心と体の両方が
昨晩はブルネロが弾き振りする紀尾井シンフォニエッタを聴きに行った。
1曲目のレスピーギの第3組曲を聴きながら、彼が初めて紀尾井に来た時のことを思い出した。あの時も第3組曲はプログラムに入っていて、ブルネロは、この曲の冒頭は朝、窓を開けたら外の爽やかな空気が入ってくる感じで、と言った。当時僕を含めて何人かの人が仙川に住んでいて、僕たちの生活ではもし窓を開けると甲州街道の排気ガスが部屋に入ってきてしまう、と飲み会の席で彼に言ったのだった。
久しぶりにブルネロの弾く姿を見て、こんなに美しい弓使いだったかと驚いた。体もとても柔らかい。
ボッケリーニの協奏曲はもちろん、ソリマの「イタリアへの旅」も期待通りおもしろかった。チェリストの書いた曲はやはりチェロが活き活きする。
後半のプルチネルラを聴いて、またストラヴィンスキーのイタリア組曲が弾きたくなった。
正直なことを言えば、指揮よりも彼のチェロの音が聴きたくなる。昨日のチェロのアンコールは1曲、今日の公演では2曲あったそうだ。ちょっとうらやましい。
先日の庄司さんを見てもそう感じたのだけれど、ブルネロの音や姿に接して、聴衆に演奏が届くためには心と体の両方が開いていることが必要と思った。普通の人間には楽器を演奏することは難しく、どうしても意識が固まったり狭まったりしやすい。心と体が解放されているときっと演奏も伸びやかになる。
今日の夜は写真撮影。
帰り道の駅で、おそらくアマチュアだろう、チェロを担いだ女性が左手の指で楽器をぱたぱたしながら楽しそうに歩いているのを見かけた。それはそうだ、だってチェロを弾くのは楽しいもの。
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