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2013年8月 2日 (金)

昨日帰宅してからチェロの弦をゆるめた。秋に備えて8月は楽器も人間も少しゆるめよう。
仙川で散髪の後、国立新美術館の「アンドレアス・グルスキー展」へ。
http://www.nact.jp/exhibition_special/2013/gursky/index.html

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写真、というより絵筆をカメラに置き換えた感じがした。多くの作品は複数の写真が合成されている。例えば「パリ、モンパルナス」にはパリのアパルトマンが画面にはみ出して写っている。水平と直角で構成された建物は、本当に水平と直角を成して画面にある。まさに設計図のとおり、頭の中にあるとおり。
でも物事は実際に肉眼で見る時、一つの視点から一台のカメラから見る時、絶対にそう見えない。例えば部屋の中にある様々な直角、部屋の角、ドアの角、テレビの角は真正面から見ない限り直角には見えない。人間は実際に見えたものを脳のどこかで変換して、認識している。グルスキーの作品はその変換の過程をなくしていきなり目の前に出してくる感じだ。だからこういうのをコンセプチュアル・アートというのか。この人はきっとものすごく長い時間、コンピューターのモニターの前に座っているはずだ。

実際にはありえない靴売り場を写した「プラダⅠ」「プラダⅡ」なんてとてもおもしろかった。次の作品が現れるたびに目と頭がくらくらするような気がした、けれど慣れてくると次がだんだん予想できるようになる。予想できない驚きがあるから芸術だと思うのだけれど。
昨晩放映されたクローズアップ現代で、ジョー・プライスさんが自身の所蔵する若冲の絵を見る姿を思い出した。説明できない何かを求めて、物質的にはどうしても満たすことのできない何かのために、僕は絵や写真を見たり音楽を聴いたり本を読んだりする。もちろん、人間は何をしようと自由だ。

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今日、思いもかけず貴重なコーヒー豆を頂いた。パッケージには「Luwak Coffee」とある。映画「かもめ食堂」にも出てくるコーヒーだ。早速淹れた。高原を吹き抜ける風のように爽やかだった(ワイン漫画風の言い方かな)。苦みもえぐみもなく、このコーヒーの味だけで充足する。
どういうコーヒーか、成り立ちを知ると驚きます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%82%AF

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