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2013年6月

2013年6月29日 (土)

いくら久しぶりのドビュッシーが新鮮だ、とは言っても、大きな全体の小さな部品として(自動車のねじのように、無いと困るけれど別に看板にもならない)ひたすら自分をコントロールするリハーサルの後、ドヴォルザークの三重奏を弾くのは楽しかった。演奏時間は40分ほどもあるのだけれど、あっと言う間に終わった。もっと弾いていたかったなぁ。

久しぶりに弾いたムジカーザは心地よかった。4年前に自分で企画した演奏会以来。また演奏会を開きたいとは思っている。ここの問題は予約を2年前から受け付けていて、1年とか半年前ではいい日程を押さえることが難しいことだ。来年のことを言えば鬼が笑う、というのに再来年の日程を決めるなんて。

さて明日はドビュッシープログラム。大きな全体の欠くべからざる(そう思いたい)小さな部品として舞台に立とう。

2013年6月28日 (金)

都響は今日からフルシャの指揮でドビュッシープログラムのリハーサル。
全般的に言ってチェロは「海」のあの部分を除いてあまり表に出てこない。あの部分だってあっという間に過ぎてしまうし。でもこのところチャイコフスキーやシュトラウスや、とにかくぐぎぐぎ弾く曲ばかりだったから、久しぶりのドビュッシーは新鮮だ。
神聖な舞曲と世俗的な舞曲のハープは吉野直子さん。素晴らしかった。澄んだ倍音が上まで伸びる美しさは変わらず、さらに様々な景色が目の前に現れるようだ。

明日はリハーサルの後、長尾洋史さんの主宰する会でドヴォルザークのピアノ三重奏を弾く。ドヴォルザークのトリオといえば「ドゥムキー」が真っ先に出てくると思う、でも今回はそうではなくヘ短調の三重奏。
http://ripple-concert.jimdo.com/%E4%BB%8A%E5%B9%B4%E3%81%AEripple/
たぶん今年に入ってから、室内楽が初めて本当に楽しいと思えるようになった。実はつい最近までそんなに楽しくなかったのかもしれない。いつも他の奏者との競い合いのように感じていた、それでは楽しかったはずないもの。

2013年6月27日 (木)

ねずみのフレデリック

Bunkamura ザ・ミュージアムで開かれている「レオ・レオニ 絵本のしごと」へ。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/13_lionni/index.html
久しぶりの青空となった東京、たまには身の回りのことから離れる時間が必要だ。始まったばかりの展覧会はすでに盛況、夏休み中は大変なことになるかもしれない。

ねずみの「フレデリック」。確かに僕たち音楽家も何かの実際の役に立っている訳ではない、でも・・・。

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2013年6月26日 (水)

今日の都響はサントリーホールで定期演奏会。

大編成のアルプス交響曲には様々な楽器が使われる。これは金属でできている大きなサンダー・シート。(隣に写っているのはステージの小久保さん) 嵐の場面で活躍する。僕もそのすごい音を出してみたい、と思ったのだけれど、軍手をしても手が切れて血が出てしまうことがあるらしい・・・。

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ヴァイオリンの双紙君が弾いているのは1/64の分数チェロではありません。

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サントリーの舞台に上がると、客席の感じが違うと思った。フルシャが指揮をする時と、インバル&マーラーあるいはインバル&ブルックナーの時とでは確かに違う。

ソリストは1995年生まれのヤン・リシエツキでショパンの2番の協奏曲だった。終楽章の後半にはトランペットの高橋君がポストホルンを持って舞台に登場し、普段はホルンが担当する部分(短いフレーズ)を吹く、という楽しい演出もあった。
リシエツキは長身で金髪、リハーサルにはきれいなブルーのパンツをはいて現れた。見た目はまさにピアノ少年、という感じなのだけれど、声は低い。協奏曲も、アンコールに弾いたショパンの練習曲も実にあっけらかんと。たいしたものだ。

フルシャからオーケストラのメンバーにプレゼントがあった。煙突掃除夫の人形、しかも一つ一つに手書きのメッセージが添えられて。あちらでは煙突掃除夫は幸運の象徴で、実際に掃除をして煤で真っ黒になった掃除夫を見かけたら、彼の体(服)に触ってその煤を自分の指につけ、それを衣服のボタンにつけると良いそうだ。

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ところで今日の演奏会、客席で具合の悪くなった方がいらしたのだけれど、大丈夫だっただろうか。

2013年6月25日 (火)

なみなみと

文化会館からはちょっと離れているのだけれど、時々行くのが上野の珍々軒。餃子にはラー油。先日行ったらなみなみと、あふれんばかりだった。

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国際オリンピック委員会が2020年夏季五輪開催に立候補している3都市の計画に対する評価報告書を公表、と報道された。もし東京で開かれることになったら、間違いなく日本人の暮らしや経済に大きな影響があることと思う。
2014年冬季五輪はロシアのソチ、2016年夏季五輪はブラジル、リオデジャネイロ、それでは2018年冬季五輪は?韓国で開催されることは教えてもらうまで知りませんでした。

2013年6月24日 (月)

都響は昨日からフルシャの指揮でアルプス交響曲のリハーサル。(富士山が世界遺産に決まったことと今回のプログラムは関係ないとは思うけれど。)戦争レクイエムに続いて大がかりな曲だ。圧倒的な音圧が押し寄せたり、広い舞台の立体感だったり、大編成ならではの醍醐味がある。
アルプス交響曲は昨年松本で弾いた時の印象が強い(指揮はハーディング)。久しぶりに楽譜を開き音符を思い出すことから始まった。ハーディングはいろいろなアイデアを持っていて、それも興味深かった。今は前回気付けなかったことに気付けたりして楽しい。

昨日革命的(と思う)なことに気付いた。チェロを弾く時どのように弓を使ったら、どのように持ちどのような角度で圧力でスピードで・・・、ずっと考えていた。でも鏡を見ながらあれこれ探しても、本番の緊張でふわっとなったらそんなものは全部吹き飛んでしまう。
弓の毛が弦に接するところ、そこを「不動の一点」として弾けばよいのでは、と気付いた。毛が弦をつかまえている、触れているその感覚をいつも感じられるような弓の持ち方で。しかも具合のいいことにその「不動の一点」はへそに近い。そこがぶれなければ、演奏会場の床の状態、響き、体調、緊張、様々な要素が変化してもいつも通りの演奏ができるはずだ。さて。

2013年6月21日 (金)

この1年ほどチェロに張る弦は上2本がラーセンのソフト下2本がスピロコアのライトだった。4本とも低いテンションなのは、以前ラーセンのミディアムを使っていた時、最初は良かったのだけれどだんだん楽器が締め付けられる感じになったから。
僕のチェロの表板裏板は薄く見える、そのこともあって強い弦は使わないようにしていた。でも重野さんに測っていただいたら厚みは普通にあるそうだ。(磁石とバネを組み合わせて、ノギスが使えないような場所でも、かなり正確に物の厚みを測る道具があった。)

先日ピアノ五重奏を弾き、月末にはピアノ・トリオがある。大きなピアノと室内楽を弾く時にもっと重い音が欲しくて、今日4本の弦のテンションを全てミディアムにした。現代風に最も標準的な組み合わせに回り回ってたどりついたことになる。日記に書くまでもないことかもしれない。音を出してみたら、なんだこんなことか、と思った。
以前と楽器は同じ、でもセッティングも弓も、それに人間もずいぶん変わったはずだから、同じ組み合わせでも別の面が見えてくるかもしれない。

Yuka

ところで、ラーセンのパッケージを開けたら新しいC線G線の広告が入っていた。マグナコア(Magnacore)G、マグナコアCというのだそうだ。その音からどうしてもマグナカルタを連想してしまう。大きく出たものだ。
古典的な話し。ヴァイオリンにはトマスティーク・インフェルト社製の「ドミナント」という弦がある。ニューヨークのジュリアード音楽院出身のソリスト御用達、パワーで押し切る人たちが使うイメージがある。それに対抗して(明らかにそうだと思う)ピラストロ社が発売した弦に「トニカ」という名前をつけたのは傑作だった。(蛇足:「ドミナント」という言葉には「支配的な」という意味もある。和声的には「ドミナント」の和音は「トニック」で解決する。)

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2013年6月19日 (水)

ピアノの山洞さんとパウゼ弦楽四重奏団とで岩手県内のある学校へ。

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小高い場所にあるキャンパスは広く、1,000人入るホールがあり、校庭にはエゾシカが2頭いた。空気もとてもすがすがしかった。

戦争レクイエムのリハーサルの合間にドヴォルザークのピアノ五重奏などの練習をしていた。梅雨どきの湿気が重く感じられる時に室内楽を弾くのはオアシスのようだった。たとえ忙しくてもそれで元気になる。

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今日訪れた学校には課外活動の弦楽合奏があり、一緒にアイネクライネを弾いた。みんなよく弾けていてびっくりした。指導する先生も素敵で生徒との間に壁がないように感じた。

夕方の新幹線で帰京。なまあたたかい東京に戻ったら岩手の清冽な空気が恋しくなった。ふぅ、とにかく一息つこう。

2013年6月18日 (火)

今日の都響は大野和士さんの指揮でブリテンの「戦争レクイエム」。

この曲にはまだ生傷のままのような記憶がある。あの時、もちろんリハーサルと同じメンバーで同じ会場で弾いていたのに、演奏が始まると、足下の地面がぱっくり開いたように、状況がまったく違っていた。あれは何だったのだろう、そう感じたのは僕だけではなかったはずだ。

戦争レクイエムのテキストにはラテン語の典礼文(ほとんどのレクイエムはこちらのテキストでできているような気がする。僕の思いこみかもしれません)と、第一次大戦に従軍したイギリスの詩人ウィルフレッド・オーウェンの詩が並行して使われている。
オーウェンの言葉はかなり強く、前回弾いた時は舞台の両側に電光掲示板で表示されるそのテキストを見ていてさらに辛くなったのだった。

今回は飲み込まれてしまわないようにスコアを借りて音や詞を追ったり、ゲネプロまでずっと歌詞を見たりしていた。おそらく全曲を通して大きな意味を持つのは「眠る」という言葉。もう一つ、心地よい使われ方ではないけれど「緑色の」という言葉も印象的だった。

できるだけ遠ざけておきたかった曲は、改めて録音を聴いたり(作曲者自身の指揮による素晴らしいものがある)楽譜を見たりして、ブリテンの傑作ということがよくわかった。

今晩、東京文化会館の舞台で演奏が始まる前、僕たちの譜面台に虫がとまった。あれはもしかしてベンジャミンという名前だったのかもしれない。
90分近い演奏時間はあっという間だった。

終演後、東北新幹線で仙台へ。明日はさらに乗り継いで盛岡へ。

2013年6月16日 (日)

完成

5月25日分以降のチェコ、スロバキア旅行記に画像を追加しました。これで完成。

http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/525-9d34.html

コシツェ公演のポスターはとてもいいデザインだった。白地にヴァイオリンの庄司さんのポートレートが置かれ、背景にうっすらと都響の名前が漢字で浮かんでいる。

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旅行の初日はこちらからどうぞ。

http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/521-4bc3.html

 

2013年6月14日 (金)

「ビル・カニンガム&ニューヨーク」

先日観て爽快だったのは82歳のカメラマン、ビル・カニンガムを追ったドキュメンタリー映画「ビル・カニンガム&ニューヨーク」。http://www.bcny.jp/
自由に生きるとはこういうことだ。実に鮮やかで潔い。お見事と言いたくなる。

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今日は東京オペラシティの「梅佳代展」へ。http://www.operacity.jp/ag/exh151/
なんだか空気がどんよりして気持ちもくさくさしている時にいいかもしれない。心が軽くなるようだ。でも千円の入場料はちょっと高いなぁ。

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2013年6月13日 (木)

「ミラクル チェロ アンサンブル」

JTチェロアンサンブルのCDを聴いた。このところ毎日あわただしかったのでちょっとしんなりしていたのが、聴いたら元気になった。18年続いたJTアートホールの室内楽シリーズは今年で幕を閉じ、チェロアンサンブルも先日2月6日の公演が最後となった。その模様を収めたCDだ。
毎年2月くらいに同じメンバーが集まり(途中日程の都合がつかなくて変わったことはあったけれど、でも基本的に同じ顔ぶれで続いた。驚異的なことだと思う)、大騒ぎしながらリハーサルをしていた。時々、これは客席にいるより舞台で弾いている方がきっと楽しいに違いない、と思う演奏会がある。JTチェロアンサンブルもそうだった。長く続いたからいつまでも続くような気がしていたシリーズだった。それが一区切りとなり、立派なパッケージのCDに収まってしまったことはさみしい。

Miraclecello

アルバムの中にアンダーソンの曲がいくつかある。企画の意図はチェロを弾く人間が途中で楽器を持ちかえ、打楽器担当になることのおもしろさだ。(編曲は川島素晴君)耳で聴くだけより、実際の演奏を見るという視覚的な要素があった方がずっといい。演奏を厳密に聴く、というよりは楽しさ優先で。ライナーノーツに誰がどの楽器を受け持ったか書いてないのはちょっと残念、僕の記憶では、
「タイプライター」は裕康さん、ギロとベルは千尋さん、「ワルツィング・キャット」のウッドブロックは雅弘さん、スライドホイッスルは山内君、犬の鳴き声はもちろん祐ノ介さん、「サンドペーパー・バレエ」のサンドペーパーは銅銀さんと桑田さん、曲の終わりのすかしかけたスライドホイッスルは僕、「シンコペーテッド・クロック」のウッドブロックは菊地さん(素晴らしい!)、ベルは藤森さんと古川君と僕、メトロノームは桑田さん、サイレンは山内君、「そりすべり」のすずは向山さん、間抜けなテンプルブロックは僕、鞭と馬の鳴き声はやはり祐ノ介さん。祐ノ介さんの動物の声はただものではありません。

鳥の歌の素晴らしいソロは向山さん。鳥の歌を聴くといつもしんみりしてしまう。またこのチェロアンサンブルで弾くことがありますように。

2013年6月12日 (水)

修理の終わった楽器を弾いたら、最近のあぁでもないこうでもないという悩みはなくなってしまった。
魂柱も駒も外して指板を削ったから他の要素も変化しているのだけれど、楽器が強くなったのは裏板をきちんとくっつけて頂いたから、と思いたい。響いた時の楽器の一体感がぐんと強くなった。
僕の楽器は時々とても強い感じになることがあった。しかもだいたい大事な本番の時ではなく、リハーサルの時だ。どうしてそうなるのか不思議だった。もしかして、気温とか湿度とか持ち運びの状況に左右されて、不安定な裏板がくっついたりはがれたりし、それによってチェロ全体の剛性が変わったのだろうか!?
毛箱に貝を貼りなおした弓は、バランスが手元にきた。それはもちろん予想できたことで、予想しなかったのは音が変わったような気がすることだ。不思議。

いずれにしてもこのところの楽器のぶかぶかした感じがなくなってうれしい。ただ残念ながら、弘法筆を選ばず、という境地は遠いなぁ。

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2013年6月11日 (火)

先日ヨドバシカメラのフィルム売り場に行ったら、コダック製品値上げが告知してあった。トライX3本で1,680円!知らなかったのはうかつであった、でもそれにしても大きな値上げだ。ぐれてしまいそうになった。

いま一つ調子の上がらないチェロを重野さんに見て頂いた。裏板の魂柱に近い部分にはがれが見つかった。これか。楽器の振動を支えるべきところが弱くなっていた。深く波打ってしまった指板や(指板を削ると音が大きく変わるので、できるだけ先延ばしにしていた。先日のチェロ・アンサンブルで強く弦をはじくとべしべしになってしまい、でもこれは、僕の腕のせいではないのでは、と思いながら)、おそらく本番の嫌な汗で溶けてほとんどなくなってしまった毛箱の貝の修理もお願いした。

空はどんよりしているけれど、楽器も弓も大幅にパワーアップしますように。

2013年6月10日 (月)

今晩放映されたNHKのクローズアップ現代は、先日80歳でエベレストに登頂した三浦雄一郎さんの体についてだった。70代後半より、エベレストに出発する前の80歳の体の方が筋力が上回っている、という驚くべき内容だった。
僕が40を越えてあれこれ限界を感じている場合ではない。暗譜も難しい曲も今まで以上に、といきたいところではある。さて。

5月24日分の日記に画像を加えました。
http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/524-380d.html

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2013年6月 9日 (日)

昨日の都響は調布で演奏会だった。ソリストはクシシュトフ・ヤブウォンスキでベートーヴェンの4番のピアノ協奏曲、素晴らしかった。まっとうな音楽が伸びやかに広々とピアノから出てくる感じだった。こうありたいものだと思った。

旅行中に撮ったフィルムのスキャンが終わった。フィルムのカメラを持っていってやっぱり良かった。

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(旅行記はデジタルカメラの画像を加えたら完成します。あと少し。5月23日分の日記で、ぱっと見て何かわかりにくい楕円はスメタナホールの天井です。白っぽく写っているのは青いガラス、演奏会が始まった時間は日が暮れきっていなかったので青、時間がたつにつれてさらに色が深くなり、とても美しいホールでした。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/523-932e.html

2013年6月 7日 (金)

旅が続いたこともあって、毎日とにかく目の前の仕事をする、そんな生活だった。今日久しぶりに鏡の前でさらったら、うぅむ。やはり少々まずい。自分が落ち着いていないからだと思う、楽器の調子も落ち着かない。簡単に音が出てしまうし薄い。こうではないはずだ。来週調整をお願いした。さて気持ちを入れ替えて頑張ろう。

時々不思議なことが起こる。
先日都心のホールで、都響チェロの中から僕たち5人とウィーンのバルトロメイさんでチェロアンサンブルを弾くことがあった。その翌日の都響は北とぴあ(王子駅近く)で小学生向けの音楽鑑賞教室。午前の部が終わり、そのチェロアンサンブルを弾いた3人で昼ご飯を食べていたら、隣の隣のテーブルの女性が前日の僕たちが弾いた演奏会のプログラムを熱心に見ていた。(王子は都心にすごく近い訳ではないのに、単なる偶然だろうか。)

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2013年6月 6日 (木)

画像を少しずつ

フィルムをスキャンする時間はまだないのですが、デジタルカメラで撮った演奏旅行の写真を5月21日分の日記から少しずつ加えています。よろしければどうぞご覧ください。

http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/521-4bc3.html

2013年6月 3日 (月)

帰京

もちろん毎日旅行記を書いてばかりいた訳ではなく、都響は一昨日秋田県湯沢で、昨日は能代で演奏会だった。大曲や湯沢の駅で電車を待つ間、ヨーロッパの日記をまとめるのはなんだか不思議な感じだった。これでチャイコフスキー5番の旅も一段落。チェコやスロヴァキアの聴衆も素晴らしかったけれど、日本の聴衆も素敵だ。

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ハーゲン・カルテットのこと、ライナー・シュミットに習っていた人に聞いたら、彼らはスコアでリハーサルをするそうだ。それからたとえ同じフレーズを弾く時でも弓の上げ下げは合わせないらしい。

午前中の新幹線で帰京、ちょっとだけさらってからチェロアンサンブルのリハーサルへ。こちらは明後日本番。少々くったりして帰宅し、6月10日まで無料のスカイパーフェクTVのチャンネルをあれこれ見てみた。BBCのニュースがプラハからの生中継で、どうやら降り続いた雨でヴルタヴァ河の水位がかなり上がってしまったらしい。確かに僕たちが滞在していた時も毎日雨だったもの。もう少しチャンネルを回すとオスカーピーターソン・トリオの映像が出てきた。CDはよく聴いたけれど、彼の映像を見るのは初めて。素晴らしかったなぁ。

5月27日、目覚ましが鳴る前に何度か目を覚ます。6時過ぎ起床、シャワーを浴びて朝食。バスは8時過ぎに出発。まずウィーン行きの飛行機に乗る。
江口君は僕の隣の座席についたとたん眠りに落ち、離陸滑走の振動と音で目を覚まし、「もう着いたの?」と言っていた。

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ウィーンで成田行きの便を待っていたら、たまたま知り合いの音楽家に会った。彼はベルリン、ウィーンを回り、ベルリン・フィル&アバドの幻想、ウィーンではドレスデン&ティーレマンのワーグナーとハーゲン・カルテットの演奏会を聴いたそうだ。
ハーゲン・カルテットはベートーヴェン・プログラムで2、4、14番(すごいプログラムだ)、満席のため舞台上の席で聴き、ちょうどそこはチェロのクレメンスの正面で、時々彼の鋭い視線を感じたらしい。(もちろんチェリストはカルテットの中を見ていたはずだ)
もう一つの発見は、セカンド・ヴァイオリンのライナー・シュミットが譜面台にスコアを置いて(縮小して譜めくりができるように工夫してある)弾いていたことだそうだ。なるほど。

さて日本へ。

2013年6月 2日 (日)

5月26日、8時半頃起きてゆっくり朝食。冷たい雨の中街へ。カラーフィルムをもう一本撮るかどうか迷う。昨日登らなかったウルバン塔は閉まっていて、スロヴァキア技術博物館も昼からの開館、ちょっと途方に暮れる。駅に向かう。途中の陸橋にはたくさんの鍵がかけられていた。

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コシツェ駅には路面電車のロータリーがあり、都響の演奏会のポスターもあった。

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小さく暗い駅だけれど、線路は多く開けていた。4本目のトライXを撮り切り、今回の旅行のフィルムでの撮影はこれでおしまいにする。

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なんだか眠く、ホテルに戻り昼寝。目覚ましのアラームが鳴ってもなかなか起きられなかった。

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昼ご飯を買いにホテル裏手の大きなショッピングモールへ。パンやヨーグルトを買い店を出ると、江口君がパンを食べながら大きなテレビでF1モナコ・グランプリの中継を見ているのに出くわした。
こちらのテレビでは自転車レースやモータースポーツを多く放映していて楽しい。自転車はちょうどジロ・デ・イタリアの雪の降る山岳ステージだった。日本のスポーツニュースはどうして球技と相撲ばかりなのだろう。ちょっと前はNHKでツール・ド・フランスやパリ・ダカール・ラリーの特集を組んでいたのに。

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食事の後、演奏会場へ。赤いドーム屋根が印象的なホールだった。都響公演はコシツェのかなり公的な行事だそうで、スロヴァキア放送のカメラも入った。
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今日の庄司さんのソロは、深い海の底にいるような素晴らしい集中だった。コシツェの聴衆のいきいきとした笑顔の前で弾けたことはかけがえのない経験となった。忘れられない演奏会になるだろう。終演後レセプションがあり、再び降り出した雨の中ホテルへ戻る。

のろのろ荷造りをして1時就寝。明日の朝は早いのに目覚まし時計が止まった。昼寝から起きる時に何度も何度も鳴らしたから電池切れになってしまったのだろうか。やれやれ。

2013年6月 1日 (土)

5月25日、8時半起床、荷物を整頓して朝食。バスの出発が昼過ぎなので少し街を歩こうとしたら雨。傘を持って小降りの中出かける。

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オストラヴァの街はありのままのところが好きだった。むき出しの生活がある。

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観光地は観光地になってしまうと、乱暴な言い方だけれどどこも同じだ。街は取りつくろい、観光客は無遠慮な視線を投げかけ、土産物屋は見たことのあるようなものであふれる。
雨は本降りになり、あまりの寒さにホテルに戻る。

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空路国境を越えコシツェへ。チェコの通貨はコルナ、

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スロヴァキアはユーロ圏だ。

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2台手配してあったコシツェの空港から街へ行くバスは1台が故障、代わりの1台が来るのではなく最初の1台でのピストン輸送となった。僕たち低弦や管打楽器は後発組。ここにはバスが2台しかないんじゃないか、と冗談を言い合った。

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時間を惜しんで夕方の光線の中コシツェを歩く。空が広く、まとまった感じの街だった。今日は白黒フィルム。
街の中心部をフラヴナー通りが南北に貫き、その中に聖アルジュペタ大聖堂、聖ミハエル礼拝堂、ウルバン塔、国立劇場が使われていない線路で島のように囲まれている。

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フラヴナー通りを北の端まで行ってからさらに通りを囲む道を歩き回った。足が痛くなった。途中で会った都響の人たちにウルバン塔に登ることを勧められたけれど、とても無理だった。

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ホテルに戻る途中、女性の二人組に「英語を話しますか?」と声をかけられた。どこから来たのか、とか、今日は日本人が多いようだが、とか質問され、僕はオーケストラのメンバーで明日演奏会がありかくかくしかじか・・・、と説明した。それから彼女たちが、2年前の地震は大変でしたね、今はどうですか?、わたしたちの兄弟や姉妹(「brothers and sisters」という言い方をしていたと思う)も日本で手伝いをしています、と言った。そのことに謝意を伝えると、ところであなたはこれこれを知っていますか?と日本でも活動している宗教団体の名前を言ってきた。丁寧な感じの人たちだった。

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夜はチェロの集まり。スロヴァキアのすばらしい料理と飲み物で盛り上がった。

 

5月24日、7時半起床。手早く荷物をまとめ朝食。バスでプラハの空港へ。

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フィルムをX線検査に通さないように頼んでみる。すると、この機械は感度1100まで大丈夫だから、と言われ、仕方なく鉛袋に入れて通す。

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11時半の飛行機でオストラヴァへ。今日も揺れた。
オストラヴァの空港はとても小さかった。緑の丘を見ながら街へ。途中赤煉瓦でできた大きな工場跡(北九州にある製鉄所に似ていた)を通り過ぎた。街は観光向けではなく、どちらかと言うと荒涼とした感じかもしれない。

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ホテルの外壁には金槌が2本交差した模様が浮き彫りになっていた。ホテル名はインペリアル、レストランはレジェンド、世界が東西に分かれていた時は、党の幹部か外国人しか泊まれない場所だったのだろうか、と思ってしまう。部屋に入るときれいなのだけれど、すっぱいようなにおいがした。
このにおいで僕が中学1年と3年の時に行った当時の東ドイツのことをありありと思い出した。ベルリンの検問所を、あるいはモスクワの空港を経由して、いずれにしてもカーキ色の制服を着てにこりともしない人たちの前を通って西から東へ行ったのだった。あの頃の僕は外国とは日本よりもっと豊かなところだと思っていた。

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この東ドイツへの演奏旅行は、僕にとって大きなものだったし、今やノスタルジーを感じていると言ってもいい。オストラヴァの街は、あぁこうだった、と思い出させるものだった。

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今にも降り出しそうに低い空の下、散歩する。今日はカラーフィルム。日本で使うと黄色っぽいような青っぽいような色味が気になってしまうコダックのフィルムが見事にはまることがわかる。ふるえる気持ちでシャッターを切った。

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バスでオストラヴァ市文化センターへ。横にはパイプオルガンがあり舞台はじゅうたん張り。音は意外と聴きやすい。建物の裏手には公園、緑が美しく、鳥の聞いたことのない美しい声もした。

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オストラヴァの聴衆はプラハほど着飾っていなく、でも皆いきいきと聴いている。最前列のおばちゃんが身を乗り出すようにしてにこにこ聴いてくれたら、それは頑張らない訳にはいかない。今日は良い流れだった。スタンディングオベイションは久しぶりだった。

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終演後ホテルのレストランで食事。インペリアルとかレジェンドとか大変な名前がついているけれど、とても丁寧な対応だった。僕の泊まった部屋からは道路と路面電車とその向こうにカジノが見える。
その東ドイツへの旅行では路面電車が印象的だった。ドレスデンではやはりホテルの部屋から路面電車が見え、また深い霧の中から現れる路面電車を写真に撮ったこともよく覚えている。

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オストラヴァでは何時まで路面電車が走っているのだろうか。窓からその写真を撮ろうと待っていても、ぼんやりしているといつの間にか走り去ってしまう。しかも、外気温が低いのか、吐く息で窓がすぐ曇る。
そんなことをしていたら夜中の2時だった。

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