空気のきれいな松本に行ったらきっと具合もよくなるだろう、と考えたのはうかつだった。懐かしい人たちと楽しい時間を過ごしていたのだけれど、花粉はどっさり飛んでいたらしい。再びひどい目にあった。目がかゆくてかゆくて、やれやれ。
午前中のあずさで帰京。韮崎近くの小さな駅では線路際に満開の桜、木の下にはベンチもあり、しかもそこは甲府盆地が一望できる高台だった。車窓を過ぎていく様々な桜を見ながら、西行法師の
『 願わくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月の頃 』
という歌を思い出した。
午後は東京文化会館小ホールの演奏会へ。「原田禎夫チェロ・シリーズ ズッカーマンと創る極上の室内楽」。禎夫さんが入らない、ズッカーマン・チェンバー・プレイヤーズによるシューマンのピアノ五重奏は、もちろん皆素晴らしくパワフルで上手な人たちばかりなのだけれど、なぜだか音楽の運びが単調に感じられ、途中からこれははたしてシューマンの音楽だろうか・・・、と考え始めてしまった。
プログラムの最後、再び禎夫さんが加わってのシューベルトの弦楽五重奏はどっしりして心地よかった。第2楽章は彼のピチカートの音色で全てが変わったようだった。こういうバスが弾ける人に憧れる。久しぶりに聴いたズッカーマンの音はやはり強烈だった。あまり弓を使わずいつもしっかり毛が弦にかんでいる。以前、宮崎の音楽祭にズッカーマンが来た時さらっている様子を写真に撮ったのだけれど、プリントしてみてその弓使いの軌跡の素晴らしさに驚いたことがある。
僕は室内楽でもオーケストラでも、チェロが中、ヴィオラ外、という並びが好きだ。チェロが外で弾くことの良さももちろんあるけれど、中に入った方が音楽の座りがいいと思う。ただ、この並びだとヴィオラは表板を客席と反対に向けてしまうことになり、それはあまり、と思っていた。今日のヴィオラはジェズロ・マークスという背の高い人で、客席に向いた裏板から深くていい音が聴こえた。表板からの直接的な音は舞台上の他の奏者に聴きとりやすく、客席にはアンサンブルをまとめる裏板からの柔らかい音が聴こえ、なるほど良いのかもしれないと思った。
さて、明日から4月。