一昨日の晩、プールからの帰りに目にした道路を横切る四つ足の動物は、猫ではなかったと思う。頭が小さく低く、体の線は後ろ足に向かって盛り上がり、しっぽはふさふさと長かった。猫ならもっと四角く見えるはずだ。ここは東京、あれはいったい?
実家にいる時に聴いていたLPレコードと同じ音源をCDで買い直すことがある。10代の頃聴いた録音をもう一度聴いて確かめたくなることがある。
今聴いているのはグリュミオーが弾くベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。演奏も録音も素晴らしくてびっくりしている。二つのスピーカーの間、少し後方にオーケストラ(コリン・デイヴィス指揮のコンセルトヘボウ)が広がり、その手前にグリュミオーがいる。ティンパニや木管、ホルンの音色、ぐりぐり弾くコントラバスなど、当時のコンセルトヘボウはこんな流儀のオーケストラだということが手に取るようにわかるし、グリュミオーの素晴らしさは言うまでもない。弦楽器は確かに弓の毛で弦をこすって音を出している、その奏法がとてもよくわかる。
1960年代や70年代、50年代まで遡っても、フィリップス、グラモフォン、デッカといったレーベルの録音を聴くと、演奏者がどのように弾いているのか、手に取るようにわかる。もちろん弾き手も素晴らしかったし、録音のエンジニアたちの耳も優れていたのではないかと思う。
僕の好きなフルニエの録音は1970年の、シェリングのヴァイオリン、ケンプのピアノと弾いているベートーヴェンのピアノ三重奏曲全集だ。フルニエの録音はたくさん持っているけれど(とても残念なことに実際の音は聴けなかった)、おそらく彼はこういう音だったのだろうと思いたい。
今のデジタル録音は、すんなりしていて、さらさらと少し鬆が入ったようにすき間があって、現実のごりっとかざりっとかがあまり入っていないような気がする。現実はもっとごつごつしているはずだ。
2013年の現代、1970年よりすべてがはるかに便利に手軽になったけれど、はたして僕たちはより幸せになっただろうか、と時々考える。
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