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2013年4月

2013年4月27日 (土)

宮城県中新田バッハホールで本番。少し早起きして乗った東北新幹線の車窓からは、盛りは過ぎてしまった桜と、菜の花の鮮やかな黄色が見えた。バッハホールの近くにも桜があった。

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今日、少しだけマタイ受難曲を弾いた。

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久しぶりのマタイ受難曲はとても新鮮で、帰宅してからCDを聴き直した。これまでとまったく違った曲にきこえる。
2年前の地震の前日、函館に移動する電車の中でこの曲を聴いていたことを思い出した。
あの地震で家が壊れてしまった宮城県のある方はようやく再建にとりかかれそう、とのことだった。もう2年たっているのに・・・。

2013年4月26日 (金)

だいぶ濃くなってしまったけれど新緑が見たくて新宿御苑へ。
遠足の子供たちでいっぱいだった。

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天気に恵まれ、温室の中は暑いくらい。

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御苑を出てすぐのフォトギャラリーキタムラでは読売新聞写真部写真展「LENS 被災地発」が開かれていて、見入った。
http://blog.kitamura.jp/13/4358/2013/03/_4181311.html

2013年4月24日 (水)

国立西洋美術館のラファエロ展へ。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/raffaello2013.html

素晴らしかった。ラファエロの絵が描かれたのは500年前、西洋音楽が発展するはるか前に、美術は驚くべき高みにあったのだ。今回の展示にはイタリアをはじめ、バチカン、ハンガリー、イギリス、フランス、スペインから作品が集められている。展覧会の目録には「本展は、政府による美術品補償制度の適用を受けています」とある。なるほど、一つの美術館が受け止めるには重すぎるかもしれない。

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実は文化会館でリハーサルがある時はいつもラファエロ展の看板が見えているのだけれど、以前都美術館で開かれたフェルメール展の人の多さに今でも辟易していて(入場者数は確かに大切なことの一つかもしれないが、あんなにメディアであおる必要はあったのだろうかと思う)、有名な画家の展覧会になかなか足を運べなかった。

今日は平日、しかも雨ということもあったのだろうか、落ち着いて見られた。幸せな時間だった。

2013年4月22日 (月)

長いこと小型の薄いメトロノーム(デジタルメトロノーム)を使ってきた。先日、昼に問題なく使えていたものを夕方別の仕事場に移動して取り出したら353という不思議な数字が表示されている。それで音を出したら軍艦マーチにもならないゆっくりとしたテンポだった。本当に353だったら耳で追うのが難しいほど速いはずだ。壊れてしまった。移動中、そのメトロノームは鞄の中でスマートフォンと隣り合わせだった。うぅむ、それが原因だろうか。
(何かの仕事でテンポ120はどのくらい?、と聞かれたあるチェリストは、軍艦マーチのテンポ、と答えたそうだ。彼はパチンコ好き)

雑誌「日経マネー」6月号に投資家ジム・ロジャーズのインタヴューが掲載された。その中から

『欧州の歴史をひもといてみると、非常に小さなことが、大きな戦争につながることがある。それは今、アジアで起こりつつあることによく似ている。小さな国同士のいさかいが、第一次世界大戦に発展した。1914年に「セルビアで戦争が起きるか?」という質問をしたら、多くの人は「セルビアってどこだ?」と聞いただろう。誰も、そんな小さな国に関心を払ってはいなかった。ところがすぐに、欧州中が戦火に包まれてしまった。6ヵ月後「なぜ、こんな戦争が起きたのか?」と考えたときにはもう遅かった。戦争は4年も続いた。
 ・・・・・
 私は以前書いた本の中で、彼女たちに伝えている。どんな国でも、戦争が起きると「国のために戦うべきだ」と政府は嘘をつく。でも私は娘たちにこう言う。「政府の言うことを聞いてはいけない。君たちは生きるべきだ。誰かのために戦う必要はない。ウルグアイでも南アフリカでも、どこへでも行き、生き延びるんだ。良い戦争なんて、ありはしない。国のために死ぬのも、大統領のために死ぬのもばかげている。もし、戦争になったら、君たちは逃げて、生き残れ」と。
  100年後を考えてみると、日本人はもっと多くの子供を持つか、移民を受け入れるしかない。そうでなければ、生活水準は下がっていくだろう。』

2013年4月20日 (土)

ラフマニノフのソナタは4年くらい弾いていない。昨日、楽譜を追いながらシャフランの録音を聴いた。久しぶりにシャフランの毒気にあてられた。彼の音を聴くと、自分の出すすべての音がどうにも淡泊に感じられる。もうシャフランのようなチェリストがいないことを寂しく思う。

今日ピアノの高橋さんと一緒に弾いて楽しかった。以前見えなかった景色がたくさん見え、できなかったことができるようになっていた。それぞれの楽章を2回ずつくらい通したのだけれど、その間にどんどん彼女が弾けるようになるのは驚きだった。
またいつかこの曲を演奏会で弾けますように。

2013年4月19日 (金)

明後日の演奏会の前半はドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲。今日からソリストが入ってのリハーサルだった。
この曲を弾くのは、おそらくとても難しく、しかもオーケストラとのバランスの問題でその技巧的なパッセージは聞こえにくい。つまり演奏効果が上がりにくく、したがって演奏される機会も多くない。
でも、パヴェル・シュポルツルの演奏は見事だった。彼の楽器はとても変わっているけれど、演奏はまっとうで、様々な景色が見えてくるようだった。

明日はオーケストラのリハーサルの後、ピアニストの手伝いでラフマニノフのソナタを弾く。たとえ練習でも、ラフマニノフのソナタを弾けるのはうれしい。
チェロのソナタでこれほどピアニストとチェリストの負担が違う曲も珍しいのではないだろうか。ピアノがたくさんの音符を弾く間、チェロは長い音をうっとり伸ばしながら音色の変化をゆっくり考えていられる。

立場が逆なのがベートーヴェンの三重協奏曲だ。ある高名なピアニストは、トリプルのピアノはバイエルが弾ければ誰でも弾ける、と言ったそうだ。本番前にたいていのチェロは青くなってぷるぷる震える。
そういえば第九の終楽章の冒頭も、技術的な困難はないけれど、チェロとコントラバスが一生懸命弾いている間、他のパートは暇そうだなぁ。

僕が一番好きな季節はちょうど今、新しい命がみずみずしく芽吹く新緑の季節だ。一方ラフマニノフのソナタは、晩秋だと思う。収穫が終わりその年の実りを享受する、そういう音楽だと思う。

2013年4月18日 (木)

昼の時間を盗んでギャラリーバウハウス「ロバート・フランク写真展 Part I 「The Lines Of My Hand」」へ。
http://www.gallery-bauhaus.com/130402_frank.html
どうしてそんなに見入ってしまうのかわからなかったけれど、惹きこまれずにはいられない素晴らしい写真だった。白黒のプリントも実に美しかった。ギャラリーの外に出たら、世界はロバート・フランクの写真のようでなく、ちょっとがっかりした。

都響は明日からチャイコフスキーの5番のリハーサル。これから6月初旬にかけてこの曲を何度も弾く。というよりこの曲ばかり弾く感じだ。新日フィルにいた頃、東京から離れた演奏会はチャイコフスキーのピアノ協奏曲&「新世界」というプログラムばかりだった。
以前から都響の演奏旅行、と言えばチャイコフスキーの5番だ。さて今年最初の演奏は東京で。

2013年4月17日 (水)

最近また地震が多い。今朝から頻発している三宅島近海の地震はいったい何だろう。
http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/20130417175725.html

東京都現代美術館で開かれている「フランシス・アリス展 第1期メキシコ編」へ。
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/141/
こんなにおもしろい展示だとは思わなかった。見ようによっては10分で見終えることもできるだろうし、一日中見ていることもできると思う。今日、僕の時間が限られていたのは残念だった。
ベルギー人アーティスト、フランシス・アリスの様々な行動、例えばメキシコの街中で大きな氷の塊が溶けてなくなるまで押し続けたり(「実践のパラドクス1(ときには何にもならないこともする Sometimes Doing Something Leads to Nothing))、竜巻の中に飛び込んだり(「トルネード」)、羊と一緒にぐるぐる回ったり(「愛国者たちの物語」)、が映像になっている。この人のしていることは冗談なのか徹頭徹尾真面目なのかわからないけれど、とにかく僕にはおもしろかった。心も体も軽くなった。
6月末から始まる「第2期ジブラルタル海峡編」も見に行こう。

ペンタックスリコーから新しいデジタルカメラが発表された。
http://www.pentax.jp/japan/products/gr_special/
この小ささに大きなセンサーを入れたことは驚きだ。これからは小さなボディに大きなセンサー、というのが標準になるのだろうか。

2013年4月14日 (日)

新しい人生に

写真家渡部さとるさんのブログに東京造形大学学長、諏訪敦彦さんの入学式式辞が紹介されていた。その中から
http://www.zokei.ac.jp/news/2013/001-1.html

『・・・・・・ 
 私は、自分が「経験」という牢屋に閉じ込められていたことを理解しました。
「経験という牢屋」とは何でしょう? 私が仕事の現場の経験によって身につけた能力は、仕事の作法のようなものでしかありません。その作法が有効に機能しているシステムにおいては、能力を発揮しますが、誰も経験したことがない事態に出会った時には、それは何の役にも立たないものです。しかし、クリエイションというのは、まだ誰も経験したことのない跳躍を必要とします。それはある種「賭け」のようなものです。失敗するかもしれない実験です。それは「探究」といってもよいでしょう。その探究が、一体何の役に立つのか分からなくても、大学においてはまだだれも知らない価値を探究する自由が与えられています。そのような飛躍は、経験では得られないのです。それは「知」インテリジェンスによって可能となることが、今は分かります。
 ・・・・    』

都響は今日の午後、東京文化会館のピットに入って「春の祭典」の本番。
オーケストラのレパートリーとして定着している「春の祭典」もそうだし、例えば先日のヴォーン・ウィリアムズの4番も、初演の時はどんなだっただろうか。今は先人たちの録音があり、それはつまり演奏可能なことがわかっているということだ。でもその音楽が作曲家の手を離れたばかりで、例えばリハーサルの前日に大急ぎで写譜されたパート譜(しかも見たことのない景色の、音符がびっしり詰まった真っ黒な楽譜だったら)を渡された演奏者の気分はどんなだろうと思う。

昨晩はこの3月で都響を離れたO君の、僕たちチェロセクションからの送別会だった。舞台上手側担当のO君の献身的な働きには、例えば誰の椅子は高めとか低めとか、座布団を敷くとか敷かないとか、乾燥する冬場はコントラバス用の太いダンピットの束を抱え、様々なことに気を配り、本当に頭の下がる思いだった。O君の新しい人生に幸多からんことを。

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2013年4月12日 (金)

昨日タワーレコードに行ったら、新譜と並んで、巨匠たちのCDがボックスセットで多種売られていた。しかも、驚くほどの低価格で。レコード会社が今のCD規格を上回る新たな規格が普及する前に、という戦略をとっているのだろうか、と勘ぐりたくなる。ちょっと複雑だ。

僕が求めたのは両方ともEMIから出ているチェリビダッケ指揮のブルックナー(12枚組)とフルニエの7枚組。フルニエの方も、すでに持っている同じ録音があり聴き比べてみたらけっこう音が違うので驚いた。デジタルリマスターというやつだ。新しいものの方がふわっと耳触りがよくなっている。
BGMとして聞くならふんわりしていた方がいいのだろうけれど、普段間近で音を聴いている僕は直接音が少ないとまどろっこしく感じる。

都響は今日から「春の祭典」のリハーサル。
指揮のジャッドが数カ月前ニューヨークでこの曲を振った時、年配のファゴット奏者(2番吹き)と話しをしたそうだ。そのファゴット奏者はストラヴィンスキー自身の指揮で「春の祭典」を演奏したことがあり、冒頭のソロをその時の1番ファゴットが美しい音で自由に吹いたら、作曲者が、ルバートはすでに楽譜に書いてあるのだから楽譜通りに吹いてほしい、と言ったそうだ。
今回の「春の祭典」は原曲の意図通りバレエと一緒だ。ステージで演奏する時はもっと大きな編成で弾くのに、オーケストラピットに入る都合だろう、弦楽器は第1ヴァイオリンが12人という小ぶりな編成。金管打楽器は強力な布陣のままだから弦の音は充分に聞こえるだろうか。ただ、コントラバス・ホルンが舞台下手側、金管打楽器が上手、という並びは、聴く側には音が広がっておもしろいかもしれない。

2013年4月10日 (水)

ようやく2月に撮った九十九里浜のネガをスキャンした。スキャナーが動いている間は暇なのでマイケル・フリーマン著「PHOTOGRAPHER'S EYE」を読みながら、またコンピュータの設定を動かし、と幸せな午前中だった。

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今晩BSで放映された「岩合光昭の世界ネコ歩き」はフロリダの6本指の猫。
http://www.nhk.or.jp/bs/temporary/iwago.html
そういう猫がいることは写真では知っていたけれど、その大きな手(足)でのしのし歩く歩き方を動画で見るのはインパクトがあった。岩合さんの猫への接し方はいつ見ても見事だと思う。

それにしても、先日の大磯でも、時々行く江ノ島でも、最近は前ほどのんびりした猫を見なくなったなぁ。

2013年4月 9日 (火)

今日はチェロを弾かない日。仕事が休みの日でも次の仕事の譜読みをかかえていたりさらわなくてはならなかったり、そういうことはよくある。特にヴォーン・ウィリアムズの4番のような曲が控えている場合は、あまりうれしい休みとは言えない。チェロを弾くのは、遊んでいるのか仕事なのかその境がわからくなってはいるけれど、それでも仕事もさらうのも休みで、時が過ぎていくのをぼんやりと感じられる日はきっと必要だ。

湘南へ。
猫の写真を撮るのに夢中だった頃、行く先々で個性的な猫たちに出会えた。大磯港もその一つだった。でも今日の港はさびれていてほとんど猫はいなかった。あの日々を思うと不思議な感じがする。風も強く防波堤の上に立っていると吹き飛ばされそうになるし、砂もびゅんびゅん飛んでカメラに入りそうなので早々に退散。東京都写真美術館へ。

マリオ・ジャコメッリ展を観てから映画「ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの」を観た。
http://www.herbanddorothy.com/jp/
前作「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」よりも夫妻を軸にして様々な人が美術とかかわっていく模様が描かれ、より起伏に富んだ内容になっていた。「ふたりからの贈りもの」とは、数千に及ぶボーゲル夫妻のコレクションのうち、2,500を全米50州の美術館に50作品ずつ寄贈する壮大なプロジェクトのことだ。
(そのコレクションはこのサイトで見られます http://vogel5050.org/#)
映画の中ではコレクションが分割されてしまうことに対するアーティストやヴォーゲル夫妻自身の葛藤、夫妻とアーティストとの会話も収められていて、そのことにも心を打たれた。忘れられない映画になるだろう。

2013年4月 7日 (日)

ヴォーン・ウィリアムズの4番、終楽章である主題が様々なパートで重なって使われる部分がある。その主題が何かに似ている、何だろう、と弾きながらずっと思い出そうとしていた。ようやくそれは「我が祖国」の5曲目、戦いの場面だとわかった。これで安心して明日の本番が弾ける。

リハーサルの後、久しぶりに大きな本屋に行った。目当ての本を求めて書棚の間に入ると、知らなかった本や思い出した本に触発されてさらにあちこちの書棚を巡ることになり、時間がいくらあっても足りない。

今日見つけてしまったのは、マイケル・フリーマン著「 PHOTOGRAPHAER'S EYE 写真の構図とデザインの考え方」。魅力的に見える写真はなぜ魅力的に見えるのか、その秘密を解いていくようだ。ちょっと値段が張ったし大ぶりな本なのだけれど(読み終えたらどこにしまおうか)。冒頭の文章から

「写真をどうつくり上げるかについて、写真家ではない人たちが、哲学的で、詩的で、時にあいまいな評論を述べることがありますが、その内容は特に目新しいことがないのが常です。何も部外者の鋭い意見が間違っているというわけではありません。確かに、ある程度の客観視は、新しい、貴重な洞察をもたらしてくれます。・・・・・
 本書は、そのような部外者の立場からではなく、写真撮影の実際のプロセスについて探求することを目的としています。私は、それをインサイダーの目と呼びたいと思います。生意気なようですが、私も含め写真家は、経験を生かしながら撮影しているからです。シャッターを押すまでのプロセスで多くのことが行われていることは、写真家以外の、結果を後で鑑賞する人たちにとって、わかりやすいものではありません。そのため、美術評論家や歴史家が独自の解釈を行うのは防ぎようがなく、解釈自体は非常に興味深いのですが、必ずしも写真撮影時の周辺状況や写真家の意図を反映しているわけではありません。本書で私が目指しているのは、写真家が自身の意図、その時の感情、能力に応じて画像を組み立てる方法や、ファインダーで画像を編成するための数多くスキルを向上したり共有する方法を示すことです。
・・・・・・       」

2013年4月 6日 (土)

久しぶりにベートーヴェンの室内楽を弾いて、改めてどんな小さな音符にも集中力がみなぎっていると感じた。どの音符もぼんやり弾くことはできない。

ヴォーン・ウィリアムズの4番には絶望的に弾けない箇所がいくつかある。そのことについて今日、指揮のジェームズ・ジャッドが説明をした。演奏が大変な細かい音符の羅列はヴォーン・ウィリアムズに限らずこの時代の、例えばR.シュトラウスやマーラーにも共通するスタイルで、効果音であると言っていた。

ジャッドはカルロ・マリア・ジュリーニのアシスタントをしていたことがあるそうだ。ジュリーニはもともとローマ、サンタ・チェチーリアのオーケストラでヴィオラを弾いていた。その頃、R.シュトラウスの曲を演奏することがあり、きちんと練習して細かい音まで弾いたら、それを聴いたR.シュトラウス自身が驚いて、効果音だから(効果が出ることが大切で)一つ一つ全てきちんと弾く必要はない、と言ったそうだ。

シュトラウスがそう言った、という話は知っていたけれど、それをジュリーニが聞いていたことは知らなかった。
シエナのキジアーナ音楽院でジュリーニがブラームスの交響曲についてイタリア語で講義をしたことがあった。もちろん何もわからなかったのだけれど、どんな興味深い話しだったのだろう。

先日東京都写真美術館で「アーウィン・ブルーメンフェルド 美の秘密」展を見た後、映画「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」を観た。ずっと観たいと思っていた。
http://syabi.com/contents/exhibition/movie-1879.html
NY在住のアートコレクター夫妻、元郵便局員のハーブと図書館司書のドロシーを追ったドキュメンタリー。彼らは実に自由でさわやかだった。続編も見に行こう。
http://www.herbanddorothy.com/jp/

2013年4月 5日 (金)

今日で2回あった大公トリオの本番が終わり。大公を弾いている時は幸せだったし、終楽章の終始部を弾きながら終わってしまうことをとても残念に感じた。

最近気に入っているテレビCMはこれ。電気ウナギイヌのギター篇、掃除機篇。
http://home.tokyo-gas.co.jp/enefarm_special/cm/guitar.html
http://home.tokyo-gas.co.jp/enefarm_special/cm/cleaner.html

都響は今日からヴォーン・ウィリアムズの4番の交響曲。無駄に無闇と難しい、と思っていたのだけれど、音を出したら意外といい曲だった。

さて明日は大荒れの天気、と予報が言っている。

2013年4月 2日 (火)

4月になってうれしかったことの一つはInterFMの朝の番組、ピーター・バラカンさんがDJを務めるBarakanMorningが復活したこと。http://www.interfm.co.jp/program/?id=2
1年前、この番組が終わってからInterFMの朝の番組には、正直に言おう、閉口していた。閉口して他局に周波数を合わせても、そちらも・・・、という感じで仕事に出かける前にどうも調子が上がらなかった。テレビに比べてラジオの方が喋る人のパーソナリティがあからさまに出てしまうように思う。だからラジオが好きだし、それにテレビより自由な雰囲気がある。

午前中大公トリオの練習をしてから、時々ランチを食べに行く店へ。初めて楽器を持って入ったら、その店の若いウェイターさんはコントラバスを弾く、ということがわかった。部屋には3台(!)コントラバスがあるそうだ。うぅむ。

その後キャノンデジタルハウス銀座へ。先行展示してある新しいカメラを見てみたかったので。噂通りの小ささ、性能は文句ないだろうし、これは売れるのではないだろうか。
(EOS Kiss X7 http://cweb.canon.jp/eos/special/kisssp/x7/index.html#1
残念なのはキャノンのレンズが大きいこと。展示品には小さくて薄い40ミリレンズがついていたけれど、なんだかブタの鼻みたいで不格好だし、それに換算60ミリの画角は普段使いには狭すぎる。ペンタックスのように小さなレンズをつくればこの小さなカメラも生きてくるのに。

チェロケース(ムジリア)の修理が終わった。結局、金具を4つと、切れかかっていたハンドルの革と、ぐすぐすになりかけていたストラップを交換していただいた。自分でちくちく裁縫して修理した弓を留めるマジックテープの部分は、比較的に容易に交換できるそうだ。7つある金具は4年で1つが駄目になった。時々油を注そう。
楽器は弾いている間ずっと肌身に触れている。同じようにケースも移動中ずっと体に触れている。4年間苦楽を共にしたケースが復活してうれしい。さぁ、明日からも頑張ろう。

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