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街中にカフェがあり、たくさんの人たちがカフェにいる。人間同士の触れ合い、付き合いは濃く、そういう意味ではとてもシンプルな国だと思った。子供や若者も多い。

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17年前初めて行ったフランスで、モンペリエからジュネーヴまでTGV(フランス版新幹線)に乗った。途中、駅ではないところでなぜか停止し、フランス語のアナウンスがあり、皆車両から降りた。僕は今一つ事情が飲み込めず、周囲のフランス人に片言の英語で尋ねても答えてくれない。ようやく教えてくれたイタリア人によると、車内に爆発物があるかもしれない、ということだった。
当時フランスは太平洋で水爆実験をしていて、それに対し環境保護団体が強硬な反対運動をしていた、そのことに関係があったのかもしれない。
とにかく非常事態に外国人に英語で教えてくれないなんて、ひどい人たちだとその時思った。

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実は今回のパリ行きにあたり、一念発起してフランス語の勉強を始めた。NHKラジオのフランス語講座。4月から始めたばかりで本当にたかが知れているのだけれど、ずいぶん世界が広がる感じがした。少し触れてみて、確かにこの言葉をしゃべっている人たちは英語をあまりしゃべりたくないかもしれない、と思った。
果たして、覚えたてかじりたてのフランス語を話してみると、すぐフランス語で「*#%¥~+&$!?」と返されるか、発音を直されるかして、うろたえるばかりだった。

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薄暗くきれいとは言えない地下鉄は、被写体としても魅力的だった。ぼんやりとしていてはまずい、と感じさせる雰囲気がある。
地下鉄の素晴らしい音楽家(オーディションがあるそうだ)の演奏は何人か耳に入ってきたし、おそらくもぐりでギターやアコーディオンを弾く人たちもいた。

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街を歩いて楽しい理由の一つに色使いの美しさがあると思う。教会のステンドグラスの色彩が大本にあるのだろうか。

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パリは一つ一つの通りが個性的で、生活感にあふれ、その上歴史を感じさせるから街を歩くのが楽しく無いわけがない。全ての路地をくまなく歩いてみたくなる魅力があった。
6泊の日程の中で1日くらい遠出を、と思っていたのだけれど、結局ずっと中心部にいた。1週間足が棒になるまで歩いても、パリの表面をかすったことにもならない感じがした。

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パリで売っているものの多くは東京でも買える。でもあの空気は持って来れそうにない。(時々ある臭いをともなっていたけれど)
また訪れることがありますように。

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2012年6月10日 (日)

6月2日(土)快晴


6月2日(土)快晴
昨晩日付が変わる頃から路上で誰かが大音量の音楽(どんつくどんつく)と共に騒ぎ始め、幸い安眠は妨げられなかったけれど、朝8時頃まで元気に騒いでいた。金曜日の夜はいつもこうなのか、とにかくすごいエネルギーだった。
パリ最終日の朝、飛行機雲が羽ばたく鳥のように見えた。

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荷造りしてから出かける。ヴァンドーム広場を横目に見ながらパッサージュ・ショワソルへ。

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昨日行ったパッサージュと違い、清潔だけれど味気なかった。そのままプティ・シャン通りを歩いて、手荷物チェックを受けてからギャラリー・コルベールへ。
明るく整然としていて中では授業をしていた。パリは混沌、雑然としているように見える。でもここは知的な感じだった。
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土曜日のパリはゆったりしていていい。
平日の朝、道路はクラクションが鳴り止まず殺気だち、地下鉄の乗り換えは皆飛ぶような速さで歩く。カフェでは憮然とコーヒーを飲み、どうにか仕事に行く踏ん切りを付けているように見える。

プティ・シャン通りを挟んで、ギャラリー・コルベールの反対側もおもしろい場所だった。空間を実に上手く使った高級靴店や眼鏡のフレームを手作りしている工房があった。

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それからギャラリー・ヴィヴィエンヌへ。ここは素敵なパッサージュだった。入り口に落ち着いた雰囲気のレストランがあり、中の床はモザイクが施されている。ブティック、レストラン、おもちゃ屋などがあり、昼は左手に曲がったところにある店で食べた。ガラス屋根から差し込む自然光が柔らかく、残り数時間となったパリ滞在を惜しんだ。料理はもちろん美味しかった。

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すっかり日が高くなり暑くなった路を歩いてホテルまで戻る。
空港へ向かうため呼んでもらったタクシーから、ちんちくりんの運転手が降りてきてあれま、と思ったら、果たして車内はゴミだらけ、エアコンなし、シートベルトも一部不能、車はまっすぐ走らず、常に小刻みに加減速するタクシーだった。まぁ一応安全運転のようだったので、これも旅ということにしよう。
行きに乗ったタクシーの若い運転手は、ずっとiPhoneをいじっていたけれど、すぅっとスムーズな運転で彼が素晴らしかったことがわかった。チップをはずんであげれば良かったなぁ。

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帰りの飛行機の機内食はいつもの機内食だった。行きはどうして良かったのだろう、日本で調理した食材を積むからだろうか。
わずか半日ほどの飛行で日本に戻ってきた。パリにいたことが夢のようだ。

2012年6月 9日 (土)

6月1日(金)曇り時々晴れ

6月1日(金)曇り時々晴れ
今朝はメトロ12番線に乗り、アベス下車。

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落書きだらけの階段を延々上がるとそこはモンマルトル。広場では歯を磨いている人(おそらく家の無い人)に出くわし、これまでのパリとは違うと感じた。

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まず床が木造のサン・シャン・ド・モンマルトル教会に入り、

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それからサクレ・クール寺院を目指す。
モンマルトルは道が曲がっている上に起伏が激しいので、地図を見ても現在地がわかりにくい。シエナのようだ。

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茶色い人は、おそらく大道芸人。微動だにしない。バケツにお金を入れても微動だにしない。昨日オペラ駅で観た銀色の人はお金が入る度にポーズを変えたのだけれど。それとも人間ではなくて人形だろうか。新手の詐欺か。

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サン・ピエール・ド・モンマルトル教会に入ってからようやくサクレ・クールに到着。まず6ユーロ払ってドームに登る。とにかく汚い。ハト糞だらけで、掃除は当分していないだろう、という感じ。かつて経験したことない狭い螺旋階段を昇って上へ。もともと高いところにある高い建物だからパリ中がよく見渡せる。

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ドームから降りて寺院の中へ。儀式の最中だった。
それからブドウ畑を目指す。途中パリに来て初めて猫に会う。

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ラデの風車、壁を抜ける男、アトリエ洗濯船跡、ジュテームの壁、つまり定番の観光スポットを見て、再び落書きだらけの階段を降りてメトロへ。

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この距離感はパリならでは!?

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今度はマドレーヌ寺院へ。ここは開いている時間が短い。やはり儀式をしていて、外は車やバイクがクラクションを鳴らして走り回り騒がしいのに、中はまったく別の世界だった。

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午後もう一度行ったギャラリー・ラファイエットで屋上に上がる階段を発見。
穴場だった。デパート自体はバーゲンをしているのか、うんざりするような人混みだったけれど、屋上は広々と空いていて、見晴らしも良い。パンテオン、ルーブル、エッフェル塔、さきほどのサクレ・クールが見える。

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人々が思い思いに過ごしている姿がよかった。凱旋門の上もそうだったけれど、手すりが低いのも見晴らしの良さにつながっていると思う。危険かどうかは自分で判断して、ということだろうか。
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実にベレー帽の似合う、まさに画家。

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そこからオスマン大通りを歩いてパッサージュ・フロワへ。パッサージュを北上して突き当たったところにショパン・ホテルがあった。そのままパッサージュ・ヴェルドーへ。古書、刺繍専門店がある。それからパッサージュ・デ・パノラマへ。レストランと切手の店が印象的だった。

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パリでおもしろいと思ったことの一つに、大手のチェーン店が少なく、個人経営の店が多いことがある。パッサージュの中も小さく個性的な店が多く、この雰囲気は好きだったのだけれど、お客は少ない気がした。商売をするのはなかなか難しいのだろうか。

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今日は18,616歩。

2012年6月 7日 (木)

5月31日(木)曇り晴れ

5月31日(木)曇り晴れ
雨で昨晩はひんやり。
テュイルリー公園を横切ってルーヴル美術館へ。混雑を避けられるというライオン門から入る。意気揚々と開館前に着いたのに、チケットオフィスが時間になっても開かない。中で職員がごそごそしている、やれやれ、ここはフランスだ。様々な美術館や教会などに入れるミュージアムパスを持つ方がいいらしい。あれは値段うんぬんより時間を買うものだったのだ。

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まずモナ・リザへ。防弾ガラスに守られた名画の小ささには驚かなかったけれど、その顔色は中年男性のように見えた。混む前に有名どころを見るべくミロのヴィーナスに行ったら、東洋人の集団が(僕も東洋人だけれど)周りを押しのけ延々と入れ替わり立ち替わり記念写真を撮っているので、さすがに僕は怒ってしまった。

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8年前パリに来たときは、東洋人と見るとそれは日本人だったように思う。今回驚いたのは日本人の少なさと、中国人らしい人たちの多さとそのパワフルさだ。これがそれぞれの国の今の勢いだろうか。

それからリシュリュー翼の2階へ。うってかわってここは静か、ゆっくり絵を見る人ばかりのようだった。クラナッハ、ホルバイン、ファン・エイク、フェルメール、ゴヤ、レンブラント、・・・、中世の宗教画、どれも素晴らしかった。
各所で子供向けのプログラムが行われていた。音楽を浴びるように聴いてきたように、絵もまず浴びるように見るべきかもしれない。しかもそのスタートがルーヴル美術館だとしたら羨ましいかぎりだ。僕はこれまでそれなりに美術館に行ってきた。でももっと若い時にこの美術館を訪れていたら、と思う。

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午前中だけでぐったり疲れて昼ご飯。1階のカフェ・リシュリューへ。食事もコーヒーも美味しかったし、大きなモンブランも忘れがたくよかった。外側の栗の感じが、恵那や中津川の栗菓子の上品な味ととてもよく似ていた。
昼食後はマルリーの中庭、ピュジェの中庭で彫刻を見る。空間を巧みに使った展示に感心するばかりだった。彫刻は理屈抜きに楽しい。

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フランスの古い彫刻にぞっとしてから、ハムラビ法典へ。「目には目を」が彫ってあるあれだ。背面にもびっしり楔型文字があった。
それからようやく中央部のピラミッド下に行ったら、大変な人出と反響する声と暑さに退散した。ピラミッド下にある売店は広いスペースで美術書をたくさん扱っていた。

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その後ドゥノン翼へ。
最初飛ばして見た19世紀フランス絵画の大作を見る。日本ではあまり見たことのないような大きな絵がどかんどかんと置いてある。しかも、絵の前にはガラスもかけられず、自然光の差し込む明るいスペースで見られる。どうして日本の美術館は薄暗い照明で、しかもきっちりガラスで覆ってしまうのだろう。そしてここにはペンだったり絵具だったり、模写をしている人たちもいる。 美術館はこんなに自由でいいんだと思った。

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再び中世のイタリア絵画に到達した頃、モナ・リザ前は大変な混雑で始終あちこちでアラームが鳴っていた。人の多さに辟易して退出しようとしたら、ライオン門手前のプリミティヴアート部門に気付いた。

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ここが滅法おもしろかった。小さなものから巨大なものまで、なぜか親近感のわくものが多かった。

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ルーヴルの展示は、多くの絵画は、日本の感覚からするとかなり高い位置に掲げられていて、小柄な人だと首が疲れてしまうかもしれない。それは洋服屋でも同じで、商品はやはり高いところにかけてある。
美術鑑賞も体力勝負脚力勝負、まるで壁に名画の飾ってある長大な迷路を歩くようだった。もちろん見られなかった場所はたくさんある。また来よう。

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再びテュイルリー公園を経て金色のジャンヌ・ダルク像のあるところに出たら、また交通事故の現場だった。
一休みして買い物に出かける。オペラ駅前のカンペール(靴店)に入ったら、日本の半額くらいでびっくり。それからギャラリー・ラファイエット(大きなデパート)へ。なんと立派な天井のステンドグラス、地上階には有名ブランドの化粧品がぎっしり。

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僕は旅先では四の五の言わず現地のものを食べるようにしている。しかしなんとも情けないことに、炒め物の匂いに強くひかれて入ったギャラリー・ラファイエット6階の中華のコーン入り玉子スープは、あぁ五臓六腑にしみ渡る。
建物を降りていく時に買ったピエール・エルメのマカロンは、ふわっと香りが立ち昇りさくさくとしてしかもジューシー、僕の知らない味だった。
オペラ駅前には全身銀色の大道芸人がいた。

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強烈な西日の下、ホテルに戻る。今日は19、857歩。

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2012年6月 6日 (水)

5月30日(水)快晴

5月30日(水)快晴
14番線でシャトレへ、4番線に乗り換えシテ下車。

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3度目の正直、拍子抜けするくらいあっさりノートルダム大聖堂に入れた。
中に入って椅子に座ったら周りをぎっちりイタリア人観光客のグループに囲まれ、イタリア人ガイドの大きな身振り手振り付きイタリア語解説を一緒に聞いた。ちんぷんかんぷん、でもなんだか楽しかった。
この教会の巨大な空間は特別な感じだ。

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アルコル橋を渡ってシテ島を出る。パリ市庁舎前の噴水を見てから

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サン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会へ。修復中でちょっとほこりっぽい。

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人はほとんどおらず静かでよかった。サント・シャペルやノートルダムのような豪華なステンドグラスではないけれど、床に写る影がとても美しかった。

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この教会にはクープランの弾いたオルガンがある。

マレ地区へ。フラン・ブルジョワ通りを歩く。このショッピング・ストリートではいくつも店に入って、店員の巧みな接客や素敵な笑顔に会ったり、不機嫌に遭遇したり。 人懐っこさがおもしろい。
カルナヴァル博物館の中庭を見てヴォージュ広場、美術系のギャラリーの多い地区を経てバスティーユ駅で1番線に乗る。ここのホームからは外が見え、丸の内線のようだ。

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5月のパリは夜の9時でも明るい。夕方パレロワイヤルの中庭に行く。高さの違うしましまのオブジェを見たかったのだ。実物は想像したほどではなく、雨が降り出したこともあって早々に退散する。大粒の雨だった。こちらに来て初めての雨だ。ほこりっぽいのが少しおさまるだろうか。     今日は14、919歩。

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2012年6月 5日 (火)

5月29日(火)快晴

5月29日(火)快晴
ヴァンドーム広場手前の教会に入ってから(中はひっそりとして都会のエアポケットのようだった)地下鉄でシテ島に向かう。

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ノートルダム大聖堂の塔に昇ろうとしたら10時前ですでに長い列。今日も並ぶことにする。

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1時間待ってからすりへった(数百年の人の足の摩擦!)螺旋階段を登ると、パリを見守る有名なキマイラに会える。

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上がったら再び狭いスペースで待たされ(かなり高い場所に1時間くらいいた。高所恐怖症気味の僕は手にずっと汗をかいていた。)

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大きな鐘をみてから(ごつい木造の構造に支えられている)非常に狭い階段を経てとうとう大聖堂のてっぺんへ。なんとまぁ、待った甲斐はあったというものでしょう。パリの街は白い。

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フィレンツェやシエナの街は、上から見ると煉瓦色だったのととても対照的だ。
上からは聖堂に入る人の長蛇の列が見えた。

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今日もノートルダム大聖堂の中に入ることは断念してサン・ルイ島へ向かう。その途中、見たことのない楽器から哀しい旋律が流れていて、思わず足を止めた。聞くと、ウクライナの楽器でバンドゥーラというそうだ。右手で旋律、左手でバスを弾き、しかも右手の裏には7つのレバーがあってハープのように半音変化させることができるそうだ。
今回は音楽なしの旅行のはずが、2時間高いところにいてささくれた心に音がしみこんだ。

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サン・ルイ島は落ち着いた雰囲気でゆっくり歩くことができた。

それからカルチエ・ラタンに向かう。途中何気なく入った教会ではオルガンとオーボエの練習をしていて、やはり音楽なしではいけないということだろうか。少し道に迷ってからパンテオンへ。

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8年前に来た時は入場料はとられなかった記憶があるのだけれど、8.5ユーロ払って中へ。中はひんやりしている。振り子は8年前と同じように動いていて、しかも目盛りをみると時計としてかなり正確な時間を示していた。振り子はいつまででも見ていられそうだった。地下へ。もともとパンテオン自体かなりひんやりしているのだけれど、地下の墓所は心まで冷えるようなただならぬ涼しさだった。

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カフェで一休みしてからリュクサンブール公園へ。8年前よりずっと人が多くてびっくりした。木陰では多くの人が昼寝、読書。暑い日向でも皆平気でベンチに座っている。外のがさがさした感じからは考えられないほどゆったりした空間だった。

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目撃したことを二つ。確かエコル通りを歩いているとき、やたら前部の壊れた車が駐車してある(パリの車は汚く傷だらけで、一面に落書きがあったり、外れかけたバンパーやミラーがガムテープでとめたりしてある)ので、ヘッドライトが割れても直さないんだな、と思ったら前輪がパンクしていて、車同士の事故の直後だった。
オペラ駅の前で、パトカーと少しの人だかりが見えたら、若者が一人後ろ手に手錠をかけられていた。手錠をかけられている現場は日本では見たことがなかった。

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今日は16、372歩。

5月28日(月)快晴

5月28日(月)快晴
昨晩はサッカー、フランス対アイスランドの試合をやっていた(3対2でフランスの逆転勝ち)せいか、夜通し路上で騒いでいる輩がいて何度か起こされた。
朝はまだ肌寒い。メトロ(地下鉄)の回数券を買って、8番線の陸軍学校駅で降り、エッフェル塔へ。

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これまでパリに3度来て、でもそれはいつもチェロと一緒で観光はあまりしなかった。4回目の今回、一人のおのぼりとして正しく観光名所を回ることにした。
僕は小学生の時から物事に対して斜に構える人生を送ってきた。もうとっくに手遅れなのだけれど、40歳を過ぎた今素直になろうと思う。何なら土産物店で売っている「I LOVE PARIS」Tシャツを着てもいいくらいだ。

エッフェル塔に昇るには朝9時過ぎの時点ですでに2時間待ち、と言われ早速断念する。イエナ橋を渡ってシャイヨー宮へ。ここからの眺めは良かった。

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トロカデロから6番線に乗って凱旋門へ。凱旋門の中には螺旋階段がある。

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エッフェル塔も凱旋門も遠くから見たことはあっても昇ったことはなかった。凱旋門の上からは放射状に伸びる道が見え、パリ360度のパノラマが広がる。

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それからシャンゼリゼ大通りを散歩。
途中にルイ・ヴィトンの大きな店舗があって、そのショーウィンドウの展示に感心した。グロテスクになる2歩前くらいで止めてあるそのセンスがおもしろい。

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昼はシャンゼリゼの歩道に出ているレオンというレストランに入る。サーモンフライを頼んだ後で、周りの人たちがほとんどすべてムール貝を食べているのに気づいた。しまった、そもそもレオンのムール貝はお勧め、と聞いていたのに。それにしても皆バケツのような貝殻入れを前にして黙々と食べている。

ホテルで少し休んでからヴァンドーム広場を通り

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メトロに乗ってシテ島のサント・シャペル教会へ。チケットを買うのにずいぶん待たされた。中は圧巻だった。言葉がない。ステンドグラスの色に包まれて、教会をつくった人々の執念を感じた。

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それからノートルダム大聖堂へ、長蛇の列で驚いた。8年前の春に来たときはすんなり入れたのに。観光客が増えたのだろうか。今日はここで終了。

ホテルに戻ったらなぜかバスルームで水の滴る音がする。どうやら上の部屋でシャワーを使うと水漏れして、最初は換気扇から、やがて壁と鏡一面に水が伝い始めた。やれやれ、道理で換気扇が動かないはずだ。部屋を変えてもらう。
僕の旅は昔からトラブルが多い。今回は成田へもパリへもするする行けてなんだかおかしい、と思っていたらこれだ。よし本調子。
携帯電話の歩数計によると、今日は19、784歩。


2012年6月 4日 (月)

5月27日(日)

エルガーを弾き終わって朝帰りし、昨日は1日ばたばた用意をして、昼の飛行機に乗った。外国へ行くときはいつも、準備しきれない感じが残る。

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もちろん僕はANAの機内で始終流される音楽を弾いている訳ではないし、別に航空会社の回し者でもないのだけれど、5年ぶりに乗ったヨーロッパ便の機内が広く(もちろんエコノミークラス。シートの前後の間隔が広いし、4列横に並ぶ場合でも2列ずつで区切ってある。)、トイレも広く、機内食も良くてびっくりした。前回乗ったA社(ANAではない)は座席が狭くて辛かったもの。昔のA社のトイレについては書きたいことがある、でもそれはまたの機会に。

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夕刻パリ着。ホテルにチェックインしてからマドレーヌ寺院、コンコルド広場、セーヌ川を散歩する。思ったより蒸し暑い。

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2012年6月 3日 (日)

帰国

午後の飛行機で帰国。周囲で話される言葉がほとんど理解できるところに戻ってきた。
日本は清潔で無臭で、表情の下に感情を抱え、エレベーターには扉を「閉」めるボタンがある。

2012年6月 1日 (金)

新宿南口

新宿駅南口。それがどうした、と言われそうだけれど「新宿駅」の緑と「ルミネ」の青の対比が美しかったので。

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