手が思い出し始める
今日の都響は川崎でベートーヴェンプログラム、我が家のエアコンはいまだなおらず。
古い演奏会場は空調の効きが良くなく、しかも燕尾服だったから暑いはずなのだけれど、エアコンのこわれた家に住んでいる僕にはそんなに辛くなかった。世の中そう悪いことばかりではない。
秋に高橋さん礒さんとのトリオの演奏会があるので、先日練習をした。久しぶりの室内楽は楽しい。
10年ぶりくらいに弾くブラームスの1番は、― 作曲家が晩年に大きく手を加えた作品だ ― 彼の後期の作品独特の響きを持っていることにようやく気がついた。
明日そのトリオを少しだけ弾いたら、明後日からはリヒャルト・シュトラウスプログラムのリハーサルが始まる。ドン・ファンと「死と変容」。
何度も弾いているはずのドン・ファンは、例によって初めて見る楽譜のようだった。でも2日くらい読んでいると、急に手が思い出し始める。記憶は不思議だ、どうなっているのだろう。
今日思いがけず懐かしい方にお会いすることができた。久しぶりに誰かに会うと、様々な記憶が呼び起こされる。きっと頭のどこかにしまわれていた思い出だ。
写真を撮るとき、画面の隅々まで読み込んでいる訳ではもちろんなくて、印象的な部分しか見ていないのだけれど、実は細部にいたるまで脳のどこかに記憶されているのだろうか、などと考えたりする。
あと少し、頑張ろう。