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2012年12月30日 (日)

昨日が仕事納め。
この秋は、僕としては(世間的に見ればかなりちっぽけ)、大統領のように働き王様のように遊んだ。休みの日も家でじっとすることなくあちこち出かけた。20代の頃は一つ仕事を終えるとくったり疲れていた、それからすると40代は意外と悪くない感じだ、と思っていたら風邪が長引いて12月はすっかり失速してしまった。やれやれ、まぁこんなものか。楽しみにしていた映画をいくつも見られなかったのは残念。

大リーグ松井秀喜選手の引退会見、大好きな選手だからもっと活躍してほしかったのだけれど、この潔い身の引き方をする彼だからこそ好感を持っていたのだと思った。昨日の日経新聞のコラム「春秋」では引退にふれて、「矜恃」という言葉を使っていた。確かに。

「カラマーゾフの兄弟」を中断して多和田葉子著「雲をつかむ話」を読んだ。
「カラマーゾフ・・・」は健康診断(採血やバリウムや、とにかくもっとも苦手な年中行事)の待ち時間に読んだり、早朝の飛行機に乗るべく4時半に起きて空港に行く電車の中で読んだり(しかも難解な「大審問官」の部分だった)、風邪で寝ている時に半ば義務感にかられて読んだり、なんだかちょっと辛くなってしまったのだ。
「雲をつかむ話」はあっという間に読んだ。うすうす感じていて、でも意識には上っていなかったことが言葉にされているおもしろさやこわさがある。たとえば

『手紙の返事を書こうとしてもなかなか書けない時、つい日記をひろげてしまう。悪い癖だと思う。手紙は一人の人間に向かって真っ直ぐ飛ばさなければならない紙飛行機のようなもので、紙とは言え、尖った先がもし眼球に刺さってしまったら大変。責任を持って書かなければならない。責任を気にかけすぎると、書きたいことが書けない。それで、とりあえず責任のない日記をひろげてしまうのかもしれない。・・・』 (多和田葉子著「雲をつかむ話」)

夢中になって読んでいるとだんだん話がこわくなってくる。さて「カラマーゾフ・・・」は光文社文庫版の4冊目から再開。おもしろい。布団の中でころころしながら本を読むのは極楽だ。小学生の時、こたつみかんで漫画を読んでいた時間を思い出す。

長いこと使っていた腕時計をしばらく前、不注意で舞台に落としてしまい、遅れるようになった。時計を落としてはいけない。遅れ始めると具合が悪い。
時計は一つの世界だ。人間の時間は伸び縮みするのに時計の針は変わらず動き続ける。だから時計は大切なのだ。進んだり遅れたりするのは愛嬌だろうか。
電波時計を買った。もはや愛嬌はなく、示す時間はおおやけのものになってしまった。

ずいぶん長いことチェロを弾いてきた。少々ポンコツではある、でも日々進歩を重ね今が一番いいと思っている。そう思っているのは自分だけで実は少しずつ悪くなっている、ということのないよう怠りなく精進しよう。
11月にイッサーリスの演奏を2日間聴き、以来弾く度に彼のことを思い出している。心のあり方体の使い方、まるで初めての楽器を弾くような感覚でいる。僕のチェロは来年爆発的に良くなりますように。

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