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2012年12月16日 (日)

昨日12月15日の日経新聞「文化往来」欄に作曲家スティーヴ・ライヒが取り上げられた。国立音楽大学での講演でライヒは
『中世ルネサンス期の教会音楽では当時のはやり歌が取り入れられていた。ベートーベンの交響曲第6番にしても民族音楽が下敷きになっている』
『コンサートホールとストリートの間の窓はずっと大きく開かれてきた。それを閉めたのがシュトックハウゼンとシェーンベルク。私が革命的なのではなく、窓をまた元に戻そうとしているだけ』
と話したそうだ。

僕は高校生の時、テレビで放映されたライヒの「木片のための音楽」(演奏はカナダのネクサスという打楽器アンサンブル)を見て衝撃を受けた。それからしばらくして音楽の授業の試験(普通科)で何をしてもいいというので、裏山から適当な太さの木を切ってきて、男子何人かで「木片のための音楽」のまねごとをしたことがある。

ライヒの「クラッピング・ミュージック(手拍子の音楽)」は楽譜を持っていて様々な機会で音を出してみた。手拍子ができれば誰にでも、しかもミニマル・ミュージックの醍醐味が体験できる曲だ。

風邪のせいで「カラマーゾフの兄弟」は3冊目(亀井郁夫訳、光文社文庫版)で足踏みしている。10代の頃、確かに読んだはずなのにほとんど何も覚えていない。
カラマーゾフを読みかけであるにもかかわらず読みたい本はたくさんあって、本屋に出かけてあれこれたくさん本を買うことを夢見てしまう。本を買えることは幸せなことだ。

リルケの「若き詩人への手紙」から(高安国世訳)

『人々はすべてを(因襲の力を借りて)容易な方へと解決してきました、容易なものの中でも最も容易な方へと。しかし私たちが困難なものに就かなければならぬことは明白です。すべて生あるものはこれに就くのです、自然界のすべてのものは、おのおのの流儀で成長し、自らを守るのです、そして自分の内部から独自なものとなり、どんなにしてでも、どんな抵抗を排除してでも独自であろうと努めています。私たちの知識は乏しい、しかし私たちが困難に就かなければならないことだけは、決して私たちから離れることのない確実な事実なのです。孤独であることはいいことです。というのは、孤独は困難だからです。ある事が困難だということは、一層それをなす理由であらねばなりません。』

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