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2012年10月

2012年10月31日 (水)

ぼんやり

リハーサルから帰ってきて、家でぼんやりした。ぼんやりがしたかった。
それから久しぶりにスキャナーに電源をいれた。写真を撮るばかりでずっと未整理のままたまっていたもの。

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9月12・26日、10月19・24・26日の日記に画像を追加しました。
http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/index.html
http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/index.html

2012年10月30日 (火)

ギャラリー蒼での2回の演奏会、あたたかく親密に聴いていただき本当にありがとうございました。

今月これまでの演奏会は広い会場のどれだけ遠くまで音を飛ばせるか、というところも大事な点だった。でも今日はまったく違う感じで楽しかった。現代曲は辛い面が出てくるかと覚悟はしていたけれど、いい流れがあったと思う。あっという間に終わった。
弾き終わって外に出たら満月が見えた。ふぅ、一息つこう。

明日からはマーラーの4番のリハーサル。

2012年10月28日 (日)

とにかく

笛吹市のアウトリーチで訪れた小学校では演奏後、子供たちと一緒に給食を食べた。
メニューはラーメンや砂肝、栗ごはんまであった。(体の大きな子はラーメンのスープを全部飲んでいたぞ、うぅむなるほどそういうことか)僕が小学生の時、名古屋市の給食に白いご飯が加わったことが画期的だったことを考えると、ずいぶん進んでいる。
5、6年生なんだから、君たちもう少し恥じらいはないのかい?と言いたくなる感じだったけれど、無邪気な元気さは大好きだった。演奏会場まで20分も自転車をこいで来てくれた。僕の子供の頃と重ね合わせた。彼らの30年後はどんなだろう。

夏から読んでいたグロスマン著「人生と運命」は3冊とも読み終わった。ときどきその重さ(物理的な)が嫌になることがあり、そんなときかばんに入れて読んでいたのはフリオ・リャマサーレス著「無声映画のシーン」。日本語版への序の中でこんなことを著者は述べている。

『以前、ポルトガルの作家アントニオ・ロボ・アントゥネスが、想像力とは発酵熟成した記憶にほかならないと言ったが、私も同じ意見である。多くの人が考えているのとは逆に、フィクションは記憶から生まれてくるが、すでにその記憶というのはフィクションの別の形態なのである。』

小中学校の同級生とほとんど30年ぶりに再会して、マンションの2階から飛び降りたことがあったね(当時の僕たちとしては最大級の冒険だった)とか、新任の先生を泣かせたことがあったね、とか僕が覚えていることを言っても、当人は不思議そうな顔をしていた。確かに記憶は、思い出す度に変化していくのかもしれない。

「人生と運命」の後は「カラマーゾフの兄弟」と決めていたのだけれど、ロシアものが続くので(そもそもの難関は登場人物の名前が覚えづらいことだ)、脱線してポール・オースターの「ブルックリン・フォリーズ」を読んだ。笛吹市滞在中の寝不足の原因がこれだった。

今日は午前中から広い部屋でさらった。
今月たくさん弾いてきたさまざまな形の室内楽は、いかに皆の最大公約数をみつけるか、いかに言葉にできない何かの向きと勢いをみつけて導くか、だったと思う。自分勝手にふるまうことは基本的にない。それが無伴奏ときたらまったく一人だから、ちょっと詰めてさらっただけでげっそりしてしまった。

一つおもしろいことを見つけた。10月30日と11月11日のプログラムは同じで、内容と曲順は僕が決めたもの。
1曲目ソリマのラ・テンペスタはソの音で終わり、次のペンデレツキはまったく同じ音の、今度はコル・レーニョで始まる。ペンデレツキのディヴェルティメントは最初の3曲しか弾かず、つまり3曲目のノットゥルノはレ・ラの特殊な重音(ラだけ人工ハーモニクス)で終わり、次のバッハの2番はレ・ファ・ラで始まりレで終わり、最後のリゲティも再び二短調のピチカートで始まる、つまり常に終わった音で次の曲につながるプログラムだった!

まったく意識していなかった。潜在意識がそうさせたのだろうか。もしかして自分は天才か、と勘違いしそうになったけれどむろんそんなことはない。どちらかというと調性感としては驚きのない構成かもしれない・・・。

今日の録音を聴いてひとしきり落ち込んだ。とにかく、明日もがんばろう。

2012年10月27日 (土)

笛吹市での演奏会、多くの方々にお越し頂き本当にありがとうございました。

アウトリーチで訪れた小学校の子供たちも来てくれてとてもうれしかった。彼らに請われるままサインをし、PSP(携帯ゲーム機)の黒いケースにも銀色のペンでぐぎぐぎ書いてしまったけれど、よかったのだろうか!?
先週の川本町も今週の笛吹市も見事な晴天に恵まれ、もしかして僕は雨男ではなかったのではないかと思った。

帰京してから少しさらった。ピアノの高橋多佳子さんは協奏曲の本番の後、徹夜で次の仕事の曲をさらったことがあるそうだ、すごいなぁ。徹夜は無理でも、という気持ちでちょっとがんばった。

2012年10月26日 (金)

昨日のアウトリーチは午前中石和西小学校、夜は地元合唱団とのリハーサル、今朝は富士見小学校、午後はケアハウスで弾いた。

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子供たちは天真爛漫で楽しかった。驚くくらいよく聴いてくれた。
午後訪れたケアハウスは、いつもの曲に加えて坂本九やからたちの花、赤とんぼ、など日本の歌も準備していた。僕たちが演奏するだけでもいいし、もしお年寄りにも歌っていただけたらなおいい、という考えだ。はたして、本当によく歌ってくださった。皆で歌える歌があるのはかけがえのないことだと思う。歌の後、ブラームスのトリオを弾いても(白いアップライトピアノで。なんだかリチャード・クレイダーマン風だ)、よく聴いてくださった。よかったなぁ、忘れられないアウトリーチとなった。ちょっと泣きそうだった。

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笛吹市に来てから、アウトリーチ以外はほとんどトリオの練習か、各自さらっているかだった。今晩は少し早めに切り上げ、温泉に連れていっていただいた。
山ほどいろいろなことを抱えていてしかも体も疲れている時、さらに追い込むのか、それとも体を休めるのか、迷うところではある。今日はゆっくりお風呂に入り疲れをとった。さぁ明日の本番もがんばろう。

2012年10月24日 (水)

空と山の色は

ピアノの高橋多佳子さんとヴァイオリンの礒絵里子さんと僕は血液型が同じ。だからこのピアノトリオは「B型トリオ」。

B型トリオは今日、山梨県笛吹市に入り、外の見える演奏会場で練習をした。暮れていく甲府盆地の空と山の色は、ブラームスにとても合っているようだった。
明日からはまず2日間のアウトリーチ。

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2012年10月23日 (火)

昨日トリオの練習の後、広い部屋で録音しながらソロの曲をさらった。ほとんど白紙なのでアイデアもたくさんあるし、やらなくてはならないこともたくさんある。問題は時間が限られていること。

今度弾くバッハの組曲は2番。さらいながらこの組曲の中のプレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド、メヌエット、ジーグには全て異なる種類の弓使いが割り当てられているのではないかと思った。このことに気付いたら俄然おもしろくなった。
バッハの組曲に関するアンナー・ビルスマのファンタジーあふれる著書のタイトルも「Bach,the Fencing Master(剣の達人、弓使いを剣さばきになぞらえている )」だもの。秘密が目の前にあると、それが秘密だと気付きにくいのかもしれない。

もう10年以上、LS3/5というスピーカーを使っている。イギリスBBC規格のモニタースピーカーで、様々なメーカーから出ていた。僕のはKEF社製のもの。楽しみで聞く音楽というよりは、オーケストラだったら各楽器間のかみ合わせ、ソロや室内楽だったらどんな弓使いか、どこで左手のポジションを変え、どこで何番線を使っているか、そんなことを克明に聴く商売道具だ。
実家にも同じLS3/5があり、でもこちらはロジャース社製。どうしてだかこちらの方がいいような気がずっとしていた。

先日父から突然連絡があり、スピーカーを変えると言う。結局、実家には大振りなスピーカーが鎮座し、ロジャースのLS3/5が僕のところに来て、玉突き式にKEFのLS3/5はよそに行った。
ずっと使っていたKEFは特別バージョンで値段も上のはずなのに(僕は限定特価という宣伝文句に乗せられて買った)、やはりロジャースの方がいい。というよりまるで別物だ。ふわっと軽やかに鳴るし、音に手が触れられそうで、時々その温度感にヤケドしそうになる。(その特別バージョンの外装はピアノブラック仕上げ。これが重く、悪さしていたらしい。)
LS3/5は、多分オーディオ界では古典的な存在で、最新の機器は別世界くらいすごいのかもしれない。でも今の僕にはこれ以上のものはないように思える。

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必要に迫られて仕方なくCDを聴くことが多かったけれど、このスピーカーが来てから、あれこれCDを出してきて口をぽかんと開けながら聞いている。
オスカーピーターソントリオも素晴らしかったし、今日はハイフェッツの若い時の小品集を聴いていた。すごいなぁ、楽器を操る能力も音楽を司る能力も別格だ。僕はチェロを弾くひとつひとつのことをもう一度根本的に見直そう。

2012年10月21日 (日)

憧れ

昨夜広島からの最終便で帰京。
僕たちが楽器を持って機内に入ったら客室乗務員の方々にあれこれ聞かれ、こちらもかくかくしかじか答えた。おもしろかったのは「何曲弾いたのですか?」という問いに「3曲です」と答えたら、彼女が目を丸くしていたこと。すぐ「1曲が長いんですね」とフォローしてくださったけれど。

収録は、僕たちはできるだけのことをしたし、客席もとてもあたたかかく聴いてくださった。実際はどうだったのだろう。
演奏していて時々、かなうことなら今時間を止めて出した音を消しゴムで消してやりなおしたい、と思うことはある。でも出した音は僕たちの手を離れ、録音したものはNHKに行ってしまった。放送日が来るのを、審判を受けるような気持ちで待っている。
(NHK-FMは11月30日19時30分から、BSは年明け早々、早朝の番組で放送される予定だそうです)

ピアノの山洞さんがシューマンのピアノ四重奏について言った、憧れ、という言葉になるほどと思った。
第三楽章はチェロの旋律で始まる。この旋律は様々な楽器に変奏され、最後またチェロに戻る。このときピアノのバス(低音)はBフラットの音から動かず、その上に乗って弾くのは特別だった。

特にこの一週間、室内楽の練習にまみれていた。インバルのリハーサルの後、夜までみっちり練習するのは楽なことではなかった。でも本番の舞台で、ブラームスのクラリネット五重奏の最後の部分を弾きながら、あぁもう明日はこの曲を弾かないのか、と思ったらさみしかった。

アンコールはモーツァルトのクラリネット五重奏からメヌエット。わかってはいても、実際に音を出すと、その明るさにひっくり返りそうなくらい驚いた。 聞くと、見事な対比のアンコールまで考えられていたそうだ。この機会をつくってくださった方に演奏を聴いていただけず、とても悲しい。

もうソロの曲が待ったなしなので今日も午前中から楽器を出した。
先月末から上2本にラーセンの「ソリスト版」という名前の弦を張っていた。弓の圧力をかけて我を通すことは得意なのだけれど、音が乾いて響きが少なくなることが気になっていた。今日普通のラーセンに戻した。こちらの方が僕は好きだ。低弦もよく鳴るようになった。左手にも優しい。(どちらにしても、今の僕が使う弦は4本とも「soft」や「light」など、弱いテンションのもの)
それにしても「Soloist's Edition」という心をくすぐる文字の赤いハンコをパッケージに押して、ラーセンもなかなか商売上手だ。

さらおうとしても、ぼんやりしてなかなかはかどらない。懐かしいCDをいろいろ聴いていた。オスカー・ピーターソン・トリオのアルバムを聴いて、そのノリの素晴らしさに感激した。さりげなく何事もなかったように、でも抜群のノリだ。こういうことができるようになりたい。

一昨日昨日と長時間の移動が続き少々ポンコツになった体を、プールに行って伸ばした。楽器も人間もよみがえって、明日からのブラームスはピアノ三重奏。

2012年10月19日 (金)

NHKのスタジオで自分たちのリハーサルを録音して聴いてじゅうじゅう反省した翌日、インバルの指揮を見ると、うーんなるほど、ということがいくつもあった。彼はよく「Move!」と言い、オーケストラが一つの場所にとどまることを好まない。
録音を聴くとそのことがよくわかる。音楽の流れが固まるのはとてもまずい。チェロの弾き方もそれに対応したものであるはずだ。ようやく少し気付きかけている。

一昨日のブラームスの3番が良かった理由の一つは、必要ないところではあまり弾かなかったことにあると思う。どうやらいつも頑張りすぎていたらしい。

今日は午前中の飛行機で広島に行き、陸路川本町に入った。中国地方は木々が色づき始めている。以前川本でお世話になった方々に再会できて嬉しかった。なんと12年前だそうだ。時のたつ早さに茫然とするばかり。

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このところ室内楽の練習漬けだった。さぁ、明日本番。

2012年10月17日 (水)

今週末、島根の川本町に行く室内楽は、ピアノの山洞さん以外全員が都響のメンバー。
昨日録音を聴きながら、仕事の癖が見えておかしかった。オーケストラは体も大きいので、どうしても待って合わせるようになる。室内楽でそれをするととてもゆるかった。間髪を入れない間合いが絶対必要だ。それから例えば、トレモロが続く時の力を抜く加減も、あれあれという感じだった。

インバルの指揮は、遠くの客席から見ても舞台映えするよう、より濃くよりはっきり、顔の輪郭を書く。
でも、室内楽の時はコンパクトに凝縮した方が良さそうだ。

先日のみなとみらいでカルメンを弾いている時、弓が表板に激突して何箇所か傷ができてしまった。いったいどんな力が入っていたというのだ、やれやれ。チェロを教える時弓はまっすぐ、と言っているのに。
チェロの順平さんや江口君にその傷を見せたら、2人の楽器にも不思議な場所に傷があった。弓が思いもよらぬ軌道を描くのは僕だけではないらしい。

今日は本番の前に、楽器についたその傷を重野さんに修正していただいた。小さくてテレビには映らないとは思うけれどちょっと恥ずかしかったから。

2012年10月16日 (火)

寄り添うように親密な

都響は明日、ブラームスの1、3番という演奏会。
3番の交響曲はおそらく、チェロの旋律で始まる叙情的な第3楽章が有名だと思う。(昔、映画音楽としても使われたはずだ)でも僕は木管楽器が主導する穏やかな第2楽章が好きだ。この楽章はクラリネット五重奏の第3楽章も連想させる。劇的なところはなく、心に寄り添うように親密な音楽がブラームスの核心ではないかと思いたくなる。最近よく聴くピアノの間奏曲もとても親密な感じがする。

一昨日昨日と、オーケストラのリハーサルの後、室内楽の練習。今日はやはりリハーサル後、マイクテストも兼ねてNHKのスタジオで室内楽の練習をした。放送用の機材で録音した僕たちの演奏を、大きなモニタースピーカーで聴いた。贅沢な時間で、端的にとても勉強になった。

シューベルトの四重奏断章、シューマンのピアノ四重奏、ブラームスのクラリネット五重奏、3曲あるうちでシューベルトが一番問題だということがよくわかった。あぁ盲点だった。少なくとも僕に関してまったくシューベルトの音ではなかったし、4人でも探っている感じだ。うーん。
「死と乙女」や「ロザムンデ」などを録音してしまう本職の弦楽四重奏団は本当にすごいと思う。

素晴らしい機材で自分たちの音を録って、なるほど自分の小さな録音機とは違う、というところと、いくら機械が良くてもやはり・・・、というところと両方あった。
家に帰ったら経済ニュースが始まる時間になっていた。でも楽しかったなぁ。明日からもがんばろう。

2012年10月15日 (月)

新宿

新宿、この街では気付かれないうちに数多くの大きな、小さなドラマが起きているのだと思う。

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2012年10月13日 (土)

スダチとカボス

今日の都響はサントリーホールで本番。終演後、楽屋口から出ると見事な秋の空だった。今年は入道雲の見える時期が本当に長かった。

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帰り際みかんを買った。
ちょっと前、雨が少なかった年のみかんが、ピンポン球のように小さかったのだけれど、その分ぎゅっと味が詰まっていて抜群だった。それ以来小さいみかんが好き。
みかんの美味しい冬になるといいなぁ。

日経新聞にスダチとカボスの違いについて書いてあった。もしかして名前が違うだけか、と思っていた浅はかな僕には大変勉強になりました。

「スダチが30〜40グラムほどのゴルフボール大、カボスは100〜150グラムほどでテニスボールよりやや小さめ」「どちらも酢として利用されてきた歴史があり、酸味が強い。だが比較するとスダチのほうがよりさっぱり、カボスのほうがまろやか」「スダチは徳島県の特産、カボスは大分県の特産」「漢字で書くと、酢橘と香母酢」

うーむ、なるほど。ウィスキーの吊り広告で焼いたサンマに添えてあったのはきっとスダチだな。電車の中であの広告を見た日、あぁ晩ご飯はぜひサンマを、と思ったもの。
これは教えていただいたことですが、たきたてのご飯にスダチをしぼってかけ、削り節をかけ、醤油を少しかけると素晴らしいです、抜群です。

明日からブラームスの交響曲のリハーサルが始まり、並行して室内楽のリハーサルもある。2週間、今度は室内楽の日々だ。
先日のチェロアンサンブルが変化球の応酬だったとすると、こちらは一分の隙もない直球勝負。楽しみ。

2012年10月12日 (金)

東京都写真美術館で開かれている操上和美さんの写真展「時のポートレイト」へ。
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1653.html

たぶんとても私的な写真で、被写体も人や建物や馬といったごくありふれたものばかり、でもまぎれもなく操上さんの気持ちやその揺れが写っていると感じた。写真はこんなに自由でいいんだと思った。

最近の僕はカラーでばかり写真を撮っていたけれど、またモノクロで撮りたくなった。
写真展に行くのは久しぶりだった。特に昨日のような現代曲の演奏会は、以前はどれだけ多くさらえるかが分かれ目と思っていた。今はいかに集中して、そしてその時間外はいかにきれいさっぱり忘れられるかが、要点だと思える。肉体的に訓練できることはたかが知れている、大切なのはきっとそれを司るところだ。

2012年10月11日 (木)

勢いは

都響のチェロらしいといえばいいのか、今日のミラーズ、細かいことはともかく勢いはあった。
練習嫌いの人たちのはずなのに分奏したりゲネプロを念入りにしたり。でもその甲斐はあったと思う。本番は気が付いたら最後のハーモニクスのページになっていた。あっという間に終わる時はいい時だ。

少しほっとしよう。

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2012年10月10日 (水)

平日昼間にもかかわらず、みなとみらいホールでの演奏会、多くの方々にお越しいただき本当にありがとうございました。

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オペラのアリアなど5曲を歌とチェロカルテットという編成で弾いた。(ソプラノは藤田美奈子さん)
素晴らしい歌と一緒に旋律を弾いたり(歌より1オクターヴ上で弾くのはちょっとしびれる)、歌の対旋律を弾いたり、チェロが旋律で歌が対旋律となったり。やっぱり歌だなぁ。チェロはどうしても上げたり下げたりという弓の動きに支配されてしまうもの。

アンコールはその編成で「からたちの花」。大好きな曲だ。歌詞と旋律がこれ以上ない、というくらい親密な関係にある。
「からたちのとげはいたいよ」とか「からたちも秋はみのるよ まろいまろい・・・」とか、音量が下がった時の「からたちのそばで泣いたよ みんなみんなやさしかったよ」とか。(音量が最小になったときに音楽的な頂点を迎えるのはラフマニノフのようだ)

たとえば劇的なイタリアオペラなどでは、やはり歌詞と旋律の劇的な結び付きがあって、それが強く聴く人の心に訴えるのだろうか。

リルケの「若い詩人への手紙」の中にこんな一節があった。(高安国世訳)

『・・・では私がお願いしましょう、そんなことは一切おやめなさい。あなたは外へ眼を向けていらっしゃる、だが何よりも今、あなたのなさってはいけないことがそれなのです。誰もあなたに助言したり手助けしたりすることはできません、誰も。ただ一つの手段があるきりです。自らの内へおはいりなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐって下さい。それがあなたの心の最も深い所に根を張っているかどうかをしらべてごらんなさい。もしもあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白して下さい。何よりもまず、あなたの夜の最もしずかな時刻に、自分自身に尋ねてごらんなさい、わたしは書かなければならないかと。深い答えを求めて自己の内へ内へと掘り下げてごらんなさい。そしてもしこの答えが肯定的であるならば、もしあなたが力強い単純な一語、「私は書かなければならぬ」をもって、あの真剣な問いに答えることができるならば、そのときはあなたの生涯をこの必然に従って打ちたてて下さい。あなたの生涯は、どんなに無関係に無意味に見える寸秒に至るまで、すべてこの衝迫の表徴となり証明とならなければなりません。・・・』

2012年10月 8日 (月)

ようやく涼しくなった。
演奏会場の音響が良くても悪くても、暑くても寒くても、たとえ湿気で指板がべとべとになりおまけにカビ臭くても、仕事はしなくてはならない、だからしのごの言わないようにしている。それでもやはり空気が引き締まり乾いてくるのはうれしい。

雑誌「図書」10月号、池澤夏樹さんの文章の中でリルケの「秋の日」(訳は高安国世さん)という詩が取り上げられていた。

『  秋の日

主よ、時節がまいりました。夏はまことに偉大でした。
日時計のおもてにあなたの影を置いてください。
そうして平野にさわやかな風を立たせてください。

最後の果実らに、満ち満ちるようにお命じください。
彼らにもう二日だけ南国のように暖かな日をお恵みください。
果実らをすっかりみのらせ、重い葡萄の房に
最後の甘味を昇らせてください。

今家を持たぬ者は、もう家を建てることはないでしょう。
今ひとりでいる者は、長くそのままでいるでしょう、
夜ふけて眠らず、本を読み、長い手紙を書き、
そうして並木道を、あなたこなたと
不安げにさまようでしょう、木の葉が風に舞うときに。      』

 

これから12月初めに向けてどんどん日が短くなる。こんな当たり前のことを、毎年経験してきたはずなのに、最近気付いた。秋は好きでも11月の日暮れの早さは残念に思う。うっかり寝坊でもしようものならその日は数時間で終わってしまうじゃないか。

今日からミラーズのリハーサルが始まった。
みなとみらいでのチェロカルテットもそうなのだけれど、これだけの難度の曲が一つのオーケストラのセクションでできるのは、きっと僕たちが誇りに思っていいことだと思う。もちろん、おそらく皆がけっこう頑張ってさらったし、エキストラで参加するチェリストたちの献身的な協力も大きい。

ミラーズはもともとチェロ6本のために書かれていて(今回は12本のための改訂版初演)、シカゴ交響楽団のチェリストたちによる録音がある。技巧的なところも素晴らしい、それにもまして、時々出てくる旋律的な部分の音色を聴くと、うぅむやるなおぬし!と感心する。

2012年10月 7日 (日)

10月2日の日記に写真を加えました。
http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/10-1949.html

2012年10月 6日 (土)

町は奥深い

夏の松本で宿泊するホテルのすぐ隣にバスターミナルがある。そもそもの外観がSF的だと思うのだけれど、

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夜になるとまるで宇宙船の発着場のように見える。

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小さい頃、才能教育の夏季学校の時から松本には何十回と来たはずだ。それでも知らなかった素敵なところはあり、町は奥深いと感じた。

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2012年10月 4日 (木)

10月10日のチェロカルテットと翌11日の「ミラーズ」(12本のチェロアンサンブル)、この二つが今月最初のやま。明日からカルテットのリハーサルが始まるのでもう待ったなしだ。
今朝さらおうとして、その前に伸びをしたら肩がピキッ!と。やれやれ、軽い寝違いのようになってしまった。痛くても何でもさらわなくてはいけないものはさらわなくてはならない。

今日はずっと家でさらっていた。郵便局に行ったり八百屋に行ったり散歩したりと時々外出して、昼寝したり本を読んだりしながら、家でさらっていた。はたからは、ふらふらしているろくでなしに見えるかもしれない。さて、家でさらうのは仕事だろうか?
もともとチェロを弾くのには遊びみたいな要素がある。でもメトロノームをかけながらミラーズを読むのは、残念ながら、少々自分に強いるものがあった。心が乾いてしまわないようブラームスの五重奏やソリマもちょっと弾いた。

2012年10月 2日 (火)

さて、10月になってしまった。

少年老い易く
学成り難し
一寸の光陰
軽んずべからず

この詩は小学校卒業の時、意味も教えられず校長先生に暗誦させられた。いまとなって本当にありがたく思う。
くりくりの小学生は一瞬にして40歳を過ぎた。

昨日は仙台の電力ホールで白鳥やポッパーの小品、室内楽を弾いた。楽しかったなぁ。
このところ「巨人」だの「復活」だの、ぐわぐわがっしゃーん!という巨大音量の曲ばかりだったから、自分の音が細部まで聞こえる舞台は新鮮だった。

今日は、昨日のメンバーが二手に別れて、僕たちは南三陸町へ。
話しには聞いていた。地震から一年半たっても、海沿いの低地は建物の土台が残るばかりで、堤防や水門は破壊されたまま、瓦礫やくしゃくしゃに壊れた車が山積みになっている。
高台にある伊里前(いさとまえ)小学校は、津波が標高14メートルの校庭を越え、プールにまで到達したそうだ。現場を前に当時のことを聞いても、これだけの広さの土地をその高さまで埋める水が襲来したとは信じがたかった。そんな高さにまで海面が上がるとはどうしても信じられなかった。

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小学校からは海岸がすぐ。水際まで降りてみると、破壊された堤防の断片が途切れ途切れに残り、その間は土嚢でふさいであるだけだった。驚いた、復興どころか。今の東京の街は何事もなかったように、再び私利私欲にまみれているというのに。

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小学校でのアウトリーチは久しぶりだった。とても元気な子供たちだった。
下校時間になるとバスが何台も学校に横付けされる。9割の子供がバス通学だそうだ。校庭には仮設住宅が並び、バスが学校と家、仮設住宅を結び、校舎からは何もなくなってしまった海沿いの土地が見える。この記憶は10年、20年たったときに彼らの中にどのように残るのだろう。

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