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2013年8月16日 (金)

今ここにいることの

しばらく使っていなかったデジタルカメラ(K-01)を使ってみたらおもしろくてあれこれ撮るようになった。(枚数を気にせず撮れるのはデジタルの良さの一つ、その緊張感のなさが短所でもあるけれど。)
あっと閃く瞬間は思いがけない時に来るのでできるだけいつもカメラを持つようにしている。それは通い慣れた道、見飽きた場所に非日常が起きていないか、目を凝らしていることだ。でもそんな広い河原に瑪瑙を探すような作業ではなく、宝が目の前にあふれているような非日常に、見るものすべてが目新しい旅に出たくなる。その時どんな光景が広がりどんな道具立てで行ったらいいかいつも考えている。

007

ずいぶん前、クリスティアン・ツァハリアスというピアニストに習った時、シューベルトとは今ここにいることの心地よさ、と言われたことがとても印象的だった。物事が大きく発展したり展開したりするのではなく、その音楽の中にずっといたい、ということだ。例えば変ロ長調のピアノ三重奏で脈絡なく旋律が続く気のすることがあるのは、そう言われると合点がいく。有名な「グレート」という名前のついた交響曲の、第3楽章の長大な中間部の後半の繰り返しが終わってから主部に戻る時や、一千小節を越える第4楽章の終わりで8小節フレーズが何度も何度も繰り返される時には、この曲は終わらないのではないか、と思ったりする。実際、第2楽章は終わってほしくないほど美しい。

ベートーヴェンだったら、もっと劇的な変化があると思う。彼の9つの交響曲が全てとても違うことに驚く。9曲ともまぎれもなくベートーヴェンだ、でも同じ人間が書いたとは思えないほど独立している。

話の細部は忘れてしまったのだけれど、晩年のストラヴィンスキーは(若い時には好きでなかった)シューベルトの、長い演奏時間を要する八重奏曲について、演奏を聴きながら眠ってしまっても、目が覚めた時にまだその曲が続いていることはなんと幸せではないか、と言ったそうだ。

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