プレゼンテーションでラフマニノフのソナタとチャイコフスキーのピアノ三重奏のそれぞれ部分を弾いた。何度弾いてもいい曲だし楽しかったなぁ。どちらも演奏の機会が増えると嬉しいのだけれど、はたして結果やいかに。
今日の日経夕刊、藤崎一郎さんのコラム「プライスさん、ありがとう」では宮城、岩手、福島県を巡回している伊藤若冲展(プライス・コレクション)のことが紹介された。同展は今晩放映されたNHKのクローズアップ現代でも取り上げられていた。
http://jakuchu.exhn.jp/
外国人が日本人画家の素晴らしさに気付き、それがようやく本国で認識されるようになった、ということだろうか。
ドナルド・キーン著「百代の過客 日記にみる日本人」を読んでいる。平安から江戸時代までの、様々な日記を取り上げた文章は実におもしろい。今や日本国籍を取得したキーンさんだけれど、外国人だからこその視点は新鮮だし、胸のすくような歯切れいい文章がある。(日本の専門家はこんなにはっきりと断言できるかしら。)
「いほぬし」の箇所でこんな記述があった。
『・・・。だが彼が褒めるものが、常に最もよく知られた光景や音声などにかぎられるのは、いったいなぜであろう。どうやらこれは、中世の旅人に典型的な流儀らしいのである。彼らはまず、先人の歌によってすでに知られた場所へ行く。そして彼らがそこで褒めそやすのは、桜かもみじにかぎられ、名もない丘に咲く名もない花の美しさには、一言一句も費やすことがないのである。川端康成は「東海道」(千九百四十三年)という作品の中で、この現象について次のように説明している。「先人の足跡に従って、名所古蹟にお百度を踏むだけで、無名の山川をみだりに歩かぬのが、日本の芸の修行の道だし、精神の道しるべだった」。』
なるほど、得心するところがあった。現代の日本人にもこのメンタリティーはあるように見える。