« | トップページ | »

2013年4月14日 (日)

新しい人生に

写真家渡部さとるさんのブログに東京造形大学学長、諏訪敦彦さんの入学式式辞が紹介されていた。その中から
http://www.zokei.ac.jp/news/2013/001-1.html

『・・・・・・ 
 私は、自分が「経験」という牢屋に閉じ込められていたことを理解しました。
「経験という牢屋」とは何でしょう? 私が仕事の現場の経験によって身につけた能力は、仕事の作法のようなものでしかありません。その作法が有効に機能しているシステムにおいては、能力を発揮しますが、誰も経験したことがない事態に出会った時には、それは何の役にも立たないものです。しかし、クリエイションというのは、まだ誰も経験したことのない跳躍を必要とします。それはある種「賭け」のようなものです。失敗するかもしれない実験です。それは「探究」といってもよいでしょう。その探究が、一体何の役に立つのか分からなくても、大学においてはまだだれも知らない価値を探究する自由が与えられています。そのような飛躍は、経験では得られないのです。それは「知」インテリジェンスによって可能となることが、今は分かります。
 ・・・・    』

都響は今日の午後、東京文化会館のピットに入って「春の祭典」の本番。
オーケストラのレパートリーとして定着している「春の祭典」もそうだし、例えば先日のヴォーン・ウィリアムズの4番も、初演の時はどんなだっただろうか。今は先人たちの録音があり、それはつまり演奏可能なことがわかっているということだ。でもその音楽が作曲家の手を離れたばかりで、例えばリハーサルの前日に大急ぎで写譜されたパート譜(しかも見たことのない景色の、音符がびっしり詰まった真っ黒な楽譜だったら)を渡された演奏者の気分はどんなだろうと思う。

昨晩はこの3月で都響を離れたO君の、僕たちチェロセクションからの送別会だった。舞台上手側担当のO君の献身的な働きには、例えば誰の椅子は高めとか低めとか、座布団を敷くとか敷かないとか、乾燥する冬場はコントラバス用の太いダンピットの束を抱え、様々なことに気を配り、本当に頭の下がる思いだった。O君の新しい人生に幸多からんことを。

Untitled_16

« | トップページ | »

音楽」カテゴリの記事

  • (2017.06.17)
  • (2017.04.24)
  • (2017.03.21)
  • (2017.02.27)
  • (2016.12.15)