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2012年10月28日 (日)

とにかく

笛吹市のアウトリーチで訪れた小学校では演奏後、子供たちと一緒に給食を食べた。
メニューはラーメンや砂肝、栗ごはんまであった。(体の大きな子はラーメンのスープを全部飲んでいたぞ、うぅむなるほどそういうことか)僕が小学生の時、名古屋市の給食に白いご飯が加わったことが画期的だったことを考えると、ずいぶん進んでいる。
5、6年生なんだから、君たちもう少し恥じらいはないのかい?と言いたくなる感じだったけれど、無邪気な元気さは大好きだった。演奏会場まで20分も自転車をこいで来てくれた。僕の子供の頃と重ね合わせた。彼らの30年後はどんなだろう。

夏から読んでいたグロスマン著「人生と運命」は3冊とも読み終わった。ときどきその重さ(物理的な)が嫌になることがあり、そんなときかばんに入れて読んでいたのはフリオ・リャマサーレス著「無声映画のシーン」。日本語版への序の中でこんなことを著者は述べている。

『以前、ポルトガルの作家アントニオ・ロボ・アントゥネスが、想像力とは発酵熟成した記憶にほかならないと言ったが、私も同じ意見である。多くの人が考えているのとは逆に、フィクションは記憶から生まれてくるが、すでにその記憶というのはフィクションの別の形態なのである。』

小中学校の同級生とほとんど30年ぶりに再会して、マンションの2階から飛び降りたことがあったね(当時の僕たちとしては最大級の冒険だった)とか、新任の先生を泣かせたことがあったね、とか僕が覚えていることを言っても、当人は不思議そうな顔をしていた。確かに記憶は、思い出す度に変化していくのかもしれない。

「人生と運命」の後は「カラマーゾフの兄弟」と決めていたのだけれど、ロシアものが続くので(そもそもの難関は登場人物の名前が覚えづらいことだ)、脱線してポール・オースターの「ブルックリン・フォリーズ」を読んだ。笛吹市滞在中の寝不足の原因がこれだった。

今日は午前中から広い部屋でさらった。
今月たくさん弾いてきたさまざまな形の室内楽は、いかに皆の最大公約数をみつけるか、いかに言葉にできない何かの向きと勢いをみつけて導くか、だったと思う。自分勝手にふるまうことは基本的にない。それが無伴奏ときたらまったく一人だから、ちょっと詰めてさらっただけでげっそりしてしまった。

一つおもしろいことを見つけた。10月30日と11月11日のプログラムは同じで、内容と曲順は僕が決めたもの。
1曲目ソリマのラ・テンペスタはソの音で終わり、次のペンデレツキはまったく同じ音の、今度はコル・レーニョで始まる。ペンデレツキのディヴェルティメントは最初の3曲しか弾かず、つまり3曲目のノットゥルノはレ・ラの特殊な重音(ラだけ人工ハーモニクス)で終わり、次のバッハの2番はレ・ファ・ラで始まりレで終わり、最後のリゲティも再び二短調のピチカートで始まる、つまり常に終わった音で次の曲につながるプログラムだった!

まったく意識していなかった。潜在意識がそうさせたのだろうか。もしかして自分は天才か、と勘違いしそうになったけれどむろんそんなことはない。どちらかというと調性感としては驚きのない構成かもしれない・・・。

今日の録音を聴いてひとしきり落ち込んだ。とにかく、明日もがんばろう。

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